第二章 バイク屋狐・狐久保七生

第十二話 フォックステール・モータース

「全く、酷い目に遭った」


 亜希に尻尾を燃やされたスタジオからの帰り道。儂は愛車である仏壇カラーのCB750を走らせながらため息をついた。フルフェイスヘルメットの視界が白く曇る。

 脳内でガンガンとリフレインするのは亜希の言葉。尻尾を焼かれ風呂に沈められ、バンドにまで付き合ってやったというのに〝諦めてあげる〟じゃと? それはこっちのセリフじゃろうが。儂の方から縁切りじゃ! あんな腹立つクソ悪魔なんぞとは金輪際関わり合いになってやるものか! 明日からもう亜希と会うことはない……あの顔を見なくて済むかと思うと清々する……清々……


「い……嫌じゃあ……儂は亜希と離れとうないぃ……無理じゃ! 亜希の居ない生活など……耐えられん。儂は、儂はぁ……亜希がおるから毎日それなりに楽しいんじゃ。日々の生活を頑張れるんじゃ。儂は亜希を……好いとるんじゃぁ……」


 ボロボロと涙が儂の目から零れ落ちた。涙と鼻水でフルフェイスの中はぐちゃぐちゃ。だというのに儂はアクセルを開きスピードを上げた。嫌じゃ、嫌じゃ、嫌じゃ、嫌じゃ。


「嫌じゃ嫌じゃ! 四百年、四百年の片想いじゃぞ! こんな形で終わりとうない! 亜希よ。儂を捨てないでくれぇ!」


 その瞬間、タイヤがスリップしバイクは派手にすっ転んだ。


「グげッ!」


 強かに尾てい骨を打った儂の口から何とも情けない声が漏れる。全く、踏んだり蹴ったりじゃ。投げ出された姿勢のまま止まらぬ涙に肩が震えた。みじめじゃ。


 *


「つまり! 八十年代のバイクの危険走行ブームは間違っていたんじゃ! おかしいじゃろ!」


 真っ暗な、誰もいない店の倉庫で儂は一人おんぼろのマイクとパソコンに向かってがなりたてる。


「昔はよかったとかそんなものは老いぼれの言い訳にすぎん! ええ歳をこいとるんじゃから自分を客観視することを覚えろ! 今日はここまでじゃ。じゃあの」


 そう締めてカメラの停止ボタンを押す。後はこの動画を編集してYouTubeに上げれば終いじゃ。ま、再生回数二桁の弱小チャンネルじゃがの。


「うう……しかし体中が痛いのう……」


 昨夜(告っても無いのに)派手にフラれ、バイクでも自爆し、這う這うの体で住居兼店舗に辿り着いた儂は眠ることもできずにそのままの勢いでYouTube用の動画を撮影しておった。


「はぁ、店を開けねばの……」


 撮影のために閉めていたカーテンを開けるとそこには突き刺さるようにさんさんと降り注ぐ朝日を恨めしく見上げて、 店内に引っ込めていたスタンド型の灰皿を手に裏口から外に出る。

 

 そのまま表に回り店のシャッターを勢いよく上げる。朝日に照らされたガラス扉には狐とバイクをあしらったロゴと、レタリングされた〝フォックステール・モータース〟の文字。これを見る度しゃっきりせねばと思える。一国一城の主、うん、実に背骨が伸びるではないか。実態は吹けば飛ぶようなただの零細中古バイク屋でしかないが、気持ちの問題なんじゃ。


 持ってきた灰皿を入口に置き、ついでに一本、煙草に火を点ける。三月の朝、気の早い春めいた空気をいぶした煙が儂の肺を満たす。ああ美味い。その煙で完璧に気持ちが切り替わった。バンドやら、片恋やらはひとまず脇に置いて仕事モード。儂は煙草を灰皿に放り込み、店に入るとガラス扉にOPENの札を掛けた。


 *


「ふぅ、こんなもんでエエじゃろ」


 店の奥に併設してあるガレージ、その隅で儂は油にまみれたゴム手袋を脱ぎ、作業台に叩きつける。


「後はメーターを巻き戻してヤフオクに出せばええ」


 メーターを巻き戻すと言っても昔ながらのドリルをメーターに繋いで逆回転などという野暮はせん。今回は同型のメーターを走行距離の低いものに交換するだけじゃ。

 これで車体をピカピカに磨いておけば阿呆が落札する。そもそも希少になってきておるバリオスⅡの低走行車などが、そうポンポンヤフオクなどに捨て値で出る訳がなかろうに。全く人の欲という物は恐ろしい。

 悪徳バイク屋じゃと言われればまあそうじゃ。しかしそんな風評なんするものぞ。儂だって霞を食べては生きていけぬし、守るべき店もある。それに、中古車市場はババ抜きじゃ。最後にクソ車体を掴まされた阿呆以外は皆加害者なんじゃよ。綺麗事では生きていけん。


「これで走行距離八万キロオーバーのポンコツも十年前に戻るわけじゃ。容易いのう」


 こんな独り言をつぶやいたせいかふと亜希の言葉を思い出してしまう。畜生め、全然切り替えられていないではないか。

 儂を風呂に沈めながら、昔に戻りたいと、あの女はそう言いおった。全く亜希のサドッ気にはほとほと困らせられる。

 まぁ……うん、四百年の連れ合いじゃから? そういうじゃれ合いは嫌ではないが……特に昨日のマジ切れしたときの表情や暴力は、正直たまらん。濡れる。


「じゃがしかし、やはり個人的に亜希の嗜好には賛成できんの……」


 確かに亜希の言う通り昔は刺激的じゃった。人も、妖も、悪魔も皆生き生きしておった。そのことを懐かしく思わんわけではないし現在を退屈だと感じることにも同意できよう。しかしそれにこだわって何になる。


「メーターを巻き戻したところでバイクそのものが昔に戻るわけも無し」


 じゃから儂は時の流れを拒まん。YouTubeに動画を投稿するしヤフオクでバイクを売る。常に時代に合わせ変化する、変化の肯定こそが悠久を生きるものとしてのあるべき態度じゃ。

 最後のボルトを締め、メーターの交換が終わる。作業を終えたというのに儂の心は晴れないままじゃった。


 *


 店内に戻ると客が一人来ておった。ブレザーの制服姿の女子高生が一人。もの珍しそうに並べられたバイクをしげしげと眺めておる。


「ああ、裏に居たもんで気づかなくて申し訳ない」


 儂はなるたけフランクな態度を装って笑って話しかけた。やはり客商売笑顔が一番じゃ。


「ひっ」


 営業スマイルに返ってきたのは小さな悲鳴とひきつり顔じゃった。なんじゃい。全くやってられん。しかしお客様じゃ、儂はまだまだ笑顔を崩さずに口を開く。


「何かお探しかの?」

「あ……あ、あの、バイク……を見……たくて」


 どもりながら何とかそれだけ言い切る制服女子高生。まあそれだけで大方の目的と理由は察知できた。


「通学用の原付なら表に並んでおる。好きなように見てええぞ」


 この制服の女子高は確か二輪通学が認められていたはず、時々こんな生徒が迷い込んでくるのでさすがの儂も覚えた。


「い、いや……そうじゃなくて……もっと排気量の多い……おっきくて……その……強そうなやつが……」

「強そうとな? どういうことじゃ?」


 儂がそう言うと制服女子高生は少しうつむいてから意を決したように口を開いた。


「いじめられなくなりそうなバイクです!」

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