第八話 合・法・J・K

 勝った。勝った。完勝だ。目の前でさっきまでいた店の明かりが落ちる。そしてアタシはまだ地面にまっすぐ立っていて、緋沙子は、アスファルトに倒れ伏している。


「う、ぐしゅ。まだまけてましぇんからぁ」

「四回も吐いたくせに何強がってんのよ。まったく可愛いんだから」


 アタシは目の前の自販機で買った水を傍らに置く。勝者が敗者にしてやれることはここまで。あとは背中を向け颯爽と家路につく。ハズなのに……。


「なんで終電とっくに終わってんのよぉ!」


 スマホに表示された時計は無残にも午前二時を指していた。いくら首都大東京とはいえこの時間に動く電車はない。タクシーに乗る金もない。


「うぐへへへぇ。これが私のひっさつわざぁ……勝てない相手には一緒に泥沼にしずんでもらうぅうううげぇぇぇぇぇ……」

「諸刃の剣すぎるでしょうが」

「えへへぇ、一緒に夜の街に消えていきましょうよ亜希ぱいせーん」

「うるさい! ったく何が悲しくて女子高生と始発待ちなんて……」

「時間をつぶせるいいところがありますよ。ラブホっていうんですけど」

「もっかい吐きたい?」

「と言うのは冗談でぇ……練習スタジオでーすよ!」

「スタジオ……?」

「そーですそーです。意外と二十四時間営業の練習スタジオ多いんです。それにけっこー安上がりな上、夜中に楽器弾いても誰にも文句は言われない!」

「そういわれてみるとかなり魅力的ね。でもアタシ今日楽器持ってないわよ」

「そんなの貸してくれますってー。てことではい決定ー」

「明日仕事なんだけど」

「しゃーかいじんはたーいへんでーしゅねぇ!」


 ご機嫌で煽ってくる緋沙子を見てアタシは今度こそ酒をやめようと悪魔のくせに神に誓った。しかし一分後、煙草を買おうと寄ったコンビニで息をするように缶チューハイを買っている自分に気が付き戦慄した。


 ○アルコール(六十秒 ストロング・ゼロ・ホールド)霧島亜希●。


 なんともふがいない試合結果だ。


 *


 駅から少し離れた住宅街の入り口、そのうす暗がりの中に突然スタジオの入り口は表れた。何の変哲もないアパートの端にぽっかりと空いた地下へ続く階段、柔らかなオレンジの明かりに照らされ、入り口には何やら手書きのポップな字体で料金案内が出ているがそれが逆にどうしようもないいかがわしさを醸し出していた。


「個人練二人で三時間お願いしまーす。あとエレキギター一式貸してください。はい、ポイントカード」


 アタシが階段を下り、店内に入ると緋沙子はもう受付を終わらせるところだった。


「はい、亜希さんこれ持って」


 訳も分からず黒いギターとカゴに入ったケーブル二本とマイク。それにごちゃごちゃした小さな機械を手渡された。


「えへへ、じゃーついてきてください」


 なすすべもなくついていく。狭めの短い廊下の両端にいくつかの重そうな鉄のドア。そこからは完備された防音施設でも防げないバンドサウンドが漏れ出してきていた。平日の深夜だというのにこんな怪しい施設の中で、音楽に励む不健康な人間がいる事実になんだかテンションが上がってしまう。


「ようこそ、音楽の生まれる地へ」


 二重扉を開けて緋沙子がアタシを中へと促す。


「ねぇ、そんな大層な所に初めて入るのが始発待ちなんて情けない理由なアタシってどう思う?」

「バンドやる資格無いと思いまっす!」

「ほんと酔っぱらってるからって何言ってもいいと思ったら大間違いだからね!」


 *


「さてと、何弾きましょう」


 なにやら甲斐甲斐しくアタシのギターのセッティングをした後、足で自分のギターケースを引き寄せガパリと開けると、中からアコギを取り出してそう言う緋沙子。まるで悪だくみでもしているようでなんだかかわいく見える。


「そんなに酔っててほんとに弾けるの?」

「失敬な、私は酩酊してもギターだけは上手い系女子なんですよ。証明してみましょうか」


 そう言って緋沙子はジャカジャカと荒々しくアコギを引き始める。


「こないだ弾いて、ちょうどコードも覚えてるし、亜希さんの好きみたいだから、泉谷しげるの『春夏秋冬』やりますからね。亜希さんも好きなトコで入ってきてください」

「ちょ、ちょっと! 入ってきてって言われても」

「もーめんどくさいなぁ、初心者って言ってもメジャーペンタくらい弾けるでしょ?」

「それは、まぁ……」

「それ使ってよさげな所によさげなフレーズツッコめば酔っ払い同士のセッションくらいにはなるから。後はノリとフィーリング!」

「で、でも!」

「思い切りないですねぇ。もう始めちゃいますからね! 季節の無い街に生まれ~」


 踏ん切りのつかないアタシの背中を突き飛ばすように緋沙子は歌い始めた。酔っぱらってしゃがれた声、しかし本人が言うように歌もギターも魅力は少しも損なわれていなかった。アタシを魅了したあの深夜のステージが脳裏にフラッシュバックする。


 あの時と違うのはアタシだけ。今、私の両手にはギターがあって、足元に目を落とせば緋沙子が繋いでくれたエフェクターとやらもある。


 銀色と灰色のちょっと錆びた筐体、片方はとんでもなくデカい音を出すファズで、もう片方は残響音を作り出すリバーブという物だと、緋沙子が教えてくれた。


 ステージに上る準備は整えられている。後はアタシがどうするか。


 決意を固めてアタシはギターを体にグッと引き寄せる。その動作だけでも弦が振動し、アンプからノイズが出る。でも構うもんか。こういうのはやり切るのが大事、中途半端が一番ダメ、社会人経験から学んだ鉄則だ。だからファズに足を掛け、緋沙子の歌う一番の終わりの間奏に狙いを定める……来た! 南無三! 叫べ! アタシのギター! 

 ガツリとファズのスイッチを踏み込み、一弦十二フレット、極高音を思いっきりピックで叩きつけた。


「ッ!」


 一瞬、緋沙子の音が消えた。そしてすぐ、自分の音がそれをかき消すほどでかかったのだと気づく。慌てて緋沙子の方を見ると突然の高音に若干眉をひそめながらもその目は明らかにアタシを挑発してきていた。


 ――『入ってきたからにはやり切ってくださいよ?』


 いいじゃんか、やったろうじゃん。またさっきと同じ音を、全音符で叩きつける。その鉄弦の振動は、アタシ達の鼓膜を突き抜け背骨に電気を流す。不愉快極まりない高音のはずなのに今はやけに気持ちが高ぶって仕方がない。


「やるじゃないですか亜希パイセン!」

「な、舐めんじゃないわよこれくらい!」

「そしたら次は二番だ! 歌が入ってる時はうるさくしときゃいいって訳にはいかないよ! ついてこれます⁉」

「よゆー!」


 アタシの返答に爆笑しながら緋沙子は二番を歌い始める。アタシはファズを消し、歌の邪魔にならない音量でそれでも自己主張強めにヘンテコな、聞くに堪えないフレーズを弾きまくった。正しい音程なんて何度も外れた。そのたびに緋沙子もアタシも笑いながら曲を演奏し続けた。


「今日ですべてが終わるさ! 今日ですべてが変わる! 今日ですべてが報われる! 今日ですべてが始まるさ!」


 〝春夏秋冬〟のサビ。全く見透かしたような歌詞だ。緋沙子の歌うこの言葉を聞くたびにアタシは全くその通りの刺激を受ける。

 曲が終わってもアタシ達は留まるところを知らず、そのままセッションが始まった。緋沙子のアコギがバッキング、アタシのエレキがリードで言葉にならない会話を何度も交わし続けた。


 アタシ達がこの乱痴気騒ぎに疲れ果てギターを持ったままスタジオの床に倒れたのはもう空も白み、始発もとっくに動いているころだった。


「はぁはぁ……ああ楽しかった」

「アタシも……音楽……凄い。刺激だらけだってアンタの言葉、間違ってなかったわ。めちゃくちゃ疲れたけど」

「えへへ、私もくたくた。今すぐ寝たい」


 緋沙子はごろりと寝返りを打ってアタシの顔を見て屈託のない笑みを見せてくれる。体を包む心地よい虚脱感と、音楽的トリップの名残を味わいながら見る緋沙子の横顔はとても魅力的に見えた。それは緋沙子も同じようで可愛い笑顔のまま動けないアタシに顔を近づけて来る。疲れでうるんだ瞳と、長い睫と、艶めいたリップが段々とアタシの唇に近づいてくる。ああ、このまま……。


「って無理無理無理無理! ア、アタシの性的嗜好はストレート!」

「えへへ、一回だけ試してみればいいじゃないですか」

「い、嫌!」

「そんな必至に断っちゃって。一回手を出しちゃったらもう後には戻れないって言ってるみたいですよぉ。クスクス、そう思っちゃってる人はもうストレートじゃないですよねぇ」


 くそ、ああ言えばこう言う! 何より一番最悪なのはアタシも流されて行くとこまで行っちゃってもいいかって思ってる事だよ畜生!


「ち、違っ! そ、それにアンタ高校生でしょ! アタシは未成年淫行なんかで捕まりたくないの!」


 ナイス! アタシの悪魔のくせによくわからない遵法意識! 


「あはは、散々一緒に酒飲んで煙草吸ったのに今更それ言います⁉」

「うるさい!」

「でも、それだったら大丈夫ですよぉ。私、色々あって高校辞めて通い直してる最中だから歳は二十歳。だから亜希さんと私の間に障害はないです」

「う、ああ……そんなの……嘘かも……」

「私は正真正銘、合・法・J・Kですよ」


 もう、拒めない。アタシは黙って目をそらし体を緋沙子に任せた。その姿に満足したように笑いながら緋沙子はアタシの身体の上にのしかかった。腰、腹、胸と順番に体重がかかり体が密着する。そして最後、緋沙子の唇がアタシの唇と……触れ合うことはなく、緋沙子はそのままアタシに全体重を預けアタシを挟んでスタジオの床に倒れこんだ。


「は?」


 アタシは訳も分からず真横にある緋沙子の顔を見る。目を閉じ、気持ちよさそうにすうすうと寝息を立てている。


「―――――ッッッッッ!!!!」


 も、弄ばれたぁー! アタシ悪魔なのに! 人間のしかも二十代だか十代だかも分からない小娘にぃー! ふざけんな! 腹いせにこのまま緋沙子をアタシの上から投げ飛ばしてやろうとわき腹を掴む。


「ん……あむぅ……ふふっ」


 それがくすぐったかったの眠りながらかわいい笑いをもらす緋沙子。そのあどけなさの残る姿に毒気も怒りも抜かれてしまった。


(はぁ……もうちょっとくらいベッドになってやるか……)


「とはいえ……今日これから仕事かぁ……決めた。もう絶対に酒はやめる」


 アタシは緋沙子を起こさないようそう固く固く決意してそう呟いた。


「んふ……亜希さぁん……むにゃ……また飲みましょうねぇ」


 見透かしたような緋沙子の寝言。やっぱり禁酒は無理かもしれない。

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