第七話 ゴミクズが集まるのがライブハウスですよ
「ああ……頭が痛い……」
アタシは仕事終わりのくたびれた体を原付に乗せて国道二十号を走っていた。正確には原付ではなく排気量125ccの原付二種らしいのだが、そんなことを早口で力説する七生の気持ちの悪いオタク顔を思い出すのは絶対に嫌なので、私にとってこれは原付だ。
「やっぱ二日酔いで仕事は行くもんじゃないわね……ウプッ」
せりあがってくる胃液と一緒にアタシはここ数日の醜態を思い出す。まずアタシがギターを買った日。七生と千里の三人でおギター様を崇め奉りながら飲んだ。朝まで。
次の日、七生がベースを知り合いから受け取ったとかでまた集まって、飲み明かした。泥酔した七生のおベース様音頭は深夜二時頃にアタシ達の腹筋を破壊し、明け方頃には二度と見たくなくなる程に飽きた。
そして昨日、千里のスネアその他が届いてアタシ達は前人未到の三日連続お迎え会を強行した。
ひたすらにギターを崇拝するアタシに二日目のおベース様音頭を踊り狂う七生、それにぶちキレれてドラムスティックで派手にアタシ達二人をシバきまわす千里。それを炬燵の真ん中で鎮座するスネアドラム様に奉納する午前四時。ジミヘンもびっくりなサイケ地獄だ。
「もー飲まない。今日は家帰ったら速攻寝る。だってまだ水曜日だもん。週の真ん中で何やってんだアタシは……」
そんな情けない覚悟で、何とか家の駐輪場へと滑り込む。その時、携帯に着信。表示されているのは見知らぬ番号。
「はいもしもし」
ノータイムで応答。腐っても悪魔、知らない番号にビビってるようなら廃業だ。
「早っ、もしもーし。私だよ私! 不知火緋沙子!」
「ああ、ナンバガの」
「いい加減それ以外の覚え方して欲しいなぁ」
「無理無理。ていうかそもそも番号教えた覚えないけど」
「ギター買う時に店に連絡先教えたでしょ。それで」
「バキバキの職権乱用じゃない」
「あはは、いいじゃんいいじゃん」
「で、何の用事?」
「亜希さんこの前言ってたじゃん。気に入るギター選んだらご飯おごってくれるって。だから奢って! 今日!」
ああ、そんなことも言ったような気がする。出禁騒ぎでうやむやになったと思っていたのに。
「何か用事でもあるんですかー?」
「いや、無いけど……でも今日は」
「じゃ、ラインで店送るんでそこに二十時でお願いしまーす」
「あ、ちょっと!」
断る暇もなく電話は切れた。全く厚かましい。最近の女子高生は皆そうなの?
とはいえ自分が蒔いた種だ。軽く飯を食べて速攻で帰宅して寝よう。そう思って送られてきた店の情報をスマホで開く。
「ゲッ、これ思いっきり飲み屋じゃないの……」
しかし約束してしまった手前、無碍に断るわけにもいかない。アタシは義理堅い悪魔なのだ。空色のヴェスパに跨り、前人未到の平日四連続目の飲み会にみけて気合とエンジンに火を入れる。
「あ、飲むなら電車か」
アタシはヴェスパのエンジンを切ると寒風に肩をすくませ、悪魔の癖に自らに根付いた変な遵法意識を呪いながら駅まで歩いた。
*
「それじゃカンパーイ!」
「はいカンパーイ!」
調布駅前の雑居ビルの三階、安い、早い、民度が悪いの三拍子そろったチェーンの居酒屋の窓際の席、帰りを急ぐリーマンを見下ろしながらアタシと緋沙子はビールが並々と注がれたグラスを上機嫌で合わせた。明日が辛いのが目に見えていてもそれとこれとは別の話だ。
「ぷはー! 不っ味いですねぇ! 発泡酒の味!」
「同じく!」
「ほら亜希さん、次何飲みます? 飲み放題なんだから元取らないと」
「馬鹿ね、アタシは大人だから。元を取ろうとした時点で店に完敗だって知ってるのよ」
「じゃあ飲まないんですか?」
「それとこれとは話が別。ビール上限一杯頼みなさい。少しでも店にダメージ与えなきゃ」
「大人は負け前提で戦いを挑むんですね」
「酒の席は戦場よ。日和った奴から死んでいくの」
「おしっ。じゃあ今日私は亜希さんをブチ負かしてやりますよ」
「ガキが何言ってんだか。ほえ面ってのがどんなものなのか、今日アンタの顔で確認してやるわナンバガちゃん」
「だからそれやめてくださいよー」
その時ふと、緋沙子の足元に置いてある大きな荷物が気になった。
「それ……」
「ああ、じゃーん。マイギター持ってきました」
「なんでまた飲み会に」
「あはは、あんまり盛り上がらず早めに終わったら悲しいから、駅前で弾き語りでもしようかと」
「なんかアタシに対する期待度高くない?」
「あはは、だって私亜希さんの事……」
「ビールお待たせしましたー!」
続く言葉は割り込んできた店員のせいで聞こえなかった。しかし、その一瞬アタシはなにか野生動物が獲物を狙うような、じとりとした艶めかしい視線を感じたような気がした。
*
「それで、どうなんです?」
「あ? 何がよ」
「バンドに決まってるじゃないですか! いー感じなんですか? 亜希さんのバンド」
いい感じに酔っぱらった頃、緋沙子がもともと凛として美しい顔をかわいらしくくにゃりとふやかして尋ねてくる。
「ん、まあまあね」
「気をつけてくださよー、バンド組むなんて息巻いて楽器買って満足。初ライブどころか初練習すらせずに解散なんてよくあることなんですから」
アタシはここ数日の醜態を思い出す。そういえばあの飲み会はもともと今後の活動方針を話し合う場でもあったような……。
「な、舐めんじゃないわよ」
「大丈夫ですかー? 曲作ってますかー? 個人練習してますかー? そもそも練習スタジオの使い方知ってますかー?」
「ちょ、顔近いって」
ジト目で顔を寄せてくる緋沙子を何とか押し返しながらアタシは内心焦った。確かに何一つやっていない。
「ま、まあ、ぼちぼちね。でも大丈夫よ。アタシの中のバンドへの熱量は全く冷めていないから」
「ふーん。でも亜希さんがそうでも周りがそうはいかないんじゃないですかぁ? バンドは一人でやるものじゃないですからねぇ」
「それも大丈夫。正直、アタシにはもったいないくらいの良い奴等だから」
「へぇ、亜希さんは良い人に囲まれてるんですね。羨ましい」
ぱきん、と今までふにゃふにゃしていた緋沙子の声音に氷の冷たさが混じったような気がした。
「緋沙子?」
「あ、いやいや何でもないです! 羨ましいなーって! ほら私ぃ、ソロで弾き語りやってるからメンバーもいないし。バイト先の店長も割と最悪で人間関係、運無いなーって!」
氷の冷たさは一瞬で消え、すぐにさっきまでのふにゃふにゃとした緋沙子に戻る。しかし口をついて出てくる言葉の多さに何か言い訳じみた雰囲気を感じたが、続く言葉でまた緋沙子はその雰囲気を変えた。
「じゃあ亜希さんは〝本気〟で音楽やるつもりなんだ……なんだかうれしいなぁ」
「本気って! 大げさに言わないでよ」
「楽器をそろえて、人を揃えて、曲も作る予定なんでしょ。本気じゃないですか。謙遜なんてダサいだけですよ」
「えへへ、そ、そう? なら本気ってことで。なんか照れるわね」
「照れてなんかいたらライブなんてできないですよ。さっさと曲作って練習してバンド見せてくださいよ」
「任せなさい。そんでゆくゆくはライブハウスでライブして、売れて、ガポガポ印税を……」
緋沙子の言葉に、やっとアタシはバンドをやると言う事に実感がわいてきた、そんなアタシを遮る様に、緋沙子が口を尖らせた。
「あー、別にライブハウスは出なくてもいいんじゃないですか?」
「なんでよ。バンドと言えばでしょうが」
「いや、ほら今の時代、音源をネットで公開してバズるやり方もありますし、アナクロならバンド形態で路上ライブってのもありますし」
「緋沙子もしかしてライブハウス嫌い?」
「……まぁ、嫌いかと聞かれれば……大っ嫌いですね」
「後学の為に聞いときたいんだけどなんで?」
「だってダサいじゃないですか」
「ダサいって何が?」
「出演者から搾取する構造だったり、金払ってまでサムいライブする奴らが多かったり、仲良しサークルみたいに褒め合ってみたり、とにかくあの界隈を構成する全てがダサいんです」
泥酔し、何処を見ているかわからない目つきでぼそりと言う。
「駄サイクル、内輪ノリ、生産性ゼロ、曲もよくない、下手糞、それで満足、それこそが心地いい。そんなふうに思うゴミクズが集まるのがライブハウスですよ。私の思う本気の音楽はあんなところにありません」
アタシはやっと緋沙子の内面から出る言葉に触れたような気がした。ビバ・アルコール。
「だからさぁ、亜希さん……私と一緒にストリートに立ちましょうよぉ……二人でくんずほぐれつロックを奏でましょうよぉ」
紅潮した妖艶な笑顔で緋沙子はそんなことを言ってアタシに詰め寄ってくる。
「やーめろって。アンタはレズでもアタシはストレートなの! ったく年上からかって遊ぶのがそんなに楽しいか」
「いやー亜希さんの反応がいいから。ちなみに私はバイでーす!」
「心底どうでもいい情報だわ」
全く楽しいお喋りだ。アタシはおちょこに残った不味い日本酒を一気にあおる。
「お、いきますねぇ亜希さん! 負けませんよぉ!」
緋沙子はとっくりを持ち、残った酒を一気飲みした。飲み干した後のドヤ顔が鼻につく。
「すいませーん! 熱燗十本追加で」
アタシは大声で叫んだ。他の何で負けてもいい、でも酒に関してはこんな小娘に負けるわけにはいかない。
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