第六話 お茶の水試奏ギグ

「ほれ亜希これなんぞ……」

「ダサい!」

「亜希しゃんこれは……」

「カス!」

「じゃあこれは……」

「センス無し!」

「ええいこれでどうじゃ!」

「目ん玉ついてんの⁉ 選び直し!」


 ぶつぶつと文句を垂れながら持ってきたギターを戻しに行く二人の背中を見つめてため息を一つ。軽々に二人に任せてみた自分の見る目の無さに肩が落ちる。その肩をトンっと誰かが叩いた。


「何やってんの」


 それは店に入った時にやる気なさそうに挨拶をした女性店員だった。

 やけにフランクな態度、やっぱりどこかで出会って……


「あー! あんとき弾き語りしてた女子高生! 確か名前は……」

「不知火緋沙子」

「そーそー! ナンバガの緋沙子ちゃん!」

「ナンバガではないけどね」


 苦笑しながら緋沙子はそう返す。


「え、何? 働いてるの? 学校は?」

「うん、週に三日くらいここの楽器屋でバイトしてる。学校は……まぁウチ校則とおつむがゆるゆるな学校だからへーき」

「うひゃー現代って感じー」

「アタシの事は良いからさ。亜希さん音楽やるんだ」

「まあね。メンバー見つけて、バンドも組んだから楽器選びに来たってワケ」

「フットワーク軽っ。昨日の今日だよ。ていうかメンバーってもしかしてアレ?」


 緋沙子は二人して大事そうにまたもやクソダサいギターを抱えて満面の笑みの七生と千里を指さした。


「まぁ……そうね。はぁ、あの二人まーたダサいの選んじゃって……」

「アハハ、良いメンバーじゃん。好みなんて揃ってないほうが良い曲作れるって。それにギター一緒に選んでくれるなんて最高じゃん」

「どうだかね、センス良ければ晩飯奢ってやるって言ったからそれにつられてるだけよ」

「へーそんな面白いことやってんだ。私も混ぜてもらおっかな。もう上がりの時間だし」


 緋沙子が悪戯っぽく笑う。


「いいけど、その代わり変なの持ってきたら全品半額セールやってもらうわよ」

「うっわ厳し。クビになっちゃう」


 そんな軽口を言いながらも楽しそうにギターを選ぶ緋沙子。その手つきはどのギターにも優しく、ああ、この子は本当にギターが好きなんだなぁという子供みたいな感想が頭の中に浮かんだ。それと同時に七生と千里が持ってきたギターをクソミソに言っていた自分を少し反省した。きっとどんなギターでもそれを好きな人にとってはかけがえのない一本に成り得るのだろう。月並みだが緋沙子がギターに向かう姿勢はそれを雄弁に物語っていた。

 ただ今日はアタシが金を払って、アタシのギターを選ぶ日だ。アタシが気に入らなければ容赦なく罵詈雑言を浴びせてやろう。そんなふうに思っていると緋沙子がアタシの方を向いて声をかける。


「ねぇ、予算はどのくらい?」

「五万!」

「りょーかい。っといいのがあった」


 そんなことを言いながら緋沙子はギターの山をかき分けて戻ってくる。


「じゃん! ちょっと高めだけど亜希さん、こういうの好きそう」


 そう言って得意げににへらと笑って緋沙子は一本のギターを突き出した。


「グレコTE-500、ハムが二発の70sテレキャスターシンラインのコピーモデル。ロゴがグネコになってるのと、バックプレートの刻印から製造は七十年代のマツモクだね。ジャパンビンテージだよぉ。ボディカラーはナチュラル。木目が渋いっしょ?」

「これ、ボディに穴が開いてるの?」

「うん、エレキなのにアコギみたいにボディに空洞があるのがこのモデルの特徴かな」

「……どんな音がするの?」

「そうだねぇ……テレキャスターらしい煌びやかなハイの鳴りとハムバッカーの暖かいロー。それにセミホロウボディ特有エアー感。ハムだからレンジも広いし歪みも乗りやすい……とか言ってもピンとこないよね。そうだなぁ、例えるなら弾き手の感情を最もストレートに表現してくれる音って感じかな?」

「よっぽどピンと来ないわよ」


 アタシの断りもなく緋沙子は勝手にそのギターをアンプに繋ぎ、チューニングを合わせ始める。


「あはは。まあギター選びは自分の耳だけが頼り。千の説明より一回の試奏! てことでどーぞ」


 そう言うと試奏の準備が終わったギターとピックを渡してくる。


「弾き手の感情ねぇ……」


 なんだか騙されているような気分を味わいながらそのギターを受け取る。見た目よりちょっと重い。そのまま左手で弦を抑える、コードはEm。特に理由は無い。腕を振る。瞬間、煌びやかでどこか物悲しくて暖かい音が店内に響いた。


「おおっ……」


 ギターだ。エレキギターの音がする。バラードの後ろで鳴っているあの音がする。弦を押さえて、ピックで弾き、アンプから音が鳴る。それがこんなにも興奮するものだとは。アタシは夢中になってEmを何度も引き続ける。


「ふふっ、歪ませてみる?」

「う、うん!」


 くすりと笑って緋沙子がアンプについている小さなスイッチを押した。アタシは息を吸ってもう一度Em。今度は音が爆ぜた。音階は同じ、なのに全然違う。毛羽立って攻撃的な音がアンプのスピーカーからアタシの耳を突き刺す。ロックだ。ロックの音がする。イヤホンやスピーカーから流れるものでしかなかったロックが今アタシの両手だけで表現されている。


「っっっっふっ……」


 体の奥底からよくわからない笑みがこぼれる。緋沙子が言っていた長ったらしい説明も、バンド人生の伴侶なんて気持ちもどこかに吹っ飛んでいた。この音を所有したい。もっと両手をロックさせたい。これが、欲しい。いや、これはもうアタシのモンだ。


「お値段六万五千八百円になりまーす」


 狂気じみた視野狭窄に陥っていたアタシの目を覚ます強烈な一撃。予算一万五千円オーバー……畜生! こうなりゃ最終手段!


「靴舐めるんでまけてください!」


 アタシは埃まみれのフローリングの床に平身低頭、額をこすりつけて頼んだ。


「ちょ、他のお客さん見てるから!やめてって!」

「いいや! 安くなるまでは! 安くなるまでは!」

「ちょ、マジで変な噂立つから! 今の時代すぐネットとかで炎上するんだから!」

「安くなるまでは! まではぁ!」

「ほとんど脅迫じゃん!」


 結局アタシは緋沙子と騒ぎを聞いて駆けつけてきた店長の靴を顔が映るくらい丹念に舐め上げドン引きした二人から五万五千円までの値引きと出禁を謹んで頂戴し、ピカピカのギターを専用のギグバッグに入れて背負いスキップしながら楽器屋を後にした。


 *


「いやーいい買い物だったね!」


 夕日に赤く染め抜かれた御茶ノ水の街を駅まで歩きながらアタシは最高にハッピーな気持ちで七生と千里に問いかけた。


「どこがじゃ! アホンダラ。トチ狂ったお主の代わりに儂らが謝罪行脚じゃ。こんな恥ずかしい思いもなかなかせんわい!」

「ごめんなしゃい、ごめんなしゃい、石を投げないでくだしゃい。悪いのはあの人でしゅ。石を投げないで下しゃい、ごめんなしゃい。」

「……まぁ謝罪botと化したこのガキんちょのおかげで関わったらダメな奴等感が増して早々に放り出してもらえたのはよかったかもしれんがの」


 七生の背にぴったりと張り付いて隠れながらすれ違う人全員にぼそぼそと謝罪を繰り返す千里を肘で小突いて七生が言う。


「亜希よぅ、お主は今日この猫娘の対人恐怖症に致命的な一手を与えたのではないかえ?」

「大丈夫よ、一晩寝れば治る。クズだから」

「だと良いんじゃが」


 駅につき、改札を通り、ホームに出る。


「して亜希、今後の予定はどうなっておるのじゃ?」

「ん? もちろんあたしんちで飲み会よ。ギター買った記念パーティーよ!」

「そうではない。このアル中め。バンドとしてどう活動していくか、じゃよ」

「それはまぁ……アタシも未知の領域だからさ。飲み会で話し合いながら決めましょ」

「結局飲みたいだけではないか。このアホをリーダーにしたのは間違いだったかのう……」

「石を投げないでくだしゃい……」

「お主はそろそろ立ち直れ、店はとうに出たんじゃ!」

「よっしゃ今日も炬燵で酒飲むぞー!」

「亜希はバンドリーダーとしての自覚を持て! このボケ!」


 ぎゃあぎゃあとうるさいアタシ達三人を車内に飲み込むと電車のドアは音を立てて締まった。

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