第二話 悪魔と狐と化け猫と

 二十時、ドンドンと遠慮のないノックの音が2LDKに響き渡る。


「はいはい、空いてるよー」

「知っておるわ」


 そんなふうに慇懃無礼に入ってきたのはアタシのほぼ唯一の友達、狐久保七生(きつねくぼななお)。黒のツナギ姿で、両手にはパツパツに張ったスーパーの袋を抱えている。


「全く阿保らしい、昨日もお主の家で朝まで飲んで、ちょっと働いて夜はまたお主の家で飲み会じゃ。このクソ寒い日になんでこんな行ったり来たりせなならんのじゃ」


 七生は玄関にどさりと荷物を置いた途端不平不満の嵐だ。自分でもよく友達をやっていると思う。しかし今日のアタシには切り札がある。


「そんな事言ってていいのかなぁ? 今日は何を祝う飲み会だと思う?」

「はぁ? 知らんわそんなモン」

「これを見ろ七生ォ! 炬燵だよこ・た・つ! おこた!」

「おほぉー! 亜希よぉ! お主は天才じゃぁ!」


 炬燵を見るなり、マッハの速度で下半身を突っ込む七生。


「ちょっ! ギター倒すな! CD踏むな!」


 そんな事を言うアタシはといえば、もうとっくにおこたの魔力に取りつかれ、家に帰ってきて以来一度もおこたから出ていない。


「普段から片づけないお主が悪いのであろう」

「このクソ狐め……まぁいいや。七生、おこたが出たって事はもうそれは一大事よ。人を呼んで酒飲まないでどうするのよ。前の日がどうとか関係ないわ」

「まさしくもってその通り。して亜希よ、おこたを全力で楽しむために変化を解いていいかのう……」

「半ケモならね、アンタ全ケモにしたらデカいし毛がすごいから」


 アタシがそう言うなり、七生は〝ぼふん〟といかにも古典的な音を立て、頭に尖った大きな狐の耳を立て、尻には炬燵の中に納まりきれないほど立派な狐の尻尾を生やした。


「いやーすっきりするのぉー! 本来の姿を一部とはいえ開放するのは」


 からからと笑いながら気持ちよさそうにする七生。伸ばした尻尾で玄関に置いた荷物の中から買ってきたばかりの缶ビールを一本取ると手元に引き寄せ景気よくプルタブを開けた。畜生、アタシは発泡酒だってのにビール飲んでやがる。


「ぷはー、美味い。して亜希よ、お主も変化を解いたらよかろうに。自分の家じゃろ」

「あ、忘れてた」


 そう言われてアタシも擬態を解き、喫煙所でやったように角と羽と尻尾を出す。


「はーすっきり」

「ククク、必要もないのに変化を続けてしまうとは大分ヒトに染まってきたな。いっそこのまま存在までヒトに堕ちてしまえばいいのではないか?」

「冗談。アタシは人を堕落させるのが仕事の悪魔よ。本末転倒過ぎでしょ」

「にしては随分気に入っているように見えるが? 図書館のバイトだったかのう」

「会計年度任用職員!」

「はぁー。それじゃよ亜希、ヒトの世での仮初の身分に拘りだしておる時点で、相当ヒトに寄っておる証拠であろうが」


 早くも一本目を空にした七生がツナギから取り出した煙草に火を点け、飲み干した空き缶を灰皿にする、お行儀の悪い狐だ全く。


「ちげーし、バカ狐」

「まあお主がそう言うておるうちはそういうことにしておいてやろう」

「ったく、いつか泣かすからね。そんな事より鍋にしましょ。材料買ってきてって頼んでたわよね?」

「おう、玄関に放り投げた買い物袋に酒と一緒に入れてある」

「じゃあそれ持ってきて、さっさとおこたで鍋パーティよ」

「是非もない」


 七生は言いながら再びさっきと同じ場所に尻尾を伸ばした、が、そのふわふわとした毛先は空を切った。


「ん?」

「どしたん」

「買い物袋が無い。さっきまであったというのに」

「そんなわけないでしょーったくアタシにヒトに染まったとか言ってる暇があればちょっとは自分の老化を……」


 アタシははそう言いながら玄関に目を向けるも、先ほど重そうに七生が置いた買い物袋が確かに消えていた。


「おいおい、これは一体どういうことじゃ?」


 目を点にする七生。しかしアタシには一つ心当たりがあった。玄関入ってすぐのドア、この狭いアパートでつい一ヶ月ほど前までアタシの寝室だった部屋。そしてちょうど誰にも気づかれずに買い物袋に手を出せる部屋。


「あのクズ、またやりやがったな……」

「クズ? お主この家に居候でも増やしたのかえ?」

「ええ、とんでもなく性悪な猫を一匹ね」


 怒りに身を任せコタツを出るとその部屋のドアを開け、こちらに背を向けて鎮座する小柄な人影に手を伸ばしヘッドフォンをむしり取った。


「千里! アンタまた人のもんに手ぇ付けただろ!」



 数分後、炬燵の住人は一人増えていた。

 短い黒の短髪に黒い猫耳、猫尻尾、そして黒いオーバーサイズのTシャツ一枚だけを身に着けた黒づくめの少女は卑屈そうにアタシを見上げながら口の端をぐにゃりとまげて話し始めた。


「う、うひひひ……その……ボク悪気があったわけじゃ」

「黙れクズ。これでもう何回目よ、こないだも財布から金消えてたし」

「い、一万だけでしゅ! それに返すつもりで!」

「財布から消えてたのは四万よ、返すつもりがある奴が過少申告しないでしょ」

「でしゅ……」

「それに最近あたしの下着がなくなってんだけど」

「そ、それはさすがに関係無いでしゅ! ボク女でしゅよ⁉」

「ほーん、じゃ、アンタのスマホのメルカリの履歴見せなさい」

「四枚売りとばしたでしゅ……ふひっ……」

「無くなったのは八枚だボケェ!」


 とうとう私もこらえきれなくなって反省の色もないこのドクズの頭を思い切りなぐりつけた。


「して亜希よ、そのガキは一体何者じゃ? 今のところ度を超えたクズにしか見えんが」


 一段落ついたとでも思ったのか七生がカセットコンロにかけられた鍋に具材を適当に放り込みながら目の前で頭を抱えている少女の正体を尋ねて来る。


「はぁ……このクズいのは猫島千里(ねこしまちさと)。見ての通りの化け猫で、行き倒れてたからちょっと前に拾ったのよ」

「ほぉ、という事は昨晩の酒盛りで見かけた黒猫がそいつか。羨ましいのぉ低級雑魚妖怪は。全ケモしてもただの畜生と変わらんのじゃから」

「て、低級でも雑魚でもないでしゅ! こう見えてもボクは六十年を生きた立派な……」

「冗談抜かすでない、たかだか六十などひよっこもいいとこではないか。亜希よ、儂とお主が出会ったのがいつだったかの?」

「アンタもアタシもまだイケイケだった頃でしょ? 確かキリスト教と一緒に日本にやってきて神社の狐と寺の仏を片っ端からぶっ殺してた頃だから四百年前位じゃない?」

「ほれみろクソガキ、昭和の、それも真ん中生まれなど赤子も同然じゃ」

「うう……年齢マウントに手も足も出ないでしゅ……」


 そう言って涙目で声を震わせながらうなだれる千里。少し言い過ぎたと思ったのか慌てて七生がフォローに入る。


「ま、まあ、なんじゃ。お主も長い時間をかければきっとそれなりの神仙に……」

「七生、こいつにフォローなんかしたって無駄よ。性根から腐ってるんだから」


 困惑する七生の前に千里が机の下、炬燵布団に隠れて真正面に座る七生には見えない部分に置かれた手を無理やり机の上に引きずり出す。


「あっあっ、ダメでしゅ!」


 その手に握られていたのは缶ビール。対面に居る七生には見えないように、うなだれるふりをしてグビグビとやっていたのだ。


「ほらね、七生、アンタの話なんかどうでもいいのこのクズは」

「し、しかもそれ! 儂が買ってきた黒ラベルではないか!」

「そーみたいね、アタシの発泡酒は無事だわ。それにも腹は立つけどね」

「ふひ……ち、違いましゅ! これは……その……手が勝手に動いたんでしゅ!」

「うるさい! そんな今時万引きGメン番組でも聞かん言い訳が通用すると思うたか!」


 怒りでわなわなと震える七生の尻尾がびゅんと伸び、千里の首筋に素早くまとわりつくとぎりぎりと締め上げる。


「あぎゅっ! こ、これ死んじゃう奴でしゅ……」

「当然じゃ! 落ちぶれたとはいえ宇迦之御魂神が神使、仙狐である儂を愚弄したガキの首などこのままねじり切ってくれる!」

「はいはいそこまで。とりあえずお鍋炊けたから、七生はその毛が舞い散るもん仕舞って」

「止めてくれるな亜希! 儂はこのクソ舐めたガキを……」

「鍋が炊けたっつってんでしょ!」


 アタシが怒鳴ると七生はしぶしぶと言った調子で尻尾を引っ込める。


「はぁ、千里。アンタがクズいのはもう重々承知だけど世の中には喧嘩の売り方間違ったらヤバイ相手だっている事を学びなさい」

「よ、よくわかったでしゅ……」


 むせる千里をため息をつきながらアタシは箸と取り皿を配る。


「はい! じゃあ手を合わせて」

「「「いただきます」」」

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