第三話 クロスロードの少女

「あーもう! なんでアタシが買い出しなのよ!」

 

 人も通らない深夜二時、アタシの独り言はむなしく木霊した。道に落ちていた空き缶を怒りに任せて思い切り蹴り飛ばす。空き缶は間抜けな音を立てながら街灯の光の輪を外れ暗闇の中へ。そんな音にアタシはなんだか毒気を抜かれたような気になって思わず深いため息を吐いて立ち止まってしまう。アルコールでゆだった頭が急速に冷えていく。


「はぁ……畜生。面白くないわねぇ……」


 最後に一本残った煙草に火を点け、アタシはまたとぼとぼと歩きだした。


「生活費も食費もカツカツ……」


 吐く息の白さにマフラーをぎゅっと締め直す。


「馬鹿狐と酒盛りしてクズ猫のお守をする毎日」

 

 目の前にコンビニの明かりが見えてくる。


「昔はさぁ……八百万の神々をぶち殺して、人間を堕落させて、刺激溢れる毎日だったのに、今やそんな時代でもないときた」


 思えば人に紛れて生活を始めて幾百年、今は生活の為の仕事にフルタイムで通い、残りの時間は寝て過ごす。宿もあれば飯もある、何なら話し相手もいる。そんな生活に慣れ切ってしまっていた。堕落と言えばこれがまさに、だ。


「あーもう刺激よ! 血沸き肉躍る阿鼻叫喚の悪魔的刺激! それが無くて何が悪魔か!」


 アタシは空元気でそうわめきながらコンビニの入口をくぐった、店員の白い目が痛い。七生と千里に頼まれた酒を無造作に籠にぶち込みながら、気づけばまたため息。


「しかし、刺激が欲しいとか言っちゃっても現実的にどうすりゃいいのよ」


 ドカリと酒とつまみがぎっしり詰まった籠をレジカウンターに置く。


(それがわかりゃ世の社会人皆こんな死んだ目して働いてないか……)


 アタシは〝いらっしゃいませ〟すら言わない店員の顔を見ながら心の中で何度目かわからないため息。


「あと二十三番と百二十六番二つずつで」


 煙草の番号まで暗記している自分にふと七生の言葉を思い出す。


 ――『大分ヒトに染まってきたな。いっそこのまま存在までヒトに堕ちてしまえばいいのではないか?』


 財布から金を出しながら頭を振ってそれを否定する。否定するが、世の社会人と同じ悩みを持ち、目の前の店員の心情に思いを馳せ、さらには現状の不満をアルコールとニコチンでごまかして生活を続ける自分はヒトとどう違うのか、と尋ねられたら答えに困ってしまうななんて、ぼんやり考えてしまった。


 そのまま〝ありがとうございました〟も貰わずにコンビニを出る。でもそのまま帰るより何か、一人でしっかり考えてみたくなって、アタシはコンビニの端で今どき見ないヤンキー座りをして煙草を咥えた。平成レトロ・瞑想スタイル。しかしすぐに馬鹿らしくなった。


「あーやめやめ! どうでもいいこと考えちゃったなー! 帰るか!」


 実際問題、至極どうでもいいことなんだ。どれだけ理屈をこねくり回して、自分を傷つけて遊んでみても、アタシはただ退屈している。それだけだ。


 目の前には道、アパートへの帰路は左、右を選べば……駅前を通り少し遠回りになるが、それでもアパートへの帰り道だった。


「どうごまかそうと結果は同じ……か、まるで今のアタシみたいだねこりゃ」


 アタシは煙草をふかして独り言ちた。


「でもま、こんな生活への些細なる抵抗ー! あの二人だって帰りが遅いってちょっとはやきもきすりゃいいんだ」


 そんなことを言いながらアタシは買ったばかりの缶チューハイを勢い良く開け、足を右に向けた。


 *


 背中で酒とつまみと煙草の詰まったマイバッグがガラガラ鳴る。間隔の広い街灯の明かりは夜に対してあまりにも無力でアタシの目の前は闇に沈んでいた。

 それでも、遠回りを選んだアタシの足取りは軽かった。


「今日で何かがおわーるさ、今日で何かが変わるー♪」


 缶チューハイの、粗悪な上に度数だけは高いアルコールもそんな矮小なアウトサイダーの気持ちを加速させ鼻歌まで漏れてくる始末。自販機横のゴミ箱に潰した缶チューハイを捨て、歩きながら二本目を開けるころ、早くもアタシの足は千鳥を踏んでいた。


 その時、ふと、薄暗い街灯の下に人影が見えた。場所は甲州街道から脇に伸びる大町通りと京王線が交差する十字路(クロスロード)。踏切ともいう。

 そこに紺色のブレザーにリボンといった制服姿の女子高生がアコギを一本持って、立って、歌っている。


 アタシの酔っ払いの鼻歌なんかとは違う、もっと切羽詰まって、ギリギリで、そしてどこか甘えているような響きのある歌が真っ白な吐息に混ざって十二月の凍てつく空気の中に吸い込まれていく。

 薄汚れた街灯は少女の為のスポットライトと化し、夜の闇は暗幕に、その中で目立つ、寒さのせいでそうなった鼻頭とナイロン弦を抑える指先の赤。気付いたらアタシはその少女の前に座り込み、その歌に聞き入っていた。


「なに、オネーサン。酔っ払い?」


 制服少女は歌が終わると仏頂面で興味なさげな視線をこちらに向けて口を開いた。


「観客って言ってほしいなぁ」

「はぁ酔っ払いか……」


 それだけ言うと少女はアタシへの興味を失ったかのように仏頂面で視線を切り、ギターのヘッドに取り付けられたチューナーでギターのチューニングを始めた。


「それで? オネーサン」

「亜希」

「……亜希さんは何か悩みでもあんの」

「なんで?」

「泥酔して深夜に私の弾き語りなんかに足を止めるような人間は全員そうなの」

「世知辛い世の中だねぇ」

「全くね。で、亜希さんの悩みは何?」

「はは、いやなに恥ずかしい話だけど、繰り返しの毎日に刺激がなくてね、退屈なのよ」

「うっわスッゲーありふれてんね。そんなんでよくそんなになるまで飲めるね」

「自分でもびっくりよ」


 まったくもって少女の言う通りでアタシは思わず笑ってしまった。しかし少女は仏頂面を崩さず、笑うこともなかった。


「制服少女ちゃん、名前は?」

「酔っ払い相手に言いたくない」

「そりゃないでしょ、アタシはもう名乗ったうえに悩みまで言ってんだから」


 少し逡巡する少女、しかし、しょうがないといった調子で口を開いた。


「不知火緋沙子(しらぬいひさこ)」

「へーいい名前じゃん、ナンバガじゃん」

「名前だけだよ、アコギだしバンドも今は組んでない」


 忌々しそうにそう吐き捨てると、顔を上げてアタシを見据えた。


「まぁ私、亜希さんの悩み聞いたところでアドバイスなんてできないから」

「そりゃそうだ」


 アタシは苦笑しながらそう返す。なんだ、仏頂面には似合わず意外と律儀な子じゃん。


「だからカウンセリング代わりに、リクエスト一曲受け付けるよ。どーせ後一曲歌って帰ろうと思ってたところだったし」

「おっ! 気前がいいねぇ。じゃあ……」


 その時、アタシの頭をよぎったのはさっきまで鼻歌で歌っていた曲。


「泉谷しげる! 春夏秋冬!」

「うえー、古くさっ!」

「なによーできないの?」

「できるよ、ちょっと待って今コード探すからっと、あった。じゃ、はじめるね」


 そう言った後、少女――不知火緋沙子――は、〝入った〟。

 

 冷え切った空気がぴんと張る。ありふれた静寂も闇も街灯も、再び彼女のための舞台装置と化し、アタシの全神経は緋沙子の動きを見る視覚と歌を聞く聴覚に集中した。

 初めのコードはG。左手でコードを抑えた弦を力任せに、ピックを右手ごと叩きつけるかのようにはじく。腕だけではなく全身でギターを奏でているようにアタシには見えた。


 そしてイントロは終わり歌が入る。他人の言葉をまるで自分の心底からの叫びであるかのように緋沙子は歌い上げる。これはもう弾き語りじゃない、弾き叫びだ。流行のお綺麗な、ピッチのあった上手なだけの歌ではなく、がなるように、度々音を外して緋沙子は歌う。しかしこの曲はこれが正しいんだと言わんばかりの迫力と力強さが緋沙子の歌声にはあった。


 冷たい、夜の闇の空気を吸い込んで言葉の炎を載せて吐き出す。そんな歌がアタシに、アタシだけに突き刺さる。


「今日ですべてが終わるさ、今日ですべてが変わる、今日ですべてが報われる、今日ですべてが始まるさ」


 気づけば歌は終わっていた。緋沙子は最後のコードを長く、長く引き続け、最後に一回、短いストロークでもって曲を締めた。

 全身全霊で演奏しきった緋沙子は膝に手をついて、身体から白い煙を上げ、汗のしずくを垂らしながら荒い息を吐いていた。


「ハァ……ハァ……亜希さんさぁ……音楽、やれば?」


 そう言うと緋沙子は頭を上げ、上気して真っ赤になった顔を見せる。それはこの短い邂逅で一度も見たことのない満面の笑顔だった。


「少なくとも私は、音楽に出会ってから刺激だらけだ!」


 その笑顔はとても眩しく、まっすぐで、今までの長い生活で見た何よりもアタシの心をがっちりつかんだ。


 一九三〇年代の中頃、アメリカのミシシッピ州クラークスデイルのクロスロードで、ロバートジョンソンという男が悪魔に魂を売ってロックンロールを生み出したという。

 二〇二〇年代、日本、調布市の踏切で悪魔は見事に女子高生のギターに魂を奪われた。


 *


 そこからどう家に帰ったか、あまり覚えていない。緋沙子と上手に別れられたかすらあいまいだ。

 熱に浮かされたように全速力で走った。気が付けばアパートの前、頭が痛い、吐きそうだ。脳に酸素が回らず視界にうすぼんやりのもやがかかっている。でも止まらない。止まってはいけないんだ。そのままの勢いでドアノブを回し我が家へと踊りこむ。


「おっそいではないか、クソ悪魔ぁ!」

「そうでしゅ! 僕たち何時間待ったか!」


 途端に大騒ぎの七生と千里。ああうるさい。


「アンタ達!」


 そんな二人を一言で黙らす。辛い、このままこの場でゲロ吐いて眠ってしまいたい。でもこの言葉を言うためにアタシは全力疾走で帰って来たんだ。


「バンドやるわよ」


 言ってやった。そう思った次の瞬間、アタシの意識はブラックアウトした。

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