第一章 バンド悪魔・霧島亜希
第四話 浴室SMラブコール
柔らかな陽ざしが冬の透き通った空気を一直線に突っ切ってアタシの閉じた瞼に届く。眩しい。たまらずアタシは目を開けた。
「おう、起きたか」
「おはよ、七生。アンタまだ飲んでんの」
「幸い今日は店が休みじゃからの、お主こそ仕事は平気なのかえ? もう昼前じゃぞ?」
「ん、へーき。アタシも今日は休みだから。千里は?」
「カカカ、化け猫なら日が昇るまでは頑張っておったんじゃがの。部屋でつぶれておるわ」
苦笑しながら日本酒の酒瓶を置き、煙草に火を点ける七生。
「アンタ相手にそこまで付き合えるなんてね。クズの癖に根性はあるみたいで見直したわ」
アタシも起き上がり、七生の横に座るとポケットから昨晩買った煙草の残りを取り出し、口に咥え火を点けた。そこまでやって自分が炬燵の中で寝ていたことに気づいた。運び込んでくれたらしい。
「うえー汗でべとべとして気持ち悪い……」
動いた瞬間襲い来る不快感、昨夜の全力疾走を思い出す。
「おまけに臭いもな、酷いもんじゃ」
「まじ?」
「酒、汗、ゲロ。悪魔的というならまさに、じゃな」
「……シャワー浴びて来る」
「まあ待て。お主と猫が寝てから四時間、儂は一人寂しく飲んどったんじゃぞ? もう少し位話し相手になってからでも罰は当たるまいて!」
「嫌だー、アタシ綺麗な体になるのー」
アタシは吸いかけの煙草を灰皿に放り込むとコタツを飛び出し風呂場へと急ぐ。
「ま、待ってくれぇ……。もう一人は嫌じゃぁー」
いそいそと服を脱いでいたアタシの腰の部分にタックルするように抱き着いてくる七生、アタシより一回りは大きい体にそんなことをされると地味に効く。それにこのバカ狐はいつも酔うと甘えてくる。めんどくさい。
「あーもう邪魔! 風呂から出たら話し相手にもなんでもなってやるから!」
「嫌じゃあ……もう一人で待っていとうない」
「どーすんのよ! 一緒に入る? んな訳にはいかない……」
苛立ち交じりに放った一言に七生は顔をパアアっと輝かせた。
「入る! 入るぞ! 儂は亜希と一緒に風呂に入る!」
「マジかよ……」
自分で言った手前もう断れない。ウキウキでツナギを脱ぎ始める七生をうなだれながら眺める事しかできなかった。
*
「あ゛ー゛、酒゛か゛抜゛け゛る゛ぅ゛ー゛」
肩まで湯船につかりながら七生が濁音付きの声を上げる。
「感謝しなさいよ、アンタの為にわざわざ沸かしてあげてんだから」
アタシはお湯を吐き出し続ける蛇口にガス代と水道代の事を思う。まぁしょうがない。ため息をつきながら体を洗い始めた。
「なぁ亜希よぅ、炬燵で鍋をつつき酒を食らい、終われば風呂で友と湯につかる。これ以上の至福はありえんとは思わんかえ?」
「何よ急に」
「いやなに、お前さんが昨日帰ってくるなり言い出した〝バンド〟とやらが気になってのぅ。お主、本気なのかえ?」
「イマイチ話繋がらないような気がするけど。本気よ本気。大マジよ」
アタシの返事に七生は何か考えるように浮いていた自慢の尻尾をぎゅうっと抱きしめてから口を開いた。
「なぁ、お主、最近の生活に不満を覚えておるのではないか?」
「だったら何なのよ」
「大方お主の事じゃ、ヒトに染まりすぎて同じ毎日の繰り返しがどーとか生きる意味がこーとか考えとるんじゃろ」
「腹立つ言い方だけどそうね、でも話が見えてこないんだけど」
「含みが過ぎたかの、そもそも儂らみたいな超自然的生命体は……」
「その月刊ムーから引っ張ってきたようなダサいくくりにアタシを入れないで」
「ええいうるさい! とにかく! 儂らのような………悪魔、神使、妖なんてものは存在そのものに意味があるんじゃ。正でも負でも人間のどこかにそれらを信じる心があり、必要とされておるからこそ存在しておる!」
「……んな事わかってるわよ」
「ならばこそ、自らの生にそれ以上の意味を求めることなど必要ないではないか、バンドなんぞという奇行に走らずとも。そういうのは……ヒトのやることじゃ」
「何、七生。アンタ、バンドやりたくないの」
「まぁ、やりたくはないのう」
アタシは遠回りな七生の言い草にカチンときた。そのまま湯船に飛び込み七生の対面に座る。二人分の体積で溢れたお湯が派手な音を立てて浴室の床に広がる音が聞こえた。
「な、なんじゃ急に……」
狼狽える七生、そんな顔したってもう遅いのよ。
「七生、アンタちょっと調子に乗ってんじゃない?」
アタシは浴槽の中に浮いていた七生の尻尾を掴むと思いっきりねじり上げた。
「い、痛いっ! いきなり何を言い出すんじゃ! それに尻尾は……痛あぁああぁあ!」
アタシは七生の悲痛な叫びなんて聞いちゃいなかった。更に痛みを与える為に七生の尻尾を濡れそぼった毛ごと思いっきりつねる。
「昨日からやたら絡んで来てさぁ。友達だからって軽々に悪魔をヒトなんかに例えて無事でいられると思ってる?」
「ひぎぃぃぃ! や、やめてくれ! 痛いんじゃ! お主も知っておろう? 尻尾は、尻尾はぁあぁああああああ痛ったい!」
茹だって上気した七生の顔に張り付く白銀の髪、その間から覗く瞳には痛みからか涙が滲んでいた。アタシはそんな七生の懇願を聞き流しながら更にぎりぎりと尻尾をねじり、つねり、しまいには噛みついて弄ぶ。
「わ、わ、儂が悪かったぁ……お願いじゃ尻尾は許してくれ……」
「ちょっとうるさい」
グイっと力任せに尻尾を引っ張って七生を湯船に沈める。慌てて両手をついてあっぷあっぷしながら呼吸を確保しようとする七生。腰を突出す情けない恰好で必死になっている姿にアタシはついつい嗜虐的な笑みが浮かんでしまう。
「クスクス、七生さぁ、アンタ寂しいんでしょ」
「げっ……ぷがっ……何を……!」
「四百年来の友達がさぁ、自分を置いて変わっていくみたいで」
「さ、寂しいなどと! 仙狐たる儂がそんな感傷に……うぶぅ!」
湯船の波間で気丈に声を張る七生、しかしアタシは軽く尻尾を引っ張りまた湯船に沈める。いいよ、そういうのが見たかった。
「アハッ、強がらなくてもいいし、心配する必要もないよ。アタシは別にヒトになんか近づいちゃいない。これ聞こえてる?」
アタシは七生の尻尾をいじるのをやめ、左手だけで七生の尻尾を持つと溺れている頭に近づき、その頭を一瞥すると、酸素を求めて浮き上がろうとしている頭を空いた右手を使ってぐいと水面の下へ押し返した。
「聞こえてるよね、そのピンと立ったお耳で」
七生の頭で唯一水面に出ている狐耳、その茶色のふわふわに唇を近づけてアタシは話す。
「生きる意味とか、アタシはそんな殊勝な悪魔じゃない。実際そんなことどうでもいい。毎日が退屈で退屈で仕方ないアタシは戻りたいのよ、刺激に満ち溢れた楽しい楽しい昔の日々に。」
右手の下で暴れる七生、その振動がなんとも心地いい。
「でも今は妖怪大戦争って時代じゃないじゃん? だったら何か? って考えてた時に見つかったのがバンドだったのよ。ほらアタシ音楽好きだし、自分で少しはギター弾けるし歌も上手いし」
「ぶはっ! だ、だったらお主一人で! ハァ……弾き語りでもハァ……何でもやればよかろうが!」
とうとうアタシの手の拘束から抜け出した七生が勢いよく立ち上がり、息を乱しながら叫んだ。その姿が何だかかわいくて笑いながらアタシも立ち上がり、荒い息を吐く七生に体を預けるようにしなだれかかる。
生命の危機に瀕した心臓の荒い拍動とお湯の中で暴れまわって発熱した体温がアタシにも伝わってくる。アタシよりも暖かい七生は触れると気持ちがよかった。
「お主……何を……」
言いきらない内にアタシよりも背の高い七生の頭を掴むとグイっと引き寄せ、今度は狐耳の方をアタシの唇に近づけて口を開く。
「ばっかねぇ。七生、アタシはアンタと一緒にバカやりたいのよ。一人でも、他の誰とでもなくアンタとね」
「……全裸の風呂場でなんちゅう口説き文句じゃバカタレ」
付き合っとられんとでも言いたげにアタシを振りほどき浴槽から出る七生。しかしぶるん身震いして滴るお湯を粒にして飛ばした後立ち止まると、こちらを見ずに話し始めた。
「じゃが、そこまで熱烈なラブコールを無碍にしたとなれば狐久保七生の名が廃るの……」
「はっきり言ってくれなーい?」
「まぁ……ひとまずお主の思い付きに適当に付き合ってやるくらい、やぶさかではないと言うとるんじゃ」
照れたように頬をかきながらそう呟く七生。
「いよっ! それでこそ七生! 断れない女! 誘い受け! ドМ!」
「黙らんかこの変態め。まったく、お主の悪魔の囁きはいつも艶っぽさに欠けるんじゃ」
「誘いに乗った奴が何言ってんだか。さて、残るは千里ね」
「あの化け猫にも儂と同じようにラブコールを送るのかえ? あのガキがお主の戯れに耐えれるとは思わんが……」
「そんなめんどくさいことしないわよ。アイツの生活費は全部アタシの財布から出てる。断る権利なんかないんだから強制加入よ」
「それはそれで不憫じゃのぅ……」
「いーのいーの。そうと決まればとっとと千里を叩き起こして出かけるわよ」
「どこにじゃ?」
「善は急げ。楽器を買いに御茶の水よ!」
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