バンド悪魔とバイク屋狐とクズ猫と ~西東京人外百合哀歌~

助六稲荷

プロローグ クロスロードの少女

第一話 会計年度任用職員・霧島亜希

「今月分の……家賃が無い!」


 2LDKの広くも狭いアパートの一室。その真ん中にデンっと敷かれた煎餅布団の上を何度もゴロゴロ転がりながら手に持った請求書を睨むも、印字された金額は素知らぬ顔をして請求書の隅に居座っていた。


「畜生……憎い、資本主義が憎い……」


 そうやってひとしきり唸り、呪詛の言葉を吐き、毛布を滅茶苦茶にしてから起き上がると、ビールの空き缶が散乱している机の上から手探りで煙草とライターを見つけ、火を点けた。


「ふぅ……んな無意味なことやってても変わんないか……。やばっ、もう時間じゃん」


 時計を見るともう午前七時半。慌てて髪をポニーテールに縛ると、野暮ったい寝間着のジャージと一緒に俗世の悩みとぶら下がる怠惰を乱雑に脱ぎ捨て、代わりに吊るしてあった濃紺のロングスカートと純白のロンT、その上に茶色のストライプの入ったベストを着る。あっという間に清楚でフェミニンな図書館職員、霧島亜希(きりしまあき)の出来上がりだ。


「化粧は……まぁ簡単でいいか」


 着替えが終わると手早くファンデーションを塗り眉毛を描いて立ち上がった。


「じゃ、千里。行ってくるから。七生ー! アンタまた寝坊してるわよ!」


 部屋の片隅で丸くなっている黒猫を軽くなで、親友が寝ているはずの押し入れに蹴りを入れながら鞄を手に取ると、派手に軋むドアを開けて外に出た。


「うー寒っ! こりゃ明日からマフラーの出番だなぁ」


 アタシは誰に言うとでもなく白い息と一緒にそう漏らすと駐輪場に停めてある空色のスクーターに跨り、エンジンに火を入れた。

 


「霧島サァーン。マジでいっつも遅刻してきますね」

「馬鹿お前、遅刻はしてないの。いつもギリギリで間に合ってるの」


 昼休憩。職場である図書館の外、そびえるビル(税金で建てられている)とそびえる樹木(税金で植えられている)のせいで万年日陰の肌寒い場所にぽつんと置かれた灰皿。休憩時間になるとアタシ(税金で生かされている)はいつもここにたむろしていた。今日は職場で唯一の喫煙者、藤堂小鳩(とうどうこばと)も一緒だ。


「まぁ所詮バイトだしぃ? 遅刻しようが何しようがどうでもいいんですけどね」

「バイトじゃなくて会計年度任用職員! ちゃんと選考という壁を乗り越えてんの」

「乗り越えた壁ってペラ紙一枚の作文でしょう? 誰でもできるじゃないですか。一応公共施設だからヤバイ人間をはじく為だけにやってる事でそこまでイキられちゃうと笑っちゃうんですけど!」


 栗色のショートヘアを小刻みに揺らしながらキャハキャハと馬鹿にした笑いを漏らす小鳩をアタシは肘で強めに小突く。


「うっさいなぁ。とにかくバイトじゃなくて市立図書館の会計年度任用職員。この立派な肩書を覚えときなさい」

「うーん新卒で正規雇用された私にはちょっとよくわかんない。ってかどーでもいい事ですねぇ」

「死ね」

「ハイコンプラー、公務員の自覚無しー。来年以降の継続はありません。お疲れ様でした」

「パワハラは許されんのかよ」

「まあ私正規雇用ですし」

「死ね」

「キャハハ、まあいいじゃないですかバイトでもなんとか職員でも」

「よかないわよ」

「だって人気ですよ霧島サン。図書館に来るような文系ガールズ達に」

「まぁ……確かに。全くなんでそうなんだか……」

「今日だって熱視線注がれてましたし。霧島さんの連絡先教えてくれーって私の所にまでくるんですから。ほんと正規雇用を何だと思ってるんでしょうね」

「少なくともマウントの道具じゃないことだけは確かね」


 ため息と紫煙を一緒に吐き出し、うなだれる。そんなアタシの顔を小柄で細く、しなやかな小鳩の指がそっとなでてきた。


「でも確かに綺麗な顔してますよね霧島さん、髪も綺麗で、ほどよいタレ目は庇護欲をそそりますし。つっけんどんな態度も本当にいじめたくなっちゃう。文系陰キャガールズに盗られるくらいならいっそ私が……」

「やめろ気持ちが悪い! アタシにそっちのケは無いの。からかわないで」

「残念ですねー。文系ガールズちゃんたちもかわいそ」

「勘弁してよまったく」

「じゃあ私先戻るんで、気楽なバイトさんはゆっくりしてってくださーい」


 小鳩はそう言って吸殻を灰皿に落とし出て行った。

 一人、日陰のうら寒い喫煙所に残ったアタシはため息をついて新しい煙草に火を点けた。


「ったく小鳩の奴、人間のくせして。こっちは悪魔だっつーのに……」


 誰も見ていないのをいいことに頭と背中と尻にぽんと悪魔の証である角と羽と尻尾を出す。休憩時間だし文字通りの羽のばしだ。


「ハァ……アタシ、人間に紛れてまで何やってんだろ……」


 煙と共に漏らした言葉はどこへも届かず、返事はカラスが一羽鳴いただけだった。

 

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