第33話
緊張するなというのが無理でしょ。
ラズライト王国の王都。貴族が社交シーズンに居住するタウンハウスの一番大通りをわたしと伯爵様を乗せた馬車が速くもなく遅くもないスピードで進む。
このエリアの奥に控えるのは王城、そして手前は大貴族のタウンハウス街だ。
その中でも一番奥まっている――王城に近い小城の外門前に到達した。
かつて離宮として扱われていただろうこの小城。これが――王弟殿下であり、軍部トップ、アイザック・レッドグライブ・ラズライト閣下の居城である。
ブロックルバング公爵の王位簒奪未遂事件の時に、保護されて滞在したこともありますが、その時は夜だったし、この外観はわからなかった。
日中の明るい時間帯で見ると迫力だわ~。
「お久しぶりでございます。ヴィンセント様、ウィルコックス卿」
執事のアボット氏が恭しく伯爵様とわたしに一礼する。
この筆頭執事アボット氏の案内がなければ、絶対迷うわ、このレッドグライブ邸。
伯爵様も「実は俺もだ」なんて言ってくれたこともあったけどさー、伯爵様はどんなお屋敷にいても場慣れしている。
でも、前世は小市民、今世は元貧乏子爵家の当主だったわたしとしては緊張する。
アボット氏の案内で、見覚えのある回廊に差し掛かると、あ、これは閣下の執務室へ続く廊下だとわかる。
アボット氏が伯爵様とわたしの到着を伝え、重厚な扉が開いて、一度は訪れたことのある室内に通された。
伯爵様が敬礼をするので、わたしも閣下の前でカーテシーをする。
「ヴィンセント、それはやめろと言っている。ウィルコックス卿も楽にしてくれ」
相変わらず重低音のお声だ。
「先日お伝えした件の報告書及び、それに関する申請書をお持ちしました」
閣下はアボット氏に任すことはなく、ご自身で封書を解き、視線を走らせる。
その間、室内に設置されたソファに、伯爵様にわたしは促されて腰をかけた。
「早い対応だったな。で、十七頭全部、ユーバシャールによこせと?」
うーん、ぼりすぎかしら?
いやいやいや、妥当だと思うのよ?
捕まえたのは伯爵様だし、まだユーバシャール領内に散ってるスレイプニルの捕縛は継続されている。実際、わたし達がこの王都に戻る前には捕縛したスレイプニルの数は倍に膨れ上がっていた。
元ブロックルバング公爵領が秘匿していた軍馬扱いのもので、直轄領にした王家だってこんなにスレイプニルが隠されてるなんて把握していなかったのだ。
そういう管理が杜撰だったせいで、ユーバシャールには被害が出てるんだから、妥当なはず。
直轄領にしたなら隅から隅まで把握しておけってお話ですよ。
閣下がわたしにそのアメジストの瞳を向ける。
「ぼりすぎだろう? ウィルコックス卿」
いや、これ、一頭だってゆずれませんから。
「うちの領の被害相当額と同等ですわ、閣下」
わたしが死滅した表情筋にアルカイックスマイルを浮かべる。
だいたいさあ、王家直轄領を伯爵様にポーンと寄こして、はい、よろしく~なんてしておいて、ブロックルバング領を接収したんなら、ちっとはいろいろ融通しなさいよって、お話ですよ。
「まだまだ、未回収のスレイプニルは領内にはいますのよ? それを王家か軍で回収してくださいます?」
金も人もかかるぞお?
17頭、一気捕縛は伯爵様だからできたことなんです!
その功労としては妥当!
閣下は眉間によった皺を少し伸ばすかのように、右手の親指を眉間に当てる。
「まったく……とんでもない嫁を貰ったものだ」
「俺の嫁であなたの嫁ではありません」
伯爵様ったら……。
閣下はわかったと言うように開いてる左の手をヒラヒラと振る。
「いいだろう。この報告と申請を陛下へ渡そう」
いやったあああああ! もらったああああ!!
わたしは心の中でガッツポーズをとる。
閣下の裁可が難関だとは思ってたけど、了承されたわ!
これで領内交通網の企画が捗る~!! 農耕エリア拡大もね!
「ところで、お前達、準備はもう進んでるのか?」
閣下はその鋭い視線をわたしに向ける。
相変わらず強面~。伯爵様の甘いマスクとは全然似ていない……。
「御意」
「だからそれはやめろと言っている」
やっぱり閣下は伯爵様にお父さんと呼ばれたいのかしらね。
伯爵様はご家族に縁が薄いのに、なんで実父である閣下に一線引いているのかな。
いつかお尋ねしてみよう。
ていうか、ここでわたしが大丈夫ですわ。お義父様とか言っちゃったらどうなるのかしらね。
……いや、言えないわー。恐れ多くて無理だわー。うん、伯爵様が閣下をお父さんと呼ばない理由はこういうことかもね。
「しかし、披露の夜会にクレセント離宮とか……」
「ホワイトバーチは塞がっていたぞ」
「うちはまだまだ発展途上の領地を抱えているんですよ。グレースの家だって招待客が薄いのに」
そう実際、薄いのよ。
ウィルコックス家には傍系がいないからさあ。
「あらあら、ウィルコックス家の商売関連の貴族家をご招待するのだから、それぐらいの広さは必要ではありません?」
ひょいと扉から出てきたのは閣下の奥方様アンジェリーナ様だ。
公爵夫人がそんな子供みたいにお気軽に閣下の執務室のドアからひょいと顔を覗かせて、入室とか。
そんな貴族夫人、うちの妹ぐらいだと思っていたけど、もう一人ここにいたとは……。
「ヴィンセントも、部下や同僚を招待するのだから、それぐらいの広さは必要よ。ねえねえ、それよりもグレース様、花嫁の父親役とか決まってるかしら?」
アンジェリーナ様は、わたしの向かいに座って、キラキラした瞳を向ける。
そんな態度を閣下はスルーで、筆頭執事のアボット氏も、アンジェリーナ様の分もお茶を給仕し始める。
「花嫁の父親……役ですか?」
わたしの挙式においての父親役――……。
この件に関してはジェシカとパトリシアお姉様から手紙が来ていた。
前回のジェシカの挙式でのリベンジを果たそうと、メイフィールド伯爵が燃えており、息子の誕生に新店舗建設もあって、ここは運気をつけておきたい若旦那も燃えており、爵位継承したパーシバルもウィルコックス当主を送り出すのは現当主の自分であると燃えているらしい。
わたしの父親役とかでそんなに燃えないで欲しい。
まあ、お祝い事だから、ゲン担ぎっぽい部分はあるわよね。
ウィルコックス家にお父様がいたら問題はなかったことだけど、いないならいないで、花嫁を無事に送り出す後見人って立ち位置にもなるから箔もつくし、父親不在ならば父親役って人気の役なのかしらね?
「そうよ、ウィルコックス家当主はグレース様だったじゃない? 妹さんのお婿さんが現当主でしょ? 父親の貫禄がないと思うのよ~」
いやーわたしの父親って元々貫禄とかなかった人ですけど?
「グレース様はうちの子でしょ?」
まって、わたしより容貌が幼い母親を持った覚えないですけど!?
「だから、父親役はアイザックがいいと思うの!」
パンと両手を合わせて、小首を傾げるアンジェリーナ様。
何そのあざといおねだりポーズ。
この人、わたしがそういうのに弱いと知っててやってるでしょ。
おまけにそんな爵位が二段も上の大貴族の貴婦人から無邪気に言われたら、NOなんて言えないじゃないですか……。
わたしは、横に座ってる伯爵様を見ると、伯爵様もわたしを見ていた。
わたしを見て、条件反射的に微笑みを浮かべてるけど、断れなんていう視線は感じない。
は~なんなのこの親子。不器用~。
「アンジェリーナ、無理強いするものでもないだろう」
ムスっとアンジェリーナ様を窘めるけど、閣下、やりたいのか……そうなのか……。
まあ、この、不器用な親子関係修復の一助になるなら、やぶさかではない。
「まだ決定しておりません。よろしければ閣下。この不肖、子爵家当主であったわたしの、父親役をお願い賜りたく……」
わたしがそう言うと、閣下は強面の顔に微かな笑みを浮かべていた。
あ、うん、笑うとかっこいいわ、閣下
横にいる花の妖精のようなアンジェリーナ様がベタ惚れなの、頷けますわ。
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