第32話



「出産祝いで何を贈ればいいのやら、迷っております。パトリシアお姉様、わたしがご用意できるもので、今必要とされるものがあれば、仰ってください」


 とにかく、お姉様の無事を確認したかった。甥っ子の誕生祝いということもあって、ラッセルズ商会に足を運んだ。


「何を言ってるの? そんなことを気にして、すでにロックウェル伯爵家からはお祝いは贈られていてよ?」


 え? なんですって? 

 わたしは傍にいる伯爵様に視線を移す。

 彼はにっこりと笑っていた。「普通の出産祝いだよ」なんて、伯爵様は仰るけれど、その迅速さはすごい。


「グレースは、大事な姉君には自ら何かを尽くしたいと思ってるんですよ、ラッセルズ夫人」


 伯爵様はそう言う。


「グレースらしいわ、でも、グレース、そんなことよりも、わたしの小さな王子様を見てあげて」

「抱っこしてもいいのですか?」

「ええ」


 パトリシアお姉様の息子。ランディ・ラッセルズ君。

 首がようやく据わり始めて、わたしもおそるおそるお姉様の腕から預かる。

 顔立ちは若旦那に似ているが、その金髪と、蒼い瞳の色はパトリシアお姉様から譲られたものだ。

 色が違うだけで、顔立ちが若旦那なので、これはラッセルズ商会の大旦那も大奥様ももろ手をあげてこの長男誕生を喜んでいるのだろう。

 王都の一角に新たなラッセルズ商会の総合店舗を建てる為に、すでに基礎工が始まってるらしい。

 前世日本の感覚だと、そんな跡取りだからって、うまくその後継になるかどうかって心配なところもあるが、この世界ならば、問題無く、祖父母両親の意思を継ぎ、このラッセルズ大商会を背負って立つだろう。

 それにしても、赤ちゃん、かーわーいーいー!!

 ムグムグと小さな口を動かして、閉じていた瞳をぱちりと開けて、その蒼い瞳はわたしの顔を映す。


「あうー」

「喋ったああああ! 可愛い! 声まで可愛い!! よし、持って帰ろう!」

「ラッセルズ商会を敵に回すような発言はよしなさい」


 パトリシアお姉様に窘められる。

 そんな窘めも今のわたしには耳に入らない。腕の中の可愛さが全てを支配する。


「ランディ君なのー、そうなのー、可愛いねー」

「あうー」

「グレースは――ジェシカを可愛がっていたから、多分、こういう反応になるとは思っていたわ」


 パトリシアお姉様が言うように、ジェシカが生まれた頃はあれこれとお世話を焼いていたものよ。

 ミルクを飲ませてげっぷさせるところまでやると、家政婦長のマーサから「よくご存じですね」と感心されたものだ。そりゃそうだ。当時わたし自身も幼児だったのだから、感心されるわよね。


「お姉様、ランディ君はわたしの結婚式に来てくれる!?」

「それは、もうラッセルズ商会のお義父様とお義母様が、『万事面倒見るので、二人で出席しなさい』とのことよ」


 そっかあ……まあわかる。

 この可愛さ、手離し難し!


「ジェシカとパーシバルがこの子の服をいろいろと試作をしてくれてるのよ」


 そんじょそこらの木っ端貴族に負けやしない、大豪商の跡取りに相応しいベビー服を覗き込む。

 可愛いのからシンプルなデザインのものまで、カラフルで小さくて、肌触りのよさ通気性保温性と季節ごとに着替えることができるようにかなりの数を作ったわねー。


「やるわね……ジェシカ……」

「ブランドメーカー、『プティ・アンジュ』ですって」


 レディース用だけでなくベビー用も手掛ける気だな、あの末っ子。

 さすが妹、さす妹。


「あの時から――まさか、こんな日がくるなんてね」


 お姉様が感慨深い呟きを口にした。

 傾いた実家のウィルコックス家に、父の手落ちでご破算になった数々の縁談。

 しかし、嫁ぎ先のラッセルズ商会も、伴侶となった若旦那も、パトリシアお姉様を大事にしてくれて、そしてその気持ちに応えて跡取り息子を産んでと、パトリシアお姉様の人生はたしかに波乱万丈だったろう。

 この世界の貴族家の長女として、妹達を守らなければと思っていたに違いない。

 まあ、あれですけどね、二女も末っ子もある意味才能あふれてるから、心配はわたしだけでしたね。


「よしよし、ランディ君。可愛いなあ。じゃあ、わたしはどうしたらいいのかしらねえ?」


 可愛さあふれるこの子に、わたしも何か贈りたい。

 伯爵様がご用意してくださったのだから、もういいってお姉様も若旦那も言いそう。


「伯爵様、わたし、あの馬が繁殖に成功したら、一頭をこの子にあげたいと思いますが、ダメでしょうか?」

「あの馬……? ああ……あれか。そうだな、いいんじゃないかな」


 スレイプニル――わたしに懐いたあの馬は牝馬だ。

 最初に捕らえた17頭をユーバシャール領主の財産になるように申請中。

 広大な辺境領内の交通手段にしたい。

 そのスレイプニルのリーダー格のあの馬(?)は、わたしに懐いている。あのスレイプニルに子ができれば、このランディ君に贈りたい。

 大商会にはいろいろ交通手段の伝はあるだろうが、スレイプニルなら、並みの馬を贈るよりも喜ばれるだろう。

 ただ……スレイプニルをある程度の数を一領主のものにっていうのは、やっぱり、手続きが必要なんだけどね。

 例えば、伯爵様は軍人だから、多分、軍が今回のスレイプニルを回収するだろう。

 そしてその軍に、まあ王家とか、あと行政機関の偉い人が、独占すんなと言ってくるとは思うんだよ。

 そこをね、いろいろ便宜を図ってもらうために、このあと、お目通り願う方がいるんだけどさあ。

 ちょっと緊張する。

 ランディ君、お願い! ご機嫌に笑って、このグレースおばちゃんに勇気を!!

 そんなわたしの心を読んだのか、ランディ君はニコニコしてくれた。

 赤ちゃんの新生児微笑だとは思うけど、いい!! 


「伯爵様も抱っこされますか?」

「え?」

「わたしと、伯爵様の甥っ子になります」

 だよね?

 わたしと伯爵様は、け、結婚するんだよね? だからわたし達の甥っ子ってくくりでいいよね?

 それに、伯爵様にあやかって、カッコイイ子に成長するかも!!

 そんなことを思っていたら、伯爵様は呟く。

「いやー、怖いな少し」

 怖い?


「小さくて、柔らかくて、壊れそうで」


 伯爵様はそんな風に躊躇う。

 意外だ……。

 でも、あれよね、魔法一辺倒の軍人さんだけじゃないから、割と伯爵様って鍛えられてるっぽいし。力加減わからないっていうのは、あるかも。

「大丈夫ですよ。ロックウェル伯爵様に抱き上げられたこともあると、この子に栄誉をお与え下さい」

 パトリシアお姉様の言葉を受けて、伯爵様は恐る恐る、わたしからランディ君を受け取る。

「うーあー」

 おお、ちゃんとご挨拶しているみたい。やだこの甥っ子賢いかも!

 伯爵様がランディ君を抱っこしてる横で、わたしは自分の指をランディ君に掴ませる。


「予行演習になりますでしょ? ロックウェル卿」


 パトリシアお姉様の言葉に、伯爵様は艶然と微笑む。


「それは確かに」


 予行演習……。

 は! そういうこと!? そういうこと!?

 さあ、結婚したらそく跡取りとか!?

 いやいや、まって、まだわたし、やることあるし!!

「あ、あの! いつまでも、抱っこしていたいけど、わたし達はここで、お暇します。パトリシアお姉様」

 あわわと慌てて伯爵様からランディ君を抱きとって、パトリシアお姉様の腕に渡す。

「ええ。次は、貴女の結婚式ね」

 わたしは伯爵様をちょっと見ると、伯爵様もわたしを見ていた。


「はい。お姉様」


 わたしはそうパトリシアお姉様に答えて、ラッセルズ商会の本宅を後にした。



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