第13話
「ごきげんよう、ブレイクリー卿」
何故、貴方が直々にこの辺境領に出向くのさ。
そりゃスカイウォーク社のビッグスポンサーだからっていうのはわかるけど、トップは現場にこなくてもいいでしょ。現場の人もやりにくいんじゃないの?
そう、心の中でひとしきり叫ぶものの、今世のこの表情筋の死んだわたしの顔面、いつものウィルコックス子爵の態を崩していないはず。
まあいい。
さっさと着替えて、厨房に行こう。
ヴァネッサに例の甘辛タレを厨房に先に持って行ってもらう。
きっと、新兵訓練とか、ダーク・クロコダイル討伐とかで、伯爵様もお疲れだし、おなかすいてるかも。
「伯爵様、すぐに着替えて、お食事の支度をしますね」
「グレースが?」
「はい」
わたしの言葉に、伯爵様は嬉しそうな表情をした。
自ら厨房に立つなんて、社交界の貴族達なら眉をひそめそうなことだけど、伯爵様なら喜んでくださるって思ったよ!
伯爵様も、お母様と二人暮らしの時は、絶対、お母様の手料理を食べてらしたと思うの。
わたしの今世の母も、わたし達姉妹が幼い時は厨房に入ってた。
わたしの家は爵位あっても貧乏貴族だったし、伯爵様だって、お母様が身分違いからレッドクライブ公から離れ、伯爵様を独りでお育てしていた時期もあったから、そういう記憶があるんじゃないかなと思ってたけど、やっぱりそうか。
「嬉しいな」
えー本当ですか? よかった。
今世の貴族令嬢婚約者としての、奥向きのお仕事とか今一ピンとこないけど、前世の普通の一般女子としては、庶民派感覚での好きな人に手料理とか、ベタもベタなんだけどさ、伯爵様に嫌われていないってそこはわかってるから、こういう行動にもでれるんだものね。
古今東西、男を落とすのは胃袋とか言われてるし。
よーし頑張っちゃうぞー。
「なんでお前が直接厨房で食事を作る!? 料理人がもういるだろう!?」
……でた、一般的貴族代表のご意見……。
イライアス様がそう言ったけど、ブーメランじゃない?
「それ、イライアス様もそうですよね。何故、スカイウォーク社のトップがここにいるのですか? わたしが厨房に入るのは、この辺境領の名産になる料理の研究の為です。姉のアビゲイルからこの土地は食物が育ちにくいと聞いています。ですから領地で作られる食物で、食品加工を確立し、流通に乗せられるようにしたいのです。複数の小作人と契約し、シーズン前の視察の時に、いくつかの農作物の育成の依頼をかけました。厨房の料理長にも話を通してます」
伯爵様に向き直って、笑顔を見せる。
多分、アルカイック・スマイルになってないはず。
持つべきものは、お姉様の嫁ぎ先のラッセルズ商会。
各地方での農作物の苗とか種とか、用意してもらって、この仮宅の管理、ロックウィル家のもう一人の執事であるマーカス氏にこの件をお願いしてたのよ。
伯爵様が拝領してから、領主館の管理を任されたこのマーカス氏。王都のタウンハウスにいるノーマン氏と同様、元軍人で、実家は地方の豪農の出だという。
だからド田舎の領主館に入っても大丈夫だと、彼自身が伯爵様にお願いしたんだとか。
豪農とはいえ、貴族社会はまあ窮屈よね。
わたしからしたら、軍も規律が厳しそうなんだけど。
「グレース、そんなことまでしていたのかい?」
伯爵様はアメジストの瞳を見開いて驚いていた。
前回の領地視察はバタバタしてる印象だったから、わたしがそんなことをしてるとは思わなかったようだ。
衣食住は生活の基本よ。
それに、この辺境領の食料事情とか、領民がみんな苦労してるって感じだった。
ウィルコックス領からの食料だって、届くのに時間かかったんだもん。食料品の自給自足は急務でしょ。
ダーク・クロコダイルの肉がごちそう~とか言っちゃってんのには、心の中で涙したわよ。
いや、これはこれで美味しいので名産品にしたいところなんだけど。
「試作品ということだろ!? そういうのをヴィンセントに食させるのか⁉」
うるさいな~。
今、イライアス様にも、美味いもの食わせてやりますよ。
厨房に行くと、料理長のテッドが伯爵様の夕食の仕込みをしていた。
「テッド、どう? 小作人達からの収穫は」
「ウィルコックス卿!? いえ、本日ご到着したと伺っていましたが!」
「そうよ、さっき到着したばかりよ。気になってね」
「例年よりも、収穫量はいいようですよ、ウィルコックス卿の食料支援もあるのが大きいのか、わりと大胆に新しい作物の栽培に乗り気で頑張ってます」
厨房にある食材に目を通してみると、お野菜とかも割と普通に栽培されてる様子。
料理長のテッドが言うように、栽培自体は順調のようだ。
これまでは、ダーク・クロコダイルがいるから安心して栽培する土地を広げられなかった。
今後、村に防壁ができていけば、農作物を栽培するエリアの安全性が上がるので、もう少し収穫が上向きになるはずなんだ。
農業だけじゃなくて畜産業もね。
食品として飼育している豚や牛、鶏なんかは、もれなく、ダーク・クロコダイルの被害にあっていたからまともに飼育できなかったのよ。今後はそこも改善されていくから、畜産業も力を入れられるわよね。放牧する土地が広いんだもの。
煮込み料理とかはテッドがあらかじめ仕込んでいたから、わたしはダーク・クロコダイルの肉を叩く。叩くというよりミンチよね。
「ウィルコックス卿……そういう力仕事は……俺……いや私が……」
かなり音を立てて肉をミンチにする様子を見て、テッドは引いていた。
別にたくさんじゃないもん。わたしと、伯爵様と、仕方ないからブレイクリー卿の分、あと味見というか試作分……まあ塊肉からミンチにするのって機械でもなければ重労働なんだけど。
ストレス解消の為というか……この領地に来てまで、あの嫌味なブレイクリー卿に鉢合わせたことにちょっとムカッとしたというか。
前世でも今世でもちょいちょい料理はしてた。でも、彼氏……彼氏でいいのか、婚約者だけど、まあいいよね、そういうちょっと好きな人に手料理ふるまうのって初めてだし。
そういう手料理ふるまうなら、こういう誰も冷やかしたりはしない辺境でなら大丈夫とか思ってたのにさ~。
上手くできたら伯爵様はきっと褒めてくださるんじゃないかな? 失敗したら、二人で「失敗だね」なんて言って、わたしは恐縮しても、最後はお互い顔を見合わせて、クスクス笑う――そんな、前世で見たり読んだりした恋愛小説や恋愛漫画みたいなワンシーンに憧れて、うふふな妄想してたのが全部おじゃんだよ! コンチクショウ!
「テッド、焼き物には私が持ってきたやつを使ってね」
肉をミンチにしながらテッドにそう言うと、テッドは怯えたように言う。
「はい、それはもちろん……、ウィルコックス様……いや、奥方様、そちらは私がやりますので、サラダなどをお任せしたいのですが……今日はいい葉物とトマトが小作人が持ってきておりますので……」
何よ、そんなに怯えなくてもいいじゃない。
ちゃんと作るわよ?
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