第8話
社交シーズン、必ず、どこかの貴族家主催で夜会が開かれている。
今回は伯爵様の上司の方が主催する夜会に出席です。
実務的なお仕事の他にも、こういった夜会の出席は義務なのよ。本日は軍人さんの夜会だから軍服着用の紳士が多いわー。もちろんそうでない紳士もいるみたいだけれど。
今回は尉官以上の人が招待されているようね。階級章でなんとなくわかる。
伯爵様は会場に入るなり、いろんな人に声を掛けられたので、わたしは気を利かせて先に主催の奥方様にご挨拶に向かう。
「やっときてくれたのね。グレース、待っていたわ」
そうお声を掛けてくださったのは、今夜の夜会の主催、レッドクライブ家の奥方様。
アンジェリーナ・レッドクライブ・ラズライト様だ。
わたしよりも年齢は下なのかと思うほど童顔な淑女。
金の髪に、凝った意匠の飾りをあしらい、ブルーの瞳がキラキラしている。
淡いグリーンのドレスには、ウィルコックス領のプチアラクネの糸を使ったレースを重ね、幻想的な雰囲気が彼女を包んでいた。
「ご招待、ありがとうございます。アンジェリーナ様」
いつも思うんだけど、本当にこのお方、人妻なの?
デビュタントしたご令嬢と同じぐらいに若々しい。わたし自身が年齢より上に見られるタイプだから余計にそう思う。今世の自分の顔は嫌いじゃないんですけども。
「お茶会に誘おうと思っても、領地に行ってしまったり、物凄く忙しそうなんだもの」
ちょっと拗ねた表情すらも可愛らしい。
そういう表情とか仕草の愛らしさは妹ジェシカに通ずるものがある。
「申し訳ございません」
わたしがそう謝罪すると、アンジェリーナ様はにっこりと微笑む。
「わかってるわ。実際忙しいのよね、でもロックウィル邸でなんか楽しそうなことをするんですって?」
お耳が早いな。多分閣下からお話を伺ってるのかもしれない。
「残念ながら、アンジェリーナ様をお招きできるような、華やかな催しものではございません」
「そうなの? 閣下はすごく行きたそうにしていたわ」
そうなんだ……閣下は入札に興味持っちゃったんだね……。
この世界、この国では貴族がお抱えでいろいろ職人とか事業者とかを専属で抱えるから、入札するなんてあんまりしないよね。
わたしも、農業主体から紡績に切り替えた時は、ちょっと難しかった。
どこの業者にもいい顔されなかったし、ラッセルズ商会のバックがあったって、二の足を踏む古参の人はいるもの。すでに昔から懇意にしてる会社から乗り換えられることって、あんまりない。
みんながみんな専属にはなれないわけ。
そういう専属になれない出資者を持てない事業者や職人は、あちこちのお仕事の下請けに回ったりする。
だから今回みたいな、新規の領地開発の話なんかは、彼等にとってはビッグチャンスだったりするのよね。
しかも、ラッセルズ商会とズブズブなはずのわたしが、夜会で「興味あるならこっちこーい」なんて声かけしたら、我も我もになるって。
おかげ様で、候補者続出。伯爵様に選定が難しいなあって思わせてしまったからには、やるでしょ、入札。
それに閣下も興味持ったと……。
「さすが、貧乏子爵家の娘だな、金を切り詰めるのだけはうまいと見える」
聞こえよがしに、背後からそう言葉をかけられて、わたしは、その声の主を探す。
青みがかったプラチナブロンドに、翡翠のような瞳をした紳士が、どうやら発言の主のようだった。
今、会場入りして、主催の一人であるアンジェリーナ様にご挨拶に来たところみたいだ。
「イライアス様ったら……」
アンジェリーナ様が、困った子という雰囲気で発言した彼を見つめる。彼女のその表情を見たら、こんな美少女を困らせるとは何奴だ! と、軍服を着た若い士官ならいきり立つんじゃないだろうか。
しかし。
いきなり先制パンチをかましてきたこの御仁が、イライアス・ブレイクリー侯爵なのか!?
わたしも結構、冷徹でやり手だと一部では言われているけれど、それは子爵家や男爵家の下位貴族クラスでの評価。
伯爵家以上の高位貴族で、事業の才覚に定評があって有名な方から見れば、なんだこの小娘とか思われても仕方ないけど……初手からガッツリ噛みついてくるじゃないか!
切れ長の翡翠のような瞳で睨まれてしまう。
伯爵様と血は繋がっていないけれど、お兄様に当たる方。
そして、やっぱり高位貴族、顔の造形はいいよね。
もちろん、わたしは伯爵様の方が好きなタイプですけど、この人もモテるんだろうな。
しかし……公然の秘密となってる舅には、こうやって夜会に招待はされるものの、小舅には思いっきり嫌われているっぽいわー。
これまで伯爵様のお供で夜会に出席したけれど、面と向かってわたしをディスってくる御仁はいなかった。
身分的に、わたしがブレイクリー侯爵に声をかけるわけにはいかない。
一応、淑女らしくカーテシーをしてみせる。
「多少顔がいいだけの小賢しい女を嫁にするとか、ヴィンセントもどうかしている」
顔……褒められた!!
多少って言われたけど、顔がいいって褒められた!!
やったあああああ!!
小賢しいとか言われたけど、顔は褒められた!
「だいたい、寄せ集めでもどうかと思うのに、そこからさらに選定会を催すとか、そんな出資に魅力がない会社を寄せ集めて辺境領を開発とか。ラッセルズ商会と懇意してるのならば、そちらから人材を引っ張ればいいものを。自分の手持ちは隠し持ちたいといったところなのか、ケチ臭い女だ」
ブレイクリー侯爵の言葉をわたしは脳内でいろいろ変換してみる。
実績がある会社に声をかけろよ、ラッセルズ商会がバックならそれができるだろ。そういうアドバイスなのかな?
いや、ラッセルズ商会には当然声をかけて支店をだしてもらうことは決まってますよ。
多分領地に行くと、今頃は仮店舗が建てられてるはず。
「ヴィンセントもヴィンセントだ。辺境領開発も、婚約の件も、周りが納得するようなご令嬢ならば、もっといただろうに。女のくせに子爵家当主とか……この女は父親の生存時から領地経営の裁量権を奪って、爵位を継いだというが、それも怪しい。父親の死にも関わっているんじゃないのか? そんな危険な悪名高い女を娶るとか、だいたい閣下がヴィンセントを自由にさせすぎではありませんか? アンジェリーナ様」
……きた……。
実父の裁量権を奪った娘――。
わたしが社交界で囁かれる悪評の中でも、一番多く囁かれる言葉だ。
その悪評のさらに深いところで囁かれるダメ押しの悪評。
――その爵位を手に入れる為に、実父を亡き者にした――
これを面と向かって言われるとは。
事実は違うのに、これを思ってる輩はいるんだろうと、なんとなく思ってた。
でも、子爵家男爵家の下位貴族達はわたしに向かって口にはしないよ。
ラッセルズ商会の若奥様であるパトリシアお姉様と、魔導伯爵であるアビゲイルお姉様の威光があるから、この二人に睨まれたら自分達の事業にどんな支障がでるか、領地や事業を持つ彼等はわかってるので声をあげて言ったりしなかった。
でもブレイクリー侯爵はそんなわたしの後ろ盾とかもどこ吹く風なんだろう。子爵家当主ごとき――しかも生意気な女に、立場を思い出させてやる――そんな高圧的な態度を崩さない。
ブレイクリー侯爵の発言を耳にしたアンジェリーナ様も「ブレイクリー卿、言葉を慎みなさい」と窘める。
が、ブレイクリー卿は鼻を鳴らす。
「そんな女がヴィンセントの婚約者?」
高位貴族を親に持つ、若いご令嬢――特に、伯爵様のファンと思しきご令嬢達の冷笑も遠くから聞えてくるようだ。
いいぞ、もっとやれといったところか。
そりゃ、わたし自身だって、伯爵様の傍にいていいのかな、しかも婚約者だなんて――と思わなくもないけどさ……。
こういう場で改めて声を大にして言われると凹む。
前世だったら半泣きで逃げ出していたけど、今世では泣かない。
伯爵様が選んだ女だと、周囲が知っているから。
わたしが強く言われたぐらいで泣き出すなんてしたら、これまでの実績も、その程度なのかと思われてしまうかもしれない。
わたし自身を護ってきたのは、わたしの悪評をものともしない、わたしの強さ。
わたしはそうやってウィルコックス家を護ってきたんだもの。
伯爵様も、わたしのそういう強さを――わたしのいいところだと認めてくださってる。
だから泣きださない。
折れないよ。
「私の婚約者に対して言いたい放題、失礼極まりないな」
聞き覚えのある声に、カーテシーをやめて姿勢を正すと、ブレイクリー卿の後ろに立っていたのは伯爵様だった。
伯爵様は、ブレイクリー卿を一瞬睨みつけ、まっすぐわたしの傍にきて手を取る。
「一人にしてごめんね、グレース」
甘く優しくそう囁く伯爵様に、わたしは安堵した。
心強い。
これまで散々、こういった夜会で囁かれていたけれど、面と向かって、しかも、高位貴族から攻撃されたのは初めてだったから、さすがに気分は下降。
でも、伯爵様が傍にきてくださって、アメジストみたいな伯爵様の瞳をじっと見つめることで気持ちを立て直すことができた。
「大丈夫です。ヴィンセント様」
いつもなら伯爵様と発言するところだけど、やっぱり気持ちが落ち込んでいたし、ちょっとだけ甘えたくなってしまって、名前で呼んでしまった。
それが伯爵様には嬉しかったのかな?
人目をはばからず、わたしを引き寄せて、こめかみにキスをする。
心なしか、遠くからのご令嬢達の歯噛みする様子に「あの女! 本当に、何を可愛い子ぶって!! アダマンタイトの心臓に、ミスリルの神経のクセに!!」と陰口も聞こえるような……。
いや、そこまで豪胆じゃないですよ。
わたしだって一応血の通った人間ですし、やっぱり初対面の人物からの攻撃にショックだよ。
伯爵様の手の熱が、落ち着きを取り戻してくれる。
うん。大丈夫。
伯爵様の登場に怯むかと思われたブレイクリー卿だけど、態度を変えることはない。
さすが高位貴族だ。
「ヴィンセント考え直せ、その女はロックウィル伯爵家に相応しくない」
「私の婚約者に対して、数々の侮辱、これ以上続けれるならば――」
わたしは伯爵様の手をギュっと握り締めて、「ヴィンセント様」と呼びかける。
あっぶな、この人、今、手袋取って、ブレイクリー卿に投げつけようとしたよ。
まるで、学生時代のパーシバルじゃないの。
なんで止めると言いたげな伯爵様の視線とぶつかる。
わたしは首を横に振る。
大丈夫。
この社交界に広まるわたしの悪評を――お兄さんなら心配もする。
心配してるっていうことは手を貸したいのかもしれない。
ならば、これはいい機会だ。
もし、今回の入札で――問題があれば、この人はあげつらうだろう。
そうなったら、「じゃあ、あんた、その人材、わたしによこせよ」と言ってやる。
伯爵様の領地を――領民が住みやすく、この方がその領民に愛される領主になれるように、お前、お兄ちゃんなら手を貸しやがれ!
扇を小さく開いて、口元に当ててわたしは言ってみる。
「ご心配ならば、ブレイクリー卿、後日、ロックウェル邸で開かれる入札を見学なさいませんか? ヴィンセント様も――幅広く事業を展開するブレイクリー侯爵のご意見をお耳にした方が、辺境領開発にいい案もうかびましょう?」
どんな悪評だって、物ともしない――悪名高い子爵家当主らしく。
できるだけ、悪役令嬢っぽく、邪悪な雰囲気を装いながらね。
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