第5話
ヴァネッサと執事のハンスが応接室で伯爵様とわたし達姉妹にお茶を給仕する。
パーシバルは執務室に残って、資料整理を請け負ってくれて、とりあえず、ある程度片付けたら応接室で一緒にお茶をしようと言い添える。
本当は一緒に資料整理したかったのだけど、「婚約者である伯爵様をお待たせする気?」という、パトリシアお姉様の無言の圧力に負けた。
伯爵家のご当主様にお出ししても、問題はない高級なお茶は、パトリシアお姉様からの差し入れ。
結婚の申し込み後から、伯爵様はこのタウンハウスに訪れてきてくれる回数が増えて、わたしの姉妹とも、気さくにお話してくださる。
ジェシカなんかは、同い年のご令嬢から誘わるお茶会で、「皆様の憧れのロックウェル卿が、わたしのお兄様になるの、これってすごくない!?」なんて言ってその場に出席されていたお嬢様方の「いいなあ~」の大合唱を浴びたとか。
ジェシカぐらいの女の子達の話題は、素敵な紳士の話題も時折含まれる。婚約者がいてもそれはそれ、婚約者ののろけもばっちりとの本人は語るが……。
うん……普通に楽しそうでなにより……。
パーシバルがヤキモチ焼くんじゃないかとハラハラしたけれど、ジェシカが何か言ったのかパーシバルの性格なのか、そんなそぶりは見せない。
パトリシアお姉様からことの経緯を聞いた伯爵様はお茶の香りを楽しんで「なるほどね」と呟いた。
「確かに、今後、忙しくなるだろう。ラッセルズ夫人も妹二人の結婚を前に、気を揉むのもうなずける。夫人も気苦労のせいか、顔色がよくないようだが?」
わたしとジェシカは伯爵様の言葉にはっとして、パトリシアお姉様の顔を見つめる。
確かにいつもより、元気がないような……えーまって、お姉様、いくら妹の為といえ、無茶はしないでほしい。
「お姉様、具合が悪いなら、迎えを呼びます!」
「ハンス! ラッセルズ商会に連絡を!」
わたしとジェシカの言葉に、パトリシアお姉様は手で制する。
「大丈夫よ、無理はしていないから。お気遣いありがとうございます。ロックウェル卿」
パトリシアお姉様の言葉に、伯爵様は頷いて、わたしを見つめる。
「姉君である、ラッセルズ夫人に心配をかけるのもどうかと思っていたんだが……こうしてグレースの元を訪れるのは、時間のロスもあるよね」
うっ……た、確かに。
わたしもなるべくロックウェル邸には訪れてるけれど、伯爵様のお手を煩わせることもあるよね、わたしが直接伺わなければならないところを、こうやってご訪問くださっているのだし……。
「どうだろう、グレース。結婚前だが、もう、ロックウェル邸に居を移さないか? 今後ユーバシャールの開拓については、内々のことで処理していく方向がベストだろう」
伯爵様の言葉にわたしは固まった。
ロックウェル邸に居を移す……。
誰が? わたしが?
いや、それは結婚したらでしょ? 確かに婚約してますけど、結婚前に?
この国の古いお貴族様だと、そういうしきたり――婚約時に相手の家風に馴染むために先方のお宅で花嫁修業――なんて風習というか慣例というか、そういうのが残ってるところは残ってるって聞いたことはあるけど、それをしろと?
実務面だけで言えば、情報漏洩を防げるし、お互い顔を合わせて相談する時間がメチャクチャ短縮できていいことばかりだけど。
いきなり何を仰るの!?
遅かれ早かれ結婚するんだから別に構わないでしょとか言われそうだけど、気持ちが! 気持ちがね!?
そりゃ異世界転生しましたけれども、お付き合い、婚約、結婚とか、今世が初めてなんですよ!
領地に行くのに護衛がいたじゃないとか、伯爵様の領地視察、一緒に行ったなら、なんかそれって婚前旅行? とか、頭の片隅でもう一人の自分がツッコミを入れてるけれど、住むのは違う気がするの!
確かにその、その、伯爵様のことはその、す、す、す、好きですけれども!!
昨日の夜会といい、本日のご訪問といい、伯爵様ご本人を前に、まだまだ緊張しっぱなしなの!
なのに実生活を共に!?
「え~すごーい!! グレースお姉様、由緒ある貴族のお嫁入りみたい~!!」
ジェシカちゃん!?
「うちは結構新興貴族だけど、高位貴族ではそういうのもありって聞いたことあるわ! わたしの婚約中のお友達も近々、相手方のお家に入るかもって言ってた!」
え? そうなの?
ていうかそれをするのって、ジェシカちゃんのお友達、高位貴族にお嫁入りするの?
「それに……視察に同行したシェリルを筆頭に、『この際、ウィルコックス卿はこちらにお迎えしたい』と意気軒高でね」
ロックウェル伯爵家から派遣された、わたし付きメイドのシェリルは、夜会の準備の時はウィルコックス家に来て、それが終わるとロックウェル邸に戻っている状態。
彼女自身ロックウェル家に仕える男爵家の娘ではあるのだ。
伯爵家を主とし、使える男爵家のご令嬢ならば、わたしよりも、貴族令嬢としてはきちんとしている。
伯爵様からの申し出なのか、シェリルはパトリシアお姉様とのコンタクトを頻繁に行っていて、というのも、パトリシアお姉様が「領地開拓、経営に関しては類を見ないほどにグレースは優秀ではあるけれど、質素倹約に勤めすぎて、貴族令嬢の身の回りの感性は少し問題があるので、私への相談で間違いはないです」と言ったとか……。
そんなパトリシアお姉様は紅茶を味わってから、わたしに声をかける。
「グレース、確かに貴女は父親よりも、有能で、このウィルコックス家を盛り返したわ。でもね」
でた。お姉様の「でもね」だ。
次に来る正論パンチにわたしは身構える。
「貴女はロックウェル卿と婚約したのです。普通は結婚準備をするところでしょう。いままでの事業はそのまま、その上でロックウェル卿の新たな領地開拓について抱え込むのはどうかと思うの。何よりも婿入りするパーシバルに事業を継承するのが優先ではないのかしら?」
仰る通りです。
わたしがやるべきことはまずはそっちだった……。
ドアノックがして、書類整理を終えたパーシバルが応接室に入ってくる。
「グレース義姉上、これまでも僕は義姉上のお仕事をお手伝いしてきたと思います。ウィルコックス子爵家は僕が支えていきます」
「わたしも! お姉様が守った子爵家を、わたしとパーシーが守るから!!」
「パーシバル……ジェシカ……」
わたしがそう言うと、パーシバルとジェシカは顔を見合わせて微笑みあってる。
そうよね、この二人にウィルコックス家を任せないとダメなんだもんね。
パーシバルは確かに次期当主として実務は申し分ないぐらいだし、ジェシカも紡績関連に移行した事業で、隠れてた服飾デザインという才能を発揮しつつあるし。
「わからないところは、わたし達もグレースお姉様に尋ねます。ですから、お姉様は――安心して集めまくった資料を持って、ロックウェル卿のお家に行くのがいいと思うの!」
……伯爵様はジェシカの言葉を聞いて破顔する。
「妹君の言う通りだね。安心して資料ごと、今すぐにでも、うちにおいで」
伯爵様はそうおっしゃった……。
「はい……?」
今……すぐ? え? 今すぐって言った?
わたしの言葉を聞いたパトリシアお姉様がハンスに視線を向ける。
「ハンス、グレースの気が変わらないうちに、執務室の資料をまとめて頂戴! いまグレースも『はい』と了承したわ!」
パトリシアお姉様が語気を強めて言う。
ハンスは同じように部屋に控えていたヴァネッサとアイコンタクトを取ると、一礼して応接室を出ていく。
ちょ、ちょっと待って――!!
了承じゃないよ!
尋ね返しよ? 疑問形でしょ? 語尾にクエスチョンマークつけてたよね!?
え? 待って、本当に今、すぐなの?
「王都の我が家の――グレースが住む予定の部屋の模様替えもだけど、グレースが惹かれるのはユーバシャールの領主館の設計レイアウトだろ? ちょっと前に何パターンか再考させていた、あれも仕上がったよ。今日はそれを持ち込んだんだが、これはうちで見る方がいいね」
「わー! お部屋の模様替え~! グレースお姉様素敵じゃない!」
「ジェシカ嬢も来るかい?」
「え! いいんですか!?」
「グレースの好みを知り尽くしてるジェシカ嬢ならば、ユーバシャールの領主館の部屋も良い感じに差配してくれそうだから」
「パーシバル、いい? いいかな?」
「パーシバル君も一緒においで。グレースの新たな執務室も興味あるだろう? これから何度も行き来するだろうし。よろしければラッセルズ夫人も、足りないものがないか確認する意味でも同行していただけるとありがたい」
そんなわたしの内心を察したのか、パトリシアお姉様が頷く。
「そうですね、主人にも伝えます」
パーシバルはハンスとヴァネッサに耳打ちし、二人は心得たように執務室へ向かい、アタッシュケースに書類を詰め込み始める。
そんな二人と入れ替わりに、家政婦長のマーサがその場にやってきてお姉様に言う。
「パトリシア様。グレース様ご自身の身の回りの物は……」
うん、まって、マーサ。
なんでわたしじゃなくて、お姉様に相談するの?
お姉様の手を煩わせるわけにはいかない。とりあえずわたし自身が選別しないと。
これは時間がかかるから、やっぱり日を改めた方がいいんじゃないの?
ほら、いきなりロックウェル邸にお世話になるとか、準備に時間はかかるって。
わたしのそんな心を読んだかのように、伯爵様は仰った。
「グレース、資料以外の荷物の選別とかはしなくてもいい。グレースはその身一つでおいで」
それってガチで文字通りってこと!?
伯爵様の笑顔は無敵のプリンススマイルなのに、ちょっと怖い!
え?
本気で言ってるの!?
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