第38話
伯爵様は二、三日もすると、なんとなく体調が戻ったかな? って感じ。
でも、油断はできないので、今日もお見舞いです。
伯爵様が滞在しているお部屋に案内してもらって、顔を出すと伯爵様は嬉しそうにわたしを見る。
もし今日の様子を見て大丈夫そうなら、じゃ、そろそろ、わたしもおうちに帰ろうかな……というところなんですが、明日はブロックルバング公爵が登城する。それと同時に、軍部の方ではブロックルバング公爵邸に捜査隊が入るそうだ。
……こういう情報を知っていて、お家に帰れるわけがない。
一介のしがない子爵家当主なら、お国の一大事に関わるなんてことはできませんし、この情報を知ってるだけでも隔離軟禁もんですよ、ええ。
それがこの世界の世間一般の常識ってやつだわ。
ああ、家はどうなってるかな……ほんとそこが心配。
「パーシバル君が上手く回してるみたいだよ」
え? 声が出てました?
「ウィルコックス次期子爵家当主は、できる子だね」
「まあ……彼が王都学園在学時からいろいろと教えてきましたから……」
メイフィールド子爵からもくれぐれもよろしく言われていたからね。
「ちょっとうらやましいな。彼は家族なんだ」
「出来のいい義弟ですよ、無邪気な妹にベタ惚れの」
「そうか……なら、グレースは安心して、俺のところにきなさい」
伯爵様のその言葉に、以前なら動揺していたけれど、わたしはなんか落ち着いてる。
「そうですね……家に戻れたら、準備をします」
スルっとそんな返事ができてしまうぐらいに。
この一件が片付いたら、もう、ジェシカとパーシバルの結婚式を挙げさせてしまおう。
まだまだ若いけれど、あの二人ならうまくやってくれるはずだ。
「伯爵様も、ブロックルバング公爵邸に向かわれますか?」
「いや……止められている」
止められているのか。
ここに滞在して思ったのは、閣下と伯爵様は同じ軍部だけど階級が離れている。
なのに、今回は本当に極秘で依頼されたお仕事だった。
伯爵様が、若手で軍部でも有能だから抜擢されたっていうのはあるんだろうけど、それだけじゃない気がするのよね。あまり考えたくないんだけど。
そこでドアノックがされたのでわたしがドアをあけると、執事のアボットさんが立っていた。
「ウィルコックス卿もこちらでしたか……突然ではございますが、お客様が……」
先触れもなしに伯爵様にお客?
やな予感がする。
アボットさんの歯切れの悪さ。
「伯爵様に? どなたです?」
「キャサリン・ブロックルバング公爵令嬢です」
――ぎゃー! 閣下の不在にラスボス乱入!?
まじで⁉
現在、公爵邸は厳戒態勢のはずだけど⁉
まだ突入はしていないから、キャサリンは自由にさせてるの?
一番マークしておかないとダメな人物がキャサリンだけど、軍部は通達できてないのか⁉
「閣下もご一緒です」
……そ、それって、よくある真犯人が自首前に、ちょっと立ち寄って的なアレですか⁉
それとも閣下も魅了にかかっちゃった!?
わたしは伯爵様に振り返る。
「伯爵様……」
「グレースもおいで」
伯爵様、わたしをエスコートして歩き始める。
「大丈夫、閣下が一緒だということは、『魅了』を抑え込める人材も一緒だ」
そ、そうですよね、そこはちゃんと対策されてますよね……。
キャサリンを通した応接室へ向かう途中、わたしは思わず呟いてしまった。
「クロードに魅了をかけたのは、何故なのかしら……」
伯爵様は笑顔なんだけど、面白くなさそうな……。
ああ、また元婚約者を名前呼びだからとかそういうことかな?
でも、話してくれた。
キャサリンとクロードが会ったのは街中で、やっぱり年上のキンブル男爵と遊び歩いてた時、店で見かけた子が男爵家の令嬢になっていたことに目をつけ、出自が定かではないのに貴族を名乗るか弱そうな女の子の弱味を握っていい気になったらしい。
ゲスでクズすぎる。
そっか、キャサリンは娼館にいたのか……孫に近い年のメイドをいいようにして娼館に捨てるとか、先代陛下は鬼か。実家に帰さなかったのか。それともそこでまだまだお楽しみでしたねとかしたかったのか。
先代の時代じゃなくてよかった……。
普通にメイドの実家に帰してやれよ。
帰したところで、そのメイドも実家に戻っても嫁にもいけないし、修道院一択だけど、でもそういうのはやっぱり傷も深いし、俗世を切ったほうが逆に幸せだったかもしれないじゃない。
「家の保護も大きな力の前には役に立たなかったってだけだろう」
「子供が生まれても王城勤務とかさせないことに決めました」
仮令女の子だったとしても、この世界で生きづらいけど、手に職を持たせたいぞ。それがまたメイドだったら……ううって感じではあるけど。
一人で内心アップダウンを繰り返してると、伯爵様はご機嫌そうだ。
「グレースは何人子供欲しいの」
そう言われて、自分の発言にはっとした。
「そ、そこまで、ま、まだ考えてません!!」
「そっか。グレース達みたいに姉妹仲良くしてくれるなら、何人いてもいいかな」
「わ、わたし達は、その――親がやっぱりしっかりしていなかったから、自立するしかなかった結果といいますか……親がいたら、もっとこうダメダメだったんでは……」
「そうかな、グレースはいい意味で先進的だからダメではないでしょ。それにグレースの子供は絶対可愛いよ」
ま、まあ前世に比べれば顔の造形はいい方ですが……伯爵様の子供か……やばい、可愛いでしょ、甘やかしてしまうよ!
アボットさん、何も聞かなかったことにして! お願い!
キャサリンを通した部屋の前まで、わたしにそんなことを言ってくれてる伯爵様。
あんなにふざけたことを言っていたのは、わたしが抱くだろう恐怖や緊張を、とりはらってくれていたんだろう……。
うん。大丈夫。わたしが伯爵様を守る。
キャサリンの出自は可哀そうだとも思うけど、伯爵様は渡せないから。
アボットさんがドアを開けると、そこには、閣下を始め、二人の魔導アカデミーの職員と、護衛の方がついていた。
そして、キャサリンがいた。
ちゃんとカーテシーをするあたりは公爵令嬢ですね。
王城勤めだった亡くなったお母さん仕込みの所作だったんだな……これは。
「どうして……魅了が効かなかったんですか?」
キャサリン嬢が口を開く。自分の魔法に絶対の自信があったんだな。
クロードも王太子殿下も意のままだったんだもの。
きっと他にもそう。
今だって魔導アカデミーの職員が着ているローブのブローチ、魔石が光ってるということは、防御の魔法が展開されているんだ。
「いや、普通にくらったよ。でも閣下に報告にいくのは仕事として最優先だったからね。グレースが魔導伯爵を呼んでくれて、アフターケアがばっちりだっただけ」
「残念です。貴方ならわかってくれると思ったのに……」
伯爵様はキャサリンを見ないで横にいるわたしに視線を向ける。
「わからないね」
顔は優しくて、わたしを見る目は甘いのに、キャサリンに対する声には冷たさしかなかった。
「キャサリン嬢、キミはその魅了で愛を強請るが、愛を与えることはしないからね」
伯爵様の言葉にキャサリンは激昂する。
「貴方だって、庶子のクセに! 親に愛されることなんてなかったくせに!」
キャサリンは、男性から向けられる愛を自分の思いのままにしてきた。
クロードも王太子殿下も、第二王子も、殿下の側近たちも。
愛されたい愛されたいの渇望が、彼女の『魅了』になったんだろう……。
そうなってしまった経緯には同情する。
でも、だからってわたしも二度も奪われる気はない。
「キャサリン嬢、間違ってますよ。伯爵様はちゃんと愛されてますよ」
伯爵様は庶子だから――自由だから、なんて言ってたけれど。
ちゃんと見守られていた。
「大事にされてます。口に出したり態度にだしたりはあからさまでなくても……そうでしょう? レッドグライブ公爵閣下」
伯爵様は目を見開く。
「え、これまだ、グレースに言ってなかったけど……知ってたの?」
伯爵様、驚いている。まだ言ってなかったってことは、言うつもりはあったってことね。
……だっておかしいでしょ、いくら伯爵様が有能だからって。
軍部トップから直々のお仕事なんて。
ずっと思っていたんだよね。
多分そうじゃないかなって。
「家族仲がいいあなたになんか、わたしの気持ちがわかるわけないでしょ! 親にだって愛されてきたくせに!」
うーん。
そりゃキャサリン嬢ほど、親が鬼畜ってわけでもなかったけれど、今世の親は良くて放任、悪くて放置だったよ。
あまり寂しくなかったけど。
愛すべき人はたくさんいた。
前世に比べて、この世界で愛されていた。
だから幸せなんだよ。いつも。いつだってそうだった。
「いや……親がちゃんといても愛されるかどうかはわからんよ? グレースはそれでも惜しみなく周囲に与えてる。自分の力を奮いながら、守るんだよ。だから俺はグレースに惹かれた。俺が彼女を守りたいと思ったんだ」
伯爵様にそう言われてしまうと照れちゃうけれど、まあ、実際にはそうですよ。わたしはわたしのやりたいことをやりつつ、できる限りわたしの周囲にいる姉や妹は大事にしてきたから。
相手が誰だって――その気持ちには変わりはないの。
伯爵様がわたしの手を持って、その甲にキスを落とす。
そして言った。
「グレース。この身は王位継承権を持つ王族となるけれど、俺はキミを守る騎士でいたい」
ちょっといいセリフ。
ずっと考えていたでしょ、伯爵様。
わたしは破顔した。
悪役令嬢の顔だけど、今、この瞬間の笑顔は、伯爵様に可愛いって思ってもらえる笑顔だといいな。
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