第33話




 しかし、この男、平気で女をぶつのか⁉

 親父にもぶたれたことがないのに!!

 まじで顔面左側痛いよ!

 あと、腕、掴まれて引きずられる。ヤダ!


「離しなさい!」

「大声を上げたら、醜聞になるのがわかっていないようだな!」

「私に手を上げた上に無礼を働くお前こそ、わかっていないようね!!」

「うるさい女だな!」


 くそでかい声で言い返すとキンブル男爵も言い返すが、その動きが止まる。

 お、いろいろ常識が残っていたのかこの男――ではなかった。

 男爵の動きが止まり、わたしを掴んでいた腕の力が弱まった隙をついて手を振り払い、男爵から距離をとると背中に何かあたる……人がきてくれてたのか!


「何をしている」


 頭上からすごい重低音が聞えてきた。


「どこからどうみても、このレディに無体を働いているようにしか見えないが」

「ひっ!」


 キンブル男爵は逃げようと立ち去っていくが、ちょっと丈のある灌木から二人の軍服を着た人物が男爵の逃げ道を塞ぎ、男爵を挟み込んで連れて行った。

 た、助かった~……。

 安心したら泣きそう。泣いてる場合じゃないや、お礼を言って、もう今日はこの夜会をひきあげよう。助けてくれる人がいなかったら腰抜かしてるわ。


「危ないところでした。ありがとうございます」


 振り返った時に助けに入ってくれた人と距離を取って、カーテシーをしてお礼を伝えた。

 顔を見上げると、ぎょっとする。

 ネイビーブラック系の夜の闇と同じ髪色。わたしを見るその瞳は王族特有の紫がかった菫色。

 そして軍服を着てる……。

 ただの軍服じゃない。飾緒がついている。

 肩章と、胸の階級章の一番右端には太陽を二つに三日月この並び……この人……もしかしてまさかの……。


 軍のトップオブトップ、軍務尚書、アイザック・レッドグライブ・ラズライト公爵閣下!!


 現国王陛下が即位されたと同時に臣籍降下されているけれど、王弟殿下――!!

 な、な、な、なんでこんな大物がっ!!

 そりゃキンブル男爵も逃げ出しますわ。容貌魁偉、鬼気森然でガチ強面。


「無事か、ウィルコックス子爵」

「は、はい!」


 ちょ、なんでわたしの名前をご存知で!?

 一介の子爵ごときの名前と顔とか、普通は知らんでしょ?

 けど……。伯爵様なら軍のトップの覚えもいいはずよね。

 伯爵様の婚約者になったわたしのことは、頭の片隅にはおいているのか……。


「そんな状態の其方をこのまま帰すわけにはいかんな。ついてきなさい」

「あ、あの……」


 大丈夫です。と続きが言えなかった。こっわ! 「なんじゃおまえ、口答えするんかワレェ」的な視線。この人視線で人殺せるんじゃね?

 殺人ビーム?

 国のトップに近い人……しかも武力だけで言ったら、国王陛下だって黙るわ。


「貴殿の連れには私から連絡をとっておく」


 だからついてこいと?

 有無を言わさないとはこのことか。

 ごめんなさい。お姉様、ジェシカ、パーシバル……そして伯爵様。

 グレース・ウィルコックスの命日は今日ですよ。


 なんて思ったりもしたんだけど、やっぱりあれですかね、元王族、臣籍降下した公爵家当主高位貴族は伊達じゃないというか。

 クレセント離宮の設計図、頭の中にあるの? この人。

 これだけ大勢招待されている夜会を開催している会場から、馬車に乗るまで誰一人としてすれ違わなかったよ。

 閣下の周囲には護衛の気配は感じられるけど、それすら見えない。

 閣下にエスコートされて乗った馬車も見た目は派手じゃない。

 黒い塗装はあれよ、前世の反社会の人が使用するような黒塗りのごついクルマを連想させるわ。おまけに内装もそれよ、座席のクッション性といい、高級仕様だね。

 乗り込んだらすぐに出発するかと思いきや、ドアノックがされて馬車の扉がまた開く。


「すまないな、アンジェリーナ」


 わたしと同じ年ぐらいにしか見えない淡いブルーのドレスに身を包んだ金髪碧眼の美少女が開かれたドアの外に立っていた。

 亡くなった母親と同じ名前。

 まあこの国では珍しくないんだけど、ドキっとするよね。

 そして、美魔女だ。

 年齢を重ねた美人ってわけじゃないよ、顔だけだったらめっちゃロリだよ。

 アンジェリーナ様。

 おいくつなんだろうか……現世でも今世でも年齢不詳の美人は見たことはあるけど。

 この手の年齢不詳はみたことないわ。

 いや、娘さんか? 王弟殿下に娘とかいたっけ?


「マクファーレン侯爵の夜会はセンスがいいし、招待されている方も楽しい方ばかりでしたから少し残念でしたけれど、でも……」


 美魔女はわたしを見て、その大きな碧眼を見開く。


「閣下のいうように、これは緊急事態ですわ」


 美魔女アンジェリーナ様はご自身の侍女を呼びつけてわたしの頬の手当てをするように指示を出す。


「どこのどなたです! こんなお綺麗なレディの頬を!」


 キリっと閣下を睨みつける。


「閣下もこのままで移動させたのですか! 気の利かない!!」

「すまない」


 強面の閣下が小さな娘に叱られてるような……いやでも、アンジェリーナ様、きっと見た目こうだけど、年齢わたしより上ですよね?

 それと、侍女さんがひんやりした布をわたしの頬にくっつける。

 アンジェリーナ様が閣下のエスコートで乗り込んで、わたしが手当をされ始めると、馬車は動き始めた。

 揺れが少ない! ナニこれ! 絶対サスペンション入ってるよねこの馬車!


「大丈夫? お嬢さん」


 アンジェリーナ様が心配そうに尋ねられた。


「見た目はお見苦しいですが、痛みはさほどではございません。このような場でご挨拶する旨をお許しください。私はグレース・ウィルコックス子爵でございます」


 アンジェリーナ様は隣に座る閣下を見上げてからわたしに視線を移し、にっこりと微笑む。まるで成人前の少女のような微笑み。


「閣下の妻のアンジェリーナ・レッドグライブ・ラズライトよ。よろしくね」


 娘じゃなくて、レッドグライブ公爵夫人だったのですね。






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