第17話
人間って……、とんでもない事象に会うと、思考が止まるな。
死ぬのかな、わたし。
こういうふうに、告白されたことのない人生でした。
前世もそうだし、今世もそうだと思った。
嬉しい嬉しい、照れちゃう、どうしよう……そんな気持ちだってある。
でもまって、本当にまって。
この人がそんな色ボケしたような理由で結婚を申し込むとは考えにくい。
わたしに何をさせたいのだろう? 本音が聞きたい。
今世の――自分の中で一番好きな金色の瞳で、彼を見つめる。
「伯爵様の真意をお聞かせいただけないでしょうか」
伯爵様は口元に手を当てて目を閉じる。
そしてまたしばらくしてその神秘的な紫水晶みたいな瞳をわたしに向けた。
「グレース嬢、いや、ウィルコックス子爵。実は先日、新たに領地を拝領した。しかし、私は領地経営においては明るくはない。軍に所属しているということもあり、現在の領地は信頼のおける人物と連携してなんとかなっている状況だ」
伯爵様ならそつなくこなしそうな感じもするけどな。
しかし新たな領地か……すごいな。うちは一つの領地でいっぱいいっぱいなのに。
「領地と王都を行き来できる体力があり、なおかつ領地経営に明るい女性はとても貴重だ。私の肩書と見てくれで寄ってくる若い令嬢にはまずないだろう。私は貴女の実績を重視し今回の結婚を申し入れた」
なるほど。
領地経営にアドバイスが欲しいってことなのね。
えーっと、これって前向きに考えていいんじゃない?
だって伯爵様だよ? 絶対に他からもいい縁談話きてるって。
親戚筋から身分が低いとかやいのやいの言われて婚約ご破算になったとしても、領地経営でお仕事貰えるというお話に持っていけそうじゃない?
のるか? この話。
うん。のろう!
「拝領された領地はどこですか?」
「辺境であるユーバシャールだ、隣国と隣接している」
「ロックウェル卿、まさか、妹にあそこに手を入れさせるとかないわよね」
アビゲイルお姉様は眉間に皺を寄せた。
いえいえ、そんな怒ることないじゃないですか。
伯爵様は「真意を聞かせろ」と言ったわたしに、ちゃんと本音を伝えてくれたんですよ?
「ユーバシャール……農耕地ですか?」
「農耕地どころか、岩山だらけだし、土は堅いし痩せてるし、魔獣がわさわさの、国境のリスト山脈を挟んで、ちょっと血気盛んな隣国がすぐそばの、危険度が高い領地よ。村はあるけれど、自分達の畑を開墾するだけで、税収なんか望めない土地よ。作物が育ちにくいの。ウィルコックス家の領地も魔獣は出るけど、先々代の施策で対応できて長閑な感じだからお前は見たこともないような荒れた土地よ。手付かずの未開地といってもいい」
へえ……。
「ただ魔鉱石はそのリスト山脈から発掘される。それで領民はなんとかカツカツで暮らしてるぐらいよ」
他所の領地に詳しいはずのないアビゲイルお姉様がその地名を知っているというのは、その魔鉱石がらみだからか。
王都の魔導アカデミーに流してなんとか領民を支えているって感じなのか。
どーするかな。
……そのユーバシャールの地質調査をしたい。
何が産出されるかわからないでは手を出せない。
「ゼロから領地開拓……」
思わずわたしが呟くと、アビゲイルお姉様だけではなく、伯爵様も驚いた表情でわたしに視線を向ける。
え? なんで伯爵様も驚いた表情なの?
アビゲイルお姉様が伯爵の肩に手をかけて押し殺した声で何か言っているけどよく聞き取れない。
「ロックウェル卿……どうしてその領地の話をしたんだ。あたしの妹がやる気になってしまったじゃないかっ……!」
「結婚の申し込みを正面切って正直に言ったぞ。信じてもらえないから、手持ちの札で興味がありそうな件を口にしただけだろ。現場見れば普通にダメだろうから、そこから普通に婚約結婚にこぎつける」
何ぼそぼそ話しているのか……。
まあいいか、わたしはハンスを呼び寄せてこの国――ラズライト王国の地図を持ってくるように言いつける。
現場どこにあるか知りたいよ。
そんな危険な領地なのかな……。
「どうかしましたか? アビゲイルお姉様」
「グレース!」
「はい、今、ハンスに地図を持ってくるように言ってあるので」
わたしがそう言うと、アビゲイルお姉様はがっくりと肩を落とした。
なんで?
お姉様が魔導伯爵になった時に、うちは他所よりも精度のいい地図を手にすることができた。これで場所が把握できる。
いつからとりかかるかなー。
「もちろん、社交シーズンは王都にいてもらう。貴女の安全は絶対だからね」
むむ。
すぐには領地に行けないのか。残念。
伯爵の社交に婚約者として付き従うのも、仕事の一環ということね。
この機会に、隣接する領地の領主の紹介とかもしてもらわないとだし。
隣接する領地の情報を把握しておけば、何を主軸に領地運営するかの指標にもなる。
「グレース、お前は勘違いをしているかもしれないが、これは結婚の話なんだよ結婚を了承するかが、本題だからね?」
アビゲイルお姉様に言われて、はっとした。
そうだ、表向きはそういう話だ。
うちの領地はジェシカに残しておきたいし……。
「私の持参金はそうそうありませんが」
お金の話大事。
「例え貴女が平民だとしても、貴女を妻に迎えたいと思ったのだから、そこは気にしないでいい」
太っ腹だな……さすが伯爵家。
「……細かい条件も決めさせていただいても?」
「結婚を受け入れてくれると?」
「しがない子爵家です。が、これでも当主でした。この家を支えてきたという実績も自負もあります。こちらの条件を伯爵様が受け入れてくださるのならば、この結婚、お受け致します」
そう言った瞬間、伯爵様は立ち上がって、わたしを小さな子供のように抱き上げた。
「は、伯爵様⁉」
彼は嬉しそうに自分より視線が高くなった私を見上げる。
「本当に結婚してくれるのか⁉」
この人……え? 領地経営が主目的ではないの?
というか……。
「伯爵様! お、下ろしてください! 重たいですから!」
「全然!」
キラキラした紫水晶みたいな瞳が綺麗で、バタバタと抵抗することもできずに魅入ってしまう。
「まるで、夢みたいだ。大事にするよ、グレース」
こっちが夢じゃないのかと言いたいよ……。
「あー……うん、それぐらいの方が、グレースには伝わりやすいね」
アビゲイルお姉様の声にはっと我に返る。
「下ろしてください! 伯爵様!」
「やだ」
「はい⁉」
「三年間待った甲斐があったよ、本当に」
嬉しそうにわたしを見上げる伯爵様の瞳に心臓がドキドキする。
死んじゃうよ!
顔? っていうか頭? 血液集中してるのがわかる。脳の血管切れそうだよ!
わたしはアビゲイルお姉様に助けを求めるよう視線を向けるが、アビゲイルお姉様はゆっくり首を横に振る。
「ロックウェル卿も――。夜会で三文喜劇の俳優並のセリフを吐くぐらいなんだから、もうちょっと甘いことも言えないのかと思ってたんだけど……そうきたか」
そう発したアビゲイルお姉様の言葉に伯爵様はすまして仰る。
「やっぱり行動に移さないと、伝わらない相手もいるからね。発言に嘘偽りはないし。グレース嬢の美しさに心惹かれたのは真実なのだが?」
やっぱ甘いよ!
わたしは伯爵様の「真実」という言葉に、三年前の婚約破棄のセリフを思い出した。
なぜか伯爵様が言ってもうすっぺらく聞こえてしまうのは、きっとわたしがスレてしまったからかな……。
いや。
きっと、わたしは臆病なのだ。
前世の記憶、はっきりしていることが一つあって。
わたしは誰からも愛されなかった醜い独身の女性だったこと。
家族の愛も薄かったこと。
でも今世で家族の愛には恵まれた。
すごく幸せだ。
けど恋も結婚も――同じようにと、一歩を踏み出せない。
勇気がない臆病者なんだ。
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