第9話
「何故、あのお言葉なのですか?」
「本当はね、この言葉を掛けたかった令嬢がいたんだが……かなわなかった」
なるほど……。
その方はどうなったんだと聞きたい。でも聞いていいのかな?
でも今はアビゲイルお姉様が気になってる――でいいのよね?
伯爵様の憂い顔と言葉にわたしはそれ以上深く尋ねることはやめようと思った。
でも意外にも伯爵様は続きを話し出す。
「友人に話したら受けた。大笑いされた。どうせ伝えることもできず終わったのだから、そのまま使えばいい。若い令嬢達に夢を与えておけと。こう言われたわけだ」
「そう……ですか……」
話の感じから、当時伝えたかった令嬢は別に亡くなったわけではなさそうだ。
友人に大笑いされたのなら、単純に彼女が既婚者だったのか、婚約者がいたのかどちらかだろう。
見た目もよく、家柄もよく、性格もよさそうな伯爵様には、片想いの相手がいて、その恋は叶わなかった……。
それはそれで切ない感じもするが、彼ほどの立場なら、すでに婚約者がいて、結婚していてもおかしくはない。
「それにしてもグレースは何故いままでにこういった夜会に出なかったんだ?」
わたしは端的にウィルコックス家の内情を説明した。
父親の代わりに領主代行を務め、姉二人の支援で家を切り盛りしていたこと。
妹も元々身体が弱くてその二人を置いて家を出ることは考えられなかったこと。
「妹は両親とは違い、この夜会に出るまでに健康を取り戻し。メイフィールド子爵家の次男パーシバル・メイフィールドと結婚するので一安心なところです」
「デビュタントの妹に婚約者がいるなら、グレースにも婚約者は……」
「あの方は三年前に、別のご令嬢と一緒に連れだって来て「婚約破棄する!」と直接宣言されましたので」
「は?」
なんだそれは? 的な表情をされた。
うーん、自意識過剰だったかなーこの話、割と世間に周知されてると思ったんだけどなー。
まあ伯爵様みたいな高位貴族にとって、わたし達のような下位貴族の話は耳には届かないものか。
「家のことにかまけて婚約者をないがしろにしたと憤慨していました。それがさっき、私のところに近づいてきた男性です」
「……すごいタイミングで私はキミを誘ったんだな――……」
「はい、とても助かりました。何を言われるかわかったものではないので」
よし、そろそろ曲が終わる。
これでようやくお役御免といったところか。
さて今度こそ、カーテシーをしてこの場を離れようとした。
「今夜は楽しかった、グレース」
再び伯爵が手を差し伸べるので、今度こそ握手だろうと思ってその手を取る。
彼は悪戯が成功したやんちゃ坊主のような可愛らしい笑顔を浮かべた。
「はい⁉」
さすがにこれはわたしの顔面が仕事をしないよ!
動揺駄々洩れだよ⁉
彼はもう一度わたしの手をグリップしてワルツのホールドにはいる。
「子爵当主をしていて、よく騙されなかったな?」
「伯爵様!?」
「だからヴィンセントと呼んでくれと言っただろう?」
そうじゃないですよ! 伯爵様!
こんな三曲も連続で同じ相手とワルツを踊るなど、周囲に結婚を前提に付き合っていると知らせるようなものでしょうよ。
ワルツのステップも迷いなく、そして無表情のまま、どうやってこの場を離れるのが無難なのか、必死に考えていると、伯爵の手が力強くでも痛くはない感じで握り締める。
「グレース。何も考えずに、気まぐれで三曲踊っているわけではないから」
気まぐれで三曲も立て続けにワルツを踊るのはないと言うけど――……一体どういうことなのか。
何か注目を浴びるように主催に頼まれたのかもしれない。
自分のことも大事ではあるが、どうせ行き遅れに片足を突っ込んでいるのだ。ここはこの伯爵様に恩を売っておくのもいいのかもしれない。
今後ウィルコックス家を出るにあたって、なにがしかの協力なり助力なり受けられるかもしれないならば、ここは大人しくステップを踏んでおこう。
「最初に言ったんだけどな。この身は騎士でありますが、貴女の王子になりたいのですとね」
ワルツの曲が終わる時にそう言われて、睨み上げた。
――く、気まぐれではなく、悪ふざけですか!
睨んでるんですけど⁉ わたしこれでも、一応、冷酷尊大傲慢を絵にかいた女子爵で通ってますけど?
下位貴族のそんな肩書なんか伯爵様にとっては、ぺらっぺらに軽いのか、笑顔を浮かべている。
くっそ、美形の笑顔は値千金だ。
うっかりドキドキした。
でもまってちょうだい。
そこまでわたしはちょろいとか思われてるのか。
侮られた。
きっとあれだな、今夜の主催となんか賭けでもしたのかな。
高位貴族、そういうところあるよね⁉
だから夜会のダンスとか嫌なんだよ! 不覚!
撤退、撤収、回避!
内心の動揺や憤りを抑え、カーテシーをすると壁際に戻ることに成功した。
「見惚れちゃったわ。グレース」
エイダが新しいシャンパンを用意してくれていた。
「ありがとう……」
「いえ、どちらかといえば謝らなければ……」
「え? どういうことかしら……」
「うちの社交欄の情報担当が、帝国製の最新映写機で貴女たち二人をばっちり撮ってたわ」
「……それって……」
「明日の社交欄の一面トップ記事決定じゃない? 担当、大興奮だったから。申し訳ない」
わたしを案じて、ジェシカとパーシバルも傍にすぐに寄ってくる。
「お姉様!」
「義姉上!」
その後ろからわさわさと団体が近づいてくる。
人気の伯爵と立て続けに三曲もワルツを踊った令嬢に、我も一声という状態になっているのを察した。
わたしは人目を構わずにエイダから受け取ったシャンパンを一気に飲み干して咽喉を潤し、給仕のトレーに置く。
「ジェシカ。パーシバル。今後取引するお家の方々に挨拶するわ。ついてきて」
伯爵様の悪ふざけで注目を浴びたなら、これ幸い面倒な顔合わせ、次期ウィルコックス子爵家当主の面通しを今なら全部すませられる。
せめてこれぐらいのうま味がないと損だ。
さあ行くわよ。二人とも、ついてきてね!
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