Act.3 さんわめ

 数時間後。


「全く、だから言ったのに」


 そう呟く少女が、ソファーで高いびきをかく男に毛布をかけていると、京子がワインの残り(京子が自室から追加で持って来た)が入ったグラスを片手に陽気に話しかけてきた。


「すっかりご馳走になっちゃって。父娘団らんの邪魔をして悪かったわねぇ。

 でも本当に美味しいビーフシチューだったわ。

 ……ちょっと悔しいかも」


 少女はすっかり空になった鍋を見て苦笑しつつ返す。


「いえ、私も久々に誰かと食事が出来たので楽しかったです。

 それに、お父さんも凄く喜んでいました。ありがとうございます」


と、頭を下げる少女。


 一方、美雪はというとテーブルに突っ伏したまま寝息を立てている。

 余り飲み慣れていないのだろう。ワインを呑み過ぎて潰れてしまったのだ。


 ちなみに京子はというと、ケロッとしている。酒好きという種族にはアルコールへの耐性が付与されるらしい。流石だ。


 少女は京子に向き直り言葉を続けた。


「美雪さん酔い潰れちゃってますけど、どうしますか?

 お父さんが素面だったら送って行かせるんですけど。……これですから」


と、呆れ顔の少女。


 京子は笑いながら言う。


「大丈夫よ。この娘は私の部屋に泊まらせるから」


と、事も無げに言い放つ京子。


 少女は思わず目を丸くする。

 そして、少し考える素振りを見せた後、京子に問いかける。


「大丈夫ですか?

 だって、このマンションには……」


 その瞳には不安の色が浮かぶ。

 その様子に気付いた京子は安心させる様に微笑み、語りかける。


「大丈夫よ。

 あの娘は何もしないわ。

 この娘には、ね」


 少女が危ぶむ理由。

 それは、このマンションに「出る」からだ。

 正真正銘の幽霊が。


****


 かつて、このマンションが建ったばかりの頃。若い女性が一人、入居していた。

 モデルを生業として、高い評価を受けていた彼女の人生は、右肩上がりの経済と相まって順風満帆。……かに見えた。


 しかし、ある日を境に彼女は失踪してしまった。

 そして暫く後に、彼女はある廃工場にて、変わり果てた姿で発見される事になる。

 彼女の直接の死因は多量の薬物を摂取した事によるショック死。

 彼女の身体には無数の火傷、切り傷、打撲痕があり、複数の男の体液が付着していた。


 まぁ、つまりはそういうことだ。

 将来を嘱望されていた彼女の人生は、身勝手な男たちにより唐突に幕を閉じた。


 警察の捜査の結果、既に別の強姦事件の容疑者として浮上していた人物から、芋づる式に五人の男、……更に一人の女が逮捕・送検され、後に有罪判決を受けた。

 その女は女性のモデル仲間だった。

 彼女は妬みから女性を犯すよう男たちを唆したのだ。まさか殺しまでするとは思っていなかった様だが。


 そのセンセーショナルな事件はマスメディアによって大きく報道された。

 その加熱し行き過ぎた報道の中には、無惨な最後を遂げた彼女の人間性を貶めるものもあった。

 曰く、「違法薬物を常用していた」だの「淫蕩な性格で普段から男漁りをしていた」等々……。


 当然そんな事実は無かったのだが、人々はそれを鵜呑みにし、彼女の死を当然だと言う者まで現れる始末だった。


 未練だったのだろう。

 死んだ後まで悪し様に言われ悔しかったのだろう。

 それからだ、このマンションに彼女の霊が現れる様になったのは。


 彼女は住人に取り憑き、その生活を脅かそうとした。

 時には階段を転がり落ちさせたり、怪我を負わせたりもした。

 そうやって何人もの住人が退去していく中、不思議な事に全く無事な住人がいる事も確かなのだった。


 結果分かったのは、彼女が取り憑くのは悪意を持って誰かを貶めたり、故意に不幸にさせた事のある者だけだったという事だ。


 世間から事件が忘れ去られ、『幽霊マンション』というあだ名だけが残った今でも、彼女はそこにいる。


 今では変人揃いの住人たちから、少し毛色の違う隣人程度に思われている彼女だが。

 それでもやはり、稀に夜になると現れ悲しげに何かを訴えているらしい。


 それが何なのかまでは分からないが。

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