Act.1 いちわめ

 言問通りからラブホテルが建ち並ぶ路地を抜け、線路脇を駅の反対方向に進み、言問通りの陸橋の下をくぐり抜けて暫く行った所に父娘の住まいはあった。


 築四〇年ほどの六階建てのマンション。

 間取りが3LDKで家賃がなんと八万円。

 この辺りの相場からいえば破格の安さである。

 勿論、安いのには訳がある。

 ……所謂「出る」物件だからだ。


 男はそんな事には頓着もせず、娘と二人(つい先日までは三人だったが)でもう何年も暮らしていた。

 だが、やはり一般人には気味が悪いのだろう。入居者には変わり者が多いのだ。


****


「おや、何でも屋さんじゃない!」


 父娘がマンションのエントランスに入ろうとした時、そう声を掛けて来る者がいた。

 父娘がそちらを振り返ると、二人の女性が道をこちらに向かって歩いてくるところだった。


「あら先生、今お帰りですか?」


 少女が相手の一人にそう声を掛ける。


 ベージュ色のスーツを着て、胸元には大振りのネックレスをしている妙齢の女性だ。


 その女性は父娘の部屋の隣に住むこのマンションの住人だった。

 名前は玉地京子たまちきょうこ

 どこかの専門学校で教鞭を取っているらしく、他の住人からは『先生』と呼ばれていた。


 姉御肌でとても気っ風の良い人だが、酒好きでよくベロンベロンに酔いながら歩いているところを目撃されている。

 本人曰く、「下町っ子なんかこんなもん」らしいが……。


「ああ、今日はウチの生徒……、まぁ私の教え子って訳でもないんだけど、中々見所のある娘だからね、一杯呑ませてやろうって連れてきたの。

 ……どう、何でも屋さん。アナタも一緒にやる? 良い赤ワインが手に入ったんだけど」


 京子は冗談めかした口調で話しかけてくる。


 因みに京子が男の事を何でも屋と呼ぶのは、男が回りにそう名乗っているからだ。

 本来、男が営んでいるのは探偵業なのだが、そちらを名乗る事は滅多に無い。


「……赤ワインか、悪くない」


 男はそう呟くが、少女の


「……お父さんは下戸じゃない。だからいつも炭酸水ばっかり飲んでるんでしょうが。

 それに、社交辞令で言ってるの分からないの?」


という言葉のもとに切り捨てられた。


 だが、男はその言葉に対し激しい憤りを見せる。


「俺は下戸じゃない!! ただ、呑むと直ぐ記憶が無くなるだけで至って普通だ!」


「それを世の中じゃあ下戸って言うのよ!  それにもう夕ご飯だって言ってるでしょ、もうビーフシチュー出来てるのよ!」


と、言い合いを始めた父娘に対し京子は呆れ顔で呟く。


「まぁまぁ、相変わらず仲が良いわねぇ……」


 そしてふと何かに気付く京子。


「……しかしビーフシチュー、コイツにも良く合いそうね」


 赤ワインの入った袋を見つめつつそう呟く京子の瞳は、まるで獲物を見つけた肉食獣の如くであったという。


 因みに本人曰く、「下町っ子は皆、図々しいもん」との事なのだが、果たしてそれはどうなのだろうか。

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