エピローグ 父と娘、あるいは解決編

「ねぇ、出てきなさいよ。

 ……これが欲しいんでしょ?」


 男が手帳を掲げながら、大きな声を出す。

 すると、 物陰から一人の男が姿を現した。

 何処にでも居そうな背広を着込んだ初老の男だ。

 初老の男は父娘の側まで来ると、深々とお辞儀をして、 一言礼を口にする。


「……ありがとう。

 聞いていた通り、貴方に依頼して良かった」


「……お父さん。この人は?」


 少女は父親の影にそっと隠れつつ、恐る恐るという感じで父親に問う。

 しかし父親は、 そんな娘の態度を気にすることも無く、淡々とした口調で答える。

 まるで何でもない事の様に。


「逃がし屋だ。

 ……いや、こう言った方が良いか。タチバナミノルさんと」


****


「なんて事はない。

 人を殺して連絡を入れた逃がし屋が、実は失踪していた父親だった。

 ……それだけの事さ」


 そう男が語ると少女が、


「それだけの事だってお父さん!

 なんで千穂さんのお父さんが逃がし屋なんかやってるの!?

 借金作って家族を捨てて逃げたんじゃ?

 そのせいで千穂さんも千穂さんのお母さんも大変な目にあったんじゃないの?」


と声を荒げる。

 男は少女の言葉を聞き、苦笑しつ言葉を紡ぐ。


「まぁ、その辺は本人に聞いた方が良いだろう。

 な、逃がし屋さん」


 その言葉に逃がし屋がため息を一つ吐くと、ポツリポツリと語り出す。


「それが私にも良く分からないんだ……

 何故かいつの間にか莫大な借金を背負わされ、このままでは首を括るしか無いという時に、昔世話になった人が現れてな……

 その人は俺に家族の前から姿を消せと、そうすれば借金は全て肩代わりしてやると……そう言われたんだよ」


「だが、実際は借金はそのまま家族に、嫁さんは身体を壊し入院。

 娘に至っては母の治療費を稼ぐため身売り……と」


 男がそう言うと、初老の男は力なく笑う。

 そして、 自嘲気味に呟く。


「そうさ……。

 まさかそれに気付いたのが裏商売に手を染めて、娘がそれを頼って来たときだなんて、なんて笑えん運命なんだろうな。」


 その表情には疲れ果てた老人の悲哀が浮かぶ。

 男はその姿を見ながらも、ただ一言だけ口にする。

 それは慰めでもなければ同情でもない。

 ただ事実を確認すべく発せられただけの無機質なものでしかなかった。


「そしてアンタは娘を逃がすために組織と手打ちにしようと交渉した訳だ」


 そう言われ、逃がし屋は一瞬だけ目を瞑り口を開く。

 そこに後悔の色は無い。

 あるのは諦観のみ。


「……ああ、そうだ。

 殺された男は組織の中でも嫌われていた。

 それでも奴が力を持っていたから誰も手を出せなかった。力の源がその手帳だよ。

 奴らは男が殺された事よりそれが持ち去られている事を問題視してたんだ。

 それさえ渡せば、千穂には……娘には手を出さないと奴らは約束した」


「まぁ彼女はこれの価値には気付いていなかった筈だ。

 あくまで逃亡資金のついでに持ち出したんだろう」


 男はそう言って、手に持っていた手帳を初老の男に渡す。

 初老の男は黙ってそれを受け取り、パラパラと中身を確認すると


「間違いない。確かに……」


そう小さく呟いた。

男はそんな初老の男に、 淡々と告げた。


「じゃあこれで依頼達成だな。

 報酬は伝えた口座に振り込んどいてくれ」


 そのまま男は少女を連れ立ち去ろうとする。

 だがそれを逃がし屋は呼び止める。

「待ってくれ!」


 男は足を止め、振り返る。

 そこには懇願するような初老の男の姿があった。

 男は静かに男を見つめ返す。

 暫しの沈黙の後、初老の男が呟く。


「その子はアンタの娘なんだろ。

 父親として私の事をどう思う……」


 男は少し考える素ぶりを見せると、 初老の男を真っ直ぐに見据えて答えた。


「さぁな。

 それはアンタの娘に聞くべきだ」


 そう言うと男は少女を連れて、その場を後にした。

 後には逃がし屋、タチバナミノルのみが残される。


「……今更、どんな顔をして会えば良いんだ」


と、呟く一人の哀れな男が。


****


「ねえお父さん」


 少女は隣で駅の通路を歩く父親に声をかける。


「何だ」


父親はぶっきらぼうに答える。

しかし少女は気にする事無く続ける。


「その手帳どうやって手に入れたの?」


「ああ、摺った。

 彼女がチンピラに連れてかれそうになった時にな」


その言葉を聞いて少女は呆れたように言う。


「摺ったって、お父さん。

 なんでそんなこと出来るのよ?

 まさか他にもやってないでしょうね?」


 まるで犯罪者でも見る目付きだ。

 そしてその視線を向けられた当人はと言うと、全く堪えた様子もなく歩き続けている。

 それを見て少女はため息を一つ吐き


「まぁ良いわ。

 それより、問題も全部解決したと思うとお腹空いちゃったわね。

 何か食べましょうよ」


と、男の手を引きズンズンと足を進める。


 男はそれに対し、


「なら、駅蕎麦にしよう!

 車内ではああ言ったが落ち着いて食べる駅蕎麦も中々乙なもんだ」


と返しながら心の中で


(疑惑がまだ一つ残ってるんだが。まぁ、それを聞けるのはもう閻魔大王くらいだな……)


と、呟く。


 ……こうして父娘は街を歩く。

 そしてまた何処かの街の片隅で、時に騒がしく、時に切ない物語を紡いで行くのだろう。


 だが、今はただその一時を楽しむだけだ。

 二人並んで仲良く蕎麦屋の暖簾を潜っていく背中には、確かな幸せが感じられるのだった。

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