第98話 日本での自分が非力すぎる件


 売店で玲那に頼まれたスポーツドリンクを購入して、エレベーターに乗ろうとエントランスに戻ろうとすると、オレの方を向いている黒い外套の人物の姿が視界に飛び込んできた。


 外套が身体のラインを隠しているため、男であるという確信を抱くことができずにいる。


 オレは咄嗟にスマホを取り出して録画しようとするが、外套をきた人物は目深に被った外套の奥で口の端をニヤリ動かす。


 次の瞬間、その人物はその場から掻き消えるように姿を消した。


 まさか……あの外套野郎がいるということは……。


 ホテルのジムで遭遇した時と同じことが……。


 心配になったオレは人で溢れかえる病院のエントランスホールを見回した。


 ベンチで腰を掛けていた親子連れの足元に怪しい紙袋を発見する。


 くっ! 爆発物かよ。


 パニックになるけど、ここにみんながいたら犠牲が大きくなる。


 退避を促すべきだ。


 異世界のエルクラストで派遣勇者として害獣と戦ってきたことで培った危険感知の経験があの紙袋が怪しいと告げている。


 日本ではチート能力を使えないが、それくらいの想像力はもちあわせているつもりだ。


「おいっ! そこのベンチの下に爆弾があるぞっ! みんな逃げろ!! 早くっ!」


 病院のエントランスにいた人達が一斉にオレの方を見て怪訝そうな顔をした。


 中には露骨に迷惑そうな顔でオレを睨みつけている人もいる。


「だからぁ!! そこの紙袋が爆弾って言ってるだろうが! 死にたくないなら逃げろって! そこのお母さんっ! 貴方の足元に紙袋が落ちてるのが爆弾だから早く逃げて!!」


 エントランスで騒ぎ始めたオレを見た病院の職員が、警備員を呼んでこちらを排除しようとしてくる。


「君! そんなことで騒ぎを起こしてどうするつもりだね。ここは病院だよ。威力業務妨害で警察呼んじゃうよ?」


 年配の警備員のおっさん二人がオレをつまみ出そうとする。


 オレは激しく抵抗して、なおもエントランスにいる人達に退避するように警告をした。


「だから! そこに爆弾があるから早く逃げてくれって言っているだろうがっ! あんたらも警備員なら避難誘導しろよっ!」


 黒い外套の人物がいたため、確実にこの場所に爆弾が仕込んであると思い、必死でみなに退避するように促す。


 だが、誰一人聞く耳をもたずにスマホを弄ったり、TVを見たりしてオレ無視した。


「本当にあるんだって!!」


 オレが警備員を押し切って親子連れのベンチの下にある紙袋を取りに行こうとする。


 しかし、手遅れのようで紙袋が破れ、激しい光とともに爆風がオレの頬を激しくく打った。


 ついさっきまで日常の病院風景が、一変して阿鼻叫喚の場に早変わりする。


 ベンチの真下にいた親子連れは全身に火傷を負って母子ともにピクリとも動かずに倒れ込んでいる。


 周りにいた人達も爆風で割れたガラスやベンチの破片が身体に突き刺さった人達がいて、死にかけている人があげるうめき声がエントランス内に響き渡った。


 く、くそう。


 このバカ警備員がオレを押さえつけなかったら、廃棄できたかもしれないのに……。


 地獄絵図に早変わりした病院が日本であることをすっかり忘れて、自分で傷を癒そうとする。


 エルクラストにいる時に使える魔術は、ここでは発動させることができなかった。


「おいっ!! 怪我人が多数でてるぞっ! 医者と看護師呼んできてくれ! あと消防にも警察にも連絡を頼むっ!」


 騒ぎを聞きつけて集まってきた職員や患者達に指示を出すと、オレは近くにいた無傷の看護師を連れて重傷者の近くへ移動した。


「看護師さんっ! 医者がくるまで応急処置を頼むね」


 一番の重症と思われる母子を看護師に託す。


 託された看護師は蒼ざめた顔ながらも頷いてくれた。


「は、はい。分かりました全力を尽くします」


 すぐに母子のバイタルを測り始めたため、二人を看護師に任せ、軽症の人がパニックに陥らないように無事だった者に声を掛けさせてケアをさせていく。


 人海戦術でこの場を落ち着かせないと、酷いパニックが起きかねない状況だった。


「いでぇええ、俺の足が変な方向に曲がってる」


 隣で足を抱えてうずくまっている青年に声を掛けて安心させる。


「よかったな。足だけで、首がつながっていたら、ここは病院だから早々死なないで済む」


「けどよぉお、いてえええんだぜ」


「痛いならまだ生きてる証拠だ。死んでいたら痛みは感じないから大丈夫っ!」


 青年は悪態をつきながらも、痛みに耐えて医者や看護師が来るのを待った。初期にパニックに陥らなかったため、何とか負傷者達も宥めることに成功した。


 しばらくして応援に駆け付けた救急外来の医師達により、すぐに診断され重篤度で優先度が割り振られていく。


 くそっ! くそっ! なんでみんなオレの言葉を信じなかったっ! 


 爆弾があるといったじゃないか! 勇者の力があればあんなことは起こさせなかったのにっ!!


 病院のエントランスを見回して数十名の怪我人が出ているのを見ると、自分の力に対する中途半端さに苛立ちを覚えた。


 本当にこんなことを起こさせなかったのに……くっそおおおおっ!


 その後、重傷の母子はすぐに緊急手術となった。


 幸い、重傷ではあるものの一命はとりとめ、死者こそでなかったが、負傷者五四名、うち軽症者三〇名、重症者二四名という事件になった。


 警察からは爆弾の発見者だったということで、かなり疑われ警察署に任意同行されたのだが、クロード社長や東雲さんが警察幹部に手を回して、この件を機密指定させたため、即日解放された。


 クロード社長は苦笑いしながら『柊君がグレたと聞いたから迎えに来たよ』といって警察まで迎えに来てもらった時には、ありがたくてちょっとだけ泣きそうだった。


 だけど、この病院での事件によって、オレの心の奥に日本での無力感に対するモヤモヤした物が鬱積することになった。

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