第97話 妹にイラナイ子扱いされる兄の立場を考えてくれ


 その後、救護室で重症だと判断された玲那は救急車に乗せられて、近くの病院に担ぎこまれることとなった。


 緊急で行った検査の結果、アキレス腱断裂との診断が下り、玲那のスポーツ選手としての今後を考えて、そのまま緊急手術だった。


 今まで怪我らしい怪我をしてこなかった玲那であるが、あまりにも大きな怪我であり、手術こそ成功したが病室で麻酔が効いて寝ている玲那を見てお袋が泣き崩れているのを見ているのが辛かった。


 その日はお袋が病院に泊まり込むため、俺達は実家に戻って玲那の入院準備をすることにした。


 その際も、エスカイアさんと涼香さんに色々とお任せしてオレは何一つすることもできないでいた。


 憎たらしい妹ではあるが、レースで選手生命に関わる怪我を負ったことに改めてオレ自身が動揺を隠せないでいる。


 あの玲那が走れない姿なんて想像できねえ……。


 暇さえあれば走ってた奴が、傷が癒えるまで松葉づえ突いて病室で我慢できるんだろうか……。


「翔魔様、とりあえず玲那さんの着替えと入院セットは準備できましたわ。明日、お持ちしましょう。それと、会社にはわたくしから休暇申請の延長を出しておきます。今の翔魔様の顔ではとても仕事になりそうにありませんわ」


 エスカイアさんが半ば放心状態のオレの頬に手を添えてこちらを見た。


「そうね。とっても酷い顔してるわよ。仕事の方は私と聖哉君がいれば何とでもなると思うから、エスカイアさんと一緒に玲那ちゃんとお母さんのケアをしてあげて」


 涼香さんもオレを心配そうな顔を覗き込んでいるが、今回ばかりは彼女のかけてくれた言葉に甘えさせてもらうことにした。


 日本にいる以上、オレが玲那にしてやれることは何もないが傍についておいてやることはしてやりたかった。


 虐げられていたとはいえ、自分の家族であり、妹である玲那が不安を感じないように寄り添ってあげるのも兄としての務めだと思う。


「すまない。涼香さん。恩に着ます」


「仕事はいいから。傍についていてあげなさい」


 オレは涼香さんに頭を下げる。その夜は玲那の怪我のことで頭がいっぱいとなり、ほとんど寝ることができずにいた。


 翌日、玲那を着替えを持ってエスカイアさんと一緒に病室を訪ねる。


 お袋は寝てないようで目の下に隈ができていたため、交代で家に戻って仮眠を取ってもらった。


「兄さんとエスカイアさんか……私もついにやっちゃったなぁ……兄さん達は聞いてるよね? 私の傷のこと」


「ああ、アキレス腱断裂だろ? 聞いてるさ……。でも、手術は成功しているから、リハビリに専念すればきっと良くなるさ」


 オレの言葉を聞いた玲那は力なく笑った。


「リハビリしている間に衰えた筋力を取り戻すまで、どれくらいかかると思っているの? 兄さんは……」


 玲那の怪我はスポーツ選手としては致命的な怪我で、元のように走るには膨大なリハビリ期間を必要としていることはオレでも理解していた。


 リハビリ中に落ちた筋力を取り戻すのに倍以上の期間がかかるらしい。


 これまで、怪我も無く走り続けていた玲那がそれだけの期間を我慢できるのだろうかという不安もある。


「知っているよ。昨日、医者にも聞いた」


「じゃあ、今季絶望も知ってるわよね」


「ああ知ってる。大学の監督が話してた」


 治療後もリハビリなどを考えると玲那の今期のレース復帰は絶望だと思われる。


 大学では最後のレースになったが、玲那は実業団からも誘いがきているので、ゆっくりと治療に専念して怪我を直し社会人でもランナーとして復活できるはずである。


「大学の試合は終わったかもしれないけど、お前にはその先があるだろ? 監督からもシッカリと直せと言われなかったか?」


「言われてるわよ。しっかり、時間かけて治してこいと連絡受けた」


「だったら、大人しくしておくしかないだろ? 親父は仕事で抜けられないし、お袋も家のことがあるからしばらくはオレが会社休んでやるよ」


 話している最中、玲那の視線はオレではなくずっとエスカイアさんに注がれていた。


「わたくしも玲那さんのお世話をさせてもらいますわ。翔魔様の妹であればわたくしの妹同然ですので……。お母様もお疲れのようでしたので、わたくしが色々とさせてもらいますけどよろしいかしら」


「エスカイアさんが面倒を見てくれるなら、兄さんはイラナイ子だわね。エスカイアさんに甘えていいですか?」


 玲那はオレよりもエスカイアさんの介護を受けたいと言い始めた。


 人がせっかく気をつかって面倒をみてやると申し出たのに断るとは、妹とはいえ人としてどうなのさ。


「むぅ、オレはイラナイ子だと」


「そうね。兄さんがいたら落ち着かないし、色々と頼めないでしょ! それぐらい察してよ! 本当にそういう鈍感なところがダメなのよね。エスカイアさんもそう思わない?」


 玲那は何かしら怒っているようだが、怒っている理由が理解不能である。


 いわれのない怒りはゴメンこうむりたいぞ。


「そういうところも含めて翔魔様は素敵な人ですよ。フフフ」


 エスカイアさんは妹が怒っている理由を察しているようだが、なんだか笑っているだけで、オレには教えようとしてくれなかった。


 ちょっとくらいヒントをくれても罰は当たらないと思うのだが。


「そうだ! 兄さんは下の売店でスポーツドリンク買ってきて。ほら、はやく」


 玲那が犬を追い払うかのように手を払うので、仕方なく病室から出て一階の売店に行くことにした。


 その途中でお袋から聞いた玲那の入院期間は二週間ほどであるため、休暇の延長申請を会社に連絡しておいた。二週間の休みの申請をしたら嫌な顔されるかと思ったが、クロード社長からはお見舞いの言葉とともに自分も見舞いに行きたいと申し出てくれた。


 けれど、クロード社長にビックリして玲那の怪我が悪化するのを避けるため体調にお断りさせてもらうことにした。


 クロード社長には感謝しかないけど、せめてあの強面でなかったらなぁと思ったりもする。

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