第33話 クロード社長の正体が不明すぎる
社員寮に帰り、着替え終えて迎えに来たハイヤーに乗り込むと、ハイヤーは赤坂の一ツ木公園の近くにある京風懐石の超高級料亭である『翡翠庵』の前に停まった。
オレはハイヤーを降りて、懇親会が行われる会場の前で立ち竦んでいた。
この『翡翠庵』は、政治家御用達と言われる『超』が付くほどの高級料亭で、数年先まで予約が取れない状況であると、涼香さんが教えてくれていた。
オレも目の前に広がる趣のある店構えにかなりの焦りと動揺を感じている。
こんな店で飲み食いしたことねえよ……。
これって、アレだろ。政治家同士が密談する時に使う店だろ。うちの社長は、なんでこんな高級料亭を予約なしで使えるのさ。
ますます、もって怪しい人すぎる。
「ほほぅ。綺麗に整えられた庭園じゃのぉ。綺麗ではあるが、ちと小ぶりの庭園で妾は寂しさを感じるのじゃ」
見た目小学生にしか見えないトルーデさんが、店の日本庭園を覗いて感想を漏らしていた。
オレにはアレのどこが良くて悪いのか、理解ができない代物である。
とりあえず、わかっている感を出して誤魔化すことにした。
「さぁ、クロード社長がお待ちですから、皆さん行きますよ」
東雲女史と会談した時も外資系高級ホテルに気後れなく入っていったエスカイアさんだったが、今回の超高級料亭『翡翠庵』にも常連客のように気後れなく、そこらの料理屋に入るように平然と入り口をくぐっていく。
「ひ、柊君。エスカイアさんって、もしかしてセレブかしら? あっちでも国家主席の娘だし、お金持ちなのよね? きっと」
「た、多分ね。そうなんだと思うよ。ここって、一席ウン十万円とかでしょ?」
「二人ともなにをゴソゴソ言っておるのじゃ。早くしないとエスカイアに置いて行かれるぞ」
「「は、はい。今行きます」」
俺達は政治家御用達の超高級料亭に潜入することになった。
入り口では女将の出迎えを受け、今日はオレ達の貸し切りとなっていると聞かされ、仲居さん先導で奥の座敷間に通されると、クロード社長がすでに酒杯を呷っていった。
「遅かったね。道が混んでいた? 遅いから先にあけさせてもらったよ。とりあえず、きょうの懇親会は貸し切りの無礼講だし、芸者さんもコンパニオンも呼んで―――」
酒杯を呷っていた部屋の中でもサングラスを掛けたイカツイおっさんの鳩尾に拳が三つ、打ち込まれていた。
なんとか酒杯を持ち続けたクロード社長は、空の手で鳩尾を押さえると悶絶し始める。
「クロード社長。翔魔様に変な遊びを教えないでください。翔魔様は立派な『派遣勇者』を目指すと断言されるほど、ピュアな方なのですよ」
「そうね。さっき、私達もトルーデさんに叱られた所だし、柊君に変な遊びを教えちゃダメですよ。クロード社長っ!」
「翔魔……こういった汚い大人にはなってはならぬのじゃ……カッコいい『派遣勇者』になりたいならじゃがのぅ」
三人とも顔が真面目モードで非常に怖いのだが、クロード社長に関しては、あの程度では死なないことは確認済みなので放置することにした。
会社の懇親会だからって、参加メンバーが女性の方が多いのを知っていて、芸者さんやコンパニオンを呼ぶと、どうなるかくらいわかると思うのだが……。
この社長はそういった所の配慮が足りないというか、デリカシーが無いというか……。
「ゴホ、ゴホ、お三方とも激しいコミュニケーションを求めてくるね。私も、いい歳だから身体が持つか―――」
完全に逆鱗に触れたクロード社長は三人によって沈黙させられた。
その時、襖をあけて現れたのは、挨拶で出迎えた女将であった。四〇歳代の女性であるが、和服を着た姿に気品が感じられて落ち着いた佇まいを見せていた。
「あら……クロード社長。歓迎会とはいえ女性の方もいらっしゃるのだから、芸者とコンパニオンはやめておいた方がいいですよと、あれほど忠告させてもらったのに」
女将は座敷に倒れ込んでいるクロード社長を介抱していく。
「女将さん、クロード社長を甘やかさないでくださいね。付け上がりますから」
エスカイアさんは女将さんと顔見知りのようだ。
「でもこの『翡翠庵』は、『(株)総合勇者派遣サービス』のグループ会社ですし、それにクロード社長を放置するのも可哀想ですよ」
「グループ企業ですか!? この『翡翠庵』が?」
日本の超高級料亭が、『(株)総合勇者派遣サービス』のグループ企業なんて意味わかんねー。
クロード社長って何者なんだろうか……。エスカイアさんも教えてくれないし。
「このお方は本当に凄い人。何十億もあった借金が積み重なったこの『翡翠庵』を債権ごと買い上げて、たった一年で黒字化させてしまった人なんですから」
気絶したクロード社長を膝枕している女将であったが、目の前で口から涎を垂らして伸びているサングラスを掛けた筋肉ダルマの中年オヤジが敏腕実業家だと言っている。
「女将さんの言う通りなんですけどね。クロード社長はふざけているように見えますが、割と仕事の時は真面目なんですよ。ただ、お酒の席と女性が好きなのが玉にキズですけど」
社長の秘書みたいなこともやっていたエスカイアさんは、クロード社長の仕事ぶりを肌で知っていた。
オレのイメージはというと、いつも怪しいサングラスを掛けた筋肉を纏ったイカツイおっさんでしかない。
「このデリカシーの欠片もない社長がねー。なんだか、信じられない」
涼香さんも社長との面識は余りないので、オレと同意見の様子だった。
「そうかのぉ。外遊中に各国の旧知の首脳達にこやつの評価を聞いたら『強欲クロード』と呼ばれて、恐れられているそうじゃぞ。なにやら、恐ろしく吹っ掛けられるとか。まぁ、依頼側にも大いに利益が出るそうだがな。けど、もう一つの顔もあるそうでな『慈悲のクロード』と言われ、派遣勇者業で稼いだ資金で各国の教育機関や貧民支援組織に多額の寄付をしているそうなのじゃ」
トルーデさんが外遊の際に色々と各国の首脳と話し合っていたのは、そういった情報も収集していたのかと感心してしまった。
それにしても、この目の前のマ〇ィアの首領にしか見えないおっさんだが……。胡散臭い。
「グフっ、グフゥ……澄花……私はどうして殴られたんだろうね。意味が分からないよ。私も結構年だからね。みんなもその辺り気を付けてくれたまえ」
「でも、日々のトレーニングは欠かさないのでしょ? 暇なお時間を見つけてはジムに通いつめておられると、聞いてますよ」
クロード社長に澄花と呼ばれた女将がプライベートをばらしていた。
確かに日々鍛えていないと、腹筋は割れないだろうし、上腕の筋肉の張りも維持できないと何かの本か雑誌で読んだ気がしている。
「いやー。私のプライベートをばらしちゃマズいよ。ただでさえ、高級クラブで飲み歩いていると思われているのに、そのうえ毎日ジム通いしているのがバレたら、働いてないのが丸わかりじゃないか」
「ほほぅ。クロード殿は部下を働かせて、自分は楽をされるのじゃな……」
「トルーデ様、私がそのようなことをするわけありませんでしょう。日々、社員たちが路頭に迷わないで済むように、心を鬼にして関係各所との折衝を行っているのですぞ」
ズレそうになっていたサングラスを直したクロード社長が席に戻って手酌で酒を飲み始める。
その姿を見ていたニコニコと笑顔の澄花さんがポツリと呟く。
「クロード社長はとても接待で忙しそうにされておりますからね。この『翡翠庵』も御贔屓にして頂いてますし。おかげで今期も増収増益になりそうですよ」
「ブゥウウウーーー」
クロード社長が手酌で飲んでいた酒を座敷に噴き出していた。
こうして、オレ達の懇親会は超が付くグループ会社の高級料亭で始まったが、出されてきた料理が美味いのと、酒も今まで自分が涼香さんと飲んでいた酒とは次元が違う美味さのもので、カパカパと水のようにあけていってしまった。
懇親会はクロード社長やチームのメンバーとの関係をより良くするために十全の機能を果たしてくれた。
懇親会が終わるとクロード社長にもう一軒付き合わされそうになったが、エスカイアさんが呼んでいたハイヤーに拉致され、社員寮に帰ることになった。
これで、これから二週間はインターバル休暇というので、何だか学生のままのような気もする。
「さて、美味しい料理と酒を飲めたし、部屋に帰って寝るかぁ……」
管理人さんの事務所を通って寮に戻ろうとすると、入り口で誰かと肩がぶつかった。
「おっと失礼。あっ、これは翔魔殿であったか……懇親会お疲れ様です。私はこれで、ご無礼しますので、夜勤番と交代させてもらいますよ」
肩がぶつかったのは柔和な笑顔を浮かべる白髪のおじいさんで、この社員寮の管理人さんを務めている土方重道さんその人だった。
六〇歳は越えたと言っている身体は、細いが上着の隙間から見える箇所は筋肉の層が積み上がった肉体を保持しており、ぶつかった時でもこちらが弾き飛ばされそうな勢いだった。
「重道さん、今上がりですか? 今日もお勤めご苦労様です。帰り道は気を付けてくださいね」
「わざわざ、ご丁寧にありがとうございます。翔魔殿も明日から休暇だとお聞きしておりますから、また外出の予定があれば、お教えくださいませ」
「あ、はい。分かりました」
オレが返事をしたことを確認すると重道さんは足取り軽く、玄関を出ていった。
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