第23話-腹中へ飛ぶ-

景色が後ろに流れる。心地よい風を感じながら進んでいく。赤ん坊に弄ばれた館の跡地。

藤と出会った山。

ドグラ・マグラと戦った湖。

湿地の風景全てが一瞬のうちに消えていく。

やがて馬タウロスが走るのをやめて止まった。

「ここからは1歩ずつ、確実に行く。」

そう言いながら前足を1歩踏み出す。

すると足元の湿地から影が伸びて馬タウロスの足元に絡まった。

「む…」

「大丈夫か?」

「どうやら自動防御も兼ねているらしい、足に巻きついている影が肉を溶かしている。見ろ。」

見下ろすと影が巻きついた箇所から肉が焼ける匂いがしてかすかな煙がのぼった。痛みに僅かに顔を歪めている。

「その、大丈夫か?なんなら少し休んでも…」

不安そうな桜鬼の声を、馬タウロスは首を振って一蹴した。

「約束は果たす。何としてもお主らをあの場所に連れていく。それが我々の責務…ッ!!」

「この程度、心配は不要だ。閻魔様以上に恐ろしいものなど…」

「我々には存在しない!」

馬タウロスは前足を振り上げ、強く地面を蹴った。

再びかけ出す。影が粘着するのも構わずに、むしろ先よりも強い力で地を蹴って進んでいく。

「私の足に変わろう、兄者。」

馬頭首の腕のうち2本と焼けた足が引っ込み、瞬時に新しい足が生えた。まだ無事な兄弟の部位と入れ替わったようだ。

走る、走る、走る。

足が焼ける度に新しい足が生え変わる。苦痛の声も表情も出さずに馬タウロスは湿地を砂浜に向けて突き抜けていく。

しばらく走り、湿地帯を抜けて砂浜に出ると影はもう伸びてこなかった。馬タウロスが歩みを止め、後ろからくっついていた藤も翼を消して砂浜に降り立つ。

「ここまで来れば良いだろう、砂浜にも前方の橋にも呪いの気配は無い。」

馬タウロスが合身を解いてもとの三人衆となってゆっくりと座り込んだ。

三人全員が足に負傷を抱えていた。桜鬼がかがみこんで心配そうに覗き込む。

「ありがとう、おかげでここまでこられた。ホントになんて言っていいか…」

「礼は不要だ、そちらの恩に対して報いたまで。」

「そっか…これで俺たちの願いは叶ったんだけど…お前らは、その…」

口ごもる桜鬼に大兄者か笑うように口の端を上げ、桜鬼の意思を汲み取って答えた。

「仏様の加護でどんな願いも叶えられるのは1度だけ。だが力は失ったが再度受肉した以上、また消える、ということは無いぞ。我々は元主の閻魔様には見限られた身、桜鬼殿が望むならば我々三人このままお供する気はある。」

「ホントか!」

パッと顔を輝ける桜鬼に次男、三男の馬頭首も頷く。

「もちろんだ、邪悪な主なら捨ておいて放浪しても良いが、桜鬼殿が主ならこのままお供しても良い、というのが昨晩我々が出した結論だ。」

「だがこの足では今は共には行けぬ、悪いが先に行ってくれぬか。」

「そうしたいけど、もうロームの本拠地だし、このまま放っておく訳にも…」

それなら、と藤が名乗り出る。

「連絡用のカラスも私に追従してるし、何かあれば翼で飛んでいける。私が作った傷薬もあるから、任せて。」

「む、傷薬は有難いが馬油バーユ由来のものはやめてくれ。姿形が近いから気まずい。」

「こんなになっても要求だけは一丁前なのね…さ、ここは任せて行って。」

「あぁ、頼む。」

藤に背を向け、桜鬼、ゼツ、フォウルの三人が橋へ向かう。橋への階段を数段上り、滑らかな大理石で作られたタイルを踏みしめる。

と、その時──

「な、なんだ!?」

異常を感知したのは桜鬼だけではなかった。

景色が溶けて後方にへ、水が流れるように飛んでいく。

ゼツもフォウルも同じ景色を見ていたようで空を、周囲を慌てて見渡している。

しかしそれも一瞬で、気がつくと20メートルほどもある城塞の扉が大きく目の前にそびえていた。

「…招かれたと思うか?」

ゼツが訝しげに二人に聞く。

「あぁ、馬頭首たちも橋に呪いは無い、と言っていた。となれば、考えられるのは──」

「あの女が呼んだ、ってことだよな…」

桜鬼が唾を飲む。かつて対峙した時も、ロームは全力ではなかった。故に懐に飛び込んだのを実感すると体が強ばらずには居られなかった。フォウルやゼツも同様だった。

扉が開く。重く、石が擦れる音がしてやがて開ききった。

「なんだ…ここ…」

建物は神々しく光を放っているようだった。

桜鬼達の世界が曇っていたのに対し、空には煌々と太陽が浮かび、当たりに陽光をばらまく。

だが桜鬼達の目はそこらじゅうにひしめく怪物たちに集中していた。

形容しがたい不格好な怪物がまるで人間のように生活している。出店で買い物をし、世間話をする。

人間であれば幼子であろう怪物がじゃれるように遊びあっている。

「久しぶりだね、お兄さんたち」

聞き覚えのある声に身構える。声の主は空間をゆがめて桜鬼たちの前に立っていた。

──マグラだった。







「お久しぶり」

かつて三人と渡り合った(最もフォウルは変化形態であったが)マグラ。桜鬼とゼツ、フォウルの連携でボロボロにさせられたはずの怪物がそこにいた。

唯一元の姿出で悪夢を植え付けられた桜鬼はトラウマに胃を痙攣させてしまったが、弱みを見せつけまいと脂汗をかいて耐えた。

「テメェ、性懲りも無く…!」

とゼツが右手を伸ばすが、マグラはフッ、とその場から消えた。動作を中断して驚きに目を開くと、

「僕達はやり合う気は無いよ」

後ろから声がして三人が振り向くと、閉まる扉の前、三人との間にドグラが現れる。

「お姉さんにあなたたちの案内をするように頼まれてるからね」

「本当なら僕たちが食べたいんだけど」

「お預けされちゃってるから」

「今はまだ食べない、手を出さない」

「それが僕たちの主」

「ロームとの約束」

ドグラからマグラへ、右から左へ、前方から後方へ。片方ずつ、時に二人同時に現れながら戦う意思がないことを告げた。

やがて元通り一人になると両手を無邪気に両手を広げて再び三人の前に立った。

「テメェらにその気がなくてもコッチはいつだって暴れられるんだからな」

眉を釣りあげてゼツが睨みつける。

「またこないだ見たいに粉々にしてやろうか?」

「やってみる?」

返答が終わる前にゼツの影は地を走って伸びたが、マグラは既にそこにいなかった。

「残念でした」

ドグラの声が右から響いた。

怒りでゼツの眉がピクピクと動いている。

「僕たちは残念ながら悪魔のお兄さんひとりでやられちゃうからね」

「だから尚更やりあわないの」

「それにここでやり合うのは得策ではないよ」

「怪物たちの好物は弱者」

「ひとつひとつはお兄さん達より弱いけど」

「集まればお兄さん達でも倒せちゃう」

「これだけの数がいたらたちまちお兄さん達は飲まれちゃうよね」

「数の暴力ってやつだよ」

またもや入れ替わり立ち代りで翻弄してくる。からかわれることに慣れてない桜鬼もだんだんイライラしてきた。

確かに神の力を持ってしても、無数に蠢く目の前の怪物を一瞬で消し去るのは難しい。群れに揉まれ、飲み込まれてしまっては完全に実力を出し切れないだろう。

何よりロームを倒すという本懐を前にして余計な消耗は避けたかった。

この場に置いても冷静なフォウルか二人に耳打ちしてきた。

「桜鬼殿、ゼツ殿、ここは委ねる他あるまい。もう既に敵の本拠地、無闇矢鱈に暴れ回って下手にこっちが損耗することは無い。」

「わーってるよ、ンな事ァ。」

吐き捨てるようにゼツも声を潜めてボヤく。桜鬼も頷く。

「あぁ。腹立つけど、ここはあのガキに任せる他ないな。」

桜鬼がマグラに向き直る。

「わかった、お前らがそうなら俺達もやり合う気は無い、お前らの主の所へ案内してくれ。」

フフッと笑ってマグラが背を向けた。

「思ったより物分りがいいんだね。いいよ、着いてきて。」

兵隊のように手足を振って歩き出すマグラに桜鬼達も続いた。怪物たちの間を塗って大通りを進む。

怪物達は見慣れない人間を見てはひそひそと何かを囁いているが、聞き取れない。舌なめずりをするものまでいる。

やがて終点、宮殿の麓に辿り着く。長く大きい階段が伸び、その先にはまた大きな扉があった。

「さぁ、後はどうぞ」

マグラは召使いのようにうやうやしく礼をする。

少し間を置いて、一歩ずつ階段に足をかける。

「警戒を切らすな。何をされても落ち着いて対処すればなんてことはない。今の桜鬼殿なら対等にわたりあえる筈だ。」

「分かってる。」

フォウルの言葉を背に進む。やがて扉の前に立つと、城塞の扉と同じく自動的に開いた。


中は暗い。思い切って中まで入ると扉がバタンと閉まった。三人とも身じろぎすらしない。暗い中をさらに歩いていく──

青い火が灯った。ほのかにテーブルが見え、やがてテーブルの中程に備え付けられた燭台に次々と火が灯る。

「やぁ、あの時以来だね。」

女の声が響く。

「待ってたよー?」

テーブルの奥。三人の正面には──ロームが腰掛けていた。



To be continue…

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