第20話-鬼神、立つ-
ゼツは空中を疾走していた。その表情にはイラつきと緊張が走っていた。
後方を見返すと、湿地の木々の合間に黒い影が見え隠れする。引き離してもまたすぐにゼツの少し後ろにピッタリと張り付いて離れない。
「厄介なのに目をつけられたな…こんなのがうろついていやがったとは迂闊だった…!」
直後に鳥の鳴き声が頭上に響いた。危険を察知し、目を向けないまま体を回す。直後に鋭い嘴が頬を掠めた。
ゼツの頬を掠めた鳥はそのままUの字を描いて空に消えた。
「ちょこまかと面倒くさい…!」
その時正面から黒い何かがぶつかってきた。ゼツを後方から追っていたものがいつの間にか正面に回り込んでいた。
それは巨大な犬だった。口の右半分が漆のような、面の一部で覆われている。額からは角が二本、不揃いな位置に歪んで生えている。
「空中…も無理だな。」
体制を建て直し木々の切れ間から空を見上げると、大きな鳥が一瞬だけ頭上を飛んで消えた。高度を上げても鳥の速度には敵わない。空に逃げようものならあっという間に切り裂かれてしまう。
ガサガサと木々に突っ込む音が聞こえ、再び正面から尖った嘴が再度迫る。
「危ねぇ!!」
屈んでかわす。直後にヒュッ、という空気を斬る音と共に、ダーツの矢のように鳥が頭上を飛んでいく。
「あいつにこいつらをぶつけるとァあの女も考えたな…」
直後に戻ってきていた鳥の爪が、背後からゼツの肩を切り裂いた。鮮血が迸り、服の切れ端が宙に舞う。
「アチコチとうっとおしいンだよ!!」
耐えかねて空に向かって叫ぶ。鳥が旋回し再びゼツに向かってくる。今度は嘴を真っ直ぐに向け落下してくる。狙いは心臓、寸分のズレもない。
しかしゼツは当たる直前に身をよじり、鳥の首を掴んだ。へし折ろうと力を込める。
「今度は捉えッ…!?」
そう言いかけた時、頭に衝撃が走り言葉が切れた。
地面には拳ほどの大きさの石が転がっていた。
突然の出来事に鳥を離してしまい、鳥が空へ逃げていく。
イラつきながら衝撃が与えられた方向を見ると木の上に、またもや普通よりも一回り大きい猿がこちらを見て笑っていた。犬と同じく漆の面が顔の左半分を覆い、角が今度は一本、側頭部から伸びている。
「犬に猿に鳥…雉か。当然最後に来るのは…」
先程の犬が戻ってきた。その後ろには主と思しき、禍々しい甲冑を着た武士が佇んでいた──
「アイツにぶつけるのには持ってこい…だな」
ゼツの体が悪魔へと変化する。湿地が異様な熱気にうねり、空気が張りつめていく。
「急げ!あのゼツでも、もたもたしてるとやられちまうぞ!」
木々の合間を駆け抜けながら桜鬼が叫ぶ。
「人一人抱えてるとこれで限界なの!歩くよりはマシでしょ、大人しくしてて!」
もどかしそうな藤の声が正面のカラスを見据えたまま桜鬼に向けられる。
(頼む、間に合ってくれ…!)
事は数分前、桜鬼がまだ迷いの中にいる最中の事だった──
社の境内にいた一団の中にカラスが舞い降りた。
「お、戻ってきて、どうかしただか?」
カラスはこぶ鬼の肩に止まった。フォウルが近寄って尋ねる。
「こぶ鬼殿…と言ったか、このカラスは?」
「こいつはワシが関所で直接世話してるヤツだ。空世…というかここのカラスとは違って地獄で育って人の言葉が話せるだ。念の為見張りに出しといたんだが…」
そしてこぶ鬼がカラスにそっと耳を近づけた。暫く報告を聞いていたが、終わる頃にはその顔は青ざめていた。
「どうした?」
「ゼツさん…あの悪魔のお兄さんが襲われてるそうだよ。物騒な武士と配下の動物が三匹、かなり不味いらしいがよ!!」
全員に緊張が走った。皆当然ゼツは知っており、その実力も把握している。故に不利に落とされているとなれば、その相手が強敵であることに間違いは無い─
桜鬼が真っ先に駆け出した。
「桜鬼殿!」
フォウルが呼びかけるが、停止することはなくそのまま石段を飛び降り、その姿は林の中に溶けて行った。
追って藤も駆け出した。
「私も行く。足で走るより私が飛んだ方が早い。こぶ鬼、子供たちをお願い。あと道案内も!」
「分かっただ!おい、道案内に行ってくるがよ!」
こぶ鬼がそう命令するとカラスが飛び、藤の斜め前につく。
藤は炎の翼をすぐさま最大出力の青色の炎で展開し、飛んだ。二、三度はためかせて速度を上げ、桜鬼の向かった木々の中へ滑空し、あっという間に見えなくなった。
境内にはこぶ鬼とフォウル、そして子供たちが残された。
「桜鬼殿…友の為とはいえ、まだ戦う覚悟も目的も決まっていないというのに…」
不安そうなフォウルの言葉にこぶ鬼も頷く。
「…あぁ、きっとそういう人なんだろなぁ、桜鬼さんって言うのは。…それはそうと、あんたもどうか行ってくだせぇ。」
「いいのか?」
驚いてフォウルがこぶ鬼を見た。
「んだ。悪魔の兄さんに、桜鬼さん、藤さん
を含めても三人、敵は一人と三匹。騎士のお兄さんも行ってようやく対等だ。むしろ今の桜鬼さんを考えたら、あんたが行った方がええ。早く!」
「しかしそれでは藤殿の子供たちが…」
「ここはワシに任せてくだせぇ。なに、子供の世話は得意だし、いざとなったら頭突きがあるだな。警戒にここのカラスも借りるし、これでも長年生きてるだ。何とかしてみせるがよ。」
そう言って黄色い歯をニッ、と出して笑った。
「…恩に着る。何かあればすぐに伝令を寄越してくれ!」
そう言うとフォウルは剣を抜いた。足元に小さな竜巻が生まれ、次第に大きくなった。そして数歩走り出し、石段の頂点から飛ぶと、突風が吹き、その体が宙を舞って離れていった。
「皆…どうかご無事で…」
フォウルの背中が小さくなるまで、こぶ鬼はその場を離れなかった。
「あそこ!」
藤の声の向ける先で木が倒れた。激しい音がこだまする。
やがて桜鬼の目にもゼツが見えた。その姿は悪魔本来のものに変わっているがその体は大小様々な傷ができ、黒い血が垂れている。
黒い鎧を身にまとった武士が太刀をかざしてゼツと対面していた。
「ゼツ!!」
桜鬼の声に反応してゼツがこちらを見た。
「来るな!!」
直後に黒い塊が空中の桜鬼たちに突撃した。バランスが取れず突撃してきた塊ともつれあって地面に落ちる。
「クッ…」
立ち上がる二人の前には突撃してきた正体がその翼を広げて飛んでいた。ケーンとけたたましい鳴き声をあげると真っ赤な口が覗いた。
全長は1.3メートルほど、普通の鳥より明らかに大きい体に思わず二人は身構えた。
「あんたはあの悪魔のとこに行って。」
藤が鳥を見すえたまま桜鬼に言葉を向ける。
「こいつはあたしが足止めする。」
「いけるか?」
「こいつの他にもまだいるんでしょ、二人固まってるほうがまずい。」
「…わかった!」
桜鬼が駆け出す。鳥の真下を前転で抜けようとしたが、鳥の方も逃さず落下し桜鬼を掴もうとする。
だが二人の間に炎の矢が割って入った。鳥はいち早く察知し空に再度逃げ、その隙に桜鬼はゼツのところへ向かって行った。
鳥が再度桜鬼を追おうとしたが、再度飛んできた炎の矢に阻まれる。
再度の妨害にとうとう鳥は藤の方へ向き直った。
「来な。今晩は豪華な鳥鍋にでもしてやろうか。」
弓を構え、藤も臨戦態勢を整え矢を構えた。
ゼツに近づいていく。太刀が振り下ろされる度にゼツの体に傷が増えていく。影を伸ばし命令を試みるも、鎧の黒色がそれ弾く。だがゼツに致命傷はない、まだ間に合う──
そう思った瞬間、足が何かに引っかかって転んだ。構わない、また──
と駆け出した直後に今度は湿った地面に穴が空いて腰まで落ちる。
「んだよこれ!!」
悪態をついて這い上がろうとするも、上から土が降って来て思わず足を滑らしてしまった。
耐えかねて上を見ると猿がニヤニヤといやらしい笑いを浮かべながらこちらを見ていた。
「てんめえぇぇぇ!!!」
宝玉を煌めかせ、炎で降りかかった土砂を弾き、穴の中で足に力を込めて、棍棒を振りかざして思いっきり跳躍した。
近づいてくる桜鬼を
「そのニヤケ面を消してやる!」
まさに激突しようとしたその時、棍棒がツタに引っかかり、ツタが切れた。
するとそれがきっかけで罠が作動し、跳ね上がってきた別のツタの輪が桜鬼の首を締めた。驚き、棍棒は威力と速度を失って空を切った。
猿は一歩も動くことなく大笑いして手を叩いた。ツタを焼き切ろうとするも、湿地帯の水気を含んだツタは簡単には焼けない。次第に呼吸が荒くなり、
宙ぶらりんの桜鬼を見据え、手の爪を揃えて喉元目掛けて突き出す。
(やられる……!)
桜鬼はぎゅっと目を瞑った。その時に柔らかな風が吹いた。直ぐに突風に変わり、猿の枝を揺らした。足場が不安定になり、バランスを崩した猿が地面に向かって落下する。ただでは落ちず、幹に爪を立てて爪とぎのように落下していく。
風をまとったフォウルが桜鬼の首に巻きついていたツタを切った。落ちる桜鬼の体を受け止める。
「フォウル…」
「全く、話もまとまらぬうちに飛び出してしまってはどうしようも無いだろう。これではゼツ殿も苦労する訳だ。」
ふわりと着地して桜鬼を降ろす。
「しかしそれが貴殿の良いところでもあるんだろうな。さぁ、説教という柄でもない。改めて彼と向き合って話してくるが良い。」
そう言ってフォウルは猿と向き合う。
「俺…」
「今は何も言うな。動き出したなら結果を出すしかない。」
猿がまたもやニヤけた顔で爪をかざして向かってくる。
「行け!」
爪と刀がぶつかる音を後ろに聴きながら桜鬼は再度駆けだした。
「ゼツ!」
「てめぇどの面下げて…!来やがった…!」
刀をかわしながらゼツが桜鬼に悪態をついた。
これまた巨大な犬が飛びかかってきたが、棍棒で気を逸らしてまた駆け寄る。
「もう俺は付き合い…きれないって言ったハズ…だ!」
「…でもいい」
走りながら桜鬼が呟いた。
「それでもいいよ!」
顔を上げて叫び、棍棒を携えて武士とゼツの間に割って入る。太い太刀と棍棒がせめぎあう。
「俺、まだ迷ってる!仲良くしてた皆も死んじまった。今度こそ、ってゼツや藤、フォウルとか皆の為に戦ったところで、またいなくなっちまうのが怖い!」
はるか空中で藤が鳥ともみ合う。鋭い嘴が頭に当たり血が流れ、血で視界が塞がれたところに鋭い足で胸から腹が割かれ、あまりのダメージに翼が力を失って小さくなり、飛行能力が低下する。再び爪による攻撃が来る。腕でガードするがその腕も割かれ、桜鬼たちの方へ落下してくる。
「だから言っただろ、ウジウジするくらいなら……!」
「でも!このまま俺も消えて、あの村の皆がいなくなっちまった思い出も噛み締められなくなるのも嫌だ!」
フォウルの風を巧みに利用して猿が飛び回る。風で舞い上がった石や泥を掴み、風の合間、フォウルの剣の隙を縫って牽制する。即席の小道具に混じり、大きな石や、尖った太い枝等が飛んでくる。そうした攻撃に徐々に体力が奪われる。
次第に猿は枝から枝へ飛び移り、蹴りや引っ掻きといった直接攻撃へと切り替えた。腕の鎖帷子を、腰の鎧を剥がし、足には手に持った石をぶつけ、体全体を痛めつける。フォウルも切り返すが剣先をかすめることすらしない。
やがて剣の持ち手、フォウルの手ごと猿は片手で握り、全体重をかけてフォウルに馬乗りになる。
「ならどうするってンだよ!」
ゼツが叫んだ直後に気配を忍ばせていた犬がゼツの後ろから体当たりする。よろけたところに武士の太い足が桜鬼の胴体へと打ち込まれる。ゼツと共に吹き飛び、地に倒れた。
「俺は……」
犬が武士の隣に並び、武士は太刀を再び構えにじり寄る。
藤を仕留めようと鳥が嘴を矢の先のように揃える。
馬乗りになった猿がひたすら高い笑い声をあげ、爪を喉に
「俺は!!」
胸の宝玉が光り出す。
直後に雷鳴が桜鬼を撃つ。吹き荒れる突風に思わず武士が下がり、犬、猿、鳥が驚き萎縮する。
「今残った皆のために…皆が寄り添ってくれる、俺自身の為に。」
ゆっくりと立ち上がり、ゼツを守るように仁王立ちする。
「また戦う」
瞳に光を宿し、桜鬼は再起した──
To be continue…
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