第19話-埋まらない空白-
ゼツに付き合いきれないと啖呵を切られてから数時間。桜鬼は柱が折れて傾いた社の石段に腰を掛け意気消沈の様子だった。
散らかった思考が頭を駆け巡る。
「…桜鬼殿!」
声に気づいて桜鬼は重い顔をあげた。
目の前にはフォウルが立っていた。視線を桜鬼の高さに合わせかがみこんでいた。
「戻って来ていたのか、何度呼びかけても返答がないからどうしたものかと……危うく地下の世界に行くか決めかねていたところだ。手土産もある。いつ戻ってくるか分からなかった故、確保しておいた。」
フォウルが桜鬼の横に腰掛けた。片手に持っていた包を広げると馬頭首が現れた。
しかし桜鬼は喜ぶような顔をせず、むしろ今までの旅路が思い返され、辿ってきた道が正しかったのか自信が持てず、表情は沈む一方だった。
先からの様子を察してフォウルから語りかけた。
「……何があった?ゼツ殿も居ないようだが。」
桜鬼は境内での惨劇をぽつりぽつりと語った。
言葉には詰まったが、村人が殺されてしまったことも聞かせた。桜鬼が話す間、絞り出される言葉をフォウルは黙って聞いていた。
「そうか…大事な村人たちが、か…」
顔を曇らせフォウルも下を向いた。頷いて桜鬼がぽつりぽつりと語り出す。
「すげぇ世話になったし、毎日楽しく過ごしてた。みんな喧嘩とかもほとんどしなかったし、暇がありゃ祭りをやって騒いでたんだ。このちっぽけな所で…でも……それももう……俺はまたそういう日々を取り戻したくて、戦ったのに……」
「桜鬼殿はとても彼らを大事にしていたのだな。」
天を見上げ、さらにフォウルは言葉を続けた。
「…私も、かつては自分の国を治めていてな。」
「え…?自分の、国…?」
驚き見上げる桜鬼に微笑みかけてフォウルが答えた。
「いや、そんな大層な規模では無い。だがたとえそれが大きいものでも小さいものであっても、人が集い、笑い、泣き、共に生活する楽しさは何にも変え難い。桜鬼殿の気持ちは痛いほど理解出来る、それが伝えたかった。」
微笑みに僅かな悲しみと郷愁が浮かべられた。
「だが私は守るはずの戦で最後には何も無くなってしまった。民も、家臣も何もかも──私自身さえも。」
沈黙が流れる。やがて意を決したようにフォウルが強く言葉を繋げた。
「桜鬼殿、逝ってしまった人達は、もう戻らない」
フォウルは桜鬼に向き直った。先までの微笑みはなりを潜め、厳しさが漂っている。
「ゼツ殿の言うことも最もだと、私は思う。彼らの為、ひいては、意図せずとも自らの為に立ち向かうと決めたのなら。戦場を見据え、分かっていて踏み出したのなら…遂行しなければならない。確かに目標の根幹にいた者たちはいなくなってしまった。」
「だったら何のために!」
「それは背負った貴殿が考えろ。村人達も桜鬼殿を信じて命運を託したのだろう。支えとなってしまった者が居なくなったからと言って、その思いを無下にし、敗北を飲み込んでいい理由にはならない。」
桜鬼の慟哭をすっぱりと切ってフォウルが諭す。
「たとえ…これからの桜鬼殿を突き動かすものが…怒りや憎しみだとしても。それでも進んでいかなければならない。彼らのために、何より桜鬼殿自身のために。…それに。」
「……それに?」
「桜鬼殿には、新しい仲間がいるだろう。」
そう言って立ち上がり、フォウルが空を見上げた。桜鬼もつられて空を見ると、1人の人間が空から舞い降りた。
「こんなところにいたの。結構遠かったんだね。取り込み中?」
「…藤!」
空から降りてきたのは藤だった。桜鬼達との邂逅を経て体得した炎の翼を使って、住んでいる山からはるばる飛んできたのだった。
「なん、で…?」
「なんかあなたの知り合いが渡したいものがあるって言うから連れてきたの。」
藤がそう言い終わると同時に上から何かが降ってきた。
「痛ァ…空世のカラスはどしてあーも乱暴だがなぁ…」
「こぶ鬼!」
「桜鬼さん!探しただよー!」
「あんた…なんで…地下にいたはず…」
「いやぁ、お礼の馬頭首渡す前にいなくなっちめえんだもんな。ウチんとこの御二方の代わりに、ワシがここまで来て持ってきただよ。」
そう言って胸を叩くこぶ鬼。
「あ!鬼のおにーちゃんだ!」
「ほんとだほんとだ!」
「おーい、おにーちゃーん!」
子供の声を聞いて再度上を向くと、カラスの群れが網を持ってこっちに向かってくる。その網の中にいたのは藤の妹の鈴と、藤によって救われた子供たちだった。
「あれは…」
「蛇炎がいなくなって平和にはなったけど、近くに住み着いてるトカゲの化け物らはまだいるからね。流石に私だけ来る訳には行かなかったから、コイツに言って連れてってもらえるようにした。」
そう言って藤はつま先でこぶ鬼のスネを軽く蹴った。
「いや、下の方から来たらこん人のとこに出て…危うく丸焦げになりそうなところを慌てて説明したんだがよ。桜鬼さんのこと言っとらんかったらと思うと…」
ブルルッとこぶ鬼が身体を震わせた。恐らくその時のものだろうか、こぶ鬼のトレードマークのおでこのコブが、少し赤くなっている。焼かれる寸前だったのだろう。
「俺の、為に…」
「あなたの為って言うのもあるけど、それよりも恩返しのほうが正しいかも。」
肩を竦めて藤が答えた。桜鬼の胸の宝玉を指さす。
「正直割とヤバいことになってるのに、ソレあげただけじゃちょっと不足かな、って思ってたし。長年の大きな悩みをとっぱらってくれたから、こういう形で少しでも返そうと思って。…っていうかなんか増えてない?またなんか無茶したの?」
「藤…これは、その…」
ワシもワシも、会話をさえぎってとこぶ鬼が続く。
「関所の生き物も、ワシの仲間も、桜鬼さんに救ってもらったようなものだがんなぁ。こっちはたった数日のことだけんども、上のモンでもどーしようもながっだから、桜鬼さんじゃないと正直どうなってたかわがんねぇしな!ワシゃあ桜鬼さんみたいに戦えんから、こういうことしかでぎねんだ。」
「…」
二人の言葉に桜鬼は胸が詰まった。
「どうだ、桜鬼殿。貴殿にとってわずか数日の旅だが、貴殿の為に動き、集まってくれる人が居る。失うばかりが全てでは無い。終わるものもあれば、新たに芽吹くものもある。…この人も、恐らくそう言うのではないか?」
一歩下がっていたフォウルが前に来て、桜鬼に向かい合った。
「残っていた最後の力は私が使ってしまったが、せめてもの形見に取っておくと良い。」
そう言ってフォウルは懐から布に包まれたものを取り出した。そこには、ナレフの折れた直剣が姿を現した。
「これは…」
「村人達も大事な存在だったのだろう。しかし、貴殿が村人達の為に動いたように、桜鬼殿のためにも命を散らした者がいる。この剣の持ち主だけではなく、新しく縁を結んだ人も。」
桜鬼が顔を上げた。藤とその子供たち、こぶ鬼、フォウル。
「我々も、恐らくこのままではあのロームに飲まれてしまう。個々ではとても小さい力も、集えば多少の抵抗にはなろう。」
「皆は、それで…いいの…?」
まだ不安が拭えず、桜鬼がみんなに問う。
「私は元より行くあてもない。それなら運命に任せて貴殿達と共に戦う。……あの時、館の跡地で桜鬼殿達と会った時に決まっていた気がする。」
「私は、別に。この子達と妹がいて、無事で居てくれるならどこ行ってもいいよ。それに…久しぶりの、友達、だから。…助けになりたい。」
こぶ鬼は少し困ったように顎をさすったが、暫くして答えた。
「ワシは…あんまり空けてるとあの方々に怒られそうじゃが、あの事と続いてるなら、少しは力になりてぇなぁ。」
「皆…」
「桜鬼殿はどうだ?改めて問おう──今度は我々と共に、桜鬼殿と肩を並べた我々の為に。我々が大事に思う桜鬼殿自身のために──戦う覚悟はあるか?」
「俺、は…」
桜鬼は手元の折れた剣を見つめ、天を仰いだ。
彼らのため、桜鬼を思う友の為に戦えるか──だがまた失うのは怖い。
答えは返ってこない、誰も教えてはくれない。全て自分で決めるしかなかった。
「おにーちゃん、どこか痛いの?」
子供たちが手を伸ばした。気がつくと 視界が滲み、静かな涙が頬を伝った。経緯を知らない藤とこぶ鬼が心配そうに声をかけた。
「え、泣いてるの?どこか痛いの?それとも変なもん食べた?何かあったなら話くらい聞くよ。」
「桜鬼さん、どーしただ?待っててな、今傷薬やるから。関所のはよー効くぞ、ワシの腰痛もたちどころに…」
「この子に変なものやるなちんちくりん!」
「ち、ちんちくりん!?やー…確かにワシゃちんまいし、鬼らしくねぇとはワシでも思うがよ…そりゃあんまりでねが…?」
「ちんちくりんはちんちくりんでしょ!」
やいやいと言い合う藤とこぶ鬼をよそに、桜鬼は立ち尽くしたまま、静かにすすり泣く。
まだ心は迷いの中、進む勇気も、決意も無いが──
今は彼らの優しさに寄りかかっていたい。
そう思った。
Can you go forward once again…?
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