狭間-夢現-


「……っ子!鬼……!」

目を開けると突き抜けるような青空に子供の顔が重なる。

あれ。俺いつの間に神社に戻ってきたのかな。

「鬼っ子?寝てた?」

いや、少し悪い夢を見てた。

「鬼っ子も夢を見るんだねぇ。大丈夫?今日鬼ごっこする約束でしょ?」

そうだった。村の畑を耕して遊ぶ約束だったな。じゃあ早く起きなくちゃ。

「そうだよ!もうみんな待ってるんだから。早く早く。」

よーし、今日も全員捕まえるまで終わらないかんな。

そして鬼っ子は社の鳥居の下で待つ子供たちの方へ走っていく。

夕暮れ。何度見たか分からない景色だが何故か今の鬼っ子にとっては懐かしかった。長らく離れて、二度と見られない。そんな気がした。

子供たちに手を振り、寂しさを抱えながら社に戻る。帰れば相方がきっとご飯を作って待っている。飯の匂いは香らないがきっとそうだ。

そう思い帰る彼の頬を涙が伝った。何故だか分からないが拭っても拭ってもあとから溢れ出る。


意識が遠のく最後まで、その理由は分からなかった。










夢を見た。

大木の木陰に横たわっている。

うっすらと目を開けると、離れた町から丘をのぼり、少女が駆け寄ってくる。

少女は私のそばにかがみこみ、手の中のリンゴを差し出した。触手で受け取り、自らの口に運んだ。

「────────」

何か言っているが言葉が聞き取れない。

しかし返答ができないにも関わらず、一方的に少女は語りかけ、笑い、もうひとつリンゴを差し出す。受け取れない、と仕草で示すが少女はお構い無しに私の口に突っ込んだ。

「 ──────、──── 」

またもや聞き取れない言葉でクスクスと笑い、申し訳なさそうにリンゴを私の口から離した。

町のこと、両親の仕事のこと、それを手伝う彼女の今日の話。そして──彼女の想い人のこと。

言葉こそ分からないが、感覚で感じ取る。

私の反応などお構い無しに喋り続けるが、私は不思議と嫌な気はしなかった。むしろ彼女の楽しそうな様子を見ていると私まで心地よかった。

そんな様子で話を聞いていたが、暖かい日差しのせいか突如強烈な睡魔にまぶたが落ちる。少女はそれを察して膝の上に私を乗せる。優しく頭を撫で、睡眠を促す。穏やかな鼻歌が少女の口から流れ、私の聴覚をくすぐる。

「────────」

少女の声を枕に、意識は闇に溶けた。


再び目を開けると炎が燃え盛っていた。

私が横たわる大木も焼け、枝が焼け落ちてくる。

彼方の町が燃えている。どうやら戦争が始まったらしい。

男も女も。若者も老人も、赤子も。鎧を着た兵士に蹂躙されていく。臓器が飛散し、河には死体がつみ重なる。あかあかと燃える炎に、死体から流れる血の赤が重なる。悲鳴も、怒号も。まるで一つの楽器のように、炎の爆ぜる音と混じり音楽を奏でる。

しかし私の気持ちはそんなものには動かされない。そこらの人間の命など、私にとっては虫とも変わらない。しかし──

(あの女の子は無事だろうか)

唯一それだけが気がかりであった。体を起こし町に向かいたいが体は鉛のように動かない。その時、兵士に追われて誰かが駆けてくる。

─あの少女だ─

息を切らせてこちらに駆け寄ってくる。後から数人の兵士が追いかける。

大の大人の歩幅に少女が逃げ切れるはずもなく、あっという間に追いつかれてしまった。男たちは少女の衣服をはぎ取り、槍を突き立て、高笑いをあげ何度も何度も蹂躙し、犯す。

「─────!」

言葉は聞こえなくとも、助けを哀願していることは理解出来た。鉛のような体を動かし、手を伸ばす。

動け、動け、動け。動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け──


そして景色は闇に沈んでしまった。







昔を見ている。

男と女はホテルの一室で向かい合って抱き合っていた。男が動くと女の腰が跳ね、口からは吐息が男の顔に、甘い香りを伴って降りかかる。

「さい、あく、こんな幕切れ、なんて」

押し寄せる快楽の波とは反対に、悔しそうに女は顔を歪めた。男はそんな女の視線など意にも介さず無表情で女を突き上げる。

「もう、どこにも、逃げられ、ない。ここが、果て。どこに行っても、無駄。よりに、よってあんたと、一緒、とか。」

途切れ途切れに女が言葉を繋ぐ。快楽よりも、臓器を押し上げられ空気が漏れるように言葉が女の肺から紡がれる。

「ならいっそ死ぬか?」

動きを止めて男が問いかける。しばしの間二人の動きが止まり、女が悔しさをいっそう強めた視線で男を睨む。

そして急に女は男を押し倒すと、一方的に男を攻めたてた。水音と肉を打つ音、そして女の矯正が部屋にこだまする。

先に果てたのは女の方だった。上体を反らせて激しく痙攣し、男に倒れ込む。男も後に続いた。

暫くして女は顔だけ起こして男を真っ直ぐに正面から見やる。その顔は男につられたかのように無表情だった。

「……いいよ」

女の方から口付けをする。二人の舌が絡み合い、そして──

お互い同時に、勢いよく口を閉じた。

視界が白黒する。激しい痛みに二人はベッドから転げ落ちる。

──下らない人生だった──

奈落に落ちた感覚がした。

そして二人はやがて部屋で動かなくなってしまった。








景色を見ている。

男は穏やかな日差しが差し込む湖の傍で腰を下ろしている。しかしその顔に生気はなく、その命ももう微かろうそくのようであった。

「王よ」

痩せこけた老人が隣に跪く。

「……ヴェディ」

視線はそのままに、僅かに声を絞り出して老人の名を呼ぶ。

湖から女神がこちらを手招いているがヴェディと呼ばれた老人には見えないようだった。

「我が王、ここまでです」

白髪とぼうぼうの髭が動いて王に諭すように言葉をかけた。

「…長、かった。結局、民の望む王に、私は、なれただろう、か…ヴェディ。」

振り絞った力で老兵の裾を握る。

「私の、進んだ道に、迷いは、無かった…か……」

「ええ、ええ。あるはずがありませんとも。民も、あなたを信じて戦いました。逃げおおせたものも多い……いずれ王の遺志を継ぎ、国をまとめるものがいずれ、現れましょうぞ。」

その言葉に男の顔は安堵の表情を浮かべる。

そして妖精が湖を抜け出し、男を抱き抱え……

「王……?」

老兵の言葉に、返事は無かった。

後には風が吹きぬけるばかりである。






闇を進んでいる。

既にその足取りは重く、

一歩進む度に鎧がガチャ、ガチャと重い音を立てる。そして彼方何かを見つけた。

疲れた足をなんとか引きずり、それに近寄る。

正面に回りこみ、座り込んでいるそれを覗き込んだ。

それは人だったなにかだった。彼が救いたかったもの。この世界において彼が生きる理由の一つ。

しかし──

「遅すぎた」

がっくりと項垂れて男がボソリと呟く。

「もうここにも、俺の居場所は無い」

そして急に足元から炎の渦が巻いて、男を、辺り一面を包んでしまった。

「誰の為の居場所にもなれず、何も成せずに消える。実に俺らしい結末だ」

諦めと自嘲に口の端が釣り上がる。そして両膝をついたまま、手を横に広げ天を仰いで激しく笑った。

その瞳には、黄色く狂気の灯が揺らめいて──

「次の世界でこそ──」

全て言いきらないうちに、男も炎も消えてしまった。後には静寂がうるさく響いた。









月を見ている。

私はそれに対峙する。月と私の間には一人の女がいる。見たことの無い花弁、見たことの無い楽器。見たことのない衣。

そして人間らしい手足の部品をつけた、均整の取れた何か。

私はこいつを打ち滅ぼさねばならない。

直感でそう感じた。

突如光の筋が私を貫いた。飛び退いたが肩と膝が貫かれ、焼かれる。

痛みに構っている暇は無い。反撃を──

許されなかった。

楽器の音が聴覚を殺し、衣の色が激しくなり視界が犯される。花弁から香る匂いに嗅覚が乱され、鼻を伝って舌に届き、味覚も奪われた。手足と思しき部品が触れる度に触覚が麻痺する。

体に衝撃が走った。どうやら地上に落ちたらしいがそれすらも認識できない。

光の筋が私を焼く。快復が出来ない。私の唯一の取り柄が封じられている。足も、体も、心臓も。私の全てが奪われていく、

「穢れを払ってまた来なさい、私の愛おしい糞袋。」

女が遠ざかる気配がする。

返すものか。許さない、許せない。父の、一族の尊厳を踏みにじったこいつを。生きては返さない。手を伸ばす。手を伸ばす。届かない、届かない。あと少しが遥かに遠く、無限に感じる。

両目を焼かれた。叫ぼうとした喉も焼かれる。圧倒的な敗北感。死すら許されない私の最大の屈辱。

声にならない叫びが、竹林に静かに流れた。




各々の夢。各々の現。全ては遠く、あるいは果てなき時間の先。溶けて混ざって、やがて糸となる。

それぞれ行先、果てには虚無しかないのかもしれない。


To be continue…?

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