第8話-胎児の悪夢-

海を越えた先、ロームの祠。

ナレフとの死闘…もとい彼女にとっては児戯でしか無かったが、その戦闘から暫く。ロームはどうやって自身の退屈を凌ぐかを思案していた。

とりあえず厄介な取り巻きの一人は始末した。

しかし自分の世界に喧嘩を売ってきた本命は未だ存命のままの現状を彼女は決して良く思っていなかった。

「本命の手札をひとつ切ってみようかな。」

決心した表情で彼女は玉座から立ち上がった。

玉座の裏から伸びる階段を降りていくと、広い広間に出た。床には様々な時代の読むことすら難しい本が高く、塔のように積み重なっている。

少し当たりを見渡すと、

「ドグちゃん!マグちゃん!」

手を叩いて何者かの名前を叫んだ。するとうず高く積み上げられた本の影から二人の人物が姿を現した。

女とも男とも取れない中性的な顔立ちの2人は、背丈は高いが華奢で、子供が着るようなサスペンダーと白シャツ、黒い短パンを身につけていた、お互い近寄ると互いの体を社交ダンスのようにぴったりとくっつけてロームの前に立った。

片方の人物の髪は向かって右側半分を、もう片方の人物は左側半分をバッサリ半周、おかっぱのように切っているため二人の髪が短い方の顔が合わさると一人の女性の顔のようになる。

「「御機嫌よう、お姉さん」」

二人は同時に口を開いた。その様子を見てニヤッとロームが笑う。

「私の最高傑作ちゃんもご機嫌そうだねえ、うんうん。元気してた?」

「お姉さんここ暫く遊ばせてくれなかったから」

「僕たち凄く退屈してたんだけど」

「今日ここに来てくれたってことは」

「「おもちゃが見つかったんだね?」」

代わる代わるに、そして同時に二人が喋る。

まるで愛しい我が子を見つめる様な表情で二人を見ながらロームは語りかける。

「そうだよ、久しぶりのおもちゃであり、食事。長い間退屈させてごめんねぇ。たぁッぷり遊んできていいから、心ゆくまで楽しんでおいで!今日は門限は無しだから!」

二人はそれを聞くと無邪気な、しかし僅かに狂気を孕んで笑い、踊り出した。二人が踊り出すとどこからともなくオルゴールの音が響き出した。

「嬉しいね」

「楽しいね」

「どこも世界は退屈」

「つまらないことだらけ」

「枯れない造花で出来た愛」

「つま先立ちのまま立つ秩序」

「うわべと本音のコイントス」

「醜さの中にあるも本質」

「上塗りした美しさを剥ぎ取って」

「綺麗なグロテスクに染めてしまいましょう」

「主ロームの傑作の一つ」

「僕たち」

「私たち」

二人はダンスを〆てロームに向き直る。

「ドグラと」

「マグラで」

「「全て掻き混ぜてほんとうに美しくしよう」」

そしてドグラ・マグラの二人は地面に沈むように消えていった。

残されたロームは階段に向き直り、歩みながらつぶやいた。

「今まであの子達の狂気に晒されて耐えられる奴はいなかった。あの鬼小僧がどんなものか知らないけど、間違いなくこれで終わり。私も少しお昼寝しようかなぁ〜」

桜鬼を始末しに向かった二人の様に、くるくると踊りながらロームは消えていった。





藤の家に泊めてもらった翌日。

桜鬼は藤と妹の鈴、子供たちに礼を告げた。

「ありがとう!おかげでよく眠れたわ。子供たちと遊べて楽しかったし!」

「それなら良かった。子供たち、遅くまで元気だったから寝不足になってないか心配だったけど。」

小屋の奥からのそのそとゼツが顔を出す。

「おい、とっとと行くぞ。首、忘れんなよ。」

不機嫌そうに言うだけ言うと空中にふわりと浮いて先に行ってしまった。

「あっ、待っ…たくアイツはよぉ。悪い、それじゃ行くから!」

と後を追おうとする桜鬼の手を藤が引き止めた。

「待って、これ、ご飯と水。この先どこでまともなご飯食べられるか分からないし、多めに作ったから持って行って。…あとこれも。」

「何?」

そう言うと藤は自らの胸の宝石に片手を、もう片方の手を桜鬼に当てた。

すると藤の宝石が光り、炎が腕を伝い、そのまま桜鬼の胸、藤の宝石がある位置と同じ場所に小さく渦を巻いた。

そして藤の宝石と同じものが、桜鬼の胸に現れた。

「おお!こんなことできるの!?」

「せっかくあそこまでしてくれたのに、お目当てだけっていうのも寂しいでしょ。どこまで使えるか分からないけど、せめてこれからの旅で役立てて。」

「あぁ!ホントに色々ありがとうな!また遊びに来るからなー!」

藤たちに見送られながら、桜鬼はゼツを追って山を下って行った。




馬頭首の骨を弄びながら二人は山を下った。 元凶を絶ったため、登る時に道脇から吹き出ていた硫黄の匂いや、ガスの噴出は止まっていた。危険の無くなった静かな山を2人は下っていく。

「そういやお前のそれ、胸に違和感はないわけ?」

藤から受け継いだ力によって、桜鬼の首、両鎖骨との間には赤い半球が浮かび上がっていた。ゼツはそれを指さして聞いているのだった。

「うん、全然。違和感とかもないし、自分で触っても感覚とかは特にないんよ。でも体の内側に炎が常に燃えてるみたいなのは感じる。」

「ちょっと触らして。」

ゼツがそこに触れると確かに僅かに熱のようなものを感じる。なるほど、と思ってさすってみたが…

「アッツ!!!」

急にゼツは手を引いた。業火に焼かれたかのようにものすごい熱を感じた。

「え、そう?俺何も感じないんだけど…」

「お前が大丈夫ならいいんだけど…ったく余計な力身につけやがって。俺が止められる程度に留めてくれよ。頼むから。」


二人は山を下ってまた湿地帯に入っていった。その日は一日中進み、やがて夜になった。藤から貰ったご飯を頂き、二人が寝るために木を登ろうとしたその時だった。

微かな音楽が遠くから聞こえてきた。

「なんか聞こえるな」

「笛や太鼓とは違うよね、なんだろ?」

「金属製の…オルゴールの音だ、ちょっくら行ってみるか?」

「あぁ。気になるし、次の手がかりがあるかもしれないしな。」

そう言って音の方へしばらく進むと薄氷の張っている小さな湖に出た。湖面では二人の人間がアイススケートのように氷の上滑りながら踊っていた。オルゴールの音がどこから出ているかはわからない。

「なんか踊ってるな…」

「気をつけろ。ひょっとしたらあの女の…」

「俺も踊る〜!」

「おまっ、バカ!多少警戒は…」

ゼツの言葉を背中に受けながら桜鬼は湖に足を伸ばし氷の上に降りた…はずだった。

桜鬼の足は氷にはつかず、そのままざぶんと水の中に落ちた。急いで湖面に顔を出そうともがく。

「ブハッ!」

「大丈夫か!?」

「いや大丈夫なんだけど…なんで?氷から足が抜けた!?割れた?」

「いや違う…これは」

演舞をする2人はゼツと桜鬼の前を横切っていく。足元は確かに氷だが2人がとおりすぎ、瞬きをするとそこはもう水が波打つだけだった。二人が通る時だけ凍っているわけでも無さそうだ。

「…幻?」

「気づいたんだね」

二人は遠くから桜鬼達に話しかけた。距離があるにもかかわらず耳元で囁かれている感覚。

「僕はドグラ」

「私はマグラ」

「「二人でドグラ・マグラだよ」」

キュッと止まり、ポーズを決めて笑う。

「「よろしくね、お兄さん達」」

名乗る2人に、湖から這い上がった桜鬼が棍棒を突きつけて口火を切った。

「その感じ、お前らロームってやつの手下だな、間違いなく!」

ゼツも同じ確信を得て、桜鬼に並んだ。

「だろうね、丁度いいわ。この際だ、馬頭首のこととか、俺らのダチのこととか聞きてーこと山ほどあっから、洗いざらい吐いてもらうか。」

「あぁ。新しい力の腕試しと慣らしもかねて、な!引きずり回してでも色々聞かせてもらうぜ!」

そう言うとドグラとマグラの二人は顔を見合せて首を傾げた。

「引きずり回すんだって」

「でも僕たちに追いつけるのかな」

「つまり鬼ごっこってこと?」

「そうみたいだね」

「楽しそうだね」

二人がかわるがわる喋る。しかし異常なことに二人の声は明らかに片方ずつに音量が寄っている。聴いていると聴覚に異常をきたしたのかと勘違いする。

「…なんかあいつらの話聞いてると耳がぐわんぐわんするんだけど、俺だけ?」

「俺も多少は。多分体制がない分お前の方が直接的に響くのかもな、油断すんなよ。」

「おう…!」

「ふふ。楽しそうね、お兄さん達」

「強そうね、お兄さん達」

湖面のドグラ・マグラがクスクスと笑う。

「いいよ、遊んであげる」

「実を言うとね、お兄さん達が来るまでずっと待ってたんだ」

「体もあったまったし、いいよ、鬼ごっこしよう」

「でも僕たち速いよ?」

「お兄さん達に捕まえられるかな?」

そして二人は地面を蹴りあげると別の方向へ高く跳躍した。

「鬼さんこちら」

「手の鳴る方へ」

そして桜鬼達の右と左へと飛び上がり、湖を離れていった。

「どうする?」

「分散するのはヤベェと思うけど行くしかねぇよな…挟み撃ちにするか?」

肩をぐるぐると回して桜鬼が問いかける。

「どう見ても罠だとは思うがアリ。ペース配分間違えてくたばンなよ」

「ゼツもな!」

そう言ってそれぞれの敵へ向かって駆けて行った。




「さて、このくらいでいいかな」

湖から離れてしばらく。ドグラと名乗った人物がゼツと対峙し停止した。

「観念したか?お前程度なら今の俺でも余裕だと思うけど。」

「ごめんなさい。僕達最初からあっちの方のお兄さんにしか興味無いの」

「おいおい、ここまで呼んどいて興味無いってどういう……まさか!」

「そ。お姉さんの邪魔をしてるのはあの鬼っ子。残念だけど黒いお兄さんはお呼びじゃないの。大人しくここでマグラが食べ終わるまで待ってて」

「止まれ。」

即座に地面に降り立ちゼツが命令する。

しかし見えないはずの言霊を躱し、ドグラは木に飛び乗った。小首を無邪気に傾げてゼツに問う。

「お兄さん、面白いものつかうね。ひょっとして僕らとおんなじ?」

「テメェらみてぇな気色の悪いやつと一緒にすんな。俺はお前らなんかとは一緒じゃねぇ。」

「そう?でも僕達もお姉さんから生まれたし、同じ悪魔…だと思うけど」

その言葉にゼツが目を大きく見開く。

「テメェ…」

「最初見た時から知ってたよ。隠すつもりもなかったでしょ、お兄さん」

クスクスとドグラが笑う。

「それじゃ。多分もうマグラが食事を始めてると思うか、僕は行くね」

「待ちやがれ!」

あっという間に木々の合間を縫って行ってしまった。

「そう簡単にアイツが食われるとは思えない…が、同じ悪魔で、食事ってことは…つまり…」

嫌な予感がゼツの頭をよぎる。

「予想以上に厄介だな。今回は!」

そして宙を駈け、桜鬼を探して夜の闇に飛び込んで行った。




「ふふ。僕の相手は鬼のお兄さんだね」

マグラが桜鬼の前を右に左に滑りながら木々の合間を進んでいく。

「待ちやがれ!妙な動きしやがって、今すぐ止めてやる!」

そう言うと桜鬼は力を込める。藤から受け継いだ宝石が真っ赤に輝く。

「早速試して見るとするか!」

そして手を伸ばすとひも状の炎が飛び出た。

炎の紐はマグラの手、足、胴体を縛り上げ、木々の合間に結ばれた。

「これで変に動いたりできねーな。」

棍棒を回しながら近寄る。炎で縛り上げられてるにも関わらずマグラは余裕そうだ。

「こういうのが好きなの?お兄さん変わってるね」

腰をくねり、蠱惑的に身をよじってマグラが返す。

桜鬼はそれには答えない。棍棒を振り上げて、

「その余裕そうな面、すぐ泣き顔に変えてやるからな!」

と叫び殴りかかった。

突如、桜鬼は宙に落ちた。浮き上がったり、飛び上がった訳でもないのに頭から地面に落ちた。訳が分からずマグラを探すが、先程縛りあげたまま動いた様子は無い。上には空が広がるばかり。何が起きているか分からない。

「なん…?」

「お兄さん、悪夢はお好き?」

そう言うとマグラはするりと炎の縄から抜けてしまった。

「楽しいパレードが始まるよ」

そう言って再び高速で地面を滑ると闇に消えていった。

「この野郎、待ちやがれ!」

すぐに追いかけるが、もう僅かな人影すら見えない闇の中だった。

「くっそ、鬼ごっこなら得意のはずなんだけどな…っ痛!」

走っていると何かにつまづいて転んだ。

「なんだァ?でっけぇ石かな?」

そう言って足元を見た。確かに石のように見える。

やはり石か。そう思って立ち上がった時違和感に気づいてまた足元を見やる。




それは石ではなく人間の頭蓋だった。

残っている目玉がぎょろりと桜鬼を見上げた。

「……!?」

よく見ると地面には頭蓋が所々に突き出ており、その目玉全てが桜鬼を見つめている。

その時突然、枝が俺桜鬼に被さった。急いでどけたが、枝についた草を見ると四つん這いで、アブラムシ程度の大きさの人間が何人も蠢いている。桜鬼に気がつくと急いで枝を昇っていく。

慌てて枝を振り払い、恐怖心を覚えて走り出す。足元の水も血のように真っ赤だったがそれすら気にしている場合じゃなくなった。

「なんなんだ、今まで通りの湿地じゃないのかよ!一体どうなってんだ、迷っちまったのか!?」

しばらく進むと奥に誰かがうずくまっている。

マグラでは無さそうだ。

「おい!お前!何してる!」

問いかけると男はゆっくりと振り向いた。涙と鼻水でべしょべしょだが、桜鬼はどこかで見覚えがあると感じた。

「お前、確か…村にいた…?」

そうだ、桜鬼たちの村に居た住民の一人だ。

桜鬼は男のそばに寄ると、震える肩を抱いた。

ボソボソと男が喋り出す。

「けて…たす…けて…」

「どうした!?ひょっとして外に出て帰れなくなったのか?待ってな、すぐに一緒に村に帰って…」

「たす…けて…くれ!!」

そう言うと男は着物の胸元を広げた。そこにはびっしりと人間の顔が泣き、笑い、怒りの表情をたたえて蠢いている。全身蠢く顔だらけだ。

「……!!」

あまりの気持ち悪さに尻もちをついて後ずさる。

男がよろよろと近づく。男についている顔たちからは腕が生え、男から分離し地面に転がる。そして二本の腕を足替わりにして桜鬼にゆっくりと向かってくる。

急いで立ち上がり、後方に駆け出す。

そして思い出す。あんな男、村にはいなかったと。

彼は自分のところに来た人間は全て覚えている、間違えるはずがない。

ならなぜそう思ってしまったのか?

いよいよもって桜鬼は訳が分からなくなってきた。

しばらく駈けていると視界がぐるりと一回転し、徐々にスピードを増した。また桜鬼は立てなくなり、転んだ。が、地面にはつかず、地面は桜鬼を中心にぐるぐると激しく回転した。目の前の視界も回転し霞んでいく。まるでコインランドリーで回る洗濯物のように桜鬼が回されている。




─き、気持ち悪い─




ふと回転が止み、気がつくとコンクリートの四角い部屋にいた。蛍光灯が明滅し、窓は無い。目の前には小さなキッチンスペース、左横に冷蔵庫、天井に換気扇があるだけのシンプルな部屋だ。しかし外の道具を見たこともない桜鬼にとっては異様な部屋以外の何物でもない。

「なんだ…ここ…壁も何もかも知らないものばかりだ…」

そしてキッチンの前に立つと色々触り、触ると動いた蛇口を捻った。

「……?何も出ないぞ。」

そう言って更に捻ると、蛇口から音が出てきた。言葉のようだが上手く聞き取れない。さらに捻っても音は大きくならない。桜鬼は耳を蛇口のすぐ側近づけた。すると、低い男の声で




























「死ね」













とだけききとれた。気味悪さにバッ、と顔を上げると蛇口から低い笑い声とともに吐瀉物が溢れ出た。逆方向に捻るが止まることはなく、すぐにシンクから溢れ床にぶち撒かれていく。慌てて止める術を探して冷蔵庫を開けたが、中に入っていたのは食べ物ではなく人形の兵隊たちが入っていた。冷蔵庫から飛び出た人形は踊り出し、シンクから溢れた吐瀉物をぴちゃぴちゃと踏み鳴らしながら歩き回る。

「胎児よ胎児、なぜ踊る。母親の心がわかって恐ろしいのか」

甲高い声でフレーズをひたすら繰り返し唱え、歌う。しばらく踊り回ると人形たちはやがてぴたりと止まると、くるりと桜鬼を見上げ、

「それとも死にたくてしょうがないのか」

そしてケタケタと笑った。その瞬間、冷蔵庫の奥や換気扇からも吐瀉物が洪水のように溢れた。すぐに桜鬼の胸にまで到達した。あまりの匂いと気味悪さに桜鬼も吐いた。そのまま全身が吐瀉物の洪水に飲み込まれ───



ふと体を包んでいた水気が消えた。

恐る恐る目を開くと、湿地帯に戻っていた。地面も最初のようなグロテスクさは無くなっていたが、最早「普通」が何かを認識できず逆に気持ち悪く感じる。吐瀉物に沈んだ体も乾いていたが、感覚を思い出してしまい再び吐き気を催す。

「なんなんだよ、なんなんだよ、なんなんだよこれ!」

精神が崩壊しかけ、目から溢れた涙が頬を伝う。

「桜鬼!」

ふと見るとゼツが数メートル向こうからこちらに向かって手を伸ばしている。

ようやく見つけた。桜鬼も手を伸ばす。

しかし手は届かなかった。

桜鬼が伸ばした手はゼツとの間の、ガラスのような空間に吸い込まれてしまった。

桜鬼が空間を抜けた時、そこにゼツはいなかった。

「ゼツ…?ゼツ!!どこいったんだよ!おい!!…応えろって!!」

声は無常にこだまするばかりで応答は無い。

桜鬼一人、紫の月が煌めく湿地に取り残されてしまった。



「呆気なかったね」

「簡単だったね」

ドグラとマグラの二人は抜け殻のようになった桜鬼の体を見下ろしていた。

桜鬼は口をぼうっと開け、何かを見つめるわけでもなく目を開き、ただそこにいるだけだった。幻覚を通し、桜鬼の魂は知らず知らずのうちにマグラに取り込まれてしまったのだ。

「美味しかった?」

「うん、とても」

マグラはお腹をさすった。

「ぐるぐる言ってる。」

「夢の階段をおりながら」

「スープに溶けて行くのね」

「それはきっと、きっと素敵なこと」

「夢も」

「うつつも」

「溶けてしまえばみんなおんなじ」

「ね、私にも少し頂戴。」

ドグラは顔を近づけると、マグラもそれに答えるように口を合わせた。

接吻とも取れるほど互いの口を密着させ、鳥の親が雛鳥に餌付けするように桜鬼の魂を口移しで流し込む。舌を絡め、味を堪能するようにゆっくりと喉を鳴らしながら食したばかりの馳走を共有する。

暫くの後に互いの顔を離した後、ドグラは口の周りをペロッと舐め、満足そうに

「うん。美味しい」

とだけ呟いてクスクスと笑った。

「ご馳走よね」

「溶けるまで待っちゃおうか」

「門限ないもんね」

「お姉さん喜ぶよ」

そう言って二人がかがみこみ、桜鬼を見つめた時、一人の男が木陰を縫って現れた。

「遅かった…か」

ゼツだった。その言葉にドグラとマグラの二人が振り向いた。

「あ、悪魔のお兄さん」

「遅かったね。ご馳走様」

「お兄さんも食べる?」

「とっても美味しかったよ」

そういうと二人は口からべっ、と長い舌を出した。

「「お兄さんの保存食」」

ゼツは状況を把握すると、いつもの無表情に戻り見下すように二人を睨めつけた。

「悪いけど俺グルメだから。人の口つけたモンは願い下げなんよ。もう腹ん中入ってるなら、なおのことゴメンだ。」

そして桜鬼の抜け殻に目を向けた。じっと見つめると彼の生き物としての生命反応が微かに残っていることを感じとった。

─遅くない─

まだ助かる。その可能性を感じ若干の安堵を覚えたが、油断はできない。

気を抜いたら桜鬼と同じようにあの二人の世界に引き込まれてしまう。食われることは無くても桜鬼の魂が溶けるだけの時間稼ぎはされてしまう。そうなる前に始末をつけたいが…


ゼツは覚悟を決めた。

「おめェといると退屈しねぇけど、面倒事ばっかりなのは勘弁して欲しいわ…まぁ今となっちゃどうでもいいけど。」

そう言って顔を上げて髪をかきあげた。頭頂部に近いところから普段は髪に隠れていた角が2本覗く。

「ちっとばかしマジで殺らせてもらうわ」

ゼツの両目玉がぐるりと反転し赤い瞳に変わる。角が伸び、シャツを突き破って4本の折れた翼が露になった。

呼応するように紫の満月の半分が朱に染る。

「僕たちお兄さんは食べられないから」

「殺してあげるね」

「楽しく」

「冷たく」

「「貴方の主の元に返してあげる」」


そして三人の間に静かに殺気だけが流れていく。


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