第6話-守護の焔-
藤紅の近くに野宿を初めてさらに時間が過ぎた。
とうの桜鬼はと言うと藤の言葉をずっと反芻していた。確かに彼には彼と親しい人間たちを脅かす存在を排除するための旅だった。理屈で考えれば確かにこの山に長いすることはない。どこに隠してあるかはわからないがコッソリ忍び込み、盗み出してしまえばそれでいいかもしれない。でも、あの子たちや、藤の妹たちが直面している問題をこの目で見て、感じてしまった。感情を揺さぶられた彼が決意したことは一つだった。
「…後で怒られるだろうな。」
そういうと藤から譲られた藁の布団をかぶって、無理やり寝ることにした。
夢の内容は、覚えていない。
翌朝。藤の了承を得ることなく、桜鬼は蛇炎の住処の洞窟へ侵入していた。
「ここで合ってるよな。またこないだのトカゲ野郎が来るかもしれないが…よし…」
すうーっと息を吸い込むと、声を張り上げて叫んだ。
「蛇炎!!俺の名は桜鬼!!お前の首を頂戴しに来た!!大人しく狩られやがれ!!!」
彼の言葉は洞窟にこだまし、反響して消えた。
(間違えたか?)
さらに時間が過ぎていく。
突然、闇の中にこの前と同じくギラリと光る眼玉が現れた。
「お、意外に早かったな。」
「我は蛇炎。この山の化身にして荘厳なる神。貴様一体何用でこの神聖な地に足を踏み入れたか。」
「ご丁寧にどうも。アンタが持ってる馬の首とその命!頂戴しに来たぜ。名前くらいなら知ってるから、とっととおっぱじめようや。」
そう言い放ち、恐怖心を押し隠して棍棒をまっすぐ蛇炎にむかって掲げた。
「なるほどな。我を倒して名を上げようという訳か…矮小な人間風情が。どこの小童か知らないがその言葉、すぐに後悔させてやる。」
そして桜鬼は飛び上がり棍棒をかざした。蛇炎も迎え撃つように口を大きく開く。
桜鬼にとって無謀に近い戦いの火蓋が切って落とされた。
「お姉ちゃん!お魚取れた!」
「お、偉いねえ。まだお塩残ってたかな。まだ早いけど、山菜と合わせて夕餉の用意しようか。」
藤は裁縫を中断し、料理をするために準備を始めた。桜鬼とのやり取りから数日後の今日、藤にとっての変わらない日常がそこにはあった。魚を両手に子供の一人が家に向かって駆けていく。藤の言葉は子供たちに向けるゆえ優しいものの、その胸には不安が絶えず横たわっていた。
蛇炎に捧げる人間たちは子供たちの知らない、少し離れた場所に保管してある。
蛇炎にはもういない、といったが、あれは亡くなった人間たちを思いやる藤の口から出た嘘だった。
(どうしよう)
藤は相変わらず行き場のないもどかしさを抱えていた。二度に渡る蛇炎との死闘は決着がつかず。桜鬼が今度は助太刀するといっていたが、彼にそこまで藤たちの命運を背負わせたくない、という思いは今も変わらない。
(今更助けてほしいっていうのも…でもあの子一人だけじゃ何も変わらないかも…しれない…)
その時、振動が地面を伝わった。
見ると再び山肌のあちこちから噴煙が立ち上がり、硫黄の匂いが鼻をついた。さらに揺れは三度、四度と続いた。今までとは違う、明らかに異常な揺れだった。
ひょっとして、と嫌な考えが藤の頭をよぎる。
「お姉ちゃん…」
「待ってて。様子を見てくる。…何かあったら地下に逃げるのよ。念の為、食べ物も水も沢山用意したから。」
それでも、と子供の一人が裾を引く。不安げな顔に思わず足が止まる。覗き込むその目に思わず言葉も出なくなる。だがその手を横から制した人物がいた。
妹の鈴だった。
「鈴…」
「お姉ちゃんは帰ってくるよ。今まで嘘ついたこと、ないでしょ?」
「うん…」
「でしょ?さぁ、収まるまで家にいましょう?大丈夫、全っ部私とお姉ちゃんでなんとかするからさ!」
鈴に促され、少し気が前向きになったのか子供たちは大人しく戻っていく。子供たちが小屋に入るのを見ると鈴は藤へと向き直った。
「あの人が行ってるのね。」
藤は頷いた。確信はない。が、これまでを考えると、あのお人よしが蛇炎に喧嘩を売ったことは間違いがないだろう。
「お姉ちゃんが私たちに隠してること、まだ結構あるんだと思う。きっと私たちには背負うことの出来ない何か。でも、それでもいいよ。私、お姉ちゃん信じてるから。あの人と一緒に、何とかしてくれるって!」
鈴のその言葉に成長を感じ、安堵と寂しさが去来したが、すぐに笑いかけた。
「わかった。それならちょっと行ってくる。久しぶりの…友達だから。」
「うん!必ず帰ってきてね。」
お互いに優しく微笑みかけると、藤は山頂付近の洞窟へと向かって走っていった。
蛇炎の攻撃は想像以上に重い。一撃一撃を棍棒でいなしているとこちらの体力が先に枯渇する。既にいっぱいいっぱいだ。
しかし表面を覆う岩を剥がすことにも成功していた。あとはそこにどうやって攻撃を叩き込むか、だが…
「おらあっ!」
正面首筋、素早く回り込んで棍棒を振り下ろす…が、蛇炎の尻尾が天井を叩き岩の雨が降ってくる。頭上に重い岩が当り視界が白黒になる。
視界が元通りになったとき、蛇炎の牙が今にも振り下ろされんとじりじりと迫ってくる。
「しまっ…!」
その時、蛇炎との間に飛び込む人影が見えた。人影が指を鳴らすと二人の間に炎の渦が現れ、桜鬼を引き込んで彼方に消えた。
桜鬼が目を開けると彼は空中を飛んでいた。状況が呑み込めずギョッとしたがすぐに聞きなれた声が頭の上から聞こえた。
「死にたい訳でもないのにここに来るからそうなる。あれだけ言ったのに一人で来るなんてホント世話が焼けるね、散々帰れって言ったのに。」
振り向くと呆れたような顔を向けた藤が頭の上にいた。両手で桜鬼の脇を抱え、炎の翼を広げ滑空している。
「藤!なんでわかったの?というかやっぱり飛べたんだ…」
「飛ぶっていうか、空気の力ですごく高くとんで、炎をうまく使って舞ってるだけ。一応少し高度を上げることくらいはできるけど。」
藤は暫く滑空したが、やがて窪地に着地した。ここから洞窟が見えるが、思ったより離れていない。窪地のおかげですぐに見つかることはなさそうだ。岩も多いため視力で二人を見つけるのは困難だろう。
「で、どういうつもり?」
「え?」
突然藤のビンタが飛んできた。くらくらと二、三歩下がる。
「私が決着をつけるって言った。」
二発目が右から飛んできた。
「私が吹っ掛けた喧嘩なら妹やあの子たちから引き離せるけど、外の人間がめちゃくちゃにやったら補助なんてできない」
三発目が左から。
「それにあなただってアイツ相手にして無事に済むわけない。本当になんで私に断りなくアイツのとこに行ったの?」
四発目も食らったところで流石に
「ちょ、待って!悪かった!悪かったから!」
頬をさすって藤を見やる。言葉こそいつもと同じ口調だが目には静かな怒りが宿っていた。そして、不安も──
まっすぐ藤を見返して、桜鬼は答えた。
「藤が言ったように、俺の事を待っててくれる人がいて、俺はその人たちのためにこうして旅をしてる。ここは首を取るだけが目的だが、目の前の困難にぶち当たってる人間を俺は放ってはおけねえ。多少の寄り道がなんだ。あんなのに負けてちゃ、多分今回の黒幕はぶっ倒せねえと思う。」
ニッと笑って桜鬼は答えた。
「そんなこと言ったって、別に私は…」
「藤だって、妹やあの子たちや妹を護りたいんだろ?あの子たちを生贄にはしたくない、なんとかしてやりたい。だからアイツに立ち向かっていった。多分、死んだ村人の遺体を供物にだって本当はしたくなかったでしょ。どんだけ強いか知らないけどさ、二回も奮闘したんだ。少しくらい趣向を変えて、力を合わせてやってみようぜ!」
遮るかのように桜鬼は藤に問いかけた。
「そこまで言われるとなんか逆に…いや、なんでもない。」
諦めが着いたのか、腰に手を当て軽いため息をついて桜鬼に向き直った。その目は心無しか決意が宿っているように見えた。
「アナタの言う通りよ。私も子供なんか生贄にはしたくないし、今回で決着はつけなきゃいけない。そこまで言ったからには力を貸してもらうから、覚悟して。」
「もちろん。」
二人は拳を突合せた。そしてどのようにしてあの巨大な蛇を倒すかの作戦を立て始めた。
「あいつは自分の粘液で体に岩を接着してる」
地面に蛇を描きながら藤が続ける。
「だから基本的にどこを叩いても攻撃にはならない。岩は山に埋蔵された鉄や銅を含んでるから、なおのこと砕くには体力がいる。鎧みたいになってるのね。」
「で、仮に岩を剥いだとしてもそこが弱点ってのも分かってるからカバーするように動くんだな。」
「と、言うことで私たちが狙うのはこっち。」
「…尻尾?」
桜鬼が首を傾げた。
「馬頭首が欲しいんでしょ?馬頭首はあいつのしっぽに着いてるから。ダラダラ攻撃してないで、手っ取り早くまずは目的を遂行する。」
「マジ!?」
突然の情報にびっくりして目を見開く。
「うん。さっき見てなかったの?カラカラって振ってたのに。」
「向き合っててそれどころじゃなかったからさ…でもしっぽなら余計狙いにくいし、俺の棍棒って切るのには向いてないんだよね。どうしようか。」
「切るのは私に任せて。岩だけ頑張って剥がしてくれればいいから。」
「え、できんの?」
「焼き切ればいいでしょ?」
そう言って手のひらで炎の出刃包丁を形作った。
「わお、物理的…」
「力こそ全て。生き物相手なら大概それでどうにかなるのよ。この山にいれば嫌でも身に染みるわ。」
確信を持ったかのような表情で藤は頷いた。
「そういうのなんて言うんだっけ、ゼツが確か…パワー…タイプ?まさにそれって感じだな。」
「へーそうなんだ。外の言葉はよくわかんないけど。ともかくまずはこれであなたの目的から遂行する。その後は何とかして火山の火口にやつを叩き込む。」
「方法は?」
「都度考える。」
まさにゼツが聞いたら匙を投げそうな会話だった。
が、桜鬼は乗り気で、
「好き!そういうの!よし、乗った!」
と答えたその時怒号が響いた。
「鬼の小僧!どこに消えた!」
こっそり顔を上げると蛇炎が洞窟をぬけ、燃える瞳を血走らせて周囲を探し回っている。
全長は20メートルほど、頭だけでも高さ5メートルはありそうだ。胴回りの太さも牛7匹分位はあるだろうかと言うほど太い。洞窟ではよく見えなかったが近くで見るとあまりの巨体に体がすくみそうになる。
「追ってくるの!?てか外出られるのアイツ!?」
「普通に外には出てくるよ?知らなかった?」
「や、知らんて!大丈夫なん!?」
「うん、洞窟暮らしも長いし、目もよく見えないとか言ってた気がする。割と昔からいるジジイらしいから早々に見つかることは無いと思う。」
確かに当たりをウロウロしている。巨大な頭部が桜鬼を探している。
だが窪地の岩に上手く隠れてれば見つかりはしないだろう──
となるはずだった。
「そこだな。我の感覚器官からは絶対に逃げられん!」
藤がくるりと落ち着いた表情で振り返る。
「ゴメンそんなこと無かった。」
「あのさァ!!」
その時くらい影が二人の上に来た。
「飛んで!」
藤に突き飛ばされる形で桜鬼は飛んだ。その直後に尻尾が叩きつけられ、窪地に火山灰が舞い上がる。
「藤!」
ゲホゲホと咳き込みながら窪地を見やると、しっぽの下に潰された藤の手が見えた。
「お、おい!大丈夫か!?」
動かない。やられたか?俺のせいで──
と思ったその時、藤が拳を握った。なんと下から巨大な蛇炎の尻尾を持ち上げている!
「お、おお、おおお…」
そのままよろよろと尻尾を抱えあげると、
「おりゃあああ!」
と叫んで勢いよく放り投げた。とんでもない光景に桜鬼は口をあんぐりと開けて藤を見た。
「ど、ど、どういうこと…?」
「自然と解け合えば大地が力を貸してくれる。」
そう言って力こぶを作って自信満々に答えた。
「さすがに無理があるって!」
「無理じゃない!やったじゃん!」
「や、そうなんだけどさぁ!」
「小娘…」
はっとして振り返る。思わず頭から抜けたが戦闘中だ。
「我を敵に回すとはいよいよ気が狂ったか?大人しくあのガキどもでも供物にすれば今の無礼も許してやるが。」
「冗談じゃない。私は至って正常よ。アンタを殺すため、三度喧嘩を売りに来た。」
「何…?」
「私はあの子たちを犠牲にしやしない!お前を倒してこの山を解放する!!村の人たちの魂も無念も、全部、全部解き放つ!!」
そして背中から炎で形作られた巨大な翼を展開した。たじろぐ様子もなく蛇は見下している。
「ふん、たかが不死を得ただけの小娘が。…そこな鬼も同じか。」
「あぁ!人を食うってのが気に食わねぇ。人間は、人は、一緒に宴をして、踊って、楽しみを共有する友達だ!そんな友達を餌としか見れねぇやつは…」
右足を勢いよく前に出し、棍棒を構える。
「俺が許しちゃあおけねえ!」
そう言うと藤の横に並び立つ。
「良い啖呵だ、気に入った。貴様ら両方とも、我の腹に収めてやろう」
今一度、それぞれの願いと力がぶつかり合おうとしている──
To Be Continued…
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