第3話 -去る風の親子-

2人はしばし硬直して動けなかった。

驚きと困惑と衝撃を含んだ空気が二人─いや三人の間に流れた。体についたヨダレを拭くことなんてもう頭からは完全に抜け落ちていた。

もっとも二人の背後に居る─いや、背後にそびえる赤ん坊だけは興味深そうに眼下の男たちをしげしげとみていた。

ハイハイの姿勢のその赤ん坊は高さおよそ3メートル、横幅1.7メートルと実に巨大だった。廊下に収まってはいるもののほぼスレスレである。

暫く見つめあう空気を破ったのはゼツだった。宙に浮ける能力も忘れて自らの足で駆け出した。コンマ数秒遅れて桜鬼も駆けだす。赤ん坊はそれを追うようにハイハイで追いかけてくる。

「いやいやいやいやいや!!赤ん坊にしてはデカすぎるだろッ!!なんだアレ!!何食ったらあんな大きくなんの!!ねえなんで!!ゼツ!!」

「俺が知るか!!とにかく走れ!!追いつかれておしゃぶりになっても知らねぇかんな!!」

赤ん坊はキャッキャッと野太い笑い声を上げながら2人を追いかけてくる。スピードは二人の方が上だが、進む幅が大きい分油断したらすぐに追いつかれるだろう。

二人は角を曲がり、赤ん坊が見えない所まで逃げると壁に見えたドアを肩で開け、バタンと閉めた。赤ん坊は二人が部屋に入ったことには分からないようでどしん、どしんと音を立てて通り過ぎていく音が聞こえた。

音が去ったのを確信すると、緊張が解け、二人は床にペタンと座り込む。暫く呼吸を整えヨダレを拭き取った後、ゼツが小さな声で、しかし強い口調でぶちまけた。

「いやあの女節穴かっ!?あのサイズの子供が見つかんねえってヤベェだろ!!どういうこった!?」

「なんか…理由が…あるんじゃねぇか…?」

ゼェゼェと息を切らしながら桜鬼が答えた。

「だとしてもよ!少し離れても地鳴りがするくらいのヤツに気づかないとかそうそうある!?あんだけのものが見つからないってマジでどんな理由よ…」

「夜寝る時とか…大変そうだよな……赤ちゃんって夜泣きしたりとか…急に遊んだりし出すからさ……」

桜鬼の冗談を片耳に、ゼツは部屋を確かめた。桜鬼と二人で見回った時に見つけた寝室のようだ。寝具などは一通り揃っているが、長年使われていないのか埃をかぶっている。

「さっきさ…広さの割に部屋が少ない、とかって言ってたよな。」

額から流れる汗を拭いて桜鬼は続けた。

「そこになにか理由があんのかも知れねーな。部屋の数が四つってところがどーにも気になる。」

「廊下に変なところはなかったしやっぱりそう考えるのが妥当だよな。…いやあのサイズの赤ん坊がいるって時点で既に変すぎるけど。」

そして二人は走り疲れた体をノロノロと起こすと部屋を改めて見て回った。

特に怪しいところはないか、重点的に。

すると桜鬼は部屋の正面奥の壁の下になにか光っているのを見つけた。

「おい、これなんだ?」

桜鬼が触れるとそれは紫の輝きを放ち、床に線が広がった。

二人は絨毯の模様かと思っていたが、光が形作ったそれは円の一部であるようだった。

「これは…魔法陣の一角だな」

「魔法…陣?」

「遠い国で悪魔を呼んだり、手っ取り早く憎い相手を呪うために使ったりするもんだ。お前で言う印(いん)みたいなもんだと思っとけ。」

「なるほど…印なら模様によって効果とかあるけど、これもそうなの?」

ゼツは頷いた。

「多種多様だ。星型もあれば四角をひたすら重ねたものもある。お前の言う通り模様によって効果も違うんだが…コレはなんだ……?」

ゼツは歩きながら腰をかがめ、縁をなぞったり、模様を見つめ始めた。何やら分からないことを呟きながら部屋の隅から隅までその模様を観察し始めた。

「わかんね。一部しか描かれてないから全体像が見えん。何とかして全体像が分かればいいんだが…待てよ?」

そう言うとゼツは自らが描いた館の見取り図を開いた。そしてコンコン、と入口以外の壁を叩いて歩き回り、入口正面の壁を叩いたところで指をパチン、とならした。

「やっぱり。」

「何かわかった?」

「この先に隠し部屋があるんだわ。多分構造上見つけた四つの部屋と隣接する形で。そこにこの魔法陣の中心がある。」

「この先に?ならぶっ壊して見るか!」

「いや待て!そう簡単には…」

ゼツがそう言い終わる前に桜鬼は棍棒を懐から取りだし、巨大化させると、勢いよく棍棒を壁に振るった。だが壁はビクともせず、音もしなかった。

振るった姿勢のまま桜鬼は動かなかったが、やがて棍棒を地面に落として顔を思いっきり歪めた。

「かっっっっっっっってぇぇぇぇ〜〜〜〜!!手ぇめっちゃジンジンする!!鉄より硬ぇじゃん、なにこの壁!?」

「だから言ったろうが…魔法陣が壁に作用して、簡単に壊れないようになってんの。いくらやっても無駄なの。ホントお前少しは俺の忠告とか話を聞いてから動けって。」

「えぇ…でもそれなら余計に無理じゃん、どうすりゃいい訳……?」

ゼツはかがみこんで少し考えた。そしてポツリと独り言のように呟いた。

「どうやら床の材質に影響は無さそうか。これなら多少無理すればぶち抜けるだろうし魔法陣の効果も弱まる…が、音でさっきの赤ん坊がまた来るだろうな。そうすると色々めんどくせぇと思うぞ。ガチで。」

床を破壊し、魔法陣をそれぞれやぶり、あらわになるだろう奥の部屋の魔法陣を解除する─それだけの事であったがやはりネックはあの赤ん坊が聞きつけてくること。部屋に押し入ろうとしてくるかもしれない。その時この部屋があの巨体に果たして持つだろうか?

「よし!作戦会議タイム!ちょっと耳貸して…」

「ほう」

桜鬼とゼツは互いに顔を近づけてヒソヒソ声で話し始めた。




作戦会議から数分後。

ゼツは一人、廊下に立っていた。

改めて深呼吸し、作戦を反芻し、思い返す。深いため息を吐いた。

──作戦には乗ったけどなんでこんな目に──


逃げ込んだ部屋で見つけた魔法陣。

リスクと方法を天秤にかけた上でふたりが行き着いた結論は、

「魔法陣が物理的に床に敷かれてるなら、やっぱり叩き割るしかないだろ!」

至極単純にして脳筋。直接的だがこの状況下においては丁寧に魔法陣を解いていくよりやはり効率的だ。

だが問題の赤ん坊をどうかいくぐって部屋に行き着くか。これが命題だった。

「やはりどっちかがおとりになる方法。これしかねぇな。」

「おとり?なんで?二人で一部屋ずつ回って、一緒に作業するか分担して解除する方が早くない?」

「考えても見ろ。赤ん坊とはいえ、あのサイズだぞ。まずここに逃げ込めたのは赤ん坊の視界から逸れたから。」

「ふむ。」

「多分あのまま視界に捉えられてたら無理やり入口とかドアぶっ壊してでも入ってきたろ。赤ん坊って興味のあるものはとことん追っかけてくるから。二手に分かれても赤ん坊が仮に部屋の前から動かないとかなったら面倒だし作業出来ねーだろ?」

ここで桜鬼はようやく合点がいったようだった。

「なるほどな。つまり赤ん坊の気を引いとかないと作業の効率が悪い可能性が出てくると。だから囮が必要って訳か。」

二人はじっとお互いを見つめあった。

二人の脚力なら赤ん坊を確実にまける。魔法陣の破壊も方法はそれぞれだが可能だろう。


どちらがおとりになっても問題は無いが、あのサイズには追いかけられたくは無い。

暗黙のうちに二人の思惑は合致した。

と、なれば決める方法はただ一つ──


「じゃん!」

「けん!」

「ポン!」




──あの時チョキ出しとけば楽できたのにな──


そう思い返すももう遅い。既に徘徊する赤ん坊の足音が聞こえてきてる。

扉を開けて桜鬼が顔を出した。

「頼んだぜ!宙に浮いてりゃなんとかなるだろ!走るより楽そうだし!」

「お前次同じようなこと言ったら舌ピアス100個あけっかんな。まともに喋れると思うなよ。」

ひぇっとだけ残して桜鬼はドアを閉めた。

「あっテメ…クッソあとで覚えてろよ」

そう言って後ろを振り返ると

「…ヤッベ」

ゼツの背後には例の赤ん坊がしげしげとゼツを眺めていた。




どしどしと遠ざかる足音を聞き、二人が遠ざかっていくのを確認した桜鬼は首をゴキゴキと鳴らすと軽い柔軟をした。

「さあって、ゼツも仕事に取り掛かったことだし…俺もッ!!」

そう言って壁から覗く魔法陣に向かって、棍棒を勢いよく振り下ろした。一撃で床にヒビが入る。更に二、三度叩きつけると剛力に耐えきらずその部分だけ穴が空いた。木造の骨組みが穴から覗いている。

「あー、結構吹き抜けちゃうのね。これ残りの部屋壊したら最後の部屋って相当グラグラするけど大丈夫なんかな?や、それでぶっ壊れてくれるならまぁまだマシなんだけど。」

振り返り扉の方に向き直った。足音は聞こえない。1周にはそれなりに時間がかかるようだ。

「コレをあと3つ…ゼツ、時間稼いでくれよォ!!」

そういうと次の部屋へ向かうべく勢いよく飛び出した。



「おっそ…思ったより引き離せねぇじゃんこれ」

空中にふよふよと浮き、後退しながらボソッと呟いた。

先は不意に現れた驚きで全速力だったが、いざ対峙し追いかけられて見ると速度は早いものではなかった。恐らく桜鬼は反対方向からぐるっと回ってくるだろうがそれでもこの速度では鉢合わせしたら不味い。

「コレならここでちょっと抑える位でアイツ何とかしてくれるだろ」

そういうとゼツは床に降り立ち、ほう、と息を吐いた。

「足を止めろ。」

村を襲った骸骨を霧散させた言霊を赤ん坊に放つ。

ぴたりと赤ん坊の足が止まった。

心が構築される年齢への効果が特に強いため、不確定要素の多い赤ん坊では自信がなかったが…

「上手くいったか。このままここで足止め──」

赤ん坊はべしっとゼツを真上から叩いた。そのまま二、三度バシバシとゼツごと床を叩いてまた見つめた。

ゼツは肉厚な手のひらに押しつぶされ、床に大の字に延びた。

「…クソガキ」

体を起こして再びゼツは赤ん坊の誘導を始める。

…と起き上がった矢先に今度は壁にビンタで叩きつけられた。

連続しての攻撃に思わず目の前が白黒に明滅する。

数秒失神していたようだった。興味を無くした赤ん坊が通り過ぎようとする気配で目が覚めた。

「ヤッベ…まだそっち行くんじゃねぇ!!」

体をうつ伏せにし、必死に手を伸ばすと足の指先に手が届いた。足指のひとつを掴み気を引こうとする。上手くいったようで、赤ん坊は振り返ると、狭苦しそうに廊下の壁に自身の体を擦り付けながら180度回転しゼツに向き直る。

そして右手でゼツの腕を握った。

「マズ…」

しまったと思ったのもつかの間。そのまま廊下外側、分と大きく振って窓の壁に思い切りゼツを叩きつけた。

「……!!」

声もなく絶叫する。抵抗する間も力もなく、赤ん坊はゼツを胴体から握り締めた。

抜け出そうと抵抗するゼツの眼前に、何かムズムズするような赤ん坊の表情が目に入った。次の瞬間、

「嘘だろ」

なんとそれまで四つん這いで駆け回っていた赤ん坊が立ち上がった。ミキミキと音を立てて頭が天井を破り、そのまま胸元まで屋根裏へと貫通した。

赤ん坊は自分が立ち上がれた喜びを感じ始めたのか、右手のゼツを握りしめたまま、天井を胸で突き破りながら廊下を疾走し始めた。

「お、おお、おおおおおっ!!」

ぶらんぶらんとぬいぐるみのようにゼツ身体が大きく揺れる。車酔いのような感覚になりそのまま嘔吐するが赤ん坊はお構い無しに走り抜けていく。

「さ…ぎ……くら…ぎ…」

激しい眩暈を感じながらゼツは叫んだ。赤ん坊がとうとう部屋のひとつに、壁を破壊しながら侵入してしまった。

「桜鬼ィィィィーーーッ!!!」



「ゼツと鉢合わせしないってことは誘導が上手く行ってるってってことだよな。上手くいってるといいんだ…けどっ!!」

最後の一部屋の魔法陣をぶち抜いた。実感は無いが、ゼツの言う通りならこれで隠し部屋への壁、そしてその奥にある魔法陣を壊せる準備が整ったことになる。

「赤ん坊とは反対方向に来てたからまだここには来なさそうかな…。1回音が聞こえたから見送ったけど、それでもだいぶ離れた気がする。」

ちらっと壁を見やる。先にやっててもいいか──

「そぉーれっ!!」

棍棒で壁をぶん殴る。すると最初の時とは打って変わって、壁はいとも簡単に音を立てて崩れ、隠された部屋が姿を表した。

ゼツの見立て通り、奥には魔法陣の中枢が書かれただけのシンプルな小部屋が現れた。天井はこれまでの部屋と違い吹き抜けている。桜鬼がいる三方の部屋から空けた穴の一部が床に覗いている。

地震が開けた穴を跨いで隠し部屋、魔法陣の中枢まで歩み寄る。

「ここぶっ壊しゃ全部終わりだ!でもあの赤ん坊どうやって下まで連れていこうか…」

その時だった。バキバキ、ミシミシと大きな音が廊下から響いた。扉は閉めていたがそれでも桜鬼の部屋まで聞こえるほど大きい音だった。

「はい?」

思わず入ってきた扉を見つめた。そしてまたもや音が響いた。しかし今までとは違い、どしどしという足音に、木造の建物を破壊する音が一緒に聞こえる。

「おいおい…この期に及んでまたなんか来るのか…?いよいよピンチってやつー…?」

音は近くなってきた。棍棒を構え、数秒後…

入ドアの壁をぶち破って何者かの胴体と脚が目に入ってきた。思わずギョッと引いた。

「は?…なん…なに…?どゆこと…?」

天井がバキバキと音を立てて崩れ、先程の赤ん坊の顔が覗く。桜鬼の存在を感じ取り覗き込んだらしい。

「桜鬼ィィィィーーーッ!!!」

桜鬼は声のする方へと振り返った

赤ん坊から声のした方へバッと顔を向けると右手には握りしめられたゼツが桜鬼の方を向いて叫んでいる。

「お前何してんの!?誘導するって言ってたじゃん!こっちに連れてきちゃ意味ねぇじゃん!や、もう終わるけどさぁ!!」

「俺、に言われて、も、ガキが、勝、手に」

ぐわんぐわんと揺られながらゼツが叫んだ。

マトモな言葉を発したゼツに再び興味が湧いたらしい。赤ん坊は握った手を自身の顔の前に上げた。

そしてなんと口を開けてゼツを頬ばろうとした始めた!

「あ、ヤバ、おい、おい!もう終わるんだよな!?終わるよな!?とっととそこの床ぶち抜けって!そしたらあとこの赤ん坊連れてくだけだろう!早くしろ!」

「いや、そだけど状況がイマイチ呑み込め…」

「言ってる場合かーーッ!俺がどうなってもいいのかーッ!」

狼狽えながら、それでも状況を打開するために棍棒を振り下ろす。だがそれまでの床とは材質が違うのか、あまりダメージが通っていない。

手に伝わる反動に顔をしかめるがやめるわけにはいかない。ここでやめてはゼツが危ない…色んな意味で。

二度、三度、棍棒を振り下ろす。徐々に床にヒビが、少しずつ広がっていく。

一方のゼツはというと、元が赤ん坊の握力ゆえダメージはあまり無いが、それでも大きな手に捕まれており体は軋む。

手の中から逃れようともがくが、手も足も不自由なため上手く抜け出せない。生えかけの乳歯が見える口内がゼツの眼前に迫ってくる。

「やめっ、俺おしゃぶりじゃねぇから!!あっ、み、耳、耳にヨダレがッ!桜鬼!早くしろーっ!してくれェーーッ!!」

ゼツの言葉を背中に、残った力を全て棍棒を握る拳へと注ぎ込む。

「うおおおおーーーーーッッッッ!!!!!」

最後の一撃をぶつけると、支柱諸共、魔法陣の床が粉々に砕け散った。

床が割れ、 三人は落下した。急な落下で驚いた赤ん坊がゼツを解放した。下は暗闇だったはずが二人が入った入口の階が見えた。

階下にあの女性が立っている。驚きと喜びに満ちた表情で─そして赤ん坊も両手を広げ、二人の手が触れた。

そして辺りは眩い光に包まれ───



気がつくと桜鬼とゼツは草原に寝転んでいた。湿地帯の中、館のあった場所だけが綺麗に草原になっている。

雲から伸びた光が周囲をまばらに照らしている。

「終わ…った?」

「のか…?」

二人はゆっくりと当たりを見回したが、今まで駆け回った屋敷もあとかたもなく消えている。

そよ風が吹き、雲の切れ間から伸びる光に眩しさを感じながら桜鬼が問いかけた。

「あの人、もうこの世にいなかったのかな。」

「いや、存在感は滅茶苦茶薄いけど確かにあったよ。」

起き上がり、足元の草を弄りながらゼツが答えた。

「ただ元々いた世界から無理やり連れてこられたせいであやふやな感じになってた…んじゃない?お前んとこに喧嘩ふっかけたヤツの力が強いから、余計に存在が薄まってた気がするけど。」

ゼツの説明が風に流れていく。今まで疑問に思ってたことを桜鬼はゼツに聞いた。

「なんかちょくちょく言ってる世界とかもよくわかんないんだけど。この世って一つっきりじゃないの?」

少し考えて、ゼツは口を開いた。

「なんつーか、その人のメンタル…あー精神?とか人生とかがひとつの壮大な世界なわけ。ソレがお前みたいに強い力を持ったやつだとそういうのが拡張されて、人それぞれの世界ができ上がる。」

「皆それぞれ世界があんの!?そしたら一つ、二つ…どうしよう、指足りない!」

「縦に割いたら2倍に増えるからそれで間に合わせとけ」

面倒くさそうに、適当に返すとゼツは赤ん坊の残ったヨダレをゴシゴシと吹いた。

「で、どうすんの。結局お人好しした挙句向こうへの手がかりゼロじゃねーか。女もいねーし。前進どころか時間使った分後退だぞ。」

かなりイライラしたようにゼツは問いかける。彼にしてみれば桜鬼のお人好しに付き合わされた挙句、赤ん坊のおもちゃにされ、危うく口に放り込まれるところだった。怒るのも無理は無い。桜鬼は申し訳なさそうに下を向いた。

確かに元はと言えば元凶がいると思われる海の向こうに行くための情報を得られるかもという期待の元に館に入ったのに、釣果ゼロ。その事実が余計に桜鬼の心にくい込んだ。

「まぁ…仰る通りで…ございます…いや本当にどうしようか…」

その時、桜鬼の足元に古い羊皮紙が転がっているのを見つけた。

「あ?んだコレ、随分古いな。」

桜鬼が羊皮紙を広げて、ゼツも覗き込む。

「なんか色々書いてあるけど読めないな…別の言葉かな?」

「ガッツリ日本語だわアホタレ。お前教えてやった漢字も全部忘れてるじゃねーか、貸してみ。」

端から目を滑らせてゼツが読んでいく。

暫くして独り言のように口を開いた。

「馬頭首(めずくび)の伝説とか書かれてる。」

「馬頭って言うと地獄にいるって言う番人のこと?」

桜鬼は記憶を辿った。牛頭(ごず)と馬頭(めず)。古くから地獄に堕ちた罪人の刑罰を管理、実行ないし強制させる役割を持った異形の怪物。

「でも伝承とかならともかく、それ単体で、しかも首の伝説ってどういうこと?」

「ちょいまち、読んでみっから。」

しばらく内容を吟味した後、解説をするかのようにゼツは話し出した。

「馬頭の三人(…人?)が刑罰を執行するだけの日々に嫌気がさし、人間に同情してしまう。作戦を立てて、本来善人だが環境ゆえ過ちを犯してしまった罪人だけをこっそり天国に逃がした。それを閻魔様が見つけ怒り狂い、罰として3人の首をはねてこの世のどこかに隠した…という話らしい。」

一通りはなしてクルクルと羊皮紙を巻き直した。そして掲げて首を傾げて誰に言うとでもなく疑問を口にした。

「しかしなんでここにそれが落ちてんだ?立地でいうと館があったトコだが、俺たちのおかげできれいさっぱり無くなった…というか元の世界に帰ったはず。多分これも館のものだから一緒に元の世界に帰るべき。なんでこれだけここに残ってるか謎じゃね?」

うーんと二人で考え込んでしまう。答えは見つからない。

「馬頭首は全て集めると、再び苦しみに足掻く人間の願いを叶えてくれる、といういわれがある」

「誰?」

振り返るとそこには、後光を浴びながら一人の男が立っていた。

「恐らく君たちが解放した館の主が礼のひとつとして残したのだろう、君たちの行く末の助けになれば…と。」

「お前は…」

「私はフォウル。私も、君たちの世界に迷い込んだ者の1人だ。」

フォウルと名乗るその男は、かすかに微笑んで二人に笑いかけた。



To be continue...

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