第2話 -風立つ館-

桜鬼が旅立ちを決意してから約2時間。

闇に閉ざされた空間で、ナレフはまだ彼の女と対峙していた。桜鬼の世界を侵食したもの。今彼の世界に住まう人間の平穏を脅かすもの。

腕力であればナレフの方に分があるようではあるが、この状況において追い詰められているのはナレフの方であるようだ。肩で息をしながら、汗をかいて女を睨みつけている。

「大分息が上がってるようだけど大丈夫ですか〜?まだ続けます?」

余裕綽々と言った感じで女は男に問いかけた。

それには答えなかったがナレフの内心は焦りに満ちていた。

(おかしい…既に致命傷は何発か叩き込んでる筈だが……手応えだって確かに……)

対峙してから既に彼は決定打を何発か切り込んでいる…ハズだったがその傷跡も女には見受けられない。通常であれば決着はとうについていたが、女の方はそれを感じさせない態度がありありと見えている。

髪をくるくると弄りながらつまらなさそうに女が口を開く。

「まだ本気の何分の一かしかないんですが。もうちょっと楽しめると思ったんだけどなー、期待はずれか。こっちにつく気がないなら、もう食っちゃおうかな。命乞いの時間くらいはあげてもいーよ。」

女はそう呟くと数メートル宙に浮いた。トドメを刺しに来る、そう直感した。

(非常にマズい…コイツを真正面から相手するのは!鬼っ子にこれを伝えなければ、間違いなく先に狩られるのはアイツ!)

ナレフは剣を振り上げ、女は切り込んでくるかと身構えた。が、女には切りかからず、ナレフは後ろを向いて上げた剣を虚空に向かって勢いよく振り下ろした。

すると暗闇の空間に剣筋が光の後となって残り、その筋がぱっくりと割れ、外の光が差し込んだ。暗闇に急に差し込んだ光に女は目を覆った。

開いた空間が閉じた時、ナレフの姿はもうその場には無かった。

「…逃げられたか。最後っ屁に面白いの見せてくれちゃって、ちょっと気になるじゃない。」

しかしそんなことは気にもとめる様子はなく女はつぶやく。暫く思案するような表情を浮かべ、

「もうちょっとだけ遊ばせてもらお。食べるのはそれからでも遅くはないでしょ!」

新しいおもちゃを見つけた子供のように、うきうきと女は自らの住処に戻って行った。




一方。桜鬼とゼツは村を抜け出て、広がる湿地帯を進んでいた。村を出てさらに数時間が経過し、遠くに見えていた山も洋館も少し近くに見えた。

夜になり、2人は火を起こし野宿の支度を整える。

「割と海までは距離ないんだな。これなる数日で着くんじゃない?」

僅かな星あかりでも桜鬼の目には、海までの距離を見るには十分だった。額に手を当て、目を細めて見つめている。

湿地帯の先には少しばかりの砂浜がある。村正面から湿地帯を直進、砂浜から橋がかかった海が見える形だ。

「な。二日も歩けば十分かも。馬でも手に入ればもうちょっと早く着きそうなもんだけど。」

「途中の館も火山も寄らなくて良さそうな。ゼツが教えてくれる物語とかだと、そういうとこに行って手下共倒さなきゃ親玉のところまで行けない、とかいうの。けっこうあるよね。」

「あるある。まー現実そんなに面倒なことしなくても良さそうなもんだし。ココに凸してきた大将に部下がいないだけかもしんねーけど。」

「一人で生きてるってことか…俺とか定期的に村人と遊んだりしてないと寂しくて死にそうだわ。」

「お前寂しがりだもんな。見てたら丸わかりだわ。」

2人はそこまで話して黙り込んだ。しばらくして桜鬼が語り出す。

「…ナレフ、まだ戻って来なさそうだな。」

「村人には伝えてきたし大丈夫っしょ。ひょっとしたら村人の護衛にまわってる可能性も捨てきれないし、まだ心配するのははえーんじゃねーか?」

「かもね。でも出てくるやつも得体の知れないものばかりだし、本当に大丈夫なんかな…」

「アイツはお前と違って色んなところ渡り歩いて修羅場くぐってきてる。まぁ多少護身程度かも知らんけど剣術も使えたろ。そこまで心配する事ァねえって。」

そういうとこゼツは空中でごろんと背を向けて横になった。

「お前も寝とけ。昨日の今日でまともに休んでねーだろ。起きたら暫くは海に向かって真っ直ぐ行って見りゃいい。おやすみ。」

会話を打ち切ってゼツは寝息を立て始めた。

残してきた村人達、ナレフのこと、気にかかることはあったが、ゼツの言うことも一理ある。目下自分のなすべきことを成すため、桜鬼も眠りに入った。

夢は見なかった。


翌朝。

まだ日も登りきらないうちに2人は出発し、海をめざした。途中社を出る時に用意した握り飯を少しずつ頬張りながら、一直線に海へと向かっていく。

洋館を通り過ぎ、夕刻になる。山の麓の荒れた土地が左手に近い。荒地では流石に眠れそうになかったため、2人は湿地側に生えた木の上でまた一晩をすごした。

そしてまた翌日、さらに翌日と過ぎ──

流石に痺れを切らした。

「いや遠ッ!!歩いても歩いても距離が縮まんないんですけど!?」

耐えかねて桜鬼が叫ぶ。約三日ほど歩きっぱなしのため疲れが滲んでいる。一方のゼツはと言うと常に浮いているためかいつもの無表情のままだ。

「いや二日歩いた時点で気づけよ。ホントストップかけなきゃどこまでも行くんだな。家畜だって疲れたら休むぞ。」

「比較対象もう少し何とかならない?…とにかくただ歩いただけじゃダメだってのは分かったな、んー何とかならないかな?」

「どっか別の村でもありゃ情報集めてくるんだがな。ンなもん見当たらないし。どうしたもんか…」

そうして辺りを見回すと、いつの間にか通り過ぎたはずの洋館が右手側、木々の奥に見えていた。

「…アソコってだいぶ前に通り過ぎたよね。」

「おう、二日と少し前くらいか?戻ってきてる…ってことは無さそうだけど。」

2人はしばし考えた。やがてお互いの目を合わせて

「…入る?」

「……入っちゃおうか。」

そして吸い込まれるように館の入口に向かって歩き出した。


館はそこまで大きいものでは無かったが、外界に出たことない桜鬼にとって入るのを躊躇うには十分な大きさだった。

「おぉ…これがようかん、ってやつか…ゼツとかナレフの話すおとぎ話でしか知らなかったけどこう言う感じなのか…」

「ぜんッぜんシンプルだけど、まぁこんな感じ。んー、二、三階建てってところか。廊下あり、中庭はどうなんだろ。ここからじゃわからん。」

「まぁとりあえず入ってみようぜ!なんか緊張するな…」

そうして扉に手をかけた。両開き、高さは三メートルほど。かんぬきはかけられていないため、手で押すと軋みながら開いていく。

完全に開ききって、2人は中に入った。

「呼び鈴とか使わない辺り文明から離れてる感出てて最高だわ。持ち主に殺されても文句言えないな。」

「…開けたあとで言わないでくれよ、頼むからさ。」

入ってきた扉は重さで自然と閉じた。

中は豪華な装飾が使われていたが、明かりが灯っていないため華やかさは無い。入ったすぐ前には食卓があり、さらに正面奥には階段が伸びている。踊り場を経てまた正面へ階段が伸び、壁にぶつかった二つ目の踊り場から左右に階段が続き、奥へと続いている。が、彼らの視点からでは先は見えない。

左右に別れた階段下、踊り場の壁には、この館の主のものと思われる女性の絵画が飾られていた。

「あの絵画に描かれてる人が持ち主かな?いつ描かれたのかな。」

「時間の流れが俺が回ってきた世界とお前の世界じゃ違うから、具体的な年数はわかんねぇけど…それでもだいぶ前そうだな。」

「呼んだら出てきてくれないかな。すいませーーーん!!誰かいないっすかーーーー???」

桜鬼が叫ぶも返事は無い。短く反響した後にコダマもせずに消えていく。

「……誰もいない…のかな?寝るにはまだ早いよな?」

「まだ昼に差し掛かったくらいだし早すぎるだろ。」

「あんまり邪魔しちゃ悪いし、一旦出ようか。」

「あり。なんか辛気臭せーし、いっぺん出るか。」

そうして扉に手をかけたが、

「あれ?」

「どしたの」

「あかない……」

力を込めて扉を押すがびくともしない。鬼である桜鬼の力であれば、入ってきた時のように開けるのは簡単であるはずだが今は押しても引いてもビクともしない。木材の扉だが軋む様子すらなかった。

「閉じ込められた?」

その時、足元を風が抜けた。窓も割れてる様子はなく、天井に穴も空いていないのに風が吹いている。

「…この風、どこから吹いてる?」

「わからん。用心した方がいいかもしれねぇ。」

桜鬼は懐から棍棒を取り出し構え、ゼツも浮きながらにして警戒体制を整え、地面との距離を縮めた。

また風が吹き抜ける。生唾を飲み込む音がやけに大きい。

その時、絵画が掛けられた壁の向こうからドレスを纏った女性が歩いてきた。

身の丈は二人よりも少し小さいが、気品のある歩き方で一段ずつ階段を降りてくる。その女性は僅かな悲しみを称えた顔で二人の方を見つめると、口を開いた。

「…てください……」

女の声はか細く、口もほとんど開かなかったが二人の耳には近くで囁かれたように聞こえた。

「助けて…ください…私の……愛し子を……」

「愛し子…?」

「どこにも見えないのです…確かに私は……抱いていたはず…我が子を……この手に……」

──敵意は無さそう──

桜鬼は目でゼツにそう合図すると棍棒をしまい込み、女性と階段を挟んで向き合った。桜鬼が見上げる形になる。

「子供が居ないってことか?」

女性が僅かに首を提げて頷く。

「外に出たってことは無いのか?子供は知らないうちにどっかに行っちまうもんだから。もうここにはいないかもしれなくない?」

ゼツも桜鬼の横に来て問いかける。

その問いに女性はまた伏し目がちに答えた。

「館には…ここには……います……私の子ですから……感じるのです……あの子の存在を…命を…」

「女の勘、ないし親の直感、ってやつか」

「あの子はまだ……幼いのです…ですから不安で……泣いています……私には……分かるのです……」

女性はそれ以上語ることはなく、俯いた。

隣にいたゼツがそっと耳打ちする。

「おい、構わずに窓でもかち割ってこっから出よう。ただでさえ時間が無いのにこんなところで道草食ってらんねえって。」

「それはまぁそうなんだけど……いやでも、親に会えない子供って、結構悲しいというか、寂しいと思うんだ。狭い村だけど人は多いからいないってことはなかったじゃん。だから…」

おい、と言ってゼツはぐいと桜鬼の頭をさらに自分に寄せた。

「お人好しはお前のいいとろでもあって悪いところだ。確かに親の情ってのは、俺でも理解はできる。迷子のガキの気持ちもな。なんとなくだけど。だが優先順位ってもんがあるだろ?な?」

「う…まぁそれは…確かにそう…だけど…」

「お前が今助けたいのはどっちだ?お前んとこの村のやつか、急に湧いて出た得体のしれない女か。よく考えろ。」

ゼツの言うことももっともだ。しかし目の前の女性を放っておくこともできない、桜鬼の気持ちも膨れ上がるばかりだ。

──どうするか、──

暫く考え、桜鬼は口を開いた。

「わかった。アンタの子探し、手伝うわ!」

その言葉にゼツは顔をしかめ天を仰いだ。女性は悲しげな表情のまま、しかし僅かに嬉しさに微笑んだ。

「お前…後で後悔しても知らないからな。」

「俺が決めたことだしな、別にいいよ。ちゃっちゃと終わらせれば問題ねーだろ!」

それに、といって親指で後ろの扉を指さす。

「多分これも腕力で開くもんじゃねーだろ。多分助けてあげないと出られなさそうだし。」

「いや絶対ほかにルートが…まぁもういいや、そういうことにしとくわ。」

「それでいーだろ今は…でさ、アンタの子供って…アレ?」

二人は再び女性の方に目をやったはずだが、そこに先ほどの女性の姿はなかった。

「今までそこにいた…よね?」

「あぁ」

「いなくね?」

「あぁ」

「いや淡泊すぎかよ!ちょっとは怖がれよ!お化けだったの!?あの人!!」

「お前もヨソからしたらお化けみたいなもんだろ。」

「そうなの?皆俺とおんなじなんじゃないの?俺って化け物の類だったの?ねえ?」

不機嫌そうなゼツは耳を貸さず、階段を上っていく。不思議そうな顔をして桜鬼も後に続いた。


暫くして。二人は館の二階を一通り見終えた。

二階に上がっても日の光が十分とは言えなかったため、途中の部屋にあった蝋燭とマッチを拝借し、ぐるりと見て回った後だった。廊下の一角で二人は情報をまとめた。

「外から見たら結構大きめに見えたのに、中の構造って意外とシンプルなのな。もうちょっと入り組んでるかと思ったけど。」

「だな。二週くらいして大体間取りはつかめた。」

ゼツは歩きながら簡単な地図を描いていた。

館の構造はこうだ。

二人が入ってきた一階、そこから左右に上に伸びていた階段を上り、二階に上がる。

右の階段を上がった場合は左、左の階段を上った場合は右に進むと繋がっている廊下に出る。二階は廊下を繋ぐと真四角となり、ようは階段のどちらを上っても同じ場所に行きつく構造になっている。

そして廊下に囲まれた四角の面一つにつきドアが一つついており、そこが各部屋の入り口だった。

「途中の部屋も観たよな?」

「うん。寝室が二つ、子供部屋が一つ。客間が一つ。やっぱ見た目のわりに部屋も少ねーんだよな。」

「もともとあんまり客が来ることを考えてないのかもな。別荘みたいな感じで。」

「そうか?でもそれってなんだか…寂しい気がする。」

「オメーが寂しがりだからだろ。すべての人がそうってわけじゃない。少ない人間関係でも十分ってヤツも世の中にはわんさかいるんだよ。」

「そういう…もんかな。」

「それよりもさ、不可解だと思わねえ?」

「なにが?」

「あの女、自分の子供を探してるって言ってたろ。」

「あぁ。」

「だとするとあまりにも不自然だ。どの部屋を探してもガキがいそうな痕跡なんてなかった。館の構造も非常にシンプル。いくらちょっと大きいからって、こんな簡単な構造で自分の子供見つけられないもんか?」

「いや、どっかに潜んでんのかもしれないじゃん。幾つの子か知らねーけど、興味本位で隠れた場所から出らんなくなったとか、ありそうじゃない?」

その問いに対しゼツはいいや、と答えて首を振った。

「それでも多分あの女自身で見つけてるだろ。廊下も1時間足らずで見て回れるほどしかない。スペースがもったいないくらいただ広いだけ。だのに自分で見つけられない。オマケに他の人間の気配すら無い。いよいよわけわかんねえわ。」

「うーん、消えた子供に空っぽの館、か…」

行き詰まり、二人は首をかしげて考え込んでしまった。


どれくらいの時間がたっただろうか。遠くから聞こえる音に最初に気が付いたのは桜鬼の方だった。

「…おい、何か聞こえる。何の音だ?」

「は?俺にはなんも聞こえねえけど。」

「した。確かにした。何か叩いてる…?」

ドン。ドン。ドン。

僅かだったその音はやがてゼツにも認知できた。

「音、というか地震?何の音だ?」

音はどんどん二人に近づいてきた。

地響きがどんどん近づいてくる。冷汗が二人のほほを伝った。

そして二人の真後ろで地響きはぴたりとやんだ。

どうやら廊下を伝って二人の背後に来たらしい。

暫くしてゼツが顔を動かさず呟いた。

「お前先後ろ向けよ。」

「いや…いや、ゼツさんからどうぞ?」

「いや、俺はいいよ。別に。」

「なんで?」

「なんで…ってそりゃぁ…飽きたから?」

「言い訳苦しすぎるだろ!いやもうこうなったら二人で」

その時二人の頭にべちょり、と大量のなにかが落ちてきた。液体の様だ。

二人は顔を見合わせて恐る恐る真上を見た。そしてすぐに、落ちてきた液体がその者のよだれであると理解した。



二人の後ろに、巨大な赤ん坊が二人を見下ろしていた。


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