Chapter 2-5

 人にまぎれ、世の闇に跋扈ばっこする物の怪たちがいた。はたまた彼奴きゃつらを『魔』と呼びならわし、これを討つ退魔の者たちがいた。

 彼らの戦いは現代に至るまでも続いており、なかでも『扇空寺せんくうじ』の歴史は古く、『魔』はおろか同じ退魔の者たちからもおそれられる集団である。


 京太は強面たちを従え、その先頭に立つ。


「ようやくお出ましか、扇空寺の」

「なんだよ、こっちはぞろぞろ引き連れてきたってのに、出迎えはあんただけかい? 鷲澤のじいさん」


 軽口を叩きながらも、京太は目の前の人物を睨みつけていた。


 鷲澤老。『魔』の集団としてはこの地域で最大の勢力を誇る、『鷲澤』の当主だ。『扇空寺』とは何代も前から因縁のある相手である。


「どうやら最近、ウチのシマで勝手してくれてるみてぇじゃねぇか。一応訊くぜ。どういうつもりだ?」

「決まっておる。貴様らにっくき『扇空寺』を潰し、『魔』が表を跋扈する混沌の世界を造るのよ」

「はっ、そいつぁ結構。その歳で悪の親玉気取りたぁ見上げた根性だぜ」


 この狸爺たぬきじじいとはまともな問答は望めないようだ。ならばこれ以上は不要。


 にらみ合う。

 彼奴の身体から、黒いもやのようなものが禍々まがまがしく立ち昇る。


 黄泉の言葉に、棗や不動、紗悠里に強面たちがそれぞれの獲物を手に構えた。

 今にも飛び出しそうな彼らを、京太は左手を上げて制する。


 その瞬間、鷲澤老の放つ靄が形を変え、無数の『魔』が現れる。

 これが彼奴の軍勢か。


「さて、では始めるとしようかの」

「そうだな」


 鯉口を切る。その一瞬、京太の瞳に紅い光が灯った。


 左手を振り下ろす。瞬間、両軍勢が同時に動き出す。

 開戦。

 先陣を切ったのは棗だ。長い髪を紐で縛り、襟足から下を一本にまとめた彼の獲物は槍。

 襲い来る野犬のような『魔』は、影で形作られたかのような低級にすぎないが、これが群れで襲いかかってくるとなれば脅威きょうい度は跳ね上がる。


 しかし棗は臆せずこれを薙ぎ払う。槍の穂先で弾き飛ばされた『魔』どもは、地面に叩きつけられて消滅していく。

 続いて棗の前に躍り出たのは、人間の二倍はあろうかという巨躯の『魔』である。彼奴は工場の廃材を振り回して襲いかかってくる。

 棗はこれを槍で受け止めるが、力比べとなってはひとたまりもないのか押し返せない。


「はっ!」


 その巨躯を掌底一つで吹き飛ばしたのは不動だ。


「不動の旦那!」

「こっちはいい。お前は若のおそばを離れるな」

「押忍!」


 棗が下がるのを背に、不動は続いて襲い来る敵を叩き伏せていく。


 その棗が盾になるように前に立った当の京太は、一歩も動くことなく鷲澤老との睨み合いを続けていた。隣には紗悠里が並び立ち、三人の陣形を形作る。

 鷲澤老の脇には、蛇の面を付けた人型の『魔』――鷲澤の忍が控えていた。


 まるでそれは台風の目か。周囲の戦いの中で、ここだけが静寂に凪いでいた。


「……どうした。来ねぇのか?」


 答えはない。

 じり、と地面の砂がかすかに擦れる。両者が互いの隙を伺っていた。ほんのわずかな隙も見逃さないよう互いを注視している。

 そのさなかだ。

 突如としてこの均衡に横入りしてくる『魔』が現れた。京太の両脇から飛びかかってくる犬型の『魔』が三匹。


 京太たちがこれを打ち据える。

 その一瞬の間に、忍は距離を詰めていた。


「しまっ……若!!」


 棗の脇をすり抜け、一挙に京太に肉薄する忍の手にあったのは苦無だ。

 常人では到底反応できない速さで京太を幾度も斬り付ける。しかし京太はそのことごとくを鞘にしまったままの大太刀で打ち払う。


 幾合にものぼる斬り合いを重ねたのち、両者は再び距離を取る。


「……やるじゃねぇか。こいつを抜く価値はありそうだな」


 京太は大太刀を腰に戻し、左手でその柄を握る。その眼に灯った紅が更に深みを増し、爛々と輝きを放ち出す。


 ――鬼。

 その立ち姿に鷲澤老が見たものは、果たして幻覚だっただろうか。


「現れたか……! 扇空寺の鬼!!」

「ご名答。お望み通り見せてやるぜ、鬼の力をよ。気を付けな。この力、強過ぎちまって加減ができねぇからよ」


 間違いない。それはもう、人間とは遥かに違う次元に存在する生物、鬼だ。今や京太の肉体は人間とは別の物に組み変えられている。


 夜になると京太の中に眠る鬼の血が活性化を始める。彼が夜通し酒を飲み続けられるのもこれが要因だ。鬼の力を目覚めさせなくても、活性化している血が薬や毒などの有害な物質を受け付けなくなるためだった。『魔』という最大の敵に対する抵抗力の余波である。

 活性化した力が完全に目覚めると、京太は鬼と言う存在に作り変えられる。未だ自由に力を操ることはできないが、魔との戦闘態勢ともなれば確実に力は発現する。


「正直言って俺は、この力が怖い。人じゃ在り得ない力に引き込まれて、俺という存在が人間から遠ざかって行く感覚が堪らなく厭なんだ。だがそれでも。俺は魔どもをこの手で討つと誓った」


 『龍伽』を抜き放つ。その瞬間、鷲澤老は白銀の煌めきがスパークするのを垣間見た。


「扇空寺組頭領、扇空寺京太。推して参る」


 瞬間、既に京太の姿は忍の懐に迫っていた。


 ――扇空時流、霞時雨。


 懐に深く飛び込んで放たれるのは、首を狙った斬り上げだ。これを避けることができたのは偶然か、それとも忍自身の反射神経の賜物か。

 しかし元よりこの技は二段構え。すぐさま切り返しての斬り下ろしが打ち込まれる。


 だが彼奴はそれも避けてみせた。回避に成功したのはひとえにそれだけに集中したからだ。

 反撃など考える余裕はなかった。避けきらなければ、死ぬ。

 生存本能が彼奴を救った。その事実が既に、両者の格を決定づけていることに気付いたのか否か。


「往生しな」


 ――扇空時流、焔楓。


 胸を、心臓を、背中を。白銀の刃が貫き、鮮血がその場に流れた。


 刃を抜く。血を払うと、忍は地面に倒れ伏した。


「さて。あとはあんただけだな、鷲澤のじいさん。その首級、貰い受け――」

「――ちょっと待ちなよ」

「!?」


 突如として聞こえた声とともに、闇の中から何者かが現れた。

 いや、それは京太にとって馴染みの深い少女の姿だった。


「空!!」


 蛇に絡み付かれ、身動きが取れなくなっている彼女は、どうやら意識を失っている様子だった。

 そんな彼女の身体を運ぶ者の姿が見えてくる。


 その姿に、京太は目を見開いた。


「やあ。久し振りだね、京太」

「天苗……双刃……!!」

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