第2話 なけない獣、ないた龍
「時々会いに来るから。母さんも、多分おれだったら文句ないと思うけど……。ちなみにおれたちの住所はここ」
おれたち、のなかに、私はいない。
兄はここではない住所の書かれた紙を渡した。同じ北海道内ではあるが、あまりに離れすぎていた。
「海が近いんだね。いいな」
「……そんな顔すんなよ。今生の別れでもないんだし。またドラクエ、一緒にやろうな」
「にいちゃん……あのさ……」
口にしかけた逡巡を、兄の明るい声が薙ぎ払った。
「なんだ? 寂しいか? ハグしてやろうか?」
「はー? もう、キモいっ、あっち行って」
あの夜、母と父の離婚が決まった。
持ち家は事実上の稼ぎ頭である母が所有する事となり、私は必要となる養育費の額から、経済力のある母が引き取る事に決まった。父の不安定な所得と職歴では扶養できないとの判断を弁護士が下したらしい。兄は大学生でアルバイトができるという理由から、どちらが引き取っても問題なかったらしいけれど──。
最初で最後の家族会議のとき、にいさんは無彩な空気に温度を塗るように、父へ笑顔を向けた。
「おれは父さんと一緒がいいな」
父は眉一つ動かさず、憮然と黙りこくっていたが、
「真考人がそれでいいなら俺からは何も」
と珍しく念入りな言葉を吐いた。
それを聞き、じゃあ決まりね、と母がまとめる。
とんとん拍子で折り合いがつけられていく。私は、まるで鳴き方を忘れた獣の置物のように、ただそこにいた。
不相応なほどに剽軽な兄と、
だれとも目を合わせようとしない父。
弁護士とばかりせわしく話す母。
椅子に置かれたような私。
二人分の荷物を載せたトラックが大通りに出ると、続いて、父の運転する黒い軽自動車がウィンカーを出した。と、助手席の窓が開き、兄が顔を出すと、大声で叫んだ。
「元気でな────」
手を振る兄が見えなくなるまで、私は、手を振りながら笑いかえす。やがて軽自動車は大通りを走る車に紛れて見えなくなった。
ふと、手を下ろす。
(……ちがう。)
「んー、さてと」
隣にいた母は気持ちよさそうな声で伸びをすると、
「お腹すくわよね。ご飯作ろうかね!」
そそくさと玄関に戻っていった。兄たちが消えていった大通りに視線をやったまま、私は、心臓の中で得体のしれないものが這うように、あばれ始めるのを感じた。
──鳴き方を忘れた獣なんかじゃない。
いつでも鳴けた。
鳴き損ねるような臆病者だから、置き去りにされ続けたのだ。
そのことに気付いたとき、迫り上がってきたそれが熱を帯びて、まぶたを焼くように溢れた。
「……わあああ……っ」
私は顔を覆ってないた。息を潜めていたなにかが口からとめどなく出ていく。心臓で暴れ始め、まぶたを焼いたものの正体が、私にはわからない。
昔、読んだ児童小説で、寂しいと泣いた日に龍が姿をあらわしたのを思い出す。これは、私の中の龍なのか。
むちゃくちゃに顔を拭った手が眼鏡をひっかけて、地面に落下する音がしたけれど、かまっていられなかった。
誰もいない。
さみしい、さみしい、寂しい。
戻ってきて。
あたりに鳴き声が響き渡る。
出ていった私の中の龍は、ついぞ、返事をしなかった。
デイドリームデイ @mugyuda
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