第61話 フィスニル
「チィ、食いでが無ぇ奴ばっかだな」
半裸の偉丈夫が吐き捨てるように言いました。
上半身は獣皮を一枚羽織るだけ、ズボンは履いていますが裸足で、薄っすら雪の積もる山には極めて不似合いなファッションをしています。
そんな彼の足下には今しがた仕留めた大きな鹿の死体が一つ。
両手に嵌めた鉤爪付きの籠手で倒したのです。
彼はその肉を引き裂き、〈火魔術〉で焼いて齧りつきました。
「ガキにせがまれ来てみたが魔境つってもこんなもんか。これなら第十九階層潜ってた方がマシだな」
鋭い八重歯で鹿肉を咀嚼しつつ、彼はそんなことを呟いていました。
彼の言うようにこの山岳地帯は魔境らしく、変異種もそれなりに存在します。
今、食べられている鹿さんも元は変異種でした。
その変異種を、彼は一対一で打ち破ったのです。
《装備品》をほとんど着けず、大した手傷もなく成し遂げてしまうことから彼の実力が窺えます。
恐らく、目的の人物と見て間違いないでしょう。
「失礼、少しよろしいでしょうか」
「いいぜぇ、食いながらで良かったらだけどな」
気配はある程度漏らしていたので、背後からの問いかけにも関わらず動揺なく返答してくださいます。
彼が振り返るのに合わせ、私も木陰から出て行きます。
「まさかたぁ思ったがやっぱし人間か。気配は弱ぇのによくここまで来られたな」
「気配を隠すのには長けておりますので」
実際、私はここまで戦闘を行わずに来ました。
彼の感知範囲内に入ってからは《自然体》の効果を弱めていましたが、他の魔物達は戦闘の巻き添えにならないよう逃げていたので襲われることはなかったのです。
そういった細かいことは置いておいて、自己紹介を始めます。
「私はヤマヒトと申します。以後、お見知りおきを」
「これはご丁寧にどうも。オレぁフィスニルってんだ」
「ファスニル領のフィスニル領主で相違ないでしょうか?」
「ああ」
彼は脚肉を喰い千切り、力強く頷きました。
貴族らしからぬ野趣溢れる仕草に少々自信が揺らいでいましたが、どうやら正解だったようです。
「この度はあなたを帝国屈指の達士と見込んでお願いがあって訪ねて来たのです」
「何だぁ、お前らの手に負えない変異種でも出たか?」
「それに近い頼みではありますね」
はぐらかす私にフィスニルさんは胡乱気な視線を向けて来ます。
「端的に言って、謀反に協力していただきたいのです」
「謀反? どこの領主を殺るんだ?」
「武帝さんです」
「はあ?」
数秒後、ようやく言葉の意味を理解したのか、口を開けて大笑し出しました。
「だっはっはっはっ、何を言うかと思えば武帝を殺したいィ? さっすがに無謀過ぎんぜおい!」
食べていた鹿肉が喉に詰まったのか、少し
それから一頻り笑った後、軽い調子で忠告してくださいます。
「いいか。武帝は無理だ、絶対な。聞かなかったことにしてやっから出直せ。六鬼将の一人くれぇなら話によっちゃ乗ってやっからよ」
もちろん武帝にバレないならだけどな、と付け足しました。
彼も武帝打倒は不可能と見ているようです。
相手は《レベル90》オーバーなのですから無理もありません。
「ご忠告ありがとうございます。ですがそれほど無謀な話でもないのです」
「んなこと言えんのは見たことがねぇからだ。ありゃぁ規格外だぜ。気配だけで『勝てねぇ』と思わされたのはアイツだけだ」
こうなることは分かっていましたが、やはり会話は平行線ですね。
実際にやって見せるとしましょう。
「わかりました。話は変わるのですが一つ、お手合わせ願えないでしょうか」
「おう、それならいいぜ。つってもあんたは武器がねぇみてぇだが……」
「いえ、私は徒手空拳で戦います」
「ほう、拳闘士たぁ珍しいな。いや、魔術師か?」
骨だけになった鹿の脚を放り捨て、好戦的な笑みを浮かべて立ち上がります。
私も半歩足を下げ、戦う構えを取りました。
気配の隠蔽も緩めます。
現在はフィスニルさんの六割ほどの気配で、身体能力もそのくらいしか使わないつもりです。
「合図はいるか?」
「フィスニルさんが必要でしたら」
「じゃあ無しでいいよ、なッ!」
言い終えるや、フィスニルさんが
ナイディンさんと異なり、フェイントをほとんど使わないため行動予測は容易です。
前傾姿勢で突き出された鉤爪を、手の甲で弾くようにして往なします。
即座に放たれる反対の手での追撃、けれどそれより数瞬早く私は踏み込んでいました。
間合いの奥へと入り、爪のない手首部分を右腕で受け止めます。
その際の衝撃を利用してより強く踏みしめ左手で掌底、フィスニルさんを数歩下がらせます。
「気配の割に重ぇ、やるじゃねぇかッ」
顔を僅かな苦痛と、多量の愉悦に歪めて叫びました。
私を格下ではなく同格と認識したのでしょう。
ギラリとした光を瞳に宿し、再び突っ込んできます。
「正しき人体理解と適切な操作があれば、身体能力の差は容易く埋められるのです」
言いつつ、彼の攻撃を防ぎます。
先程までより真剣味が増し、慎重になっているため反撃を差し込む隙は減りました。
鉤爪分のリーチを生かし、間合いギリギリからこちらを翻弄するようにヒットアンドアウェイを繰り返しています。
ただ、地味な攻撃には飽きたらしく、すぐに攻勢を強めました。
先程までの戦術ではフィスニルさんの体力消耗が激しかったため、思考の過程はどうあれ正しい戦況判断です。
爪撃蹴撃織り交ぜた高速の連撃を、数手先を予測することで的確に凌いで行きます。
途方もない実戦で磨き上げられた彼の戦闘技術は、達人と呼ぶになんら不足のないものです。
今の連撃は隙を作るための撹乱ですが、一発一発の威力も決して軽くはありません。
鉤爪攻撃を多くして意識を上に誘導し、不意を突くようにして放たれた本命の蹴りを、両腕をクロスさせ後ろに跳ぶことで防御しました。
「ここだァ!」
私の着地と同時にフィスニルさんが追い付きました。
そして鉤爪による突きを繰り出します。
落下の勢いそのままにしゃがみ込むことで、紙一重でそれを避けつつ腕を取ります。
そのまま重心を後ろにズラし、片足を添えて巴投げ。
フィスニルさんは背中を木の幹に強かに打ち付けました。
「か、はっ」
肺の空気を排出させられ喘ぐように息をするも、それでも彼は無傷です。
むしろ折れたのは当たった木の方。
高位貴族級の《防御力》があれば当然の結果でしょう。
「ダハハハハハッ、面白ぇ技を使いやがる!」
「そちらも〈術技〉を使っていただいて構いませんよ」
「気ぃ遣わせちまって悪ぃな、とことん
自分はダメージを負っていないと誇示するように咆哮し、威勢よく向かって来たのでした。
「ハァ、ハァ、まだ、バテちゃいねぇよなァ……っ!」
「私はそうですが、フィスニルさんは違うのではないでしょうか」
「はっ、抜かせ……っ」
既にニ十分ほど戦っていますが、フィスニルさんの体力もようやく底を突きました。
「どうでしょう? このように身体能力差を覆す技術が私にはあります。これを習得すれば武帝にも一矢報いることができると思いませんか?」
「……そういうことかよ。正直微妙だが、ま、絶対無理ってほどじゃねぇだろうな。いいぜ、武帝を倒すのにオレも協力しようじゃねぇか」
こうして、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます