第60話 閑話 武帝と側近
「──と、このように不測の事態が続いたため、遅れた次第でございまして──」
「──下らんことで我の時間を奪うな、〈
湿った破裂音がして、赤が飛散した。
拳から離れた衝撃波によって、傅いていた男が弾け飛んだのだ。
「……来年度任命できる貴族の領地が一つ増えましたな」
「領地を待つ者は多い、無能は積極的に切って行かなくてはな」
部屋に残ったのは二人。
骨の浮き出た老爺、武帝が乾燥し切った唇を動かす。
「して、メイジェス。例の薬の研究は進んでおるか?」
メイジェスと呼ばれた初老の男、宰相は答える。
「はい、万事
そう言って宰相が差し出したのは、白銀の溶液で満たされた杯。
受け取った武帝はゆっくりとその《
そしてグッと枯れ枝のような腕に力を込め拳を握る。
「うむ、力が漲る。かつての我に近づいたようだ」
「お役に立てたようで何よりでございます。しかし過信は禁物、その若返りは一時的なものでありますれば」
「分かっておる」
「ところで、先日報告のあった《迷宮》討伐の件ですが……」
「たしか、北部の《小型迷宮》を一つ摘み取ったのであったか?」
「左様にございます。ノゼリア領の《迷宮核》が先日、上納されました」
《迷宮核》とは《迷宮》の最深部にある結晶体のことだ。
《迷宮》魔物にとっての《魔核》のような物であり、これが傷つくと《迷宮》は消滅する。
けれど《魔核》と異なるのは、《迷宮核》自体は消滅せず《錬金術》や《製薬術》の素材となる点だ。
そのため、《迷宮》の寿命が短くなると、領主が《迷宮核》を採取し武帝に献上する習わしとなっている。
寿命で《迷宮》が消えると《迷宮核》も消滅するので、その前に採取しなくてはならないのだ。
《迷宮》が無くなれば領主の任も解かれるが、献上した領主には莫大な富が与えられるため、これを破る者は滅多にいない。
そうして武帝の元に集められた《迷宮核》は、《クラスクリスタル》やその他の《魔道具》、あるいは《
「その《迷宮核》を私にお譲りいただきたいのです。実は、若返りの霊薬には《迷宮核》が重要な鍵となるようでして」
「よかろう。《クラスクリスタル》は全ての領主に行き渡っておる。好きに使うが良い。なればこそ
言って、武帝は立ち上がる。
「どちらへ行かれるので?」
「《迷宮》だ。今ならば第二十五階層の守護者も倒せよう」
武帝には在りし日の力が蘇ったように感じられていた。
事実、今の彼であれば《レベル80》の守護者であっても圧倒できるだけの力はある。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ。試作品の効能でも一時間は持ちますが、深入りは禁物でございます」
「わかっておる。守護者を倒せば引き返す。久方ぶりの戦闘だ、存分に力を振るうとしよう。それから、そこの
「承りました」
老衰の恐怖から解放され、晴れやかな心持ちで《迷宮》に向かう武帝の後ろ姿を、宰相は薄ら笑いを浮かべて見送った。
「あぁ、愚か愚か。少し意識を傾ければ継続治癒と強化でしかないとわかろうに。迂闊に過ぎますぞ、陛下」
宰相メイジェスは、自身に与えられた工房で椅子に腰かけ、堪え切れないというように笑いを溢した。
この部屋に他の者は居ない。
設備の整備には専門知識を要するため、普段から管理も全て彼一人で行っている。
「恐怖に竦む者は視野が狭まり思考が萎縮する。老いを受け入れられず醜く生にしがみつく陛下は、
可笑しそうにしばらく笑った後、すんと冷たい表情に戻る。
「やはり心は人の枷。瞳を濁らせ動きを狂わせ判断力を鈍らせる。
言葉とは裏腹に、憮然とした調子で言ってのけた。
「ですが、それ故に私に敗北はありません。心を視認できる私に敵う者などいようはずがありません。あの武帝すら意のままに操れるのですから。ええ、本当に容易く手に入りました」
そう言った彼の手元には先程持ち出した《迷宮核》が。
《迷宮核》に限らず、この場のどの実験機材も市井の製薬師では手の届きようもない超の付く高級品だ。
半分は彼が宰相の権限で集めた物だが、もう半分は武帝を唆して揃えた物である。
「陛下、ご安心を。若返りの霊薬などという空想の産物など我が眼中にはありません。より直接的に救いをもたらせる妙薬の開発に取り掛かっており、それも賜った《迷宮核》によって大きく進展するでしょう」
完成は春頃になるでしょうか、と誰にともなく呟く。
「恐れも驕りも迷いも苦しみも、この妙薬にて余さず取り払って差し上げましょう。陛下のみならず、この世の全ての人々から」
六鬼将『
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今回は少し短くなってしまったため、明日も投稿します。
恐らく夕方くらいになる見通しです。
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