杉ちゃん着物を直す

増田朋美

杉ちゃん着物を直す

速いものでもう、今年もあと二ヶ月で終了という季節になった。やり残したことはないか、といえばやり残した事だらけなのが、人間というものだろう。それでもし、完璧にやることをやってしまったら、人間というものではなくなってしまう気がする。人間はいつでも未完成で不完全。それだから、いろんなことが起こるのである。

ある日、製鉄所と言っても、居場所のない人に勉強や仕事をする部屋を貸している福祉施設だけど、そこへ浜島咲と、一人の女性がやってきた。多分、咲が勤めているお琴教室の生徒さんだと思うのだけど、なんだか小さくなっていて、自信がなさそうな感じのおどおどした感じの女性だった。

「杉ちゃんいる?蘭さんに聞いたら、こっちに居るって聞いたから、こさせてもらったの。ちょっと、教えてほしいことがあって、相談にこさせてもらった。彼女のことなんだけど。」

咲は、縁側で着物を縫っていた杉ちゃんに、一緒に来た女性を紹介した。

「はあ、相談って何だ?なにか着物のことについてか?」

杉ちゃんは、彼女の方を見てそういった。

「ええ、正しくそうなのよ。彼女の名前は、えーと、」

「増本と申します。名前は、増本蘭々と申します。」

と、女性が小さくなって言った。

「ますもとらら?」

杉ちゃんが思わずそう言ってしまうほど、彼女の名前と顔が一致しない。つまるところ、蘭々という名前だったら、もっとかわいい女の子で、儚げな感じもする女性だと思われるが、その女性は、身長は高いものの、能面の小面みたいな感じの顔をしている女性であった。目が小さくで、口も小さくて、でも、ほっぺたが赤くプクッとしていて、正しく小面の面そのものである。

「まあいい。名前と顔が一致しないのは、必ずあるからね。で、その小面が、何のようだ?」

杉ちゃんがそう聞くと、

「はい。浜島さんが、着物のことなら、なんでも知っている人が居るから、相談に行こうって言うので、こさせてもらいました。この着物なんですけど。」

と、増本さんは言って、一枚の畳紙に入った着物を杉ちゃんに見せた。

「おう、畳紙から出してみろ。」

「はい。」

杉ちゃんに言われて、増本さんは着物を出した。ピンク色の、下半身に大きく菊の柄を、金糸刺繍で入れた、今の着物では絶対ありえない柄の着物だった。

「はあ、いわゆるアンティーク着物だね。大正の終わり頃から、昭和の始め。いわゆる戦前に着用された着物だな。その証拠にちゃんと、裏地に紅絹が使われている。」

杉ちゃんは、着物を取ってみて、調べながら言った。

「ある意味、戦禍を免れた貴重な着物と言うことができますね。」

咲が、感心して杉ちゃんに言った。

「そうだねえ。だけど、これは、ちょっとうすすぎやしないか?今の季節だったら、着るのにはちょっと、寒いだろ。まあ、羽織とか、和装コートとか、そういうものを着ればまた別だけど、下半身が寒いよねえ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうなのよ。だから、それをなんとかしてもらいたいの。今の季節に着れないなら、なんとか今の季節に着られるようにしてちょうだいよ。よろしくおねがいしますよ。」

と、咲が急いで言った。

「はあ?薄い着物を厚いものに変えるということは、ちょっとむずかしいぜ。確かに、着物は薄物厚物色々あるけどさ。薄物を厚物に変えるということはちょっとむずかしいものがあるぞ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そこをなんとかお願いできないかしら。彼女、やっと外へ出ることができるようになってきて、その記念にインターネットで、買った着物なのよこれは。」

咲が急いで言った、

「インターネットか。インターネットね。それでは、着用時期とか、そういう事は明記していなかったの?6月の始めくらいから、9月の終わり頃着るとか、そういう注意書きがあったはずだけどな?」

杉ちゃんが言う通り、正式な着物屋さんであれば、ちゃんと、着用時期とか、着用シーンなど詳しく教えてくれるはずだ。最近の着物販売サイトは実にいい加減で、そういう情報が少なすぎる。それに、訪問着と付下げの区別が明確でないサイトや、ひどいものでは振袖を訪問着として販売しているサイトもある。

「それはありませんでした。ただ、袷としか書いていなくて、だから、てっきり今の季節に着用できるのかと思ってしまいました。」

増本さんは、小さくなって言った。

「だったら、リサイクルであれば、そんなに高いことはないだろうし、もう一枚似たようながらのものを買えばいいじゃないか。今度こそ、厚物を買おうと考えておくことだな。」

杉ちゃんがそう言うと、

「それができれば苦労はしないわよ。厚物か薄物かなんて、そんな事明記されてないし。問い合わせしても、曖昧な答えしか返ってこないし。それに、店に行ったって、本当にほしいものは手に入らないじゃない。着付け教室だって同じことよ。だったらお願い、これを厚物にしてよ。」

咲が、増本さんをかばうように行った。

「そうだねえ。表を何もかえないっていうんだったら、裏を変えるしか無いよな。そうなると、アンティーク着物ではなくなっちまうぞ。裏地が赤くなって、初めてアンティークだからな。それを今の生地で改造しちまうとなると、アンティーク着物として価値がなくなっちまうこともあるよ。」

「そんなものは関係ないわよ。なんでもいいから、今着られる生地にしてちょうだいよ。まあ確かに、着物は、すぐに着られるということはあるけどさ、お気に入りはなかなか見つからないものよね。だったら、価値なんてどうでもいいわ。杉ちゃんお願い、裏を取り替えて、新しい着物にしてあげてよ。報酬はちゃんと払うから、ね、お願い!」

咲が杉ちゃんに頭を下げると、増本蘭々さんも、お願いしますと言って頭を下げた。

「5,6万あれば足りるでしょうか?」

蘭々さんが恐る恐るいうと、

「そんな大金いらないよ。材料費さえあればいい。それ以外に何もいらない。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「わかりました、値段はそちらで設定してくれて構いませんから、この着物の裏を取り替えて、いま着られるようにしてください。よろしくおねがいします。」

蘭々さんは、杉ちゃんに頭を下げた。

「わかったよ。裏を買えちゃうと、アンティーク着物としての価値はなくなるけど、それでも良ければ裏を変えるよ。」

と、杉ちゃんはため息を着いて、その着物を受け取った。

「じゃあ、よろしくおねがいします。良かったね、蘭々ちゃん。これで、お気に入の着物がいま着られるわよ。」

咲がそう言うと、

「とても嬉しいです。よろしくおねがいします。」

と、蘭々さんは、にこやかに言った。杉ちゃんも苦笑いした。

「お代は、着物が完成してから支払ってくれればいいよ。」

杉ちゃんがそういうと、

「ありがとうございます!よろしくおねがいします!」

と、増本蘭々さんは、とてもうれしそうに、杉ちゃんに言った。その顔でやっと小面顔から解放されたような気がした。つまりどういうことかというと、表情が豊になったということである。それを見ると、なにかワケアリの人かなと思ったので、杉ちゃんはそれを引き受けることにした。二人が、着物を渡して、ぜひお願いしますと言って、帰って行くのを眺めながら、杉ちゃんは、やれやれ、とんでもない役目が舞い込んできたと、呟いた。

杉ちゃんは裏地の反物を買うために、タクシーを呼び出して、カールさんの店に向かった。幸い反物も今ではリサイクルで安く買えるので、そんなに高価なお金を必要としないのである。裏地の最高峰は羽二重と言われている。杉ちゃんは、カールさんにお願いして、羽二重の白い反物を1つ買った。カールさんが、一体何を仕立てるのと聞くと、杉ちゃんは、アンティーク着物を厚物にしなければ行けないとだけ言っておいた。反物の値段は、1つ2000円もしなかった。

製鉄所に戻った杉ちゃんは、一心不乱で着物をまず解くことから始めて、そして裏の生地を取り替える作業を開始した。杉ちゃんはとにかく縫うのが速い。ミシンを使わずすべて手縫いで縫っているが、それでも、縫うスピードは早かった。着物の裏地と八掛を取り替える作業は、3日で終了した。3日間、杉ちゃんは、ご飯を食べるだけで、あとは一日中何もしないで、彼は縫う作業に没頭した。その真剣な顔つきはみなわかっているから、誰も彼の邪魔をしなかった。

杉ちゃんから、縫う作業が終了したと聞かされた咲と、増本蘭々さんは、4日目の朝、製鉄所に直行した。

「一応、厚手の羽二重の生地に裏を変えさせてもらいました。これで寒いのも少し解消されるかな。まあ、アンティー着物には、区分できなくなっちまうけど。」

杉ちゃんに着物を見せられた蘭々さんは、

「やった!これで今の季節でもこの着物が着られます!」

と嬉しそうに言った。

「はあ、それはなにかわけがあるのかな?ちょっとそれを聞かせて貰えないかな。初めから頼むよ。終わりまでちゃんと聞かせてもらうぜ。ちゃんと話してくれ。」

と、杉ちゃんに言われて、増本蘭々さんは、ちょっと照れくさそうに言った。

「ええ、実は、あたし、ある人と付き合い始めたんです。」

「はあ、つまり恋愛関係か。どんなやつなんだ?誰かの紹介か?それとも、なにかお見合いでもしたのか?」

「それも違います。」

と蘭々さんは、小さな声で言った。

「実は私、捕まったことがあるんです。その時、彼が、私の弁護を引き受けてくれて、それでお付き合いを初めたんです。」

「捕まったって、何がだよ。」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ、実は、高校生のとき、勉強があまりにもできなかったんで、それでネットで、頭が良くなる薬というのに引っかかってしまって。」

彼女はとても恥ずかしそうに言った。

「はあ、そうなると、大麻とか、覚醒剤とかそういうことかなあ?」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ。そうだったんです。今、病院にも通っているんですけど、ときどき、それが欲しくて、どうしようもないほど暴れたくなったり、怖い映像が出てくるときもあって、あたし、人生だめにしちゃったなって、すごく後悔してて。そうしたら、咲さんが、外見を劇的に変えれば、変われるって言ってくれたから、そのとおりにしようと思ったんです。それで、咲さんが、思いっきり派手にしてしまえばいいって言うものですから。」

そういう蘭々さんはとても恥ずかしそうに言った。

「まあねえ、たしかに、覚醒剤とかは、人間の頭をおかしくするだけだから、何もやっても意味ないんだけどさ。でも、やりたくなっちゃうんだよね。」

杉ちゃんは腕組みをした。

「そうなんです。あたし、せっかく藤高に行けたのに、勉強ができないので、みんなからバカにされるし親には、叱られてばかりで、それで、あたまが良くなる薬というのに、ハマってしまって、、、。」

「なるほど。確かに覚醒剤の再犯率はとても高いな。芸能人が覚醒剤で何回も、捕まることはあるからな。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「そうなのよ。だから、彼女には、できる限り変わってもらいたいの。そのためには、外見を劇的に変えることが必要だったのよ。杉ちゃん、これでわかったでしょ。アンティーク着物を今着たい理由。」

杉ちゃんに咲が言った。なるほどねえと杉ちゃんは、はあとため息を着いた。

「わかったよ。で、その彼と、どうしたいわけ?弁護してくれた彼にお礼でもしたいのか?」

「ええ、お付き合いをしていて、この人なら結婚しても良いと思いまして。あたしも、そうしなければ、生活できないかもしれないこともあるけれど、一人ではやっぱり寂しいですもの。それを咲さんに相談したら、うんとアピールしなければならないというものですから。」

彼女はしどろもどろであったが、ちゃんと経緯を話してくれた。

「はあなるほどね。それで彼にプロポーズか。それなら派手にしたい気持ちも必要だよね。よし、頑張ってプロポーズするんだな。それでいい結果が出たら、教えてちょうだいね。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。咲も彼女に、

「頑張ってね。応援してるから。」

と、にこやかに言った。

そして、それから数日後。彼女、増本蘭々さんは、ちゃんと杉ちゃんが裏を変えてくれた、アンティーク着物を着た。それに赤い一重太鼓の作り帯をつけて、緑の帯揚げと帯締めをつけて、タクシーで富士駅に向かった。流石に、もう今年も2ヶ月しか無いこともあり、駅は寒かった。駅は人がたくさんいた。彼女は、スマートフォンで彼と連絡をとり、指定された時刻表の前で待った。数分後に電車が到着して、彼である男性が到着した。蘭々さんは、とても緊張して彼を待ち、二人で近くの公園に行った。蘭々さんは、お願いがあるんですと言って、彼に、一生懸命自分の気持ちを伝えた。

その日は、杉ちゃんは、相変わらず製鉄所で着物を縫う仕事をしていた。今日は暖かい気候だったので、水穂さんも調子が良かったらしく、ピアノを弾いていた。その日のお昼すぎ。

「杉ちゃん、ちょっと相談があるのよ。右城くんも居るんだったら、ちょっと一緒に相談に乗って。」

咲が、また製鉄所にやってきた。それと同時に増本蘭々さんが、あの派手な着物を着て、咲と一緒にやってきたのである。

「あら、どうしたの?今日は、大事な日だったのではないのかな?」

杉ちゃんがわざと言ってみると、

「結局、告白しても意味がなかったそうで。あっけなく断られちゃったんだそうです。」

と咲が蘭々さんの代わりに言った。

「じゃあ例の男性とは、うまく行かなかったというわけですか?」

水穂さんが、咲に聞いた。水穂さんも咲に概要を聞いているので、彼女が何に着いて悩んでいるのか知っていた。

「そうなんですって。なんでも、被疑者だった女性と結婚するとなると、本人が良いとしても、親御さんが黙っていないって。」

と、咲が、急いで言った。

「それでね。杉ちゃん、この着物をさ、別のものにリメイクとか、そういう事は、できないものかしら?思い出にして、なにかに彼女、使いたいって言うのよ。」

「はあ、そうなのか。」

と、杉ちゃんは言った。

「悪いけど、着物をリメイクということはちょっとできないな。着物を仕立てることはできるけどさ。僕は、着物を作る役で、潰す役では無いのでねえ。」

「そこをなんとかしてちょうだいよ。バックにするにもいいし、ワンピースにするとか、そういうことでもいいわよ。ねえよろしくおねがいします。なにかやってちょうだいよ。」

咲は一生懸命そう言うが、杉ちゃんは困った顔で、

「いやあ、それは無理だよ。着物は、ちゃんと、着物として着てほしいなあ。着物が悪いわけじゃないからな。そこはちゃんとまもってもらいたいものだぜ。」

と言った。

「それに僕、ミシンを使ったことがないし、手縫いでしか縫えないよ。」

「そこをなんとかお願いしますよ。その人を忘れるために。別のものにかえることだってできるんでしょ?着物で布団を作ったことだってあるわよね?それならそうすることだってできるでしょ。ねえお願いしますよ。彼女のためにやってちょうだいよ。」

咲は一生懸命杉ちゃんに言った。

「まあそういうことはできないわけじゃないけど、でも着物は、そのまま着用してもらうのが、一番いいんだよ。それでいいじゃないか?」

と、杉ちゃんが言うと、

「そもそも、着物をなぜ着るのか考えなくちゃいけませんね。リメイクするにしても、なぜそうしなければならないか、しっかり考えないと。」

と、水穂さんがそれに付け加えた。

「確か、咲さんの話を聞きましたら、彼女は覚醒剤で逮捕されたことがあって、再犯しないように着物を着るようになったそうですね。それをするんだったら、別の着物を着れば、また変わることができると思いますが、、、。着物って、今の時代はそういうものだと思うから。」

「右城くんもそういうことが言えるんだったら、きもの着て変わろうと思ってよ。」

咲は思わず聞こえないようにそういう事を言った。水穂さんは人の世話を焼くのは天才的であるが、自分のことであると、おろそかにしてしまうようなところがあった。

「そういうことなら、帯を変えるとか、帯締めの色を変えるとか、そういうことで変わることはできるのではないでしょうか?着物って、帯を変えて、小道具を変えれば随分変われるものですよ。」

「そうそう、水穂さんの言う通り、着物は洋服みたいにイメージが固定化されるものじゃないからね。帯締めを、変えれば印象が変わるよ。それはやって見なければわからないよな。」

杉ちゃんは、水穂さんの話に乗って言った。

「本当にそうなんでしょうか?」

涙をこぼしながら、蘭々さんは、そういった。

「ああもちろんだもの。着物は、1つのものだけで印象が決まるもんじゃないからね。洋服は、上と下で印象が決まってしまうけどさ、着物は部品が色々あるから、それを変えればまた印象も変わるよ。それに、これからの時期、着物以外の羽織とかそういうものを着れば、更に変わってくる。もうさあ、そういう変な男の事は忘れろと言っても多分できないだろうから、それは引きずったままでもいいからさ、着物でちょっと自分の印象を変えてみな?そうすればお前さんも、なにかかわれるかもしれないぜ。」

「それに、忘れられないからと言って、自分が悪いとか、自分が弱いとかそう自分を責める必要もないんです。それはどうしようもないことですから、自分にできることを一生懸命すればいいです。それに人を巻き込んでは行けないとか、そういう法律はどこにもないです。というか、人を巻き込まないでなにかしている人なんてどこにもいませんよ。」

杉ちゃんと水穂さんはそう言い合って、彼女を励ました。

「そうか。できなくても、いいんですね。」

と、蘭々さんはそういう。

「ああ、何も気にしないでいいんだよ。それは、気にしないでね。」

杉ちゃんがカラカラと笑った。

「だったら私、この着物を、着物として着ようと思います。だって私の事こんなふうに言ってくれる方に初めて出会ったんだもの。」

彼女は、とてもうれしそうだった。杉ちゃんたちは、彼女は二度と覚醒剤などに手を出すことは無いだろうなと思った。



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杉ちゃん着物を直す 増田朋美 @masubuchi4996

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