カルテ.05『時間の問題』
「や、やだ! 離せ! 離せったらッ!!」
薄暗い牢屋のような部屋の中、アヤカはダクトテープでぐるぐる巻きにされ、椅子と同体だった。
どんなに暴れようとも椅子から逃れられず、恥も外聞もなく叫ぶその姿は、『
「信じてたのに……どうして……どうしてこんなことするんだよ……トオルッ!!」
「フゥーッ……フゥーッ……」
そんな惨めな状態となったアヤカを見下ろすトオルの息遣いは、非常に荒かった。
額からは汗が流れ、目を大きく見開き、アヤカの言葉の一切に反応を示すことなく黙々とダクトテープを更に重ねて巻く彼の姿は、アヤカの恐怖心を更に刺激する。
「お、お願いだからぁ! これからはトオルの言う事なんでも聞くからぁ!!」
「……そんな事今更言ったって無駄ですよ、アヤカ先生……俺にこんなことさせるアヤカ先生が悪いんですからね……」
そんなことを言いながら、トオルはアヤカの極彩色の髪から髪留めを外し、ゆっくりと髪の波に沿って指で梳きながら、頭を逃げられないように手でしっかりと固定する。
「ひぃっ!? さ、触らないで……やめてッ! そんな穢らわしい物を近づけないでッ! いやぁああああああッ!!」
「……──いい加減にしてくださいッ! ただ髪の毛を黒染めするだけじゃあないですかッ!?」
ダンバース製薬本社にある禍空病患者を一時的に閉じ込めることを目的として建造された一室にて、トオルは黒染めのヘアカラースプレーを片手に持ちながら、アヤカの誤解されかねない言葉の数々に耐え切れず、声を張り上げる。
「するだけ? 黒染めするだけだって!? 流石な僕の鮮やかな髪が黒ずんでしまうんだぞッ!!」
「黒ずむって言い方……それにこれ、一日で簡単に落ちる奴ですよ?」
「い、一日中!? 拷問ッ……!?」
「誰の髪色が拷問ですか……ってか、言っときますけどこれ、俺じゃなくてアヤカ先生が提案したことですからね?」
「それは……そうなんだが……もっと楽しいイベントだと思うだろ、普通」
トオルにそう指摘され、アヤカは弱弱しく目を泳がせながら、壁に掛けられた二着の学生服へと目をやる。
それはトモコ・タナカの通う私立高校の制服であり、サイズも二人の背丈に合わせられている。
これから二人はこの制服に袖を通し、トモコがつい昨日までそうしていたように、学校へと登校しなければならないのである。
なぜ、こんなことをしなければならないのか。
それは、タナカ家の家宅捜索を終え、娘のトモコと同様に
◆◆◆
「学校しかないな、うん」
トモコの母親から情報収集と、ついでに怪我の治療を終え、廊下で待機していたトオルに向かって第一声、青いサングラスをギラリと輝かせながら、アヤカは結論するように言い放つ。
「……お母さんから他にアテになる有益な情報は出ませんでしたか」
「有益どころか無益な会話だったよ。会話の大半が『うちの娘は大丈夫なんですか?』とか『治療後はまた部活は出来ますか?』で始まって、途中からは『うちの子は本当に優等生で成績も良くて』だとかこっちとしてはどうでもいい親バカ情報ばかりで……」
「ハハハッ……まぁ、子を持つ親なら仕方ないですよ」
「ああ、仕方ないから流石な僕お手製の睡眠薬ぶち込んで眠らせて来た」
「仕方なくねぇ!? 思いっきしアウトなことしてんじゃあないですか!?」
「ガタガタ抜かすな、トオルも眠らされたいか? そんな事に時間を割くより、さっさと禍空病に話を戻そうぜ」
──うーん、このマッドサイエンティストは……。
心の中でブレないアヤカの危険思想にトオルは嘆息しつつも、患者であるトモコに時間が余り残されていないのも事実なので、言う通りに話を進めることにする。
「けど、家に居なかったからって次点で学校に潜んでるってのはちょっと安直じゃあありませんか?
「まぁ、その点に関しては流石の僕も健全な生徒らしく、登校する度に憂鬱になるタイプだったから同意だがね。しかしトモコ・タナカの年頃なら、親の居る家から自立したいと思うのは寧ろ普通なんじゃあないかな? ちょっと話しただけの僕ですら、鬱陶しいと思うくらいに愛情過多な親だったしね」
目覚めてすぐ、自分よりも子供の安否を聞いちゃうくらいにはねと茶化しながら、アヤカはトモコが学校を潜伏場所に選ぶであろう理由を語り続ける。
「流石な僕はスポーツをあんまり観ないんだけどさ、バスケの試合とかでさ『ホーム』とか『アウェイ』ってのがあるだろ?」
「ああ、ありますね。環境や施設に慣れてる分、ホームの方が有利に動けるって奴ですね」
「トモコ・タナカにとって、学校は『戦う』という点において最も慣れた環境だろう。バスケ部のレギュラー争いや他校との試合……いやそもそも、学校ってのはどうしたって競争が付きまとうんだ。彼女を調べるにあたって通知表を少し見てみたが、母親の言う通り優等生みたいだし、勝利の経験から得た『自信』がそのまま『安心』に繋がってる……そう考えれば、家よりもあの学校をテリトリーに選ぶのは妥当だと思わないかい?」
「……なるほど」
絶対に負けない、狩られないという、勝利への自信。
それがトモコ・タナカにはあるのだ。
そしてその考え方は狩られる側よりも寧ろ、狩る側の──……。
「ちょっと待ってくださいアヤカ先生。それって……」
「トオルも気づいたか。時間が無いと言ったが、それはトモコ・タナカの容態だけに限ったことじゃあないかもな」
アヤカがそう言った次の瞬間──狙ったようなタイミングでトオルの携帯から着信音が鳴り響く。
「はいもしもし、こちら……今ですか? はい、了解……アヤカ先生! トンネル内にて、トモコちゃんの通ってる高校の野球部生徒たちが乗ったバスが襲われたそうですッ! 乗客は二十名以上ッ!!」
「早速か──ここから事故現場と搬送先の病院どっちが近い?」
「えっと、俺たちの場所からの方が近いようですが……」
「よし、ならばそこはダンバース製薬の系列病院だから許可取りは後回し、流石な僕が直接事故現場に向かう。それと──
アヤカはトオルに向かって、死者ゼロ以外は許さないという宣言にも近い指示を出しながら、一刻を惜しむように患者達の元へと駆け出していくのだった。
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