カルテ.04『蛙の子は』
『
人智を超えた身体能力と異常性を用いて暴れる禍空病患者に対して武力的な制圧を目的とし、アヤカがダンバース製薬の技術部と共同で開発した代物である。
五年前──つまり、
その肩書に相応しく非常に強力なのだが、フルパワーフルスピードで振るいながら皮膚一枚の所で寸止めしなければ、凄まじい衝撃が使用者に襲うという厄介な制約があり、今の所実戦で用いる事が出来るのはトオルを置いて他には居ない。
……──また余談だが、アヤカの名付けた『雷神』という名よりも、その性質からあやかって、社内では『どこでもレールガン』という名の方で知れている。
◆◆◆
「アヤカ先生!? アヤカ先生! どこですか! 返事してくださいッ!!」
車の上で受け身を取ることで落下の衝撃を和らげてから、トオルは名を叫びながら吐き出されたアヤカの姿を探すが、胃を吐きだして倒れる『
「どうしよう……結構勢いよく吐きだされてたからな……無事ですか! アヤ──……うわっ!?」
何度目かになる呼びかけをしようとしたところで、不意に何かが足首を掴む感覚を覚え、アヤカの名前はトオルの驚きの声に上書きされる。
「びっくりした……一体なん──うわぁあああッ!?」
何事かと思って下を確認した瞬間、トオルは先ほどよりも大きな叫び声を上げながら、足首に掴まっていたそれを蹴り飛ばしてしまう。
蹴り飛ばしたそれの正体は、アヤカの右手であり、それ以上でも、それ以下でもなかった。
そう、なさすぎるくらいに、無さすぎる。
それ以上──手首からその先にある筈のアヤカの身体の部位が存在しなかったのだ。
「嘘だろクソッ……頼む頼む頼む頼む……!!」
──遅かったか?
そんな考えが頭によぎったトオルは、背中から嫌な汗を流し、呪文のように頼むを連呼しながら、切り取られたアヤカの右手へと駆け寄り、確かめようとその手で持ち上げようとする。
「……ッ!」
すると、トオルの手が触れようとした刹那、ぐったりと倒れて動かないでいた右手が跳ね起き、そのまま蜘蛛か蟹のような足を持つ生き物のように茂みの方へと走っていく。
「ッ! アヤカ先生!!」
焦燥から一転、希望を原動力に滑る足に力を込め、這うような形でアヤカの右手が走っていった茂みをかき分けると、見覚えのある極彩色の髪がトオルの目の前に現れ、同時に聞き慣れた少女特有の透明な声による罵倒が耳に入る。
「全く……トオルは守るのも見つけるのも遅いんだね」
「アヤカ先生……!! よかった……俺、俺……──ってうぉわッ!? す、すいませんッ!?」
「ほんとだよもぉ~……反省して?」
「そうじゃなくてッ! いえそれもなんですけど……服ッ! なんで着てないんですか!?」
安堵し、余裕を取り戻したことでトオルの視界に入ったのは、見慣れた白衣も下着の一切を身に纏わず、粘液に塗れ、全身がぬらぬらと艶めかしく光るアヤカの裸身であった。
メッシーバンが解け、辛うじてトレードマークでもある髪で見えてはいけない部分が隠れているものの、逆にそれが扇情的で、幼い容姿だからこその危なげな雰囲気を醸し出していた。
「なんでって……マンガとかでよくあるだろう? 呑み込まれて服だけ溶かされる奴」
「あ、ありますけど……! それは飽くまでマンガの中の話でしょう!?」
「別にマンガにあることが現実にあっちゃあならあいって道理はないだろう? それに、怪物の姿をしてはいるが元は人間なんだ。脳細胞をスカスカにしちまう『プリオン』を摂取するリスクを考えれば、食人する必要なんてないしな」
「へ? なっ、プリン? プリオ…………もう! あんま俺が知ってる前提でカタカナ使わないでくださいよ!? あっ、それに! 脱出出来たんなら早くそうしてくださいよ! 俺途中まで本気でアヤカ先生がアレ忘れちゃったのかなって……ほら、あの……イソナンチャラって奴で!」
「イソチアシアネートね。流石に僕がカタカナ使いすぎってのはまぁ百歩譲っていいとして、トオルもリスニング鍛えた方がいいよ?」
『イソチアシアネート』。
アブラナ科の植物が持つ成分で、人間には無害なカラシとして好まれるが、多くの生物──蛙などにとっては毒となるものであり、カブラハバチというハチの一種の幼虫は血液中にこの毒を取り込み、捕食者であるアマガエルに呑み込まれた際に排出することで脱出を100%成功させていることが研究で明らかになっている。
アヤカは先の体育館で粘液に含まれる毒がアマガエルが持つブフォトキシンであることから効果があるのではないかと予想し、トモコの家に来る前に準備していた為に、脱出することが出来たのである。
「とは言え、胃袋の殆どは元の人間のままだったからね。やはり、流石な僕の『この能力』あってこそ……と言ったところかな?」
そう言いながらアヤカは、傷一つない右手の人差し指を立てながら、口元を般若のように裂いてニンマリと笑うのだった。
◆◆◆
「──そして、トモコ・タナカは流石な僕の医療によって元の可憐な女の子に戻り、人々は平和に暮らしましたとさ、めでたしめでたし……ってなる流れだと思ってたんだけどなぁ……」
「…………」
「まぁ、禍空病も感染病だからさぁ……全然考えてた可能性なんだけどさぁ……」
「……心、折れるなぁ~……」
倒れた『絵に描いた蛙』の治療を無事終え、一件落着となるはずだったトオルとアヤカ二人の顔は、そろって暗い面持ちで呟く。
否、治療は確かに無事に行われたが、『終えた』という点については誤りであった。
何故なら、アヤカが治したのは当初の目的であるトモコ・タナカ──ではなく、同じく
つまり、まだトモコ・タナカの行方は──依然として不明のままなのであった。
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