カルテ.03『雷神の金槌』

 ドォーンッという艦砲射撃のような轟音が、ほんの数分前まで平和そのものだった高級住宅地に響く。

 平面から立体へ、圧縮されたバネが解放されるような勢いで飛び出してきた車によって、赤い血潮に塗れたトオルの肉体が地面に散らばる──筈だった。


「……?」


絵に描いた蛙イマジン・トード』は困惑する。

 ついさっき自分を追いかけ、まんまと罠に掛かった筈の人間が──トオルが、無傷で立っていたからだ。

 スーツの大部分が衝撃で裂けて前衛的な格好になった以外に、外傷らしきものが見当たらず、寧ろ轢いた車の方がひしゃげて、赤熱化した痕跡がある。

 そして何よりも『絵に描いた蛙イマジン・トード』が気になったのは──警戒したのは、トオルが右手に持っていた、一本の金槌である。

 大きさこそ普通の金槌と変わりないが、銀色の槌には青白い光が線となって走っており、その表面からはバチバチと放電現象が起きている。


「……生きてるのがそんなに意外か?」


 トオルが呟く。

 ドスを効かせた低い声だった。


「確かにアヤカ先生に比べると俺ってかなり凡庸に見えるんだろうけどさ……これでも古株で天才って言われてるアヤカ先生の警護を一人で任されてるんだぜ? だったら、


 ──なんて、格好付けてみたはいいけど、危なかったな……

 ──アヤカ先生が俺に学校で元に戻る速度を予め見せてくれてなかったら、対応出来なかった……。

 ──いや、そもそも……今の俺に格好付ける資格なんて無かったな。


 そう、自分を護れた所でなんの誇りにもならない。

 護衛するべき対象は自分ではなくアヤカなのだ。

 そのアヤカの上半身が現在進行形で丸呑みにされている途中なのだから、護衛としては寧ろ0点とされて然るべきだろう。


 ──足がパタパタと動いているから、まだ生きてはいるか……。

 ──とにかく、早く助けないと不味いな。


 そんな事を考えながら、トオルが『絵に描いた蛙イマジン・トード』の方へと一歩を踏み出す。

 すると──突然。地面がバネのように跳ね上がり、トオルの体は屋根よりも高く空へと弾き飛ばされてしまう。


「……なッ!?」


 トオルも馬鹿ではない。先ほどの罠に引っかかってしまったのはアヤカを攫われてしまった動揺によるミスであり、『罠がある』と身構えてさえいれば、平面化した物体を見逃すはずが無かった。

 では何故自分は今吹き飛ばされているのか? そう思ってトオルが先ほどまで立っていた地面の方を見てみると、そこには二台目の車が、少量の砂を被った状態で地面から盛り上がっているのが見えて、同時に相手が何をしたのかを理解する。


「まさか──『地雷』かッ!?」


 平面化した物体の上に砂を被せ、罠を隠す。

 やっていることは簡単だが、本物の地雷と違って穴を掘る必要も無く、平面であるから、感圧の為の違和感もほとんど無い。

 なにより、目の前の怪物がそんなことをしないであろうというトオル自身の先入観が、油断を生み出してしまっていた。


「くそッ!」


 トオルは逃げられると思って空中で姿勢を整え、蛙の姿を捉える。が、蛙はトオルの予想に反して家の中に逃げ込んだり、家から離れるといった様子は見せず、ただじっと空中に吹き飛ばされたトオルを視界に収めて動かないでいた。

 その姿にトオルの頭の中に『油断』の二文字が浮かび上がるが、即座にそれはないと否定し、視界を蛙とは別に移す。

 すると、屋根が奇妙な段々になっていたことに気付く。


「あれは──」


 そういうことか──と、トオルは落下する中で、蛙が何をしようとしているのかに気付くと、右手の金槌を握り直し、肺の中にある空気のありったけを押し出して叫ぶ。


「──今ですッ!!」


 それと同時に、トオルの読み通りに屋根に仕掛けられた罠が発動し、屋根瓦が弾丸の如き速度と破壊力を伴って、トオルに襲いかかる。

 予め罠の位置を知っていたおかげで、どこにどうやって飛んでくるか予測することが出来たトオルは、飛んできたいくつかを避けながら、丁度いい角度に飛んできた瓦の一つに金槌を振り下ろす。

 ガレージから飛び出してきた車にもそうしたように、金槌と屋根瓦の間に凄まじい轟音が鳴り響き、そのまま蛙に向かって一直線に飛んでいく。

 圧倒的な速度と破壊力と貫通力──だが、口の中に吞み込んだ人間の少女一人分を身代わりの盾とすれば、無傷とは言わないまでも、致命傷は回避できる程度の不完全な攻撃──の、筈だった。


「ウグッ……!?」


 トオルが叫んだ時、蛙の身には異常が起こっていた。

 熱い──胃の中で、何か焼けるような感覚が襲い、蛙は猛烈な吐き気に襲われ──耐え切れずに、身代わりとする筈だったアヤカを胃と一緒に吐きだしてしまう。


「─────ッ!!!?」


 次の瞬間、蛙目掛けて飛んできた瓦は腹に命中し、その衝撃で蛙はその巨体を苦鳴と共に地面へと仰向けにし、動かなくなる。

 そんな蛙に対し、トオルは地面へと落下しながら、


「──安心しな。全力で手加減してやったからさ」


 と、それでも格好付けてみるのだった。

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