カルテ.02『医者の訪問』

 アヤカ・モロイシは、医者である。

 小学校六年生ほどの体型と容姿に反し、トオルがダンバース製薬に雇用される以前から医療部門に所属している古株であり、以前の経歴は不明。

 禍空病対策センター『アトラス』の設立者及び管理人に任命されているが、気難しい──と言うより、面倒くさい性格が原因で所属メンバーは彼女と、彼女の警護を任されたトオルの二人だけであり、禍空病発症時の対処もこうして自らの足でおもむくというのが常であった。


 ──禍空かくう病を治せるのはアヤカ先生だけだから、そこはまぁ納得できるんだけど、雑用係くらい増やしてくんないかなぁ……。

 ──俺の仕事、助手じゃあなくて警護なんだけどなぁ……。


 そんな風にトオルが心の中で愚痴りながらワンボックスバンの車を運転していると、助手席に座ってリンゴ味の飴玉を舐めていたアヤカが、唐突に──トオルにとっては予期したタイミングで──口を開く。


「今回の禍空病、『絵に描いた蛙イマジン・トード』……という名前はどうだろう? どんなものも平面に変えてしまうあの能力に由来して」


 ほらね? と、トオルは予想が的中したことで、一人胸の中でちょっとした愉悦に浸る。こんな風に移動中、禍空病の個体に対して彼女が命名するのが恒例化したお決まりの流れだった。この厨二っぽいセンスも慣れっこである。


「どうだ? 気にくわないか? なら第二候補の『轢かれた蛙の復讐リベンジ・オブ・スマッシャー』でも……」

「そ、その二択だったら前者でお願いします……」

「そうか? まぁ、流石の僕もグロいのは見た目で十分だと思うしな……しかし羨ましい能力だよなぁ、収納問題に大きく貢献してくれそうだ」

「ん? ああ、アヤカ先生って薬品とかの収納にめちゃくちゃこだわりますもんね。この前なんかちょっとペン借りただけで勝手に動かすなって他所の職員に怒ってたし……やっぱり血液型もA型なんじゃ……」


 自分でそう言いながら、医者に対して血液型診断なんて科学的根拠のないものを出すなんて馬鹿っぽいかと思い直し、最後の方を言い淀むトオルだったが、アヤカはその通りと首を縦に振って肯定する。


「いやまぁ、流石に僕がA型というのは偶然だよ? ご存じの通り、血液型診断は1927年にタケジ・フルカワ教授が親族11人を調査し、発表した『血液型による気質の研究』が原点となっている科学的根拠のないものだからな」

「いえ、ご存じない初耳ですが……」

「しかし、だ。根拠がないとはいえ、流石の僕もこの研究の存在そのものをくだらないと一笑するべきではないと思うよ……鮮やかだからな」

「鮮やか……ですか?」


 トオルがそんな風に聞き返すと、アヤカはその反応を待ってましたと言わんばかりに鼻をフンと鳴らし、ちろりと見せた蛇舌よりも長ったらしい雑学を披露し始める。


「ああ、と言うのもこの研究はB型に関する決めつけがきっかけになっていてな。1900年頃、各国ごとに血液型の調査が行われ、西洋人より東洋人の方がB型が多いことが判明すると、ハイデルベルク大学にあるガン研究所に所属するエミール・フォン・デュンゲルン教授はゴリラやウシなどの動物でB型の血液型が多く、B型が多い東洋人は野蛮だとかいうめちゃくちゃな発表をしてね……そこで、B型にもいいところがあるって示す為に先程の科学的根拠のない発表をした……というわけさ」

「そんな背景が……そのタケジ教授って人が研究を発表してくれなきゃ、B型は野蛮人って考えが広まって、東洋人みんなそうだなんて思われていたらと思うと……なるほど、確かに考えさせられるものがありますね」


 そうなっていたら、B型の血液を持つ自分が苦労していたのかもしれないな──と、トオルはそんなことをぼんやりと、何気なく考えてみる。


「そうだろうとも。タケジ教授は心理学者だが、この世界から『B型差別』という理不尽な病を切除した功績は、流石の僕も賞賛するぜ」

「理不尽な病の切除……ですか」


 モウドクフキヤガエルの事といい、流石にそれは事を大袈裟に捉え過ぎではないかとトオルはツッコミを入れようと顔を向けるが、その表情が存外に真面目だったこと、そして彼女のを考えてしまうと何も言えず──なにより、話を続けられるほどに目的地との距離はそう遠くはなかった。


 ◆◆◆


 二人の目的地。トモコ・タナカの住む家は、父親が一流外資系企業に勤めている関係から、トオルからしてみれば居心地悪く感じてしまうような高級住宅地にあった。

 玄関まで続く道に見える庭はとても広く、トモコが自主練に使うであろうバスケットゴールが設置され、その反対側──トオル達から見て向かって右側の方にはガレージが存在し、駐車が下手なのか、黒い車の顔斜めを向いて収まっていた。

 ここに来るまでに見た城のような家と比べれば御淑やかではあるが、それにしても尚、裕福さを感じさせるには十分な家であった。


「素敵な家だなぁ~……アヤカ先生もダンバース製薬っていう一流企業の古株なんですから、ラボで寝泊まりするような質素な生活しないで、もう少し暮らしをランクアップさせようとか思わないんですか? 資本主義経済に貢献しようって気持ちは」

「無いね、流石な僕が貢献するのは医学だけだ。それと、流石に僕を世話する環境が急に変わったら、トオルも困るだろう?」

「一家に一体俺を置くことが確定している……? アヤカ先生、俺の業務が警護だってこと忘れてませんか?」

「覚えているとも、だがなトオル……流石の僕も、君が居なければ無能なことくらい理解わかってるッ!!」

「胸張って言った!? ほんと俺が来るまでどうやって生きてたんですかッ!?」


 そんな風にトオルとアヤカは広い庭を漫談をしながら歩いてインターホンの前に立ち、呼び出しボタンを押す。

 そうして、会う約束を取り付けていたトモコの母親の声が聞こえてくる筈だった──が、しかし、しばらく待ってもインターホンからの返事は無く、扉を開けて誰かが出てくるという気配もない。

 トオルは試しに連続で何回もボタンを押し、ごめんくださいと声を発してもみたが、やはり返事は無い。大体気付くというのなら、見知らぬ男女が家の前で漫談をしている時点で、気付いてもいいくらいではあった。


「居留守……じゃあないよな、これは」


 アヤカの呟きに、そうですねとトオルは答えながら、肉体に備わるあらゆるアンテナを張り巡らせる。

 会う約束を反故ほごにされるよりも最悪の想定──禍空病患者であるトモコが潜んでいる可能性を警戒する。

 禍空病は感染者の生命力を完全に吸い尽くすまでは、人目を避けて潜伏する性質を持つ。見た目に合わせて、生態と言い換えてもいい。

 完全体になるまで、トオルやアヤカと言った好中球とも言える存在に殺菌されまいとする合理的な手段であり、その潜伏先として宿主本人が最も安心、安全だと思われる場所を選択する傾向にあった。

 トモコの家に来たのも、その傾向から予測したものだったのだが──この様子では、どうやら後手に回ったようである。


「よしトオル、たいあたりだ」

「そんな御三家の初期技みたいな命令気軽にしないでください……返事が無いだけじゃあ強制執行の許可降りませんよ」

「じゃあ、すてみタックル」

「技の問題じゃありませんよ……扉の三分の一のダメージを俺に喰らわせてどうすんですか」

「流石の僕も、アドリブで三分の一と返せるトオルに驚きだけどね……いいじゃあないか、こういう荒事が得意で雇われたんだろう? B型だから」

「切除した筈の理不尽な病B型差別を流行らせようとしないでください。スカイバトルの話しますよ?」


 と、二人が扉の前でどうるすか話し合っていると、不意にアヤカの胴体へと、ぺちゃりと音を立てて何かがくっ付く。


「ん? 何か──ぬぅあああああッ!?」


 アヤカがくっ付いたか何かを確認するよりも早く、胴体に付着したそれによってアヤカの小柄な肉体を軽々と地面から離し、凄まじい勢いで道路側へと引っ張られていく。


「先生ッ!?」


 トオルはそんなアヤカに向かって手を伸ばすが、反応が遅れてしまった為に掴むことが出来ず、その手は敢え無く空を切る。

 そして、トオルは目撃する。

 アヤカ捕えたのは桃色に照りつく長い舌であり、その先には、舌の根元には、感染したトモコが変貌した蛙の怪物──『絵に描いた蛙イマジン・トード』が待ち構えており、その口にアヤカの上半身を吞み込んだまま、ガレージ方向への逃走を許してしまう。


「くそッ!! 待て!!」


 トオルはすぐさま駆け出し、『絵に描いた蛙イマジン・トード』が逃げ込んだガレージの入口へと向かう。


 ──が、結果としてこの行動は失敗であった。


 アヤカを連れ去られるという警護としての失敗で動揺していたせいだと、ついマイナスにしかならない言い訳をしてしまいたくなるような、大失敗で、大失態だった。

 何故、安静を脅かされ、既に安全とは言い難い自宅へと逃げ込んだのか、一瞬でも思案するべきだったのだ。


 ──ガレージが、閉じている。


 奥行だと、暗闇だと思い込んでいたそれは黒く塗装されたガレージのシャッターで、斜め駐車したように見えた車にもまた、奥行が存在しない。

 絵に描いたような──平面。


「しまっ……!?」


 罠だとトオルが頭で判断できた時にはもう遅く。

 爆ぜるような勢いで平面から立体へと戻る車に、その身を晒してしまうのだった。

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