色鮮やかな病の治療法

星のお米のおたんこなす

『絵に描いた蛙』編

カルテ.01『病の名前』

 「ヘイパスッ! ほら上がって上がってーッ!!」


 ある日の夏、とある高校にて──気が狂ったように蒸し暑い体育館の中で、練習に勤しむ女子バスケ部の姿がそこにはあった。

 部員の中でも抜きん出て背の高いキャプテンと思われる少女が、大声で部員たちに指示を飛ばし、その声に合わせて部員たちは懸命に走り回っている。

 前へ、前へと目まぐるしくつながれたボールは最終的にゴール下で待機するキャプテンの手へと渡り、彼女によって華麗にシュートが決まる──ハズであった。

 バスケットゴールのバックボードにボールが触れた次の瞬間。ボールは弾むことなくボードの中へと沈み、写実的な落書きのように貼りついてしまったのである。

 突然の出来事にゴール下でリバウンド合戦をしていた部員たちは押し合うのを止めて困惑し、遠くの方で声出しをしていた一年生達も遅れて異常事態に気付いて沈黙し、代わってつくつく法師が、地獄の使者のような不吉な韻律で体育館の音を支配する。


「……──ちょっと、トモコ、その顔……」

「……え?」


 異変に気付いた他の同級生の部員に自身の名を呼ばれたキャプテンの少女は、指摘された自分の顔に恐る恐る手を近づけると、ぬめぬめとした質感が指先に触れ、手を離すと粘液と思われるものが糸を引く。


「い、いや……ウソ……ウソでしょ……!?」


 驚愕きょうがくにトモコが声を漏らすと、粘液に触れた指先から緑色の肌に変わっていき、顔だけに付いていた粘液も全身へと広がっていく。


「だ、誰かこれ取ってよッ!?」

「そ、そんなこと言われたって!?」


 トモコは悲鳴をあげながら懇願するが、生徒たちにはどうすることもできず、そうこうしている内に緑の肌と粘液に覆われたトモコの手足は徐々に長くなっていき、手に至ってはバスケットボールよりも大きくなっていく。


「タ……タスケ、テ……ヨォ……」

「キ、キャアアアアアッ!?」


 怪物へと変貌していくトモコを見て、恐怖に耐えきれなくなったのか、一人の女子生徒が発した叫び声を皮切りに、次々と伝染するように悲鳴が広がり、体育館内は阿鼻叫喚あびきょうかんに包まれていき──扉の近くに立っていた為に一早く体育館の外へと出た女生徒が、通行人に聞こえるように、声出し応援よりも大きな声で、


「トモコが……ッ! 禍空かくう病に……!!」


 そう、叫ぶのだった。


 ◆◆◆


 ……──『禍空かくう病』。

 五年前に突如として現れた謎のウイルスによって引き起こされた感染症であり、大抵は感染してもすぐには発症せず、何日か体内に潜伏し、ある日何の脈絡もなく患者を異形の姿へと変化させてしまい、最終的には宿主である患者の生命力を全て奪い取り、永久に怪物の姿にさせてしまうという厄介で、奇怪極まりない病気──。

 その禍空病の感染者がまた現れたとの通報があり、現状最も禍空病に対して研究の進んでいる製薬会社『ダンバース』に所属するエージェントであるトオル・アズマは、■■市にある私立高校の体育館へと足を運んでいた。


「これは……いつものことながらすごいなぁ……」


 報告資料の為に写真を撮りながら、ヒロヒデは素直な驚きの感想を、感染対策として支給された防護マスクの中で漏らす。

 感染者とされる女子バスケ部長のトモコ・タナカは証言によると両手両足が異常発達した緑色のカエルのような姿に変貌した後、同じくバスケ部に所属する部員六名に怪我ケガを負わせ、体育館の中にあるボールや椅子といった備品、外に停車されていた教師の車の上を飛び跳ねながら逃走されたとされ、現場は彼女が分泌した粘液で汚れ、至る所に落書きのような平面に変えられてしまった道具たちであふれていた。


「まぁ、楽観的に考えれば人間が平面に変えられなくて良かったって所ですかね……それとも生物は平面に変えられないんでしょうかね? そもそもなんで平面にするんでしょうね? …………って、先生? ちょっと先生、聞いてます?」

「……──トオルは、モウドクフキヤガエルってどう思う?」


 トオルの問いかけの一切を無視して、先生と呼ばれた珍しい極彩色の髪をメッシーバンと呼ばれるルーズに崩したお団子ヘアに結び、とがった耳を持つ白衣の少女は、ヒロヒデの方へと体を一切向けずに、床に落ちている粘液を素手で弄りながら、逆に問いかけを投げることで応える。


「モウドクフキヤ……? 思うって……そのカエルがなんだって言うんですか?」

「だからさぁ~、それだよ、モウドクフキヤって名前……どう思う? コロンビアの原住民がそのカエルの持つバトラコトキシンっていう人間なら1ミリグラムで二十人を殺すとされる毒を抽出して、吹き矢の先に塗って狩りに利用したのが元の由来らしいんだが……使い道を名前にされるってのはどうなんだって思わないか? 鮮やかな体色と自然界最強の毒を持つ彼らの名誉を侵害していると流石に思わないか? 流石に!」

「名誉って……そんな大袈裟な」

「大袈裟なものか、全く……トオルは名前の重要性を存じてないようで、流石の僕も嘆かわしくてならない……あと、その粘液あんまり触るなよ。流石な僕の見立てじゃあそれはブフォトキシンと言って、バトラコトキシンほどじゃあないが、毒ではあるからな……目を擦って失明しても治してやんないぞ」

「素手で触ってた人に言われたくな──って、ちょっとどこ行くんですか先生!」


 話の途中で少女は興味が別のものに移ったのか、トオルを放置して体育館の外へ出ようとし、それを叫んで呼び止めると、彼女は振り向かずに、背中越しに語りかける。


「トオルって、ベンチプレス何キロ持ち上げられる?」

「へ? えーっと、あんま覚えてないですけど、150キロとかですかね」

「流石は元陸上自衛隊。いつもながら、着てるスーツまで平々凡々なトオルのどこにそんな筋肉を仕舞しまっているのか解剖して確かめたいところだが……なら、流石の流石、体重38キロの僕だなんて軽いもんだよね?」


 何の話をしているのかトオルが理解できずにいると、白衣の少女は外で平面にされていた車の上に立ち止まる。


「──信頼ゲームしよっか」

「……? 何言っ……てぇええッ!?」


 次の瞬間、トオルの視界から白衣の少女が消え、代わりに地面に描かれた落書きのようになっていた車が元の立体となって現れる。


「まさか……ウソだろォォォッ!?」


 突然の事に混乱しながらも、トオルは少女の言葉の意味を瞬時に理解し、空を見上げ、両手を広げて訪れる衝撃に備える。

 直後、先ほど視界から消えた白衣の少女が上空から彼の元へと落下し、彼女を受け止めると、そのままトオルは地面へと倒れ込む。


「イッ……タタタ……」

「……ナイス〜」

「ナイスじゃあないですよ!? 危ないじゃないですかッ! 俺が受け止められなくて先生が怪我したらどうするんですかッ!?」

「そしたら自分で自分を治すかなぁ……けど、これでトオルの気になってた『なんで平面にするのか?』という疑問には鮮やかに答えてやったよ? こうやって、バネとして利用する為さ」


 ──ちゃんと聞いてたのか。


 と、トオルが心の中でつぶやくと、白衣の少女は自分の足で立ち上がってから、胸ポケットに入れていた青いサングラスをかけ、トオルに向かってさらに言葉を続ける。


「それと──アヤカ先生だ」

「えっ?」

「流石な僕の名前を呼びたいのなら、と呼べ。アヤカでも先生でも間違いだからな……分かったか?」

「……──もしかして、今日ずっとアヤカ先生って呼ばなかったから、関係ない話したり、こんなことしたりしたんですか?」

「……おっと、そろそろ約束の時間じゃあないのか? 流石の僕も予約時間を守らない無礼な客にはなりたくない。ほれ、さっさと運転席に向たまえよ」


 ──図星だな。


 不機嫌そうに眉を寄せながら、馬鹿にするように先が分岐した長い舌を出して怒る少女──アヤカ・モロイシの心中を察したトオルは、これ以上彼女の機嫌を損ねないように、急いで彼女の進行方向に停車してある車へと走り出すのだった。

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