第28話 聖地、閉鎖病棟


「誰?」


 振り返る間もなく、あの森の中で邂逅した醜悪な姫が、こんな洒落にならない病棟にいたのだ。


「いいのです、あなたは歳月を戻してほしいのでしょう。あなたのお母さまが犯した罪を戻せればよろしいことかと。それなら、話が早いでしょうに」


 姫は閉鎖病棟が醸し出す、特有の暗闇の中でもニヤリと微笑んだ。



「そんなことはできるの? 冗談じゃないよね」


 姫はやかましく話し込んだ。



「冗談じゃありませんとも! 私に差向かう案件はこの世の中にはないのですから。私は何でもできるのですよ。あなたが叶いたい夢を何だって叶えましょうよ。あなたの叶いたい夢はお母さまの罪を消してほしい案件でございましょう。案外、単純ですこと。もっと大ごとになるかと存しましたが」


姫は何者なのだろうか。



天孫・瓊瓊杵尊に婚儀を断られ、緑水湛える深淵・蛇淵に入水した生死を司る磐長姫。


どうでも良かった。



母さんの罪が消えるのならば、どんな方法に託しても本望だった。



「ねえ。君は何にでもできるって本当なの?」


「そりゃあ、そうですとも。私の手にかかれば、弑逆だってお手の物ですこと。私の手にかかれば誰も逆らえませんの。私の敵にならなくて、あなたは運勢がたいそう、恵まれていましまね、――あの方に近似しておられる辰一殿」


どうして、姫は僕の名前を知っているんだろう。



「僕の名前をなぜ、君は知っているの?」


 姫は惣闇の中で悠然と微笑んだ。


「私は相手の心も身体もすべてお見通しです。どんな人間の心もすべて掌握できるのが私の役目なんです。信じられないでしょうが本当です。私の手にかかれば、望み意のままにおなりです」


 姫の申し出に僕は目を見張った。



「あなたはあの東京の、千鳥ヶ淵の奥に潜む賢所の森へ行きなさいませ。あの方も存命ならば、そうおっしゃるでしょう」


 姫の提案に僕は目を光らせたような気がした。


「僕とあの方がそんなに似ているの?」


 姫はニヤニヤと屈託なく笑う。



「そうですとも。まあ、皮肉もこの閉鎖病棟は小戸の橘にあるではないですか……。不浄と清濁とは言い得て妙ですね」


ここは日ノ本有数の聖地なのだ。


そんな聖地にこの精神科病棟は皮肉にも建立されていた。



「私の両目をその曇りなき眼で見てくださいまし」


姫と病棟に戻って、僕はベッドの上で姫を掻き乱れるように抱き、真底まで愛でるよう、厳格に指令された。


その無謀な欲求に酷く嫌気が差したけど、姫の悦楽に満ちた言動に念を押された。


あの方との目合いのようですこと、と姫は申せた。


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