おなかいっぱいの
嫌い。嫌い、嫌い。嫌い、嫌い、嫌い。
くだらない言葉を並べて、薄っぺらい電子媒体をつかってあたしへの誹謗中傷を世界中に発信するあたしの同僚たち。あたしへの嫉妬を、あたしを悪人へと仕立て上げることで昇華しようとする愚かな人たち。本当に大っ嫌い。
でも、本当はそんな人たちに対抗して、くだらない言葉を返してしまうあたしが一番大っ嫌い。こんな大嫌いの連鎖を繰り返してしまうなら、言葉なんてこんなものなくなってしまえばいいのに。そんなことを思いながら、スマートフォンの電源をそっと切った。
あたしはかわいい。
だって、化粧から洋服、髪型、スキンケア、身に着ける小物類まで、あたし自身のすべてを自分がかわいいと納得いくまで整えているのだから。その結果として男の人があたしをかわいいと思ってくれたのならば、それはあたしのかわいいを男の人も理解してくれたということに違いない。だから、あたしをかわいいといってくれる男の人は好きになれる。これはきっと人間関係全般に言えることだけれど、価値観が一緒な人と一緒にいた方が楽しいに決まっているじゃない。だからあたしはそういう人と一緒にご飯を食べにいくの。あたしを落とすことしか考えていない女の人と食べるよりもよっぽどご飯が美味しく感じるもの。結局のところ、男の人のほとんどはあたしの価値観とあっている、ただそれだけの話なのだ。
そんなあたしを、女の人はよく「男誑し」といって責める。
あたしは悪くない。自分をかわいいと思えるまでかわいくしないあなたたちがわるいのよ。それにあたしと関わろうとしないであたしを仲間外れにし、結果的に男の人しか味方がいない状況にしたのは、あなたたちでしょう。
心の中で言うだけならだれも傷つくことはない。でも、口に出さないでいるというのも、苦しくて辛いから、嫌いな言葉たちは、毎夜寝る前に飲むミルクティーでおなかに流し込むの。あたしにとってミルクティーはね。とっても甘くて、涙が出ちゃいそうなほどやさしい飲み物なんだ。
黙っていたって明日はきちゃうものだし、どうしようもないなということもわかっているつもりだけど、辛いものはつらい。
誰もいない、街灯も少ない道で一人にされる私。いつもよりも足が浮腫んでいる。ちゃんと帰ったらマッサージしないと……。
頼りない街灯に照らされながらゆっくりと自宅へ向かっていた。酷く惨めで孤独な時間だと感じられるこの時は、私の嫌いなもののひとつだ。
その先にあるあたしの住む家は、間取り、家賃、築年数、一切妥協せずに選んだ部屋だ。広すぎず狭すぎず、そこそこ新しくて、騒音・耐震対策やセキュリティもばっちり、あたしのお気に入りの集まったインテリアたち……。小さなアパートの一室、1DKのあたしの部屋はあたしにとって完璧な場所だ。
あたしは肘に掛けていたブランド物のハンドバッグからカードキーを取り出しつつ階段を上って、三階の角部屋へと向かう。
ふと、顔をあげたとき、あたしは恐怖のあまり一歩後ずさってしまった。
わたしの部屋の前に、誰かが、居る。
「だ、だれなの……」
その人影に尋ねても返事はなかった。そもそも距離があるから聞こえなくても仕方がないのかもしれない。
私はそう思っていたのに、突然頭の中には何かが入ってくる。不思議な、誰かの思考のような、そんな何かが入ってくるのだ。きっとその人影のものに違いない。
「え……? お、お届け物……? 手紙を読んでってこと?」
あたしがおそるおそる歩いていくと、そこには廊下の蛍光灯に照らされながら、清潔感のある白いボトムスとワイシャツを身にまとっている、あたしよりも背が高くてとても顔立ちのいい男の人が立っていた。
「あたしに、何か伝えようとしたのは、あなた?」
そう尋ねると、男の人は優しく微笑んで、また私の頭の中に直接肯定の意志を伝えてくれた。
「わ、わかった。このお手紙、読むね」
男の人に近づいて、その人の持つ黒い封筒を手に取った。
赤いシーリングワックスの封を取り、中から数枚の束になっている便箋を取り出してみる。その便箋には、あたしの名前から始まってこのようなことが書かれていた。
***
葉山 綾 様
厳正な審査と抽選の結果、あなたを「言の葉喰い」の日本唯一の養育被験者に選ばれました。つきましては、一か月間「言の葉喰い」の養育を行っていただき、「言の葉喰い」についてのレポートを作成していただきたく思います。同封の資料に詳細がありますので、そちらの方もご確認くださいますようお願い申し上げます。
またこの件に関して 葉山 様の拒否権は原則認めません。養育費や 葉山 様の生活費などを含めた給与に関しての詳細は後ほど口座振替依頼書とともにご自宅の方へ送付いたします。
一か月間、「言の葉喰い」の研究にご協力お願い致します。
世界生物研究連盟日本支部支部長
篠田 雅道
***
この状況は、わけがわからないままに不思議な存在を押し付けられてしまったということだと思う。。でも、このままあたしとこの子と二人で外でお話をするわけにもいかないだろうからとあたしは、その子を家へと招き入れた。
「お名前……。あるのかな」
音となる言葉は基本的にあたしからだけ、一方通行だった。でも、この子の伝えようとすることはあたしの思考となって理解できる。とっても不思議な感覚だった。
「そう、ユノくん、というのね」
基本、あたしの言うことをただ聞くだけのこの人をまずは知らなければならないと思い、黒い便箋の二枚目をみて見ることにした。
「ユノくんは、とりあえずなんか好きなことしていてくれる、かな?」
ハッキリとはわからないけれど、見たところによると私の言葉はわかってくれたらしい。ユノくんは、あたしが今朝テーブルの上で放置した女性誌を見始めていた。
「ええと、ええと」
取り扱い説明書の内容をざっと見てあたしの中で整理してみたところ、こんなことが書かれていた。
そもそも「言の葉喰い」というのは、人の形をしているけれど、人とは一線を画す存在みたいだった。とくに人間と異なるのは、消化器官だそう。人間と同じ形の消化器官をもっているのにその消化器官で消化するものは、形のない、あたしたちの紡ぐ言葉なんだって。
「言の葉喰い」が食べた文字は紙面から消えて、食べた声は音が消える。「言の葉喰い」は言葉が言葉ではなく食べ物だから、あたしたちの言うところの言語のような言葉は存在しないそう。その代わりに彼らの伝えたいことは、あたしの「言の葉喰いのこの子は、きっとこう思っているんだろうなあ」というような思考に置き換わって、あたしたちに伝わってくるみたい。逆にあたしが伝えたいことも、「言の葉喰い」の思考に置き換わって伝わっているみたい。
伝えたいことが、あたしの想像に代わる。とっても不思議な伝達方法だと思った。
「なるほど、言葉を食べるから言の葉喰いと呼ばれているのね。ということは、ユノくんには言葉がおいしく感じるのかな?」
ふと、雑誌を読んでいたユノくんの方を見ると、どこから取り出したのかもわからないスプーンを口にくわえて幸せそうに微笑んでいる。
「ユノくん……? も、もしかして!」
さっきまで読んでいた資料の内容を思い出してハッとする。
「その雑誌、見せてくれないかな」
相変わらず微笑み続ける湯野君は、あたしに雑誌を渡しながら、「ごちそうさまでした」と伝えてくれたらしかった。
「お、おいしかった? ……そう、それならよかった?」
もしかしたら、ユノくんは初めから雑誌を読むために手に取ったわけではなく、食べるために手に取ったんじゃないか、ってことを閃いてしまう。パラパラとその雑誌をめくってみると、ところどころで言葉が消えていて、女性のモデルの写真ばかりが目につくようになってしまっていた。
「この文字はユノくんが食べたの? そ、そんなに首を縦に振らなくても大丈夫だよ! おいしかったのね。しばらくぶりの贅沢なごはんだったから? ……そう。それならよかった」
呆気に取られてしまってあたしは暫くユノくんになんと伝えたらいいのかもわからなかった。
ふと時計をみて見ると、もう夜九時を指している。今日は会社から帰るのも遅かったのだけれど、それでもご飯を食べて、お風呂に入って、ストレッチにマッサージ、ケアもしなければいけない。
「ユノくん、ごめんね。あたし、やらなきゃいけないことがあるから、ええと……」
ユノくんは二回ほど首を縦に振ってくれる。言葉はないけど、身振り手振りは出来るみたい。きっとあたしの発する言葉も食べ物としてしか見ていないのだろうけど、伝わってくれているはずだ。
「あ、いらない雑誌なら沢山あるの! おいしいのかはわからないけれど、良かったら食べてて!」
するとユノくんは「おなかいっぱいだから、いらない」と伝えてくる。
「ええ……。でも、暇でしょう?」
今度は激しく首を横に振って、癖毛のふわふわな黒髪を揺らした。
「さっきの文字を食べた雑誌を見たいの? いいけど……。全部終わったらなにか一緒にあそびたい? う、うん。わかったよ」
ユノくんは楽しそうにニッコリと笑って雑誌を眺め始めた。出会って一時間もたっていないけれどとっても不思議な子だなと思った。
食べることは共有できない寂しさはあるけれど、一人でいるよりもなんとなく楽しい気持ちにあたしはなっていたんだと思う。
***
あれから三週間と何日かがたって、さすがにユノくんとの生活も慣れていた。
その過程でわかったのだけれど、ユノくんにとっての書かれた言葉というのは、あたしたちにとってカップ麺やスナック菓子のようなものみたい。逆に音になった言葉は、栄養価の高い健康的な食事のようなものになるのかな。
ユノくんはどちらかというと音になる言葉を好きになっていた。あたしの話す言葉が好きだと言ってくれた。あたしにはただ「あ、声が消えた」という感覚が残るばかりなのだけれど、それでも少しうれしかった。でも、元からユノくんは他の「言の葉喰い」と比べて嫌いな言葉がほとんどなくて、ある一つの言葉を除いてなんでもおいしく食べられる子だったらしい。そのためか、あたしが言えなくてつらかった愚痴とかも嫌な顔一つせず普通に食べてくれる。時々、食べられたくない言葉を食べられちゃったりとかもあったけれど、どんな言葉であれユノくんは言葉を食べた後にいつも幸せそうな顔をするから、あたしも幸せな気分になれた。
あたしの嫌いなものをユノくんは食べてくれて幸せにしてくれる。それは、苦いコーヒーが、甘いミルクティーになるような感じだった。
「ねえ、あたし でしょ?」
口をもぐもぐと動かしながらたくさん首を縦に振るユノくん。
「あたしね、ユノくんの そうなところ、 だよ」
またあのフォークを使ってあたしの声をからめとってる。最近は、「かわいい」とか「幸せ」とか「好き」とかそういう前向きで綺麗な言葉だけを選んで食べることが増えた。ふわふわしたスポンジをなめらかな生クリームで囲んで甘酸っぱいイチゴをのせたショートケーキみたいで好きなんだって。つまり、「ショートケーキ」という言葉と同じ味がするみたい。
あたしのあの部屋はいつしかユノくんとあたしの幸せで満ちた最高の場所となっていた。だから、あの素敵なお城に帰るためだったら、なんだってできるとあたしは思っていた。
一か月限りの理想のお城だもの。本当は一秒たりとも離れたくないけど、生きるためにはお城に引きこもってばかりではいけない。
あたしは、頑張れる。あの幸せのためなら……。
「……さん、葉山さん」
「っうあ! は、はい!」
「ちょっと~、仕事中にぼーっとしないでよ~? はい、これやっておいてね」
明らかな敵意を向ける、上司の女の人。あたしに苦しい言葉を投げかけてくる人の一人。いつもこうして明らかにあたしがやらなくても良くて、あたしよりも手が空いている人なんて沢山いるのにあたしに仕事を押し付けてくる。
「で、でもあたし、今日の分の仕事はもう」
たくさんあって終わりそうにない、と続けようとした言葉は、いともたやすくさえぎられてしまう。
「あら、そう。そうよね、あなた、今晩もご予定があるんだものね」
「えっ」
あたしに予定という予定は、ない。家に帰って、いつも通りに過ごすだけ。どうしてこの人はこんなことを言うの?
「いつも男漁り、お疲れ様」
そう、そういうことだったの。
あのね、あのね。あたしはね、あたしが納得できるかわいいあたしでいるだけなの。でも、この人は違うんだ。あたしを苦しめて、男の人があたしのことを嫌いになるようにしている。あたしを落とすことで男の人から好かれようとしているんだ。
「仕事、終わらないんだったらいつもみたいに、おねがいしますぅ~って大好きな男たちにいえば?」
あたしより、かわいくないのに、かわいさが何なのかもわかってないくせに。露出が多い服を着ればいいと思ってるの? メイクだってただ顔にのせるものじゃないのに!
「いいわよね~。葉山さんは、だまーってても男の人が助けてくれるから」
努力をしてないのに、男の人にもてたいだなんて、あさましいにもほどがある。
あたしみたいに、一番のかわいいを作っていないくせに……!
ああ、もう。本当に、もう。
嫌い。嫌い、嫌い。嫌い、嫌い、嫌い。嫌い、嫌い、嫌い、嫌い。
大嫌い。
この人の後ろで同じようにあたしを笑う女の人たち。
あたしの陰であたしを苦しめる言葉を並べる人たち。
あたしのかわいいをけがす言葉を吐き出す人たち。
「……みんな、だいきらい」
「え? なに? 葉山さん、何か言った?」
大嫌いな苦いコーヒーを、上から滝のように浴びせられたような、最悪な気分がする。
もう、限界。あたし耐えられない。
あたしの、人格を。あたしの、人生を。あたしの、幸せを。
あたしのすべてを奪い去ろうとする人なんか、全員……
「 」
慌てて口を手で押さえた。
とうとう口に出してしまった。あたしが、一番言いたくなかった言葉であたしが一番大嫌いな言葉を言ってしまった。でも、それが声となったというのはあたしの思いこみだったらしい。口に出したと思っていた言葉は、音になっていなかった。
それでもあたしは、その言葉を言おうとしてしまったんだ。あたしは、あまりのショックで何も話せなくなった。
あたしって、いままでどうやって言葉を紡いでいたんだっけ?
話せなくなるばかりか、聞くことすらもできなくなっているのを感じる。何も言えないし、何も聞こえない。何も見たくなくて目も閉じた。
何も伝えられない。何も聞こえない。何も見えない。
真っ暗闇の洞くつで本当にまっくらになってしまったあたし。もう、あたしはお城に帰れない。ユノくんに、あたしの幸せの姿に会うことすらかなわない。苦しいこと、辛いこと、嫌いなこと、色々なことが積み重なってできたブラックホールのような絶望を感じてしまって、その絶望が肺の中を満たしていくの。とっても苦しい。
そんな時に、何かがあたしの中に入ってきた。
「帰ろう?」という言葉があたしの頭に浮かぶ。
それは、何度もあたしの中で再生していたとてもなじみのある声のようだった。気が付くと、いつのまにかあたしの肩にはとても暖かくて優しい手が置かれている。
「ちょっと、あなたどちらさま?」
ゆっくりと顔をあげてその思考の方を向くと、いつのまにか上司の女の人が立っていたところには、この場の誰よりもかっこいいユノくんがいた。いつもとは違ってスーツをしっかりと着て、右手でフォークを握りしめながら。
「ユノ、くん」
すべての感覚が戻ってくるようだった。真っ暗な洞窟が、お城へとつながる道に見えた。ユノくんは、あたしの頭をなでながら「大丈夫」と微笑んだ後、上司の女の人の方をにらんだ。
「な、なによ! あなたに何がわかるっていうの!」
だめ、ユノくん。その人は、あなたのこと知らないのだから。なにも伝えないで、どうかお願い。
今はもう、あなた以外はどうでもいい。だから、ユノくん。帰ろう。一緒にあたしたちのお城に帰ろう。
最低限の私物だけを詰め込んで、あたしはハンドバックを持つ。そして、ユノくんの手を取った。
すると、ユノくんは満足げにうなずいてあたしの手を強く握ったままオフィスを駆け出す。
「は? ちょっと、葉山さん!?」
「葉山君!?」
「どこにいくの!?」
周りの声はぜんぶ無視をした。ユノくん以外、もうなんでもいいと思ったのだった。ユノくんに流されるまま、あたしもオフィスを駆け出した。会社のエントランス、自動ドアすら駆け抜けて、お昼を過ぎてもまだにぎわう歩道へ出る。きっときなれないスーツと革靴で動きづらいし、尚且つあたしを引っ張りながら全力疾走していたのにも関わらず、ちっとも疲れた様子がないユノくん。すごいし、かっこいいと思うけど、あたしはもう体力の限界だった。
「ユノ、くんっ! お願いっ、止まって! もうっ、あたしっ、苦しいのっ!」
あたしが一生懸命だした声は、風を切る音にかき消されてユノくんに届いてくれない。
「ユノ、ユ、ノく……っは、もう、無理……」
お願い、届いて。お願い、止まって。ユノくん……!
「はあっ、はぁっ……。ユノ、くんっ……?」
ユノくんがようやく止まってくれて、着いた場所はビル群の中にある開けた公園だった。そこにいる人の多くは子どもとか、そのお母さんたちとかの姿だった。あたしたちは少し仲間外れみたいな感じにも見える。
じんわりと口の中に血の味がにじむ。ユノくんは平気なのかな。あたしは、乱れに乱れた息をゆっくりと整える。
「どうして、あたしの会社にきたの?」
ユノくんは、あたしをまっすぐに見ながらも、この公園近くの通りで路端停車している高級車を指さした。
「ユノくんの親みたいな人にあたしを連れて来いっていわれたってこと? そうなんだ。その人ってもしかして、ユノくんをあたしのところへ送った人たちの一人?」
そう聞くと、ユノくんは二回ほど首を縦に振った。ユノくん曰く、あたしが、仕事で忙しくてユノくんとの生活とそれに関するレポートをちゃんとやっていないのでは、と疑われていたからきたみたい。
そうだよね、そういう権力じゃなかったらじゃなかったらユノくんはきっと入るのに社員証の必要な会社へ立ち入ることなんてできない。
あたしのことを思って迎えにきてくれたんじゃないかって期待していたあたしが少し恥ずかしくなった。
そんなあたしに、ユノくんは突然抱き着いてきた。
「ゆ、ユノくん!? ここ、みんないるから!」
周りをきょろきょろと見渡すと、みんなこっちに注目しているというのがわかる。けど、ユノくんはそんなことを気にせずにあたしに思いを伝えようとしていたんだと思う。
自分も会いたかったのだ、というユノくんの思いは、あったかくて甘くて優しい、あたしの大好きなミルクティーみたいだった。
だから自分自身で迎えにいったのだと、ユノくんは伝える。もう、周りの目なんかどうでも良くなってあたしもユノくんに思いっきり抱き着いて、伝えることにした。
「そっかあ……。ふふ、ありがとうユノくん。……ありがとう」
ねえ、ユノくん。あたしね、あたしを苦しくする言葉も、その言葉から解放されるためにあたしが吐いちゃう言葉も大嫌いなの。
だから、お願い。
あなたの食べたい言葉ならいくらでもあげるから、あたしの大嫌いな言葉を食べてちょうだい。
そしてあたしを幸せでいっぱいにしてちょうだい。
あたしはきっと思考も感情も何もかもが言葉がないと理解できない世界の人間だ。けど、ユノくんは違う。ユノくんにとって言葉は単なる食料に過ぎなくて、思考や感情は言葉がなくても理解できる「言の葉喰い」なんだ。
でも、きっとあたしの伝えたいと思った言葉は違う何かになってユノくんに伝わっているはず。そうだと信じてる。
ねえ、ユノくん。お願い。
もしこの思いが伝わっているのなら、どうかこれからあたしがあなたに吐いてしまう言葉を全部食べてちょうだい。
どうか、お願い……。
ユノくんは、少しだけあたしから離れた後、あのフォークを握って見せてきた。そしてすこし無理をしたような、辛そうに得画ををしながら、ゆっくり大きく一回だけ頷いた。
***
温かい夕日に見守られて、心地よい秋風が静かに部屋を通りすぎていくのを感じる。
ずっと一人で座っていた、二人掛けのソファにユノくんと二人で手をつなぎながら座る。あたしが守り養うはずのユノくんは、その必要性を感じないくらいに強くてかっこよくて頼りになる。そんなユノくんに寄りかかりながら、徐々に冷やされて涼しくなっていくあたしのお城を眺めていた。あたしのスーツとユノくんのスーツが皴もなく部屋の隅に飾られている。きっとあれは、ユノくんの親御さんが用意してくれたものだから、こんどはあたしに選ばせてね。ユノくんをもっとかっこよくしてくれるはずのお洋服を他でもないあたしが選びたいの。
ずっと苦しくて、辛くて、大嫌いだった言葉を、ユノくんなら全部食べてくれる。それはとても幸せだった。
でもユノくんはもうすぐあたしの元から去ってしまう。あたしにとって、必要不可欠な存在になっていたのに。
もうすぐお別れをしてしまうユノくんにどうしても言いたい言葉があって、あたしはゆっくりと口を開いた。でも、そこには音は響かない。ユノくんが、口吸いをしたからだった。
──ごちそうさまでした。
──おそまつさまでした。
──今までで一番おいしい言葉をありがとう。
──おいしく食べてくれたなら、あたしもうれしい。
あたしとユノくんの意思疎通は、本当にユノくんの伝えたことなのか、はたまたあたしの想像による補填なのか、たぶん一生経ってもわからないと思う。でも、今はただユノくんとこうして思考のやり取りをしていると思える時間が楽しくて仕方ない。ソファの前のローテーブルには、書きかけのレポートと、冷めたミルクティーの入ったマグカップ、それから空っぽのマグカップが並べられている。あたしには見えないけれど、あたしの食べてほしい言葉をユノくんはその空っぽのマグカップに満たしているんだって。
飛び出してしまった会社の方だけど、幸いなことに大きな問題にはならなかった。研究所の人はとっても権力のある人みたいで、あたしに残りの実験期間である一週間分の有休を与えるようにと言ってくれたみたい。つまり、この一週間だけは、ユノくんと二人きりでゆっくりと過ごすことが出来るようになったのだった。
きっと一週間後にはあたしはまたあの大嫌いな場所へと戻るし、ユノくんはお国の研究施設へ戻るんだと思う。だからこそあたしはこの残りの一週間、おなかいっぱいの幸せを感じながら、ユノくんとの最後の時間を過ごしたいんだ。
心でそう決意して、ユノくんの方を向くと、ユノくんはとても甘やかにほほ笑んでくれていた。
―――――
本作品のレシピは作者の考えたものではなく、他の方が書いてくださったレシピです。
作者はそれを調理したのみであることを示すとともに、レシピをくださった作家さんへ最大限の敬意をこめて、この場で感謝申し上げます。
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