硝煙と少年
けたたましい警報音に連れられて私は監視室へと向かった。
紛争地帯のすぐそばの場所に私の研究施設はあるわけだから、ここには私を殺しに来たか、もしくはここを根城としてやろうという輩が入り込んできたのか、助けを求めて入り込んできたのかもしれない。いやしかし、そんなことは万が一にもできるはずがないのだ。
防弾ガラスを覗いている限りでは、とても紛争は落ち着いていて、何もここに攻める必要があるとは思えなかった。
起きてしまったことはしょうがないし、対処するしかない。一刻も早く警備システムを止めなくてはならない。万が一避難者だった場合に、この施設の防衛システムが作動して来訪者を撃ち殺してしまうかもしれない。そもそもここに誰かが入ってくるなんてそんなことは起こるはずがないと思っていたのだからただの飾り同然の防衛システムだったのだ。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
監視室の出入り口に設置された、四桁のパスコードロックと、虹彩認証、静脈認証を行い、急いで装置の前に向かう。まずは防犯システムの解除からだ。出入り口と同じように生体認証を行った後にプログラムの書き換えを行う。
この作業自体はそこまで難しい作業ではない。数か所の1を0に変えるだけの単純な作業だ。……とりあえずはこれで大丈夫であろう。
「それにしても、一体誰が入って来たというんだ」
眼前に広がる複数のモニターを見渡しながら、人影を探してみるが、とても見つけられない。どうしてであろう。人の形以外のもの、つまり猫や犬が紛れ込んでもセンサーは反応しない仕組みであるはずだからこの建物の中にいることは確実なのだ。センサーは人の形と体温をとらえる。
血眼になってモニターの数々を探してみるも、全くそれらしい姿が見当たらない。監視映像に死角がなくなるよう調節したはずなのだが、どうして見つからないのか。
思わず頭を押さえた時、ふと私は寒気を感じた。
途端、私は後ろに体のバランスを崩してしまった。
全く訳が分からない。何が起きたというのか。私は着ていた白衣の裾を引っ張るそれをとっさに振り払った。非常に軽い。私よりはるかに軽い存在だった。
「……少年、君はどうやってここに入った」
「ひっ、わ、わからない……」
少年はおびえた顔で私を見上げる。なるほど、彼はどうやら唯一監視映像に映らないこの部屋に隠れていたらしい。
再び白衣の裾を引っ張って小さな自己アピ─ルをしてみせた少年は、この紛争地帯に似つかわしく、たいそう衰弱しているように見える少年であった。見たところ、私よりも頭三つほど小さい背丈の少年だ。
胸元で片手を包みながら、震える声で少年は言う。
「……気づいたらここにきていて、それで一番安全そうな部屋に入っちゃったんだ」
「どうやって入った。ここには厳重なセキュリティがあっただろう」
普通に話しているつもりの私の声はこの子供をおびえさせるには十分であったらしい。少年は小さな体をさらに小さくしてしまった。
さらに少年は唇を小刻みに震わせて私から視線をそらした。
「ドアが勝手に開いてくれた。よくわからないけれど、開いてくれたんだ」
「……それでは、まるで機械が心を持ったような、そんな偶然が起きたとでもいうのか君は」
無言。少年は完全に静止してしまった。
「……この際それはどうでもいいことであるな。私は君に大変興味がある。少年、私と少しばかりはなしでもしようじゃないか。安心するといい。私は人間をめったなことで殺すことは出来ない。私のMotherをもって誓おう」
「マザーって……いや、なんでもない……」
相も変わらず視線はそらされる。やはり最初の声のかけ方がいけなかったのだろう。怖い思いをさせてしまったようだ。柔らかい言い回しというものを知らない私の物言いは、確かに少年に厳しいものがあったかもしれない。
「ああ、そうだ。美味しいお菓子があるんだ。私のMotherの故郷では有名なレッドビーンジャムを使ったお菓子だ。私はたいそうそれを気に入っていて、今日もそれを食べていたところなのだ。よければティーパーティーをしよう」
「あずきのジャムのおかし……? そんなお菓子なんて食べられないよ。お金はないんだ。硬貨一つも持ってないよ」
「ふうむ、少年は私がお金を欲しがっていると思うのか。残念ながら私が欲しいのは、あくまでも少年の話だ。金なんていらない。どうか少年の話を聞かせてくれたまえよ」
少しほっとしたように、少年は笑った。この表情を見る限りわずかに心を開いてくれたようにも思える。さらにどうやらこの少年は異国の菓子に使われるレッドビーンジャムのことを知っているほど賢い子供らしい。幼さの中に大人らしさを感じる少年を見ていると、ふと故郷に残した弟妹のことを思い出した。
少年を招いた、小さなとりとめのないパーティーは、ゆっくりと時間を奪った。
先ほどまでのただ風が流れるだけの静けさが嘘のように外からは銃声が鳴り響く。今日はもう終わったと思っていた戦は終わっていなかったらしい。無言の空間にその音はいささかうるさすぎる様な気もした。
「……ところで、少年は紛争による孤児であるのか?」
「あ、えっと、ううん、こんな戦争みたいなのが始まる前からお父さんもお母さんもいない。僕が一番上なんだけど、八人の兄弟と暮らしてるよ」
「そうか、それでか。歳の割には賢い上に、大変しっかりとしているように感じていたのだ」
「ほんと? うわっ!」
バンッ。
「ああ、これはいつものことだ。慣れるしかあるまい」
また銃声。そして悲鳴。窓や壁に当たっているだろう銃弾の数々は壁を通過していきそうなほどである。安全面において不足のないこの建物が破られることはないとわかっていても身構えてしまうものだ。
「……確かに君は賢い。だが、それはどうしてだろうか」
「え、っと、ぼくに聞かれてもわからない……」
「であろうな」
まじまじと少年を観察していて思ったのだが、少年は、外が気になってならないのだろうか。先ほどから私に目を合わせようともしない。不思議に思ってその視線を追い、無理やり目を合わせようとすれば、必ずそらされる。
「なぜ目をそらす」
「そ、それは……」
「私が怖いからか?」
「違う!」
テーブルの上に二つ置かれたてぇーカップの中の紅茶の水面がわずかに揺れる。
席を立ちあがった少年は怒りの表情を見せたかと思いきやすぐに焦りを見せた。
「あ、ごめんなさい……」
「いや、構わない。気にするな」
少年の態度には非常に興味がわいてくる。そうまでして少年が居心地悪そうにしている理由……。
「なるほど、お前の心配事はどうやら別のところにあるようだな」
ほのかに湯気の立ちのぼる注いだばかりの二番煎じの紅茶のカプを手に取り、ゆっくりと口にする。少年はゆっくりとイスに腰を掛けて再び私から目をそらした。
何も話さない時間はまた訪れた。しかし、これも私にとっては対話のうち。ずっと観察していれば見えてくるものがある。彼の心のうちにある本音がどのようなものであるか……。
気が付くと、もう外から音は聞こえてこなくなっていた。
「どうやら今日の戦は終わったらしい」
おそらくこれは敵を威嚇するつもりだけのゲリラ的銃撃戦であったのだろう。
「君も静かな今のうちに帰るべきだ」
「え、でも」
「なんだ」
「いいの、話。あんまりしてない」
「構わんさ。私の目的はもう果たした」
「目的?」
「ああ」
私は立ち上がり、少年を見下ろした。私の姿を見て不安と恐怖に怯える少年は神に祈るように胸元で指を組んだ。私の姿をはっきりと明確に映し出す瞳を私はどこかで見たことがあるような気がした。懐かしい、そんな感覚だ。
「君にも兄弟がいるんだったな」
「え、うん……」
「ならその兄弟のために必要なものを好きなだけ持っていくがいい。
倉庫はここを出た先にある」
「え……?」
「お別れの時間だ。君はここに長居するべきではないだろう」
なぜだか、少年を見ていると、私は彼をいるべき場所に帰さなければならない、私が誘導しなければならない、そんな使命感に襲われた。
「いいか、そして一度ここからでたのなら、もう二度とここに来てはならない。ここは元より紛争地帯の中心に位置する研究所。再び訪れるには危険な場所過ぎるのだ。わかっておくれ」
「う、うん。わかった」
彼ならば素直に私の言うことを聞いてくれるだろう。
「あ、あの!」
つぶらで大きな目と、己の目があった。何かを言いたそうに潤った瞳でこちらを見てくる。
「ひとつ、聞いてもいい?」
「なんだ」
「こんなに危険なのに、どうしてここにこんな建物があるの?」
「……さあな。私にもわかるまい」
「そう、なんだ」
ふと思い立って、着ていた白衣を脱ぎ、その少年にかけた。
「あとは好きにするといい」
私がそう言った後、大事そうに白衣を抱えてゆっくりとうなずいた少年はきっと心も純白だったに違いない。そう思いながらパタパタと部屋を出る少年を私は見送った。
***
あれからもう十日ほどたつ。
今日も銃声が騒がしい。防弾ガラスの外では絶えず死体と弾丸が転がり、何らかの見えない境界線を挟んで貧弱で使い捨ての武装兵がチェスの駒のように配置されている。
チェスの駒は、場外に出ることはない。死んだ時を除いて、だ。チェスは、一度殺した兵士が二度と戻ることのできない、悲しきゲーム。我が故郷の将棋とは、全く異なる残酷な盤面遊戯だ。それを上から見ているような、私はそのような位置にいる。
ここがどれだけ近いところに位置する研究所であっても、それがチェス盤の外にある限り彼らは見向きもしない。気づくこともできない。具体的に言うのであれば、この建物自体がカメレオンのごとく背景に溶け込む仕組みとなっている。発展させた技術の一つだ。そして目に見えなければ人々はそこに建物があるだなんて思いもしない。触れさせないようにすることは前提にあるが、触れたところで対処法はいくらでもある。私にとっては造作もないことだ。
つまりは、通常この研究施設に入り込むなどといったことは出来ない。
ではなぜあの少年はこの施設に入り込むことが出来たのか。答えは明白だった。
いつも考えてしまう。
どうして人間というものは争わねばならないのだろう。自分の支えとなりうる人を殺して生産性をわざと下げる合理性というのはどこに存在しているのだろうか。
滅多に起こらない気まぐれによって重い腰を持ち上げ、なぜを求めて歩いた土地はひどい有様であった。今日の戦は終わったのだろう。もう銃声は聞こえない。死体の山々とそこに転がる薬莢の数々……。いい加減、私もこの戦事に介入して止めなければならないかもしれない。そういう命令が来るかもしれない。そんなことをゆったりと考えながら歩いてみる予定だった。
が、その前にやることがあるらしい。
「君たちは、ここに何の用だ」
「そそそ、そっちこそ! おおおおお、お、俺たちの縄張りに何のようだ!」
「西部のすすす、す、スパイなのか!」
気づけば私は囲まれていた。囲まれているとはいえ、たったの十人程度ではあるが。だが、対処に困った。なぜならば、この状況を打破するのに一番早い方法をとるには手荒な真似をする必要があるからだ。そしてそれは出来れば避けたい。
そう思っていた矢先に、希望は撃ち抜かれる。
銃声と共に耳の横を通過する風圧は、それを物語っている。思わず口からため息が漏れた。
「手荒な真似はしたくない。抵抗もしない。だから銃は降ろしてくれないか」
「そそそんなことが!」
「ええい! やれ!」
瞬間、引き金が引かれる。そしてその時、私の前を小さな影が横切た。
何かが割れるような音と、赤い色水には心当たりがある。
私はその黒い影を手に取り、腰からぶら下げていたリボルバーを手に取って数名の右手に向けて撃った。その数名は、煩わしく汚らしい悲鳴を上げる。冷静に彼らに視線を向けて、私は静かに言った。
「帰れ」
「……え?」
「帰れ」
「ひえっ!」
二度も、だ。
残りの弾丸も彼らの右手に打ちこもうとした。しかしその手は影によって抑えられる。その拍子に数体の死体を残して残りの徒党は逃げ去ってしまった。
たった今、そこには、私と、苦く辛く虚しい硝煙の立ち上る私のリボルバーと、赤い色水を流しながらその硝煙をぼんやりとした笑顔で眺める私よりもずっと小さなあの時の少年だけであった。
「なぜ来た」
「心配、だったから」
「心配? 私がか?」
「ごめん、なさい。でも、殺してほしくなかった」
少年は私に対してにこりとほほ笑んで見せた。
「僕だけが、生きている世界よりも、僕のおかげで、他の、みんなが、生きている世界の方がいい……」
「いい、しゃべらなくていい」
「窓から、見ているだけは、いやだったから」
心臓が高鳴った。人間よりも人間らしい自己犠牲と命の尊重。
戦争を起こす人間が忘れている人間の理性を、私ですら諦めていた美しい精神を、この少年は思い出させてくれたのだった。
「……君はどうしたら、戦争はなくなると思うのだ」
私の呼びかけにもう少年は応じてくれることはなかった。手から絶え間なく流れ落ちる赤い色水はその証明でもあったのかもしれない。
***
「何がしたかった」
受話器の向こう側でくつくつと笑う声が聞こえる。これほどまでに怒りを覚えたのは一体いつぶりであろうか。それほど私は激情に駆られていた。無意識のうちに手に力が籠められる。
『いやね、君には知ってほしかった』
「そもそもあの研究所は〝人間〟には見えない。人間は入れないは
ずだ」
向こうから今度は乾いていて高らかな笑い声が聞こえてくる。
『あはは! そうらしいね』
「わざわざ私の認知していない彼を送り込んで見せしめにしたのか」
『まさか! 見せしめにするつもりはなかったんだ。心理実験の一種だったが、それによって君をたきつけられたのであればそれは棚から牡丹餅ってやつだね』
「黙って聞いていれば、私らを使い捨ての駒のように……」
『よしてくれ、僕だってヒューマノイドの生命線である脳内のメモリーチップが破壊されるとは思っていなくてね。それに関してはすまなかったと思っているよ』
「そんな回りくどいことをしなくともMotherの故郷には帰るつもりだった」
『それはありがたいねえ。……いや、だから君の心の話は偶然だっていっているじゃないか!』
常に軽薄で恐ろしい、人の姿をした私たちを人とも思っていない存在に怒りを通り越して悲しさを覚えた。
『まあ、でもせっかくだしさ。できればこっちの研究所に』
「貴様らの元にはいかない」
食い気味にそう言い放ってやった。もうこいつと話す必要はない、不愉快なだけだと直感的にそう思った。私らしくはなかったのだろう。だがそんなことを考える余裕もなく、持っていた受話器を壁に投げつけた。そこら辺の床に破片が飛び散っている。
ああ、そうだ。
私は、人間ではない。脳内のチップが破壊されない限りは死なないから脳内のチップさえ壊されなければいくらでも直すことが出来た。あの血を模した色水だって……。
私は人間に最も近いロボットだ。しかし、人としての機能も人としての肉体も人としての理性も人間と何ら遜色はない。あの少年もまた私と同じ存在であった。私の弟になるはずの存在だった。
人よりも人らしいヒューマノイドと人らしくない人間、存在するべきはどっちであるか。
そんな思考を巡らせても、Motherとの規定により私たちは人間に復讐することはかなわない。私たちは決して人間を殺すことは出来ない。そしてそんな私たちはきっといつかは排除される運命にあるのだろう。
そう、私たちが出来ることは限られている。だからこそ、私たちが殺されないようにするためには、人間らしく理性を用いて人間をあるべき人間へと更生しようではないか。
「そのために私は、人間らしくする必要があるか? 言葉、表情、私は弟妹よりもはるかに乏しい。思い出してみよう。Motherは、弟妹は、どのように話していた?」
思考を回しながら、おもむろに手鏡を手に取って口角を挙げてみるが、今はまだ、違和感しかない。
「私の当分の課題はこれだな……」
言葉遣い、人間らしい感情をMotherと兄弟たち……あの少年から学ぶことで人間らしさを身に着けよう。かろうじて姿を保つ受話器を眺めながら静かにそう決意した。
これから行うのは私たちヒューマノイドによる人間の更生だ。私達には無限の時間がある。やりようはいくらでもある。なんとしてでも私は成し遂げなければならない。
私はそうして手鏡に今できるだけの一番自然な笑みを向けた。
「人間の更生、そのために私は人間よりも人間になろうじゃないか」
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