ココア一杯の時間
手のひらほどの黒い板から、「それじゃあ、おやすみ」とすこし気だるげな声が発せられる。普段は熱くなるその板も今日はあまり温度の変化はない。
「うん、おやすみなさい」
低めのポロロン、という音が耳に届く。わたしは大きくため息をついた後、スマートフォンを勢いよく枕へと投げた。わたしのばか、この意気地なし。今日もまた言えなかったじゃないの。
「すき、なのにな」
そう、わたしは好きなのだ。ちょっと……ううん、やっぱりだいぶ。だいぶ前にかれから、好きだと言われて、なんとなく流されるまま付き合ってみたけど、存外わたしという人間は、好きになってくれた人が好きになるタイプなのかもしれない。空いている時間があれば、かれは何をしてるかなって気になって考えてしまう。あとは、どうしてもかれ捨てられたくないって思っちゃっているんだ。
最近見た雑誌によると、いい子すぎる女の子は飽きられちゃうんだって。多少のわがままがあった方が好かれるんだって。
そんなの知らないわよ!
自分から話すの苦手なのよ!
嫌われたくないから!
すっかり冷め切ったココアをくっと一気に飲み干す。わずかに残った粉の舌触りのなんたる寂しいことか。お気に入りのマグカップの中にはもう何も入っていない。
「嫌いになったなら、捨てればいいじゃん……。いいじゃん……!」
誰もいないことをいいことに、幼児退行して駄々をこねてみる。でも、いい歳した女がこんなことやっても虚しいが積み重なるばっかりだ。心がキュッと悲鳴を上げた。
つい数ヶ月前まではよく遊びに行ったり遊びに来てくれたりしたはずなのに、最近はわたしがたまにはお話ししたいと言わない限り、進展なんかない。顔を見たのだって、いつ以来なのかしら。ああ、そうね。未練たらしいのはたぶんわたし。きっと今「別れてほしいの」って言ったら何も引き留めてくれないんでしょう。知ってるわ。でも、わたしは好きなのよ、好きだから寂しい。そう思うことは罪なのだろうか。
かれの笑顔も、匂いも、癖も、──そして、声も、なにもかにも忘れてしまいそうだ。声だってもはや媒体を通して変化された声だ。本物じゃない。本物の声はどうだっただろう。思い、出せない。
自分が人格者だなんて思わない、恋人として足りない部分があるのかもしれない、なにか逆鱗に触れてしまったのかもしれない。でもそれならわたしに一言別れを告げてくれればいいじゃないの。結局のところ、わたしも、かれも言わないから何も変わらない。変わらないのに、苦しさだけが募っていく。
せめてあなたの気持ちさえわかってればこんな想いしなくていいのにな、と一瞬思ったけど、その思考を振り切った。わたしも、きっと伝えられてない。伝えられてないのが悪いんだろう。心も見た目も可愛げのない女に価値を見出せなくたってしょうがない。それはわたしのせいだもんね。それでも思うの、嫌いになったら捨てればいいじゃないって。
「変に、まだ好きでいてくれるのかもって期待させないでよ……」
おもむろに思い出の詰まったぬいぐるみを手繰り寄せて、胸に抱えた。そして泣いた。子供みたいに、鼻声になるまで泣いた。鼻水が止まらなくなりそうだった。
泣けども泣けども、心の痛みだけは消えてくれなかった。
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