月曜日のおもちゃばこ

 今日は。いや、昨日は。

 貴重な一週間の休息日で、ぐったりと疲れ切った体を癒すには最も適した日であったに違いない。だが、そんな日に反して全身に伝わる倦怠感と、手の若干のしびれ、それから血流が滞ったために頭へも影響する肩の痛み、乾いた眼とそろい踏みで、とても休んだ体とは言えそうにもなかった。

 だが、そんな身体に反して、心は妙な爽快感で満ち、丸一日開けっぱなしだったリビングの窓から、遮光カーテンを揺らして無遠慮にも入り込んできて、いつもなら寒いと一蹴してしまう、そよ風すら許せてしまうほどの心の余裕が生まれていた。

 春になったとはいえど、朝方の風は体を冷やす。今になってようやく、ぶるっ、と鳥肌が立った。

 眼前に広がるのは、真っ黒い画面にただ「THE END」と羽ペンで記されたような筆記体の白い文字だ。何年も前から発売を予告されていてようやく去年の十二月になって発売されたソフト。新生活の準備やら卒論やらで全く手を付けられず、かといって卒業して迎えた新天地では平日にそんなことをするほどの余裕もなく、ビニールで巻かれたままになっていたそれを先週開封して、毎週の日曜日にだけ寝る間も食べる間も惜しんでプレイした結果、この結末を迎えたのである。

 冴え過ぎた目で呆然とその画面を見ていれば、やつれた自分の顔が映る。だが、柔らかく笑った口元が、昔の自分と変わっていないな、と思ってなんだか懐かしい気持ちになった。

 自慢ではないが、うちは非常に厳しい家柄だった。

 小学生のころは、帰ったらまずはテニスサークルへ、テニスが休みの時はピアノ教室へ行く。そうして一汗かいた後に、ようやく帰宅。そして食事と風呂を早々に済ませる。その後は、勉強。それも宿題のみならず、父から与えられたワークにも取り組まねばならない。そんなスケジュールであるのに、親はそれでも九時に寝ろ、と言いつけた。遊ぶ時間なんて一時間あれば良いほうだ。大体は四十五分程度であったと思う。

 小学生がその程度で遊び足りるわけもなく、ある時、宿題をやるふりをしてゲームをしたことがあった。やっていたのは、今では名作中の名作、子供でも気軽に世界観に没入できて、やりこみ要素もある、RPGだ。一日四十五分やったところで終わる内容でもなく、もう少しやりたい、と思うのは必然のことだっただろう。宿題も、ワークも、両親が見るのは次の日の朝だ。早起きをして終わらせればいい、あるいは寝たふりをして宿題をすればいい、そう思って、自室のテレビの音量を最小にしてやったのだ。だが、それが父にばれた。普段であれば勉強につかれて途中で一度リビングに来るはずなのに、と不審に思ったらしい父が、許可もなく部屋に押し入って、勢いよく怒鳴りつけた。そして、ようやくラスボスの手前まで来たところで、セーブなんかしていない、そんなときに静止の声も聞くことなく、父はゲーム機の電源を切ったのである。

 悲しかった。父を怒鳴って、父に殴られても反抗して、それからまともに父と口をきけなくなった。あまりに父と口を利かなくなりすぎて、母はだんだんと優しくなり、習い事も、減らしてくれた。中学に上がるころには、両親が自分の行動に関して口出しすることもなくなり、適度に勉強しつつも、遊びに専念することもあった。

 あの頃は父を恨んでいた。絶対に一生許さないと心に誓い、最低限の会話すらしないようにもなって、家族で遠出するときですら母の後ろに常に隠れるようになった。

 だが、高校生になったある時、リビングで携帯ゲーム機をいじっていると、不意に母は「あなたのお父さんも、ゲームが好きだったのよ」と昔を懐かしむように言った。なにを根拠にしてそんなことを言ったのかわからなかったが、母はただ父と仲直りしてほしいとそういっているようにも思えた。「へえ、そう」と、その時はそう返したが、後から考えてみれば、父は、父自身はゲームをやっていたせいで幸せな人生を送れなかった経験があったのではないかとすら思う。

 こうして、父と同じように社会に出て働いて、なんとなくの大学を出て、大した能力もなく、勉強も特段出来るわけでなく、なあなあな人生を送ってきて後悔していないといえばウソになる。ちゃんと勉強して、金を稼いで暇を作って、そういう人生を送れたら、と思う時がないわけでもない。だから、あの時、「将来遊ぶために今は我慢したほうがいい。自分はあの時遊んで後悔しているんだ」と父が言ってくれたのならば、今頃ゲームの話をするような仲になっていたのかとも思えてきた。

 じんわりと胸が熱くなる。ふと遠く離れた故郷を思い出して。あの時の嘆きですらもう過去のものとなって、いい思い出だ、なんてありきたりな言葉を思い出す。重い腰を持ち上げて窓際へと向かい、勢いよくカーテンを開ければ、朝焼けと夜闇のコントラストの美しい澄んだ空が見える。たしかあの時、怒りの情が収まらず、徹夜した次の日の空もこんな空だっただろうか。

 急に眠気が押し上げてきて、でも寝るわけにもいかないと、伸びをした。さて、家を出る準備をしなくては。立ったままコントローラーを持ち上げて、数回ボタンを操作すれば、「クリアデータを保存しますか?」と表示される。間違えないように慎重に処理を終わらせたのち、嬉し懐かしい感情のまま、静かに黒い箱の電源を切った。


「さて、今日からまた一週間頑張ろうか」


***

2022/5/31

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