第4話 過去

 父代わりであった“ 森の王”が死んだ後、イザークは自分から町へ出かけるようになった。

 それまでにも妖精の悪戯に付き合って町へ行ったことはあった。しかしそれは人間を遊び道具のように見ていただけで、「人の世も見てくると良い」という“ 森の王”の言葉がそういう意味でないことは、イザークにもわかっていた。

 町の中は人間が多すぎて、最初は足が竦んだ。イザークの得意な魔法で、鳥や猫、イタチなどに姿を変えて、まずは町に慣れてみる。次第に顔の区別がつくようになり、金銭の価値などもわかるようになった。それでも彼はまだ、獣や妖精との関わり方しか知らない。イザークは評判の良くない高利貸しから金貨を盗んで大通りにばら撒いたり、豚小屋から豚を全て逃がしてしまったりと、騒ぎばかりを起こしていた。ただの憲兵がイザークを捕まえるのは不可能だった。そこで駆り出されたのが、当時の王室に仕え“ 賢者”と呼ばれていた老魔導士だった。賢者はあっさりと捕まえたイザークを、城の中へ連れて行った。

 処罰を与えられてなるものかと抵抗していたイザークだが、賢者は根気よく彼の身の上を聞き出した上で、一人の少年と引き合わせた。


「おや、今度はどんな医者を連れて来たのかと思えば」


 大きな寝台に上体を起こして横たわる少年の声には、深い諦めが滲んでいた。

 丸く切り揃えられた亜麻色の髪。肌は青白く、高い鼻が影をつくる。薄い唇を皮肉っぽく歪めて、淡い青色の瞳がイザークを見ていた。


「ごきげんよう、シャルル殿下。これはイザーク、最近町を騒がせていた魔法使いでございます」

「ほう」


 それを聞いて、シャルルの胡乱な目つきが少し変わった。


「イザーク、こちらのシャルル殿下は体が石になっていく病を患っておられる。そなたの魔法はわしのものとは違うようだ。治癒の方法を知らないだろうか」


 賢者にそう言われ、イザークは自分と同じ年頃の、見目の良い少年と初めて目を合わせた。試すような視線が向けられているのがわかる。


「体に触れても?」

「……ああ」


 頭のつむじから足の先まで、イザークは手をかざしていく。イザークは医者ではない。しかし彼の体の中で、命の流れが滞っているような気配は感じ取ることができた。石ころになるわけではなく、動かなくなるのだ。腰から上はまだマシだったが、すっかり肉の落ちた両脚はもう手遅れだった。

 一通り触れてみて、彼の顔を見、賢者の顔をうかがう。

「正直に」と賢者に促され、「残念だけど……」とイザークは口ごもった。


「治し方はわからない。少し遅らせることくらいしか」


 そう続けると、不貞腐れたようにそっぽを向いたシャルルの顔が、目を見開いて戻ってきた。


「おお、おお……すぐに、やってくれるか」


 声を震わせて言う賢者に少し怯えながら、イザークは「森へ帰って薬を作らないと」と返したのだった。




 それからイザークは、しばしば城を訪れるようになった。

 妖精の女王に尋ねてもやはり病の治し方はわからなかかったが、森の材料とイザークの魔法でつくった薬には効果があり、定期的に届けることになったのだ。国王と王妃にも泣いて礼を言われ莫大な褒美を与えられそうになったのだが、賢者がそれを止め、薬の対価として十分な金貨が支払われる取り決めが為された。

 薬の受け渡しのついでに、シャルルとも言葉を交わすようになった。

 年の近い少年との交流は互いに初めてで、酷くぎこちないものだったが、距離が近づくのは早かった。部屋から出ることのできないシャルルはずっと退屈していた。彼にとって、イザークの話す森での体験や過激な悪戯の数々は、本に書かれた物語よりもずっと心が躍るものだった。イザークの方は、人に頼られ、喜ばれることがこんなにも嬉しいものだと知った。

 しかしシャルルの病は少しずつ進行していく。イザークは薬を何度も改良してみたが、治すには至らない。賢者の作った痛みを抑える薬を飲むことも増えていった。


 ある秋の日。

 イザークが訪ねていくと、シャルルは寝台から中庭をぼんやり見下ろしているところだった。

 その頃のシャルルは、もう首から上しか動かなくなっており、斜に構えた表情ばかりだった顔は随分と柔らかくなっていたが、諦めの色は濃くなっていた。


「秋の庭は好きだ。風が涼しくて、色がうるさくなくて、落ち葉がふかふかとして。もうそれを踏むこともないだろうが」


 シャルルはぽつりと呟いた。


「庭に出たいかい?」


 イザークが問うと、シャルルは「できるのか?」と全く期待していない目で振り向いた。

 イザークは少し考えてから、シャルルをなんとか持ち上げて部屋の椅子に座らせた。それからにやりと笑い、窓を開け放つ。


「“ 風よ、冬運ぶ風、木枯らしよ! 我のために踊れ、彼方へと運べ!”」


 イザークがそう唱えると、窓から吹き込んだ風がシャルルを乗せた椅子をふわりと浮かせ、そのまま窓の外へ連れていく。イザークもぴょいと窓から跳び出し、二階の高さから音もなく着地すると、風に乗ったシャルルを迎えるように両手を広げた。椅子はゆっくりと風に流されて、敷き詰められた紅い落ち葉の上に降りてきた。シャルルの足が、確かに落ち葉を踏む。


「いやぁ成功して良かった。風の魔法のこんな使い方、初めてだよ」


 額の汗を拭いながら言うイザークの顔と、自分の足元とを、シャルルの目線が何度か往復した。


「ふ、ふふ……アハハ、ハハハハハハ!」


 シャルルが大口を開けて笑うのを初めて見たイザークは、満足げに鼻を鳴らした。

 一通り笑って、落ち着きを取り戻したシャルルは、椅子の上からイザークを見上げてこう言った。


「礼を言おう、イザーク。私はきっとこの日を忘れない。けれどお前は、どうか忘れてほしい」


 思いもかけない言葉に、イザークは怪訝そうにシャルルを見る。


「どういう意味だい?」

「お前ならわかっているだろうが、私はもうすぐ死ぬ。それに、これから酷い頼み事をしようとしている」

「……頼みって?」

「毒薬を作ってほしいのだ。私が死ぬための」


 さぁっとイザークの血の気が引いた。


「いったい、なにを」

「治ることはとうに諦めた。だがあまりにも苦しい。動かない、触れた感覚も無い、それなのに内側からずきずきと疼いて痛むのだ。どの薬を飲んでも、もはや収まらない。全身の痛みで眠れもしない。私はもう、この体に耐えられない」

「シャルル、だめだ、そんな」

「お前には本当に世話になった。初めての友だった。愛しているよ、イザーク。だけどお前にこんな酷い頼みをする私など、忘れてしまえ」

「シャルル!」

「お願いだ、イザーク。私の最期に安息をくれないか」




 イザークは、薬を作りあげた。

 シャルルが望んだ安息をもたらす、痛みも苦しみも無く死に至る毒薬を。


 いつもの薬を届けるように、イザークはシャルルの部屋へ入る。

 また病状の悪化したシャルルは、喋ることも、自力でものを飲み込むこともできなくなっていた。


「いいんだね、シャルル」


 その呼びかけに、シャルルは微かに頷いた。

 イザークは瓶から薬を口に含み、そっとシャルルの顎を上げ、口移しにそれを流し込んだ。喉がこくりと小さく動くまで、イザークは静かに口付けをしていた。

 やがてシャルルの心臓がゆっくり、ゆっくりと動くのを止め、ついに息をしなくなった。うっすらと口の端を上げて。


 イザークはシャルルのそばに膝を着き、両手で顔を覆った。


「僕は、僕はなんて悪い魔法使いなんだろう。君を治す魔法は無いくせに、君を殺す魔法を作るなんて。嗚呼、シャルル……!」


 その時、イザークは気づかなかった。背後から賢者がやって来ているのを。

 賢者はイザークの頭に優しく触れ、素早く眠りの魔法をかけた。


「許しておくれ、イザーク。シャルル殿下は、わしにも頼みごとをなさったのだ。お前の記憶を消すように、と。しかしわしの力では、妖精の加護を受けたお前にはこうするのが精一杯でな。わしの何が賢者なものか」


 老魔導士はイザークの住む森の奥、人目につかない岩窟へ彼を運ばせ、彼の体ごと記憶と、時間とを封じたのだった。


 こうしてイザークは五百年の眠りにつき、賢者と呼ばれた魔導士は行方知れずになった。

 

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