第3話 秘密

 夜は妖精の女王の加護の元に眠ることを許され、翌朝。

 イザークは改めて自分の育った森を歩いてみた。

 森に流れる空気は変わらない。しかし五百年の間に生えた木も、朽ちた木もある。共に遊んだ獣も、妖精でさえも、もういない。

 何故、全てを忘れるほど眠らなければならなかったのか。

 妖精の女王は彼女の気に入ったものしか見ず、人の世には疎い。イザークを岩窟に封じた者も、人間だということ以外知らないと言う。

 それでも、出自がわかったのは大きな成果だった。今日はクローデットの話を聞けるはずで、代わりに自分の話もしてやろう。イザークがそんなことを考えていると、地面に金鈴鳥キンレイチョウの羽が落ちているのを見つけた。灰色がかった赤茶に白と黒が混じり、黄色が鮮やかな風切り羽。くちばしに咥えれば鳥の姿でも運べるし、囚われの姫君への手土産にはちょうど良いと、イザークは拾っていくことにした。


 午後の日差しを受けながら、イザークは黒鷲となって飛んで行った。町へ降りないならば、この方がずっと速い。城は婚礼の準備で慌ただしいようで、塔へ近づく大きな影には誰も気づかない。

 開いた窓からクローデットの姿が見えた。一人静かに本を読んでいる。

 イザークは咥えていた羽を鉄格子の隙間から放り込んでから、前回のように小鳥の姿で部屋に入った。それに気づいたクローデットが、イザークに駆け寄ってくる。


「イザーク、来てくれたのですね」


 その嬉しそうな様子に戸惑いながら、イザークは人に戻った。


「今から秘密を聞き出そうって相手に、なんて顔をするんだい」


 そう言われたクローデットは、きまり悪そうに眉を下げた。


「とうに覚悟を決めたつもりだったのですが、私、この秘密を抱えているのが怖かったようです。あと少しで終わりだと思うと、余計に」


 イザークは無性にその表情を変えてやりたくなって、床に落ちていた羽を拾って差し出した。


「金鈴鳥の風切り羽、君にあげるよ」

「綺麗……どんな鳥なの?」

「知らない? じゃあ、見せてあげよう」


 イザークは金鈴鳥にくるりと変わって、部屋を一周飛んでみせた。頭の上は赤く、茶色、白、黒、黄色の五色を持つその鳥はツィリツィリと高くさえずり、部屋を華やかに彩って、また元のイザークに戻った。


「こんな感じ。ああでも、その羽は僕のじゃなくて森で拾った本物だからね」

「すごい。イザークの魔法は、なんでもなれるの?」

「ちゃんと知っているものなら。自分に近いものの方が楽だけれど」

「もしかして、だからいつも黒い生き物に?」

「当たり。さぁ、僕の話よりも今は、君の話を」


 気恥ずかしくなったイザークが促すと、クローデットは頷いて「楽しい話じゃありませんけれど」と語り始めた。


「この小さな国が、隣の大国の属国であることはご存知ですか? 私たちは長い間、蔑まれながらも貢物をし、使者を送り、攻め込まれないよう隣国に従っていました。人質を差し出すことも珍しくありません。それがクローデットの役目でした。隣国の世継ぎの側室になることが生まれて間もなく決まったそうで、ずっとそのように育てられていました」


 クローデットはそこまで言って、ふっと目を伏せた。


「五歳になった夏のことです。きょうだい達で連れ立って、避暑地へ向かうことになりました。馬車が山道を登っていた時、クローデットの乗っていた馬車の前に突然大きな鹿が駆け下りてきました。驚いた馬が脚を上げて暴れだし、それだけならじきに収まるものを、ゆるくなっていた扉の掛け金が外れて、外側に座っていたクローデットが放り出されてしまったのです。崖下で見つかったクローデットは、もう息をしていませんでした」


 口を挟もうとしたイザークを、目の前のクローデットが首を横に振って静止する。

 この話は何もかもがおかしい。イザークの背筋を、いやな汗が流れていた。


「すべては悲しい事故でした。しかし隣国は納得しないでしょう。彼らはこちらへ攻め入る理由をいつでも探していましたし、美しく成長するクローデットの様子をしばしば見に来るほどご執心でしたから。きょうだいはクローデットの他は男ばかりで、代わりに差し出せる王女はいません。けれどもクローデットには、双子の兄がいました」

「まさか」

「ええ、それが私です」


 イザークは唖然とした。クローデットは遠い目をしながら話し続ける。


「父王たちは、ある計画を立てました。私をクローデットに仕立て上げ、隣国の目を欺くのです。クローデットは十五歳で嫁ぐ約束でしたから、それまでの時間を使って念入りに準備をし、婚礼の日に奇襲を仕掛ける。軍事力に大差のあるこの国が勝つには、それしかありません。幸い当時の私は第三王子という自由な身分で、幼いながらに皆が隣国に悩まされていることは知っていましたから、これを承諾しました。しかしこんな計画は、秘密が漏れてしまえば水の泡。私が男であるのを知っているのは、城内でも僅かです。事故で死んだのは双子の兄と公表し、奇襲を実行する兵ですらそれを信じている。だからこうして、私は引きこもりの王女として振舞っているのです」


 しばしの沈黙が流れた。

 空の青さが忌々しく、淡々と話すクローデットが痛々しく、イザークは顔をしかめた。

「それで」と、イザークは声を絞り出す。クローデットの肩を掴んで、その静かな目を覗き込んだ。


「それで君はどうなる。君が身代わりとして閉じ込められた十年は。一週間後の君は。男と知られた後の君は!」

「知られる前に相手を殺せるのが一番ですが、それができてもできなくても、自害を。捕まれば死ぬより酷い目に合うでしょうから。あとのことは、父と兄に任せます」

「それで、いいのか、本当に」

「それが王家の人間としての役目だから。この国が戦火に包まれない可能性があるなら、それが一番良い」


 イザークは力なく項垂れた。クローデットは金鈴鳥の羽をくるくると回しながら、愛おしそうに見つめていた。


「このまま、私は秘密を抱えて死ぬのだと思っていました。でもあなたが来てしまったから。本当はずっと、誰かに打ち明けたかったのだと気づいてしまった。ふふ、イザーク、あなたほどの適任はいません」

「……僕が隣国の回し者だとは思わないのかい?」

「そうだったとしたら、私の見る目の無さを恨むしかありません。どうしても、あなたを悪い人だとは思えないのです」

「『悪い魔法使い』って名乗っているのに?」

「本当に悪い人はわざわざ名乗りません。それもきっと、何かの間違いだと私は思います」

「お人好しだね、君は」


 イザークは羽を持つクローデットの手をそっと握った。細く筋張った少年の手は、ほんのりと温かい。


「ねぇ、君の本当の名前は何?」


 そう尋ねられて、クローデットは一度口を開きかけたが、苦笑いして誤魔化した。


「どうか聞かないで。十年呼ばれていない名です。今それを口にしたら、クローデットに戻れなくなりそうだから」






 それからイザークは、毎日クローデットの元へ通った。

 森の花や木の実を贈り物に、塔へやって来ては話をした。クローデットの秘密には触れず、ただ明るいだけの話や、少し思い出したイザーク自身のことを。森の様子、魔法、妖精たちの話を。これ以上クローデットに曇った顔をさせたくなかった。「また来てくれたの、魔法使い」と微笑む顔が見たかった。

 その望み通り、イザークの前ではクローデットの表情は柔らかくなっていったが、城内の空気は日に日に張りつめていった。


 婚礼の日まであと三日と迫った頃。

 塔へ飛んで行く黒鷲のイザークに指笛を吹く者がいた。相手を見ると、むっつりとした顔の少女が城下町から真っ直ぐにイザークを見据え「こっちへ来い」と指で合図していた。その仕草は黒鷲の正体を知っている様子である。どうしたものかと思っている内に歩き始めたので、イザークは仕方なく着いていった。人影のない川辺まで来ると、少女は「降りてこい」と下に指さした。渋々その場へ降下すると、クローデットよりも小柄な少女がふんわりとした赤いドレスの上から腕を組んで立っている。


「あんただろ、うちの姫様にちょっかい出してるの。顔を見せな」


 それは間違いなく男の声である。

 様々な衝撃を受けつつも、イザークが観念して人の姿に戻ると、相手の眉がぴくりと上がった。


「へえ、魔法使いって本当にいるんだ。名前は?」

「イザーク。ええと、ご用件は」

「ボクはクローデット様の侍女、ルネ。あんたには礼をしとかないとと思って」


 ルネはそう言うと、ドレスの裾を摘まんで恭しくお辞儀をした。


「イザーク様。クローデット様に心を尽くしていただいたこと、深く御礼申し上げます」


 それまでと打って変わった態度に加え、その声は少女にしか聞こえない。

 困惑しつつも、その言葉でおおよそのことがイザークにも掴むことが出来た。


「ああ、そうか。だから君も女の子の格好を……ルネは声まで変えられるのか」

「侍女はしろじゅうの相手とやり取りするから当然。まぁ誰もボク以上に上手くできるとは思えないけど。クローデット様の衣装や化粧を見立てているのもボクなんだから」

「なるほど。いやぁ僕のせいで秘密がばれたのかと思ってひやひやしたよ」

「ボクがクローデット様の一番近くにいるから気づいただけ。全く、最後にこんな虫がつくなんてな」


 ルネの言葉には端々に棘がある。彼はじろじろとイザークを上から下まで眺めると、ふうっと諦めたように息を吐いた。


「それでも、感謝しているのは本当だよ。最近は特に沈んだ表情ばかりなさっていたから、もう心からの笑顔なんて見られないんだと思ってたけど。あんたからもらったものを眺めながら、優しく笑っていらっしゃる。それでボクにばれないと思ってるんだからなぁ、あの方は」


 ルネはそこまで言って、どぎまぎしているイザークを真剣な眼差しで見つめた。


「ねぇ魔法使い、クローデット様を攫ってくれない?」


 驚くイザークに、ルネはまくしたてるように言う。


「この十年、あの方の重荷を少しでもボクが背負えたらと思った。どうにか逃がして差し上げたいとも思った。だけどクローデット様はそれを望んでくれない。あの方は頑固だから。ボクが仕えているのも、この格好をしているのも、ボクが望んだことなのに、自分のせいで縛り付けていると思い込んでいらっしゃる。ボクが昔からの従者だからと。だけど、あんたは違う。あんたなら強引にでも救える、そうだろう?」


 最後には縋り付くように、ルネは言った。


「でも、彼が望んでいないのなら、やっぱり僕にもできないよ」


 イザークは静かに答えた。

 ルネは、ばさりと裾を翻しながらしゃがみ込んで、深い深いため息をついた。


「あーあ、やっぱりそうかぁ。諦めたくなかったなぁ」


 声に少し涙の混じる彼の頭を、イザークはヴェール越しに撫でた。ルネは「やめてよ」と鼻を鳴らし、やがてすっくと立ちあがった。


「ついでに教えてあげる、イザーク。この計画には大昔の魔法使いも関わってくるんだ。眉唾だと思ってたけど、あんたみたいなのがいるってことは、本当なんだね」

「……どういうことだい?」

「クローデット様が暗殺と自害に使うのはその魔法使いが作った毒なんだ。痛みも苦しみも無く、眠るように死ぬことが出来る毒薬。そんなものがなんでお城にあるのかはわからないけど」


 それを聴いたイザークは、全身が大きく脈打つのを感じた。

 妖精の女王の力で記憶が戻ってきた時と同じ、大量の情景が頭に流れ込んでくる衝撃、眩暈。くらりと膝を着いたイザークに慌ててルネが駆け寄る。


「ちょっと、あんた大丈夫?」

「…………うん、少し、思い出したことがあって。それよりも、一つ聞きたいんだけど」

「な、なに」

「塔の上のクローデットの、本当の名前は?」


 ルネはイザークをじろりと睨んだ。


「主人が明かしていないものを、ボクが言うとでも?」

「頼むよ、あの子、頑固だろう」


 ルネはしばらく唸ってから「んもう!」と叫んだ。


「あの方の、本当の名前は───

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