3-3


 人の少ない回廊までなんできて、シャルロットは胸をなでおろす。


(どうやってマルクたちに合流すればいいんだろう)


 二人はまだ会場にいるのだろうか。だとしても、あのけんそうの中に戻ることはできない。


「どこで待っているのが正解かしら……」


 考えながら歩いていると、急に腕を引っ張られた。


「あっ」


 シャルロットは驚いて振り返った。


「あなたは……」


 さっきの公爵令嬢、と思ったときには、胸を強く押されていた。


「よくも私のウィリアム様を……! 婚約なんて認めませんわ!」


 背中にしょうげきを受けるのと、ドアが閉まるのはほぼ同時だった。ドンとドアになにかがぶつかるにぶい音が続く。

 しょくだいの明かりもないので部屋はうすぐらい。幸い窓から月光が差し込んでいて、真っ暗にはならなかった。予備の控室らしく、テーブルやソファがあるだけの簡素な部屋だ。


「イタタ、危ないったら」


 シャルロットは起き上がってドアを開けようとしたが、外開きのドアは開かなかった。かぎはないようなので、外側から重いものでふさいでいるのだろう。いくら押しても、シャルロットの力ではびくともしなかった。


「わかりやすいいやがらせね」


 からかいやすかったであろうロザリーを立ち直らせ、ウィリアムとでんげき婚約宣言をしたシャルロットに腹を立てたに違いない。


「嫌がらせなんて……、初めてだわ!」


 シャルロットはハッとして、胸がドキドキし始める。まるで意地悪をされる小説の主人公のようだ。

 帝国では変わり者とよく言われたが、きらわれてはいなかったし、常にマルクかアンヌがそばにいたためこうげきを受けるすきもなかった。


「そう。いじめられるって、こういう気持ちなのね」


 高鳴る胸に手をのせて、少々口角を上げながらシャルロットはつぶやいた。突っ込み役は不在である。

 窓を開けて外を見ると、会場からは離れてはいるものの、一階や二階のテラス席が見えるので、大声で呼べば誰かしら気づきそうだ。

 大声を出すなど、しゅくじょとしてはずべきこうだろう。シャルロットはなんとも思わないが、公爵令嬢としては、こうしてはじをかかせようと考えたのかもしれない。

 それをしなくてもここは二階なので、シャルロットの身体能力をもってすれば、飛び降りることも可能だ。多少の擦り傷はかくしなければならないが。


「どうしようかな」


 シャルロットは窓のふちひじをのせてほおづえをつき、丸い月を見上げた。柔らかい風がシャルロットの後れ毛を揺らす。


「こういうとき、騎士が助けに来るものじゃないかしら」


 ふと、ポケットに小瓶が入っていることに気づいた。

 シャルロット愛用の香水だ。


「そもそも、ダンスのときに気もそぞろになってしまったのはマルクのせいだし、こうしてわたしが閉じ込められてしまったのも、目を離したマルクの失態よ」


 そう言いながらシャルロットは小瓶のふたを外して、香水をいってきたらす。


「マルクは気づくかな」


 もう一滴。


「来たら、許してあげる」


 更に一滴。


「来る……来ない……来る……来ない……」


 シャルロットは花うらないのように、香水をゆっくりと落とした。


「シャルロット」


 マルクの声がした。聞き違いだろうか。


「そんなところで、なにをしているんだ。殿下と一緒ではないのか」


 シャルロットは窓の縁に手をついて身を乗り出した。

 テラス席とは反対側。一階のくらやみの方向からマルクが小走りにやってきた。


「来たっ」


 シャルロットは目を丸くする。


「一人よ。部屋から出られないの!」


 シャルロットの言葉に「なぜ?」というもんを浮かべながらも、マルクは窓の位置を確認するように視線を巡らせた。


「待っていろ」

「マルク!」


 テラス席のほうに駆け出そうとするマルクをシャルロットは呼びとめた。そして窓の縁に足をのせて立ち上がる。ドレスのスカートが風でふわりと広がった。


「受けとめて!」

「なにやってるんだ、やめろっ」


 シャルロットの行動に気づいたマルクが制止をするが、構わずシャルロットは飛び降りた。


「……っ」


 文句を言うひまもない。マルクは一番衝撃のない方法を瞬時に考えて、クッションになるよう全身を使ってシャルロットを抱きとめた。

 横抱きにされたシャルロットは、ギュッとりょううでをマルクの首に巻きつける。


「ナイスキャッチ!」

「おいっ」

「やっぱりマルクは来てくれた」


 シャルロットは顔を上げると、花びらが開くように顔をほころばせた。マルクはその表情を見て、だいじゅうたいを起こしながらのどもとまで出かかっていた小言の数々がしょうめつした。


「部屋に行くまで待っていられなかったのか。危ないだろ」

「でもマルクは、もっと高いところから落ちたわたしを受けとめてくれたことがあるでしょ」


 シャルロットは出会った日のことを言っているようだ。


「あれはきんきゅう事態だっただろ」

「今も緊急事態だったんだもの」


 シャルロットはマルクの首筋に顔をうずめた。


「マルクが足りなかったの」

「……なにを言ってるんだ」


 そう言いながらも、マルクはやさしい手つきでシャルロットの髪をなでた。

 トクトクトク。

 シャルロットの鼓動が速くなっている。


 ──シャルロット様。次は殿方といるときの、ご自分の鼓動を観察されてみてはいかがでしょう。


 アンヌの言葉を思い出した。シャルロットは目を閉じる。

 これはなんのドキドキだろうか。

 高いところから飛び降りたから? それとも、マルクに抱えられているからだろうか。

 速いけれど、ここよいリズムだ。

 抱き上げられて、揺りかごのように包まれる安心感があるのかもしれない。

 いや、たとえ抱き上げられていなくても。

 シャルロットにとってマルクの腕の中は、どこよりも安全で、安らげる場所なのだ。

 ならばきっとこの動悸は、飛び降りたことによるものだろう。

 そう結論を出して、シャルロットは目を開けた。


「今朝はごめんなさい、避けるようにしてしまって。悪気はなかったの」

「構わない」

「昨日からマルクを見ると、なぜかドキドキしてしまって」


 シャルロットは頰を染める。


「……」


 マルクはどうもくし、シャルロットから顔をそらしてせいだいにため息をついてから、小さくなげいた。


「……あまり期待させるな」

「なに? 聞こえなかった」

「こちらのことだ」


 マルクはシャルロットをそっと地に降ろした。


「ねえマルク、なにもない暗がりから来たけれど、どこに行っていたの?」

「用があったわけじゃない。頭を冷やしがてら外を歩いていただけだ」

「頭を冷やすって……」

「それより」


 更に追及しようとしたシャルロットの言葉がさえぎられた。マルクが話を切るのは珍しい。


「殿下と婚約したんだな」

「そう、それ!」


 シャルロットはマルクの両腕をガシリと摑んだ。


「どうしようっ」

「なにを言っている。嬉しくはないのか」

「喜ぶべきなのかもしれないけど、なんだか急すぎるんだもの」

「そういうものか」


 マルクが首をひねる。


「マルクだって、相手が好きな人でも、急に婚約が決まったらびっくりするでしょ」

「驚くかもしれないが、喜ばしいだろう」


 いや、俺の場合は相手がとくしゅだからな、とマルクが更に首をひねったあとに、


「ありえない想定はどうでもいい」


 と言いながら首を振った。


「帰るのか?」


 マルクは改めてシャルロットを見下ろした。


「ええ。あの会場には戻れないもの」

「そうか」


 二人は歩き出した。


 ──その様子を、離れた二階のテラスから、ウィリアムが見ていた。


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