四章 口づけたい人
4-1
ウィリアムが、マルクとアンヌにも同行を求めたのだ。
「どこに行くの?」
シャルロットは
「シャルロットにいいところを見せたいと思って」
ウィリアムはニッコリと
「
「まさか! ただ、びっくりしてしまって」
「僕も性急すぎたかなと思ったよ。でも
ウィリアムはシャルロットの手を
ウィリアムはそのままシャルロットの
「少し、僕の
シャルロットはうなずいた。
「僕には兄がいた。会ったことはないけれど」
静かな語り口だ。シャルロットが視線を向けると、ウィリアムは目を閉じていた。
「会ったことはない?」
「僕が生まれる前に
兄は
正妃というのは、ジョルジュの母親のことだ。
「それから数年後、
その一年後、正妃も男児を出産した。それがジョルジュだ。
「
シャルロットは、「王妃陛下」という言葉が気になった。あまりにも
「王妃陛下の気持ちもわかるよ。自分は正妃で、本当の第一王子は自分が産んだんだ。自分の子どもを王にしたいという気持ちが人一倍強かったんだろう。僕はどちらでもよかったんだけど、僕が決められるものではないからね」
慣例に従って、ウィリアムが継承順位一位で、ジョルジュが二位となる。
しかし、ウィリアムの
ジョルジュも母親に
そんな兄弟関係に、政務に
そこに、遊学の話が
自国はウィリアムにとって
ここでウィリアムは、人生の転機ともいえる人物と出会う。
シャルロットだ。
彼女のアドバイスに従うと、
健康な身体になって自国に
ジョルジュの派閥の者たちは地位が高く、国王の覚えもめでたいため、
ジョルジュが王位に
そう
それからウィリアムは、内政の立て直しや、不正を働く廷臣たちの洗い出しに
それが
犯人は捕まっていないが、ウィリアムの暗殺
この
──そして、今に至る。
「急にこんな話をしてごめんね。もう
「そんなことはないわ。立ち直ったのはウィリアム自身の力よ」
「いいや、シャルロットのおかげだ」
ウィリアムはシャルロットの手を両手で握り込んだ。
「再会したときは
ウィリアムは
「話してみれば、真っすぐなところも、
「それは、わたしが子どものまま進化がないと……」
シャルロットは
「違うよ。
シャルロットは強く
「好きなんだ、シャルロット。僕の妻としてずっと
「ウィリアム……」
一度は誰からも見放されたにもかかわらず、王としての価値があると周知されると、今度は
ウィリアムは口にはしなかったが、
(正義感が強くて優しいのは、ウィリアムのほうだわ)
だから民に愛されているのだ。
シャルロットはそっと、ウィリアムの背中に手を回した。
(わたしにできるのなら、支えてあげたい)
シャルロットは広い背中を強く抱きしめた。
馬車から降りると、低山のふもとだった。雑草がある程度
ウィリアムはシャルロットに並び、歩調を合わせて歩く。アンヌは一歩下がった位置からシャルロットに
「アンヌ、ウィリアムも
「はい」
アンヌは一回り大きな日傘に
「僕は
「
驚いているウィリアムに、シャルロットは
「わたしが開発したものだから、効果は保証するわ!
「シャルロットは本当に変わらないな」
胸を張っているシャルロットに、ウィリアムは
「ところで、ここはどこ?」
「王室専用の
ウィリアムが指さした先には的があった。円が五重になっていて、中央の一番小さな円は赤くなっている。
「
ウィリアムは
「ね、マルク」
「いえ、
マルクは
「そんなこと言わないで。せっかく準備したんだから。僕の得意分野で申し訳ないけれど」
ウィリアムは従者にマスケット
「シャルロットにいいところを見せたいんだ。一人で
「……それでしたら」
マルクは
「よかった。
ウィリアムはにこやかに、
「手加減はしないでね。わざと外して、僕を引き立てようとしなくていいから」
マルクは少々身体を
「そうだな、きみが本気になるように、
「賭け、ですか」
マルクが眉を寄せた。長身の二人が見つめ合う。相手の腹を読み合おうとしているかのようだ。
「ご
(姫の口づけって……?)
シャルロットが意味を理解するよりも早く、ウィリアムは人差し指を唇に当て、マルクににっこりと微笑んだ。
「勝ったほうがシャルロットにキスしてもらえるってことで。もちろん、唇にだよ」
「ウィリアム、ちょっと待っ……!」
「いいではございませんか」
アンヌは
「
「アンヌまでっ」
(そこは
「
ウィリアムはアンヌに微笑みかけてから、マルクを
「きみにはずいぶんとアドバンテージを取られているからね。きちんと勝って自信をつけたいんだ。だから手を
ウィリアムはマルクにだけ聞こえる小声で話した。マルクはウィリアムの意図を察した。
「承知いたしました」
ウィリアムとマルクは的の正面まで移動した。そこにはテーブルがあり、従者が銃の道具を並べる。二人から
的からの
「これは……、
マルクは興味深そうに銃口を見る。
「わかってくれる?」
ウィリアムは銃の準備をしながらマルクに視線を向けた。
「これだけの距離がある理由がわかりました」
「
「
「もちろん。やる気になってくれて嬉しいよ」
マルクは
「ライフリングがある分、押し込むのに
「そうなんだよ。やっぱり
「一通りは。軍人ですから」
マルクは準備を済ませた銃を両手で持ち、女性二人を振り返った。
「耳を
マルクは改めて的と向き合い、射撃姿勢を取ると、照準を定めて引き金を引いた。
銃の
(ものすっごく、うるさいっ!)
シャルロットは
的がはっきりと見える位置にいる従者が白い旗を上げた。赤い旗も持っていることから、的のどこかに当たれば白旗、中心に当たれば赤旗、的に当たらなければ旗を上げない仕様なのだろう。
「なるほど。想定以上に直進しました」
「試作を
「大量生産できるのなら、
「おっと、思わぬ商談に発展しそうだね」
ウィリアムは
「勝負は、赤い的心を先に外したほうが負け、ってことでいいかな?」
「
マルクは冷静に次の弾を込めるための準備をしている。
「もう一度、練習する?」
「結構です」
「無理しなくてもいいよ。的のギリギリだったじゃないか」
「銃の特性はわかりました。それに」
マルクは手をとめて、ウィリアムと視線を合わせる。
「ご心配されなくても、自分は負ける気はありません」
「……そう。安心したよ」
二人の視線の間で
「では本番といこう。僕から撃つよ」
ウィリアムは肩に担いでいたマスケット銃を構える。その動きは流れるようにスムーズだ。狙いを定めて引き金を引くと、みごと的の中央にヒットさせた。赤旗が上がる。
フリントロック式マスケット銃から
フリントとは火打石のことで、火花が
「おおっ」
狩猟を
(すごいわっ!)
シャルロットは射撃に引き込まれた。
次はマルクの番だ。立射の構えで照準すると、
「マルクも当てたっ」
シャルロットは両手を組んで興奮した。試し打ちでは的の端だったのに、本当に銃の特性を
「やるじゃないか」
ウィリアムがマルクに声をかける。
「
「簡単に勝たせてはくれないか。でも、長期戦になれば慣れと集中力がものをいう」
二回目に入る。
次もウィリアムはなんなく的の中央を
シャルロットは
「ところで、シャルロット様」
アンヌが小声で話しかけた。
「なに?」
シャルロットは射撃を見るのが楽しくなっていて、射撃手の二人から目を離さない。
「シャルロット様はどちらを
「どっちも応援してるに決まっているでしょ」
「そうですか。……では、言い方を変えます」
アンヌは
「どちらと口づけたいのですか?」
「えっ?」
シャルロットは飛び跳ねるようにアンヌに顔を向けた。
「シャルロット様の口づけがかかった勝負なのですよ」
(忘れてたわ……!)
マスケット銃の
「そんなこと、二人とも忘れているんじゃないかしら」
「そんなはずはありません。お二人の
「それは的の真ん中に当てなければいけないから……」
「いいえ」
アンヌはシャルロットの色づいて
「この果実を、
(うわぁぁぁっ!)
アンヌの
「そんな、そんなわけが……」
シャルロットはあわあわと口ごもる。
「マルク様が構えに入りますわね」
アンヌの言うとおり、マルクは銃口を的に向けている。
「マルク様が外せば、その唇はウィリアム
マルクが当てれば三回目に入る。
この勝負は、どちらかが的心を外すまで続くのだ。
「もう一度お聞きします。シャルロット様は、どちらを応援されますか?」
どちらとキスしたいのか。
(そんなこと、急に言われても……!)
マルクか。ウィリアムか。
「わたしは……」
「ウィリアム殿下!」
そのとき、背後からウィリアムを呼ぶ声がした。この狩猟場に護衛として立っている衛兵や従者とは身なりが違うので、側近の廷臣だろう。
廷臣がウィリアムになにやら耳打ちすると、ウィリアムは
「すまない、急用ができた。勝負はお預けだ」
「いえ」
マルクは構えを解いて、マスケット銃を下げる。
「僕の得意分野でこれなんだから。今度はきみの弱点を調べておくよ」
「お手柔らかに願います」
マルクが一礼をした。
(なに? 勝負は流れたの?)
こわばっていたシャルロットの全身から力が抜けた。
(よかった!)
まだ心臓がバクバクしている。
ウィリアムはシャルロットに近づいてきた。火薬の臭いがする。
「すごかったわ!」
シャルロットは気を取り直して立ち上がった。
「どうやら弟がまたおかしな動きをしているようだ」
「そうなの……。気を付けて」
ジョルジュ一派に命を狙われたこともあると馬車で聞いた。
「ありがとう。勝負が流れてしまって残念だ。だから」
シャルロットはウィリアムに抱きしめられた。
「わっ、ウィリアム?」
「これは参加賞」
すぐに身を離して、ウィリアムは微笑む。
「早く、正式に婚約発表をしよう」
「え、ええ」
シャルロットは頰を赤らめたまま、ぎこちなくうなずく。
その表情を、マルクは肩越しに見ていた。
ウィリアムは廷臣とともに去った。
(まだ、胸がドキドキしている)
なんのドキドキだろう。
アンヌに言われたとおりに考えようとするのに、一気にいろんな感情が押し寄せたので、どうにもまとまりがつかなかった。
帰りの馬車では、シャルロットの正面にマルク、隣りにアンヌが座っている。
「シャルロット様、応援がどっちつかずでしたわね」
「えっ」
(なぜ
アンヌの言葉に、シャルロットはビクリと肩をすくめた。
「それは、どちらにも勝ってもらいたかったし……」
この話の本質が「どちらとキスしたいか」だと気づかれていないか、シャルロットはそっとマルクを
マルクは長い
表情に感情をのせていないマルクと視線が合う。
「おまえは、ウィリアム殿下と本当に婚約するのか」
「ええ。なんだかとんとん
「それでいいのかと聞いている」
シャルロットは動きをとめて、何度かまばたきをする。
「それがおまえの求めていた幸せな
「
「ならばなぜ、ちっとも嬉しそうにしていないんだ。昨日も、さっきも」
昨晩、ウィリアムに婚約の申し込みをされたとき。
さきほど、正式に婚約発表をしようと
どちらも、
「だって、婚約なんて初めてだもの」
マリッジブルーという言葉があるくらいだ。好きな人と結ばれることは、ただ幸せなだけではないに違いない。特にシャルロットは
「おまえは、本当に殿下のことが好きなのか」
「えっ……」
「容姿がいい相手なら、誰でもいいのではないか」
「違うわ!」
シャルロットは
「ウィリアムは心も美しいもの! とても優しくて、正義感が強くて……」
言いながら、馬車内で打ち明け話をする際の
「子どものころから
そうだ。支えたいと思った。
「シャルロット」
マルクが冷静な声で
「同情と愛情を混同していないか」
シャルロットは目を見開いた。
「そんな、こと……」
この国に来てから知った、さまざまな感情が一気に
混乱する。頭が真っ白になる。
人を好きになるというのは、どういうことなのだろう。
(わたしはウィリアムが好きではないの?)
そんなはずはない。なぜならば、
──本当にそうなのか。
摑みかけていたものが遠のく。
なにもわからなくなる。
「知らない! そんなことを言うマルクなんて
シャルロットはドアを開けて、動いている馬車から飛び降りた。
「シャルロット!」
追いかけようとするマルクをアンヌがとめる。
「マルク様、ここはわたくしにお任せを。先にお戻りになってください」
アンヌがマルクに
シャルロットはすぐ近くの
「シャルロット様」
声をかけて、アンヌはシャルロットの隣りに
「アンヌ、どうしよう……初めてマルクに
シャルロットは膝の間に顔をうずめたまま話す。
「マルク様はそんなに
「でも、マルクも悪いのよ。よくわからないことを言って、わたしを混乱させるから」
「よくわからないことではありません。シャルロット様が避けていたことを、並べてくださったのですわ。ご存知のように、マルク様もわたくしも、常にシャルロット様を一番に考えております」
シャルロットは顔を上げた。迷子になった子どものような、
「好きって、どんな気持ちなのかしら」
シャルロットが尋ねているのは、恋愛としての「好き」だろう。
「人それぞれですわ。それに人の心は移ろうものです。そのかたの最適解が、次の
「アンヌは以前、難しくないと言っていたのに」
シャルロットはぷくりと頰をふくらませる。
「先のことを考えても
「今のわたしの気持ち?」
「答えはすでに、シャルロット様の中にあるはずです」
アンヌは
「わたくしなら、ずっと傍にいたい。
(傍にいたい、独占したい……)
今は感情が
(傍にいてほしい人は、常に傍にいるからピンとこないのかしら)
それは言わずもがな、シャルロットが
「侍女のわたくしはともかく、マルク様はずっと傍にいるわけではありませんよ」
シャルロットの思考を読んだようにアンヌが発言した。
「えっ、なぜ?」
「マルク様はシャルロット様の専属
「そんな……」
シャルロットはショックを受けた。
マルクはいつまでも、ともにいるものだと思っていたのだ。
幼いころから傍にいたマルク。
マルクのいない日常など想像できない。
「
シャルロットは落ち込んで、再び膝の間に顔をうずめてしまった。
「さて、マルク様とシャルロット様の関係は、親鳥と
アンヌの声は、混乱しているシャルロットの耳には届かなかった。
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