四章 口づけたい人

4-1


 しゃく家のしきには、前日と同じように王室の馬車がとうちゃくした。

 ちがいは、二台であること。

 ウィリアムが、マルクとアンヌにも同行を求めたのだ。


「どこに行くの?」


 シャルロットはとなりに座るウィリアムにたずねた。今日も馬車には二人きりで、マルクとアンヌは後続の馬車に乗っている。


「シャルロットにいいところを見せたいと思って」


 ウィリアムはニッコリと微笑ほほえんだ。


こんやく発表のこと、めいわくだった?」

「まさか! ただ、びっくりしてしまって」

「僕も性急すぎたかなと思ったよ。でもこうかいはしていない。シャルロットはつかまえていないと、どこかに行ってしまいそうだから」


 ウィリアムはシャルロットの手をにぎった。昨日、長時間手をつないでいたので多少は慣れたが、それでもまたシャルロットはドキリとしてしまう。

 ウィリアムはそのままシャルロットのきゃしゃかたにもたれて来た。プラチナブロンドからふわりとかんきつ系の香りがした。


「少し、僕のちのことを話していい?」


 シャルロットはうなずいた。


「僕には兄がいた。会ったことはないけれど」


 静かな語り口だ。シャルロットが視線を向けると、ウィリアムは目を閉じていた。


「会ったことはない?」

「僕が生まれる前にようせいしてしまったから」


 兄はせいの子どもだった。

 正妃というのは、ジョルジュの母親のことだ。


「それから数年後、だいが待望の男児を出産した。それが僕」


 その一年後、正妃も男児を出産した。それがジョルジュだ。


おう陛下はジョルジュが正統な王位けいしょう者だと主張し続けているんだけれど……」


 シャルロットは、「王妃陛下」という言葉が気になった。あまりにもにんぎょうで、それだけで関係性がわかる。


「王妃陛下の気持ちもわかるよ。自分は正妃で、本当の第一王子は自分が産んだんだ。自分の子どもを王にしたいという気持ちが人一倍強かったんだろう。僕はどちらでもよかったんだけど、僕が決められるものではないからね」


 慣例に従って、ウィリアムが継承順位一位で、ジョルジュが二位となる。

 しかし、ウィリアムの身体からだが弱いことがりになってくると、ジョルジュが王にふさわしいと、再び正妃は強く主張した。ていしんたちの囲い込みもあったのか、ウィリアムへの風当たりが強くなっていく。

 ジョルジュも母親にえいきょうされたようで、ウィリアムと口をきくことはいっさいなく、てきがいしんかくしもしなかった。

 そんな兄弟関係に、政務にいそがしい国王は無関心だった。ゆいいつの味方だった母親は、ウィリアムが十歳になるころに他界してしまう。

 りつえんで、自分の身体さえ思うようにならず、自身にまで裏切られている気になった。

 そこに、遊学の話がい込んだ。これはウィリアムにとっても願ってもないことだった。

 自国はウィリアムにとってのない、息苦しい場所になっていた。

 ここでウィリアムは、人生の転機ともいえる人物と出会う。

 シャルロットだ。

 彼女のアドバイスに従うと、からびょうで治らないと言われていたしょうじょうが改善した。

 健康な身体になって自国にもどると、複数の廷臣たちにみつに相談を受けた。実はジョルジュのばつは国をおびやかすほどの不正を行っていて、なんとかしたいという反対派の者たちだった。

 ジョルジュの派閥の者たちは地位が高く、国王の覚えもめでたいため、じきしても信じてもらえないどころか自分の地位があやうくなりかねない。不正の物的しょうこうみょうに隠され、つかめていないのだという。

 ジョルジュが王位にいてしまえば国がかたむきかねず、たみえる。不正を正し、なんとしてでもウィリアムに次期国王になってもらいたい。

 そうたのまれてしまえば無下にもできない。王子として生まれた責務でもある。

 それからウィリアムは、内政の立て直しや、不正を働く廷臣たちの洗い出しにほんそうすることになった。

 それがざわりなのだろう、当然、ジョルジュ派のぼうがいや圧力が強くなった。

 犯人は捕まっていないが、ウィリアムの暗殺すい事件まで起こった。ジョルジュ派の仕業だろう。

 このたたかいはウィリアムかジョルジュ、どちらかがしっきゃくしなければ終わらないかもしれない。


 ──そして、今に至る。


「急にこんな話をしてごめんね。もううわさで聞いているかもしれないけど、婚約が正式に決まる前にちゃんと話しておきたくて……。それに、本当にシャルロットには感謝しているんだ。あの日出会っていなければ、僕はどうなっていたかわからない」

「そんなことはないわ。立ち直ったのはウィリアム自身の力よ」

「いいや、シャルロットのおかげだ」


 ウィリアムはシャルロットの手を両手で握り込んだ。


「再会したときはおどろいた。場所や服装もそうだったけど、なにより、おくの中のシャルロットがそのまま成長していたから」


 ウィリアムはやわらかく微笑む。


「話してみれば、真っすぐなところも、やさしいところも、正義感が強いところも、なにをしでかすかわからなくて目がはなせないところも、全部変わっていなかった」

「それは、わたしが子どものまま進化がないと……」


 シャルロットはまゆをひそめた。


「違うよ。うれしかったんだ、僕が好きになったシャルロットのままでいてくれて」


 シャルロットは強くきしめられた。


「好きなんだ、シャルロット。僕の妻としてずっとそばにいてほしい。シャルロットさえいてくれたら、他のだれを敵に回しても構わない。強い王になってみせるから」

「ウィリアム……」


 どくな少年時代を送ってきたウィリアム。

 一度は誰からも見放されたにもかかわらず、王としての価値があると周知されると、今度はかつげられた。ウィリアムは責任感から、自分のことは二の次にして国のためにまいしんしている。しかも敵対しているのは血を分けた弟だ。

 ウィリアムは口にはしなかったが、じんだと思ったことは一度や二度ではないだろう。


(正義感が強くて優しいのは、ウィリアムのほうだわ)


 だから民に愛されているのだ。

 シャルロットはそっと、ウィリアムの背中に手を回した。


(わたしにできるのなら、支えてあげたい)


 シャルロットは広い背中を強く抱きしめた。


 馬車から降りると、低山のふもとだった。雑草がある程度り込まれて整地されている。

 ウィリアムはシャルロットに並び、歩調を合わせて歩く。アンヌは一歩下がった位置からシャルロットにがさをさしていて、マルクはその後ろに続いている。


「アンヌ、ウィリアムもかげになるようにして」

「はい」


 アンヌは一回り大きな日傘にえた。


「僕はだいじょうだよ」

しょうじんしなければだめだと言ったでしょ、日光は美容の大敵なのよ。日焼け止めはってる? アンヌとマルクにはクリームをわたしてあるんだけど」


 驚いているウィリアムに、シャルロットはを言わせずクリームを塗りたくった。


「わたしが開発したものだから、効果は保証するわ! はだ効果もあるのよ!」

「シャルロットは本当に変わらないな」


 胸を張っているシャルロットに、ウィリアムはしょうした。


「ところで、ここはどこ?」

「王室専用のしゅりょう場だよ。といっても、今日はあちらを使う」


 ウィリアムが指さした先には的があった。円が五重になっていて、中央の一番小さな円は赤くなっている。


しゃげき勝負をしよう」


 ウィリアムはかたしにかえった。


「ね、マルク」


 とつぜん話を振られたマルクは、わずかにどうもくした。


「いえ、おそおおく……」


 マルクはひかえめに首を振った。


「そんなこと言わないで。せっかく準備したんだから。僕の得意分野で申し訳ないけれど」


 ウィリアムは従者にマスケットじゅうを二丁持ってこさせる。


「シャルロットにいいところを見せたいんだ。一人でっていても、かく対象がないとうでまえがわからないからね」

「……それでしたら」


 マルクはしょうだくした。引き立て役に選ばれたのだと考えたのだろう。


「よかった。じゅんすいに、一人で撃っていてもつまらないし」


 ウィリアムはにこやかに、じゅうこうを下に向けたマスケット銃を一丁マルクに渡した。


「手加減はしないでね。わざと外して、僕を引き立てようとしなくていいから」


 マルクは少々身体をきんちょうさせてくちびるめた。図星をかれた。


「そうだな、きみが本気になるように、けをしよう」

「賭け、ですか」


 マルクが眉を寄せた。長身の二人が見つめ合う。相手の腹を読み合おうとしているかのようだ。


「ごほうならば、ひめの口づけがふさわしい。そう思わない? シャルロット」

(姫の口づけって……?)


 シャルロットが意味を理解するよりも早く、ウィリアムは人差し指を唇に当て、マルクににっこりと微笑んだ。


「勝ったほうがシャルロットにキスしてもらえるってことで。もちろん、唇にだよ」

「ウィリアム、ちょっと待っ……!」

「いいではございませんか」


 アンヌはあわてるシャルロットの肩を引き留めて、動きを制した。


殿とのがたの勝負事には、戦利品は不可欠ですもの」

「アンヌまでっ」

(そこはじょとして、フォローするところでしょ!)

かいだくしてくれて嬉しいよ。では、行こうか」


 ウィリアムはアンヌに微笑みかけてから、マルクをうながした。


「きみにはずいぶんとアドバンテージを取られているからね。きちんと勝って自信をつけたいんだ。だから手をかないで」


 ウィリアムはマルクにだけ聞こえる小声で話した。マルクはウィリアムの意図を察した。


「承知いたしました」


 ウィリアムとマルクは的の正面まで移動した。そこにはテーブルがあり、従者が銃の道具を並べる。二人からじゃっかん離れた後方にが用意されていて、シャルロットとアンヌは並んで座った。

 的からのきょは百メートルほどあった。マスケット銃の性能から、正確に命中させるには五十メートル以内だと言われている。的の中心どころか、かすりもしない可能性すらある距離にいた。


「これは……、めずらしいですね」


 マルクは興味深そうに銃口を見る。


「わかってくれる?」


 ウィリアムは銃の準備をしながらマルクに視線を向けた。

 いっぱん的なフリントロック式マスケット銃かと思いきや、じゅうしんにライフリングがほどこされている。これがあるとだんがんじょうに食い込んで回転するので、ないものと比べて直進性が高まる。つまり、格段に命中率が上がるのだ。


「これだけの距離がある理由がわかりました」

つうのマスケット銃だとねらい通りに飛ばなくて、おもしろくなかったからね。銃だけはきわめようと思って練習していたら、開発に口を出すようになっていたんだ」

ためし撃ちをしても?」

「もちろん。やる気になってくれて嬉しいよ」


 マルクはだんやく箱から弾丸を取り出し、装薬と弾丸をめ矢で一メートル以上ある長いマスケット銃の銃身の奥まで押し込んだ。


「ライフリングがある分、押し込むのにていこうがありますね」

「そうなんだよ。やっぱりれているね。けんは得意だと聞いていたけど、銃もよくあつかうの?」

「一通りは。軍人ですから」


 マルクは準備を済ませた銃を両手で持ち、女性二人を振り返った。


「耳をふさいでいたほうがいい」


 マルクは改めて的と向き合い、射撃姿勢を取ると、照準を定めて引き金を引いた。

 銃のばくはつ音とともにしょうえんが上がった。マルクたちからしばし離れた場所にいるシャルロットの耳が痛くなるほどの音だった。ざんきょうが山をね、火薬のにおいが鼻につく。


(ものすっごく、うるさいっ!)


 シャルロットはいまさらながら耳を押さえた。こう心から直接聞いたことを後悔する。

 たまは的の下方のはしにかろうじて当たっていた。

 的がはっきりと見える位置にいる従者が白い旗を上げた。赤い旗も持っていることから、的のどこかに当たれば白旗、中心に当たれば赤旗、的に当たらなければ旗を上げない仕様なのだろう。


「なるほど。想定以上に直進しました」

「試作をり返しているからね、いい性能だろ」

「大量生産できるのなら、ていこくに売っていただきたいくらいです」

「おっと、思わぬ商談に発展しそうだね」


 ウィリアムはほがらかに笑って、「話を戻すけれど」と続けた。


「勝負は、赤い的心を先に外したほうが負け、ってことでいいかな?」

ぎょに」


 マルクは冷静に次の弾を込めるための準備をしている。


「もう一度、練習する?」

「結構です」

「無理しなくてもいいよ。的のギリギリだったじゃないか」

「銃の特性はわかりました。それに」


 マルクは手をとめて、ウィリアムと視線を合わせる。


「ご心配されなくても、自分は負ける気はありません」

「……そう。安心したよ」


 二人の視線の間でいっしゅん火花が散る。


「では本番といこう。僕から撃つよ」


 ウィリアムは肩に担いでいたマスケット銃を構える。その動きは流れるようにスムーズだ。狙いを定めて引き金を引くと、みごと的の中央にヒットさせた。赤旗が上がる。

 フリントロック式マスケット銃からされたはくえんが周囲に広がった。

 フリントとは火打石のことで、火花がそうてんされた点火薬に着火し、銃身内のガス圧が高まって、弾丸が押し出されて発射される。その原理は基本的にたいほうと変わらないので、激しいふんえんごうおんになるのだ。


「おおっ」


 狩猟をけていたシャルロットは、こんなにきんきょで射撃を見たのは初めてだった。

 はくりょくのある発射音、緊張感の高まる火薬の匂いと噴煙、なにより弾丸がみごとに的の中央にちゃくだんするのはそうかい感があった。


(すごいわっ!)


 シャルロットは射撃に引き込まれた。

 次はマルクの番だ。立射の構えで照準すると、しょうばんを肩とほおにつけて固定し、発射する。的心に穴が開いた。


「マルクも当てたっ」


 シャルロットは両手を組んで興奮した。試し打ちでは的の端だったのに、本当に銃の特性をあくしたようだ。


「やるじゃないか」


 ウィリアムがマルクに声をかける。


ゆうしゅうな銃をお借りしていますから」

「簡単に勝たせてはくれないか。でも、長期戦になれば慣れと集中力がものをいう」


 二回目に入る。

 次もウィリアムはなんなく的の中央をつらぬいた。

 シャルロットははくしゅを送った。ウィリアムが振り返ってシャルロットにがおを向ける。


「ところで、シャルロット様」


 アンヌが小声で話しかけた。


「なに?」


 シャルロットは射撃を見るのが楽しくなっていて、射撃手の二人から目を離さない。


「シャルロット様はどちらをおうえんしておられるのですか?」

「どっちも応援してるに決まっているでしょ」

「そうですか。……では、言い方を変えます」


 アンヌはさらに唇をシャルロットの耳元に近づけた。


「どちらと口づけたいのですか?」

「えっ?」


 シャルロットは飛び跳ねるようにアンヌに顔を向けた。


「シャルロット様の口づけがかかった勝負なのですよ」

(忘れてたわ……!)


 マスケット銃のばくおんとともに、そんな条件は頭からき飛んでいた。


「そんなこと、二人とも忘れているんじゃないかしら」

「そんなはずはありません。お二人のしんけんな表情をご覧になっているでしょう」

「それは的の真ん中に当てなければいけないから……」

「いいえ」


 アンヌはシャルロットの色づいてうるおった唇に、長い指先でちょんとれた。


「この果実を、ほっしておいでなのですわ」

(うわぁぁぁっ!)


 アンヌのなまめかしい言い方に、シャルロットは全身が真っ赤になった。


「そんな、そんなわけが……」


 シャルロットはあわあわと口ごもる。


「マルク様が構えに入りますわね」


 アンヌの言うとおり、マルクは銃口を的に向けている。


「マルク様が外せば、その唇はウィリアム殿でんのもの」


 マルクが当てれば三回目に入る。

 この勝負は、どちらかが的心を外すまで続くのだ。


「もう一度お聞きします。シャルロット様は、どちらを応援されますか?」


 どちらとキスしたいのか。


(そんなこと、急に言われても……!)


 マルクか。ウィリアムか。


「わたしは……」

「ウィリアム殿下!」


 そのとき、背後からウィリアムを呼ぶ声がした。この狩猟場に護衛として立っている衛兵や従者とは身なりが違うので、側近の廷臣だろう。

 廷臣がウィリアムになにやら耳打ちすると、ウィリアムはまゆを寄せて小さくいきする。


「すまない、急用ができた。勝負はお預けだ」

「いえ」


 マルクは構えを解いて、マスケット銃を下げる。


「僕の得意分野でこれなんだから。今度はきみの弱点を調べておくよ」

「お手柔らかに願います」


 マルクが一礼をした。


(なに? 勝負は流れたの?)


 こわばっていたシャルロットの全身から力が抜けた。


(よかった!)


 まだ心臓がバクバクしている。

 ウィリアムはシャルロットに近づいてきた。火薬の臭いがする。


「すごかったわ!」


 シャルロットは気を取り直して立ち上がった。


「どうやら弟がまたおかしな動きをしているようだ」

「そうなの……。気を付けて」


 ジョルジュ一派に命を狙われたこともあると馬車で聞いた。いではすまなくなっているようだ。


「ありがとう。勝負が流れてしまって残念だ。だから」


 シャルロットはウィリアムに抱きしめられた。


「わっ、ウィリアム?」

「これは参加賞」


 すぐに身を離して、ウィリアムは微笑む。


「早く、正式に婚約発表をしよう」

「え、ええ」


 シャルロットは頰を赤らめたまま、ぎこちなくうなずく。

 その表情を、マルクは肩越しに見ていた。

 ウィリアムは廷臣とともに去った。


(まだ、胸がドキドキしている)


 なんのドキドキだろう。

 アンヌに言われたとおりに考えようとするのに、一気にいろんな感情が押し寄せたので、どうにもまとまりがつかなかった。


 帰りの馬車では、シャルロットの正面にマルク、隣りにアンヌが座っている。


「シャルロット様、応援がどっちつかずでしたわね」

「えっ」

(なぜし返すの!?)


 アンヌの言葉に、シャルロットはビクリと肩をすくめた。


「それは、どちらにも勝ってもらいたかったし……」


 この話の本質が「どちらとキスしたいか」だと気づかれていないか、シャルロットはそっとマルクをうかがった。

 マルクは長いあしを組んでまどぎわひじをのせてほおづえをつき、視線だけシャルロットに向けていた。

 表情に感情をのせていないマルクと視線が合う。


「おまえは、ウィリアム殿下と本当に婚約するのか」

「ええ。なんだかとんとんびょうに進んでしまって、不思議な気分なのだけど」

「それでいいのかと聞いている」


 シャルロットは動きをとめて、何度かまばたきをする。


「それがおまえの求めていた幸せなけっこんにつながるのなら、俺はなにも言わない」

ぐうぜん出会って、デートをして……。こいって、たぶん、こんな感じでしょ」

「ならばなぜ、ちっとも嬉しそうにしていないんだ。昨日も、さっきも」


 昨晩、ウィリアムに婚約の申し込みをされたとき。

 さきほど、正式に婚約発表をしようとかくにんされたとき。

 どちらも、まどいが先に立った。


「だって、婚約なんて初めてだもの」


 マリッジブルーという言葉があるくらいだ。好きな人と結ばれることは、ただ幸せなだけではないに違いない。特にシャルロットはれんあいや結婚について知らないことが多すぎる。


「おまえは、本当に殿下のことが好きなのか」

「えっ……」

「容姿がいい相手なら、誰でもいいのではないか」

「違うわ!」


 シャルロットはいきどおった。近いことは何度も言われたことがあるし、それは笑い飛ばせたが、一番の理解者ともいえるマルクには言われたくない。


「ウィリアムは心も美しいもの! とても優しくて、正義感が強くて……」


 言いながら、馬車内で打ち明け話をする際のさびしげなウィリアムの表情が浮かんできた。


「子どものころからしいたげられてきて、きっと寂しい思いもくやしい思いもたくさんして、それなのに、自分よりも国や民のことを優先して、一番近しいはずの身内に命まで狙われて……。だからわたしはウィリアムを支えたいと思ったの!」


 そうだ。支えたいと思った。


「シャルロット」


 マルクが冷静な声でてきする。


「同情と愛情を混同していないか」


 シャルロットは目を見開いた。


「そんな、こと……」


 この国に来てから知った、さまざまな感情が一気にあふれた。

 混乱する。頭が真っ白になる。

 人を好きになるというのは、どういうことなのだろう。


(わたしはウィリアムが好きではないの?)


 そんなはずはない。なぜならば、あこがれていた恋愛小説と同じようなシナリオを辿たどっているからだ。

 ──本当にそうなのか。

 摑みかけていたものが遠のく。

 なにもわからなくなる。


「知らない! そんなことを言うマルクなんてきらい!」


 シャルロットはドアを開けて、動いている馬車から飛び降りた。


「シャルロット!」


 追いかけようとするマルクをアンヌがとめる。


「マルク様、ここはわたくしにお任せを。先にお戻りになってください」


 アンヌがマルクにみを向けた。

 ぎょしゃに馬車をとめさせると、アンヌはシャルロットを追った。

 シャルロットはすぐ近くのかげにしゃがんで、ひざかかえていた。


「シャルロット様」


 声をかけて、アンヌはシャルロットの隣りにこしをおろす。


「アンヌ、どうしよう……初めてマルクにきらいと言ってしまったわ。おこっているかしら」


 シャルロットは膝の間に顔をうずめたまま話す。


「マルク様はそんなにきょうりょうではありませんわ」

「でも、マルクも悪いのよ。よくわからないことを言って、わたしを混乱させるから」

「よくわからないことではありません。シャルロット様が避けていたことを、並べてくださったのですわ。ご存知のように、マルク様もわたくしも、常にシャルロット様を一番に考えております」


 シャルロットは顔を上げた。迷子になった子どものような、たよりない表情をしていた。


「好きって、どんな気持ちなのかしら」


 シャルロットが尋ねているのは、恋愛としての「好き」だろう。


「人それぞれですわ。それに人の心は移ろうものです。そのかたの最適解が、次のしゅんかんにひっくり返っているかもしれません。シャルロット様がなやむのはもっともなのです」

「アンヌは以前、難しくないと言っていたのに」


 シャルロットはぷくりと頰をふくらませる。


「先のことを考えてもらちが明きませんもの。今、この瞬間のお気持ちを見つめることは、そう難しくありませんわ」

「今のわたしの気持ち?」

「答えはすでに、シャルロット様の中にあるはずです」


 アンヌはさとすように微笑んだ。


「わたくしなら、ずっと傍にいたい。どくせんしたいと思うかたが〝好き〟に当たりますが、シャルロット様はいかがですか?」

(傍にいたい、独占したい……)


 今は感情がれているので、胸に刻み付けてあとでゆっくりと考えることにする。


(傍にいてほしい人は、常に傍にいるからピンとこないのかしら)


 それは言わずもがな、シャルロットがちょうあいしているマルクとアンヌだ。


「侍女のわたくしはともかく、マルク様はずっと傍にいるわけではありませんよ」


 シャルロットの思考を読んだようにアンヌが発言した。


「えっ、なぜ?」

「マルク様はシャルロット様の専属である前に、帝国軍人ですもの。シャルロット様のとつぎ先までついていくことはできかねますわ」

「そんな……」


 シャルロットはショックを受けた。

 マルクはいつまでも、ともにいるものだと思っていたのだ。

 幼いころから傍にいたマルク。

 マルクのいない日常など想像できない。


ひなどりはいずれ、ごこのいい巣から旅立つものです」


 シャルロットは落ち込んで、再び膝の間に顔をうずめてしまった。


「さて、マルク様とシャルロット様の関係は、親鳥とひななのでしょうか」


 アンヌの声は、混乱しているシャルロットの耳には届かなかった。


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